びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

BSプレミアム「昭和の選択 山本五十六~「避戦」派提督はなぜ真珠湾を攻撃したか~」

BSプレミアム「昭和の選択 山本五十六~「避戦」派提督はなぜ真珠湾を攻撃したか~」

先週放送だったんですが、書くの遅れていました…

いつもなら「英雄の選択」という番組なんですが、
さすがに、真珠湾攻撃の先頭に立っていた人を英雄というわけにはいかないのか、
今回は「昭和の選択」となっていました。
司会は杉浦友紀アナ、歴史学者磯田道史さんです。

今回取り上げられている人物は、
太平洋戦争の中で有名な山本五十六

恥ずかしながら、私自身さほど軍人さんには興味が無く、
東條英機とごっちゃになっていたんですが、
真珠湾攻撃の先頭に立っていた人ですね。
しかし、彼自身はアメリカと戦争をやりたくなかったらしい(知らなかった)

彼がなぜ、いやいやながら戦争せねばならなかったのか。
そこには、日本人の官僚基質、大衆の圧力などが背景にあり、
彼のような有能な人をつぶさないためにどうすればいいのか、
現代においても教訓になるのではないか、
と考えさせられました。

というわけで内容書いてみます

山本五十六の経歴~海軍次官になるまで
 山本五十六は、海軍兵学校を卒業後、最初に戦艦「日進」に配属。
 ここで日露戦争(1905)を経験し、勝利するも
 彼自身は大けがを負い、左手の指2本を失っている

 約15年後、1919年、35歳の時、彼は3年間アメリカに留学する
 このとき彼はアメリカの文明のすごさを目の当たりにしている
 特に航空機のめざましい発達に驚いていた
 この時の経験が、後に日米開戦を避ける大きな動機となっていく

 彼がアメリカを訪れているとき、
 世界では第一次大戦後の平和のためのワシントン会議が開かれる
 その数年後にはロンドンでも軍縮会議が開かれ、
 日本の軍艦保有数が制限されたそうです

 専門家によれば
 「日本の当時の国力からすれば過大」な量だそうですが、
 日露戦争で勝利していた日本国内では、少なすぎる、という不満の声もあったそうです
 
 そして、日本の海軍内では
 国際条約を守るべき、とする「条約派」と、
 そんなの守らなくていい、艦隊を作るべきだ、という「艦隊派」で勢力が分かれていく

 五十六の学生時代の友人、堀悌吉は、条約派の中心だったそうです
 一方、艦隊派の中心には伏見宮(皇族の方)がいて、条約派を追い詰める動きが出てくる 
 五十六はどちら側でも無かったようですが、
 分断は良くないと考え、伏見宮
 「人事が汚れなく神明公正に行われることが、海軍結束の唯一の道だ」と述べ、
 堀の待遇を悪くしないでほしい、と直談判する
 しかし、3か月後、堀は予備役に編入され、現役を外されてしまう

 一方、五十六は海軍航空本部長になる
 海軍卒ですが、航空機にもかかわっていたのですね…
 おそらくアメリカで見た、当時最新鋭の戦闘機は脳裏にあったはずで、
 彼が関わったこの時期の航空機開発が、
 後に無敵の「ゼロ戦」開発へとつながっている

 さらに1936年、彼は海軍次官海軍大臣を補佐する職)に任命され、
 政治に関わるようになる。
 おそらく政治力もあったのでしょう。
 翌年、米内光政を海軍大臣にし、彼とのコンビで国政を担うことになる…

 今回のゲストは、作家の真山仁さん、歴史学者の小谷賢さん、海軍の歴史に詳しい畑野勇さんでしたが、
 軍縮条約をめぐる海軍内での争いについて、
 畑野さんは
 「山本はどちらにも属していなかったが、
  艦隊派の勢力が強くなって、条約派を排除する動きが強くなりすぎて
  それに嫌気がさしてきた、というのが正直なところ。
  派閥闘争で、堀のような優秀な人材も追いやるのはどうか、と、
  そういうことも考えていた」
 また、五十六の政治力についても言及していて、
 「米内を大臣に据えたのが山本。
  米内なら海軍を立て直せると思ったんじゃないか、と思います」

 磯田さんはこのときの海軍内争いについて
 「内輪で争っている場合じゃなくて、
  日本としてこの状況を逆手に取るべきだった」と批判。
 戦艦を減らされたんなら、それに抗うのではなく
 質のいいものを少量作る方向にして、結果的に勝ちを取りに行けばよかった、と。

 ただ畑野さんによれば、当時日本で戦艦を減らす選択肢はあり得なかったらしい。
 というのは
 「軍艦の数が減るということは、出世のポストが減ること」
 「戦艦の長をやって終わるか、そうでないかで
  引退後の恩給の額にも関わる」
 実利的な理由もあったのですね…
 
 さらに真山さんは
 「日本がそれまで負けてなかったのも大きかったと思う」と。
 日露戦争でも負けなかったので、自分たちは強いんだからもっと艦隊持っていいだろう、
 という思いがあったのではないか、と。

 全体的に、日本が身の程知らず、イケイケどんどんの雰囲気だったのね。

アメリカと敵対か、友好かで揺れる日本
 さて歴史は進みます。

 1937年、陸軍の独走による盧溝橋事件がおき、日中戦争となる
 航空隊による中国大陸への攻撃が始まる(この航空隊は、五十六が開発に携わったもの)

 1938年、日本の軍の中で日独伊三国同盟の話が出てくる 
 中国の後ろ盾に米英がいるので、それとの対抗上の戦略だった

 しかし、五十六と米内の率いる海軍は、
 アメリカから石油や鉄鋼の輸出が途絶えることを懸念し、三国同盟に反対する
 当時石油はほとんど輸入もので、うち8割がアメリカからだったそうです

 しかし、海軍内では三国同盟賛成派も少なくなく、
 五十六は暗殺される危険も抱えていた
 彼は暗殺を見越し、遺書のような文章を残している
 「戦争で命を落とすのはたやすいが、論を排し死ぬ苦労は誰にもわからない、
  この身は滅んでも志は奪えない」
 
 五十六は軍人にもかかわらず、本心は平和主義者だったようです
 五十六が、長岡の母校で講演したとき、当時学生で聴講していた方は
 「軍人さんらしくなかったね。
  緊張は必要だけど、適当に緊張して適当に休んで、と…
  静謐な環境で勉強に励んでほしい、と言っていた」
 本当は自分も、故郷で学問にはげみたかったのかもしれないですね…

 1939年、独ソ不可侵条約
 このとき、ドイツと組んでソ連を挟み撃ちしよう、と考えていた陸軍の目論見ははずれ、
 独伊との同盟話も立ち消えになる

 このころ、五十六は日本海連合艦隊司令長官に任命される
 また、ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦がはじまっていく…

 小谷さんはこのころの海軍の複雑な事情について、こう話していました
 「海軍は、三国同盟を結べば、日米開戦となると分かっていたので反対していた。
  でもそれを言い続けると、あなたたちの存在意義は何なのよ、となってしまう。
  それから、陸軍が日中戦争を起こして、陸軍の予算を増やしているのもあった、
  だから海軍の中にも、強硬な姿勢を取る人もいた」
 
 畑野さんも
 「ドイツと手を結ぶ方が、米英と組むより未来がある、と考えた人も海軍の若手にはいた。
  だから、米内や山本はそういう部下を統制する、という苦労はあったと思う」

 では、暗殺の危険がありながら、五十六がそれに屈せず、三国同盟反対を唱え続けたのはなぜか。
 畑中さんと真山さんは、
 「五十六は勝負師、勘所をつかむ力と行動力があったのではないか」
 と。なんかこれはまずいぞ、という先読みの勘、
 その勘に従う行動力があったのですね。

三国同盟締結
 第二次大戦開戦後、ドイツは破竹の勢いで勝ち進み
 オランダ、フランスなどを打ち負かす

 日本では、勢いのあるドイツと組むべき、という意見が優勢になっていく
 1940年、軍人の幹部の会議で、五十六は三国同盟賛成を迫られる
 五十六は「石油や鉄くずはどこから取るのか」と反論するが、
 結局彼の意見は黙殺され、三国同盟は締結される
 
 その後、五十六は当時の首相近衛文麿に呼ばれ、対米戦の展望を聞かれていたそうです
 「半年は暴れることはできるが、
  2,3年となると全く確信が持てない」
 「三国同盟が結ばれたのは致し方ない、
  こうなった上は日米戦争回避に極力努力するしかない」
 と微妙な言い回しで答えている

 そして、五十六は
 ・アメリカへの奇襲攻撃(アメリカに奇襲をかけ、士気を削ぐ)
 ・米内を海軍に戻し、軍令総長にすえるべき
 という二つの案を考え「厳秘」と書かれた書類に書き残している…
 
 小谷さんは、五十六の「奇襲」案は奇策だった、と話していました
 「当時海軍にも一応アメリカ攻撃の案はあって、
  アメリカ艦隊が来るのを待って、攻撃して、戦力をそいだうえで本土で戦う、というもの。
  でもそれだと時間がかかる…」 
 そこで、相手が油断しているすきに空から奇襲をかける、という案だったそうです

 畑中さんによると、日本の航空隊の能力も磨かれてきて、
 五十六以外にもその力に気づく人も出てきた、と。

 ただ磯田さんは
 「奇襲作戦は、相当危険な誘惑です」と。
 一か八かの賭けなので、弱小日本が勝つ可能性はある、
 というか相手は油断しているから大勝利できるが、
 その後が続かない、と…
 「アメリカ軍が壊滅したとしても、彼らの方が兵力が10倍なんだから、
  講和に持ち込もうと思っても聞くわけがない」

 たぶん五十六もそれを分かっていて、
 だから文麿に聞かれたとき「最初の半年ならいけるけど、2,3年は厳しい」
 と言ったのでしょう。
 
 小谷さんは
 「それはある意味メッセージだったのかもしれないですね、
  半年は頑張るから、あとは政治でなんとかしてくれ、って…」

 しかし畑野さんは
 「山本から見ると、近衛はどうも信用できなかったみたいで…(笑)」
 長期的には全然無理、というと
 文麿の場合「ああ、ダメなの」「ダメだって言ってるよ」とみんなに言っちゃう人だったので
 全然無理だとも言えなかった、
 だから「半年なら」という話だったのではないか、と。
 
 本当は五十六は奇襲よりも米内復帰の方を望んでいたそうですが、
 「米内はもう引退していたので、現役に戻す必要がある。
  でもそれには天皇の命令がいる。それだけでも異例です。
  しかもこの時は緊急時ではなく、平時だったので、かなりハードルは高かった」

 真山さんはあきれた顔で
 「いやいや現代でも、会社の危機だって言って、
  引退した敏腕社長を呼び出したら終わりですよ(笑)」
 「だって現職にはいい役員がいない、ということを示すことになる」

 そこで、そんな無理な要求を通すために、
 奇襲という無謀な作戦を立てたのではないか、と。
 「当時の日本の国力からしたら無理な作戦だ、と分かっていて敢えて出した。 
  それで、みんながそんなのできませんよ、というのを期待していたのではないか」
 
真珠湾攻撃
 しかし、みんなは奇襲の方を真に受けてしまう。
 そして、最後は天皇の決断に任されることに…
 彼はこのときの心境を堀に書き送っていて
 「最後の聖断のみ残されておるも、個人としての正反対の決意をかかねばならぬ、
  これも天命というものか」
 というようなことを書いている

 そして、五十六は最後まで奇襲しない選択肢を願っていて
 自分の艦隊にも、12月7日までに聖断が下されなければ撤退せよ、と伝えている

 しかし、12月6日、真珠湾攻撃の聖断はくだり、図らずも成功してしまう
 国内はこの成功にわくが、アメリカの主力艦隊3台は真珠湾におらず、大打撃ではなかった

 山本はこの状況に不安を覚える
 その不安通り、アメリカは迅速に巻き返し、
 これ以降、日本海軍は厳しい戦いとなる

 1943年、五十六が最前線の視察に出かけたとき、
 これを事前に察知したアメリカ海軍により
 パプアニューギニア沖で五十六の乗った軍機が撃墜され、殉死する…

 小谷さんはこの悲劇的な結果について
 「山本が言うように、短期決戦なら奇襲は成り立った。
  でも日本軍がそれを理解していなかった、というのが大きい」

 「あともう一つ、山本が読み誤ったのは、アメリカ人の国民感情
  士気が低下するどころか、余計奮起してしまった。
  …そこを読み誤ったところですね」

 真山さん
 「日本人の国民感情も読み誤りましたね。
  日露戦争でも負けてなかったから、
  ますます俺たち強いじゃないか、と勘違いしちゃった」
 「日本人の世論が動いたときの強さ、ですよね。
  思考がまっすぐになっちゃって…
  そのトリガーを引いてしまったのが山本自身だった、
  …難しいですね」

 畑中さんは、米内を呼びたかった心境について聞かれると
 「米内は勝手を知った仲でしたから…
  彼の存在があれば、好きなようにできる、と思ったのかもしれない」と。

 タラレバの話になるんですが、
 五十六の真意、捨て案として奇襲、本命は米内と共に和平、だったのに、
 それが全く誰にも理解されなかった。
 理解して賛同してくれる人が一人でも多ければ、
 あるいは奇襲が失敗していれば、また歴史は変わっていたかもしれないが、
 現実は逆に、奇襲が成功してしまい、日本はますます間違った方向に行ってしまった。
 歴史の皮肉ですね…

〇まとめ
 磯田さんは、五十六(というか昭和時代の政府要人の)「官僚意識」について言及していました。
 「明治の頃の人は、自分が法だから、ダメだと思ったら止められる。
  ところが昭和の人は、官僚だから止めることができない」
 「昭和の官僚は、家づくりでいえば職人さんみたいなものなんですよ。
  オーナーの言うとおりに家を作るしかない。
  でも倒れそうな家の中で、きれいなふすまを作っててもしょうがないんだけど、
  これ止めましょうというと、オーナーに「従わないのか」と言われちゃう。
  そのオーナーってのは日本国民ですよ。
  だから我々もそうならないといえるか、よく考えないといけないですよ」

 磯田さん、毎回表現が独特なんでかみ砕くの大変なんですが(笑)
  明治はまだ日本の近代国家が定まっていない、こうせねばというのが無い。
  だから国を作る中心人物たちも、自分の好きなようにできた。
  しかし昭和になると、もう法や国家、民主主義が定まっていて、
  それに従わないと官僚は首になる、みたいなところがあった、と…

  でもその官僚を従わせているのは、「民意」であり
  自分たちの「民意」が、知らず知らずに有能な官僚をつぶしていないか、
  ということを今一度考える必要がある…

 ということでしょうか。
  
 小谷さんは、五十六の悲劇について、理解者がいなかったのが大きい、と話していました
 「山本と海軍の危機感が圧倒的に違っていたのが大きい。
  人事も平時のままだったし… 
  山本一人が苦悩していた、と思う」

 畑中さんは、組織の在り方の問題だと述べる。
 「山本の判断、そもそも彼が司令官になるべきだったか、などについて批判はあるが、
  それも組織での、能力のある人の生かし方だと思う。
  人の活かし方が、組織の行く末を左右する、と思いました」

 一方真山さんは、五十六も進んで仲間を作るべきだった、と話していました。
 「山本はかっこいい人ですし、有言実行で行動力もありましたよ。
  だけどこの人になかったのは、徒党を組むこと」
 派閥を作るのはなんかイメージが悪いが、 
 正しいことをするために仲間を募るのは悪いことではない、と。
 「正しい人が強い人、影響力のある人になるには、仲間を探さないといけない。
  それがないと、正しくても弱い人になっちゃう。
  多数派ほど強いことはない、というのは反面教師として思った」

 磯田さんは改めて
 「みんなが彼の言うことを分かっていなかった、というのが悔やまれる」と言い、
 さらに
 「あとこの人がかわいそうなのは、やめられなかったこと。 
  この人は長岡藩主の復興の象徴だったんですよね。
  だから自分の本心と反対のことでも、やらざるを得なかった。
  軍事力、国益をもたらすことを第一に行動すればよかったんだけど、
  この人は周りへ説明する能力が足りなかった。
  もし彼がアメリカの攻撃ができませんといって、故郷に帰って農業でも続けていれば、
  もしかして尊敬される人になったり、国を復興する人材になれたかもしれない。
  と思うと悔やまれる」と話していました
 
  つまり、長岡の期待を背負って誕生した官僚なので、
  辞めることはできず、辞めないためには意に背く職務を全うするしかなかった。
  逆に、権限ある立場なんだから、自分の正義を貫けばよかったのに
  自分さえ泥をかぶれば、と説明を放棄してしまった、
  そこが弱かった、と。
  場所と時代さえよければ、もっと偉大な人材になっていたかもしれない、
  ということなのですね…

〇感想など
 最後の議論は聞きごたえがあり、いくつか考えさせられました。
・一つは、磯田さんが指摘していた、日本人の官僚気質、お上気質みたいなもの。
 日本人ってきっちり決まりを守る国民だし、
 お役所やお上の言うことは絶対、
 官僚も、決まりや前例に従っておけばいい、みたいなところがあり、
 それがだんだん、「守らねばならない」みたいな無言の圧力になってしまう。

 五十六もまじめで、みんなの期待に応えなければ、と思うからこそ
 その無言の圧力に従ってしまったのだろうけど、
 見方を変えれば、それは思考停止の状態だったんだろう、と思う。
 最初からそうするしかない、とあきらめて、自分軸で動けなかった。

 五十六の周りの人とか、国民の方も、思考停止していた。
 軍部の上が言うことに従えばいい、 
 と考えてしまって、誰もおかしいと言えなかった、
 だから非常時に対応できなかった。
 時代は違うけど、平成初期の、バブル後の対応が遅れた時も、
 同じことが起きていたのだろうと思う。

 ここから我々が学べることは
 「前例や決まりは置いといて、自分の頭で考えること。
  自分の良心に照らし合わせて、自分軸で動くこと」だと感じました
 
 とはいえ、みんなが同じ方向に流されているとき、
 イヤちょっと待てよ、と考えるのはなかなか難しいことではあるんですが、
 変化の激しい現代においては、
 逆にそういう風に、前例破りとか、柔軟に考えても許される状況になってきているような気もする。
 
 自分軸で考えて動く、そういう強さを持たねばならない、
 そのためには、真山さんが言うように、少しずついろんな人を説得して仲間を作るとか、
 とにかく信念を通すために行動せねばならない、と思いました

 (この番組とは関係ないんですが、
  日本人のお上気質を考えていたとき、
  それとは真逆のような人たちである「リバタリアン
  (政府を全く信用せず、個人でなんでも決めたがる人たち)
  の本を読んでいて
  そちらも興味深かったので、また時間があったら書きたいと思います)

・それから、太平洋戦争に突入してしまった「民意」「大衆」の怖さも感じました…  
 オルテガが「大衆の反逆」でも述べていたけど
https://amagomago.hatenablog.com/entry/2019/02/07/101655?_ga=2.70811027.2030514929.1576632301-1530527932.1576632301

 大衆は「無名の根無し草」だから意見は無責任、
 だけど「大勢いる」から、
 いったん一つの方向に流れたら、多勢の倫理で、それに抗う少数派を排除する傾向がある、と…
 
 太平洋戦争でも、
 「玉砕が美徳」「負けてもいいから突っ込め」という考え方が優勢になってしまったから、
 これはおかしいとか、アメリカと講和しよう、という意見も
 「非国民」と非難されるようになってしまったのだろう。

 五十六のまともな意見も
 軍部の中の「大衆」、日本の中の「大衆」に押しつぶされたのかな、と思うと怖いです。

 これはたぶん現代にも通じる話で、
 ポピュリズムがはびこるのも同じようなメカニズムなのだろうと思う。
 民主主義って、多数決に意義があるのではなく
 少数意見を尊重することに意義があるわけで、
 少数意見をくみ取るようなシステムを備えなければならない、と思います。

・それから、磯田さんが「奇襲は相当危険な誘惑」と言っていましたが
 そういう強烈な誘惑、ファウスト的な取引を口に出すことの危険さ、も感じました。

 たしか昔テレビでやっていたカイヨワ「戦争論」では 
https://amagomago.hatenablog.com/entry/2019/08/21/160947?_ga=2.182992421.2030514929.1576632301-1530527932.1576632301

 戦争はお祭りと同じようなもので、
 高揚感に浸ってしまったらみんな止められない、
 みたいな話になっていましたけど、
 本当にこの頃は、アメリカへの真珠湾攻撃がお祭りみたいになってしまっていたんでしょうね…

 しかし、それを始めたのは五十六。
 一か八か作戦、劇薬的なことは、お祭り的な高揚感があるから、
 無理そうでも、麻薬みたいに引き寄せられてしまう危険さがある。
 そういうものは、口に出すと現実化してしまうような威力があり、
 そもそも口にしない方がいいのかも、とも思ってしまいました…

 どうせ無理そうなことなら、もっといいことを口に出したいものです。。

知らなかった歴史の話ですので勉強になりました。

というわけで今回はこの辺で。