びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

NHKBSプレミアム「華族 最後の戦い」

NHKBSプレミアム「華族 最後の戦い」

2年前に放送されていたものの再放送です。
華族制度についての知識は何もなかったので、
見る前は、華族の華麗なる生活の紹介?
消え行く華族ラストサムライみたいな話?
とか能天気に想像してました(笑)

実際は全然違う話で、
戦後、天皇や皇室制度の戦争責任問題が出てきて
皇室制度の存続が危ぶまれたときに動いた華族たちの話でした

具体的に登場していたのは
戦中、大臣だった木戸幸一(公爵)
戦中、総理大臣を勤めた近衛文麿(侯爵)
戦後、アメリカに天皇が平和主義だったという手紙を送った松平康昌(侯爵)

番組では、木戸幸一を佐野史朗さんが演じ、
NHK松平アナウンサーがタイムスリップしてインタビューする、という形式で話が展開されています

実際は、木戸に昭和40年代に40時間にわたるインタビューが行われ、そのテープが残っていたのと、
彼が25年間つけていた日記があり
それらを元にした話がなされています
木戸はこの3人の中で唯一戦後の東京裁判で取り調べを受けていて
その再現映像もありました

この番組がなぜ私の興味をひいたかというと
私は最近読んだ本などで
当時の天皇制度の特殊性についてはなんとなくわかったのですが
それでも、なんでみんなそれに従っちゃったの?
てのが疑問だったんです。

しかし、木戸が東京裁判での取り調べの再現映像では
天皇華族は戦争を反対していたが軍部に押しきられた、
という擁護を何回もしている。
そのとき、もし軍に従わないと、
政府も華族もみんな殺されてたかもしれない、
という話があって、恐怖が当時を支配していたのだ、と思いました

現代にも通じる話だと思うので、ここに書いておきたいと思います

終戦直後、退位の意思を示していた昭和天皇
 この番組は、昭和天皇が戦後に退位を表明していた、
 という事実からスタートしています(そもそもは平成天皇の退位表明がはじまりでしたけど)

 当時木戸は内大臣という
 天皇にお仕えする役についていて、
 そのことを相談された、と日記に書いている

 それは戦後間もなくの昭和20年8月29日で
 天皇は、
 「自分が一人退位して、戦争責任を全部引き受けるわけにはいかないか」
 と相談してきたそうです

 しかし木戸はそれに反対した
 「そんな単純な話ではない、
  今は国を建て直すべき時期で、
  国民を混乱に陥れてどうするのか」
 というようなことを進言したそうです

 一方、近衛は昭和天皇が退位するのはやむを得ないが
 天皇制度は維持させねばならない、と考えていたらしい

 この二人は生前仲が良かったそうで
 この二人の関係を軸にインタビューが進んでいます

華族とは
 木戸も近衛も華族だが、
 そもそも華族とはなにか。

 これは明治政府が創設した特権階級で
 構成員は公家、大名、明治維新の功労者など。

 貴族院議員になれる、
 財産を持って鹿鳴館で躍り優雅に暮らす、などの特権をえる代わりに
 藩屏(はんぺい、皇室を守る)義務を背負っている
 たぶん、議員にもなるということは、身分に応じた社会貢献も求められていたのでしょう。
 上から候、公、伯、子、男の爵位がある

 木戸は桂小五郎(維新後に木戸孝允に改名)の孫で、
 明治維新の功労が認められ公爵となる

 一方近衛文麿の家は平安時代の藤原家の子孫で、
 代々、五摂家天皇に仕える重要な家)というかなり高い身分の家柄なので、
 侯爵という高い身分になっている

 近衛文麿の曾孫、忠大さんは
 「今でも常に皇室をお守りする意識はある」
 と話していました

木戸幸一近衛文麿
 木戸は21歳で爵位をついだあと、
 貴族院の議員になり、十一会という華族の青年グループに入る
 そこで近衛文麿と仲良くなったそうです

 木戸によると
 「近衛の家は風格が高いから、
  彼も人とは違うところがあった」

 「彼はよきにはからえというか、雲の上の人だった。
  右翼が来てガチャガチャ言ってもふんふん聞いていて、
  共産党が来てカンカン言っていてもふんふん聞いている。
  たぶん下が何か言ってるな、くらいの意識なんだろう」

 曾孫の忠大さんによると
 文麿については
 「政治に関わるというよりは、
  どちらかというと哲学的、文学青年のイメージだった、と聞いています」
 昭和天皇とも話を交わせる間柄だったそうです

 二人ともゴルフが趣味で、一緒にコースも回っている
 木戸はもともと役所勤めだったが
 このゴルフの時に内大臣の秘書官に誘われ、政治の世界に入る

○日本の情勢と二人の運命
 日本の歴史をざっと書くと
 (木戸の日記も記録的に書いている)
 ・昭和6年、9月19日、満州事変(満鉄の爆破事件)
 ・昭和7年、5月15日、5.15事件(首相の暗殺)
 ・昭和11年2月26日、2.26事件(陸軍の一部の人たちによるクーデター)

 一方、近衛は
 ・昭和8年、42歳で貴族院議長
 ・昭和12年内閣総理大臣に指名される

 しかし、
 ・近衛就任1か月後に日中戦争が開始
  近衛内閣、政府は不拡大路線だったが
  軍部に押しきられ戦線を拡大
  近衛の経験の浅さを甘く見られたのではないか、とのこと

  窮地だった近衛は、木戸に入閣を要請
  木戸は、「アメリカの有名ゴルファーのエキシビションマッチのときにさそわれた」
  と回顧している
  「ひとえに近衛を助けるために受諾」と日記には書いている

 ・2か月後、近衛は「国民精神総動員演説」を行う
  この演説からマスコミも日中戦争を聖戦とし、
  国民の協力を求める
  (この演説は戦争後押しにも見えるんですが、
   番組ではその意図は説明されていません)

 ・昭和14年、戦争収拾できない責任を取って近衛内閣総辞職
  木戸は引き続き内閣に残る

 ・昭和15年6月、木戸に内大臣の就任要請
  内大臣とは政府ではなく宮中にある役職で、天皇の補佐をする仕事
  総辞職の後の総理選定も行う重要職務
  木戸は迷ったが、近衛の勧めもあり入閣

 ・昭和15年、軍部の圧力で辞職させされた総理大臣に代わり、
  木戸は近衛を指名、第二次近衛内閣が発足
  近衛はドイツ、イタリアと三国同盟を結び、米英から反発を招く
  (ドイツ、イタリアと同盟を結んだ意図は、番組では説明されていない)

 ・昭和16年10月、軍部と政府との話し合いで
  外交継続を望む政府と、反対する軍部とで交渉が決裂
 ・決裂の結果、内閣総辞職、木戸は後継に東条英機を指名
 ・東条は米英との交渉を決裂させ、
  昭和16年12月8日、大平洋戦争突入
  この日に日本は真珠湾を奇襲しているが、
  この日のことも、木戸は日記にかいていて
  夕日を見ながら、遠いハワイの奇襲の正否に思いを寄せている

天皇の開戦時の責任
 木戸は戦後の昭和20年以降、
 アメリカ軍に取り調べを受けているが
 開戦時の天皇の戦争責任について以下のように問われている

 昭和16年の状況について、アメリカ側は
 木戸の日記から
 「ルーズベルトと大統領との会談が決裂すれば、重大な決意をしないといけなくなる」
 と天皇は認識していた、とし、
 
 「天皇陛下は(撤退と戦争と)どちらを望んでいたのか」と尋ねる
 木戸は
 「陛下はいつも平和を望まれていた」
 「可能ならば、陛下は後者の道を取りたいとし、
  陸軍の威信を保てるならば、撤退のご意思だった」

 それに対し
 「それでは、軍の威信を保てないならば戦う、と言うことなのか」
 と厳しい質問に
 「その場合は、陛下は統帥部と政府に諮問するが、
  政府が議論の上結論に達したことについては、
  陛下はなにもおできにならない」と答えている

 アメリカ側は不思議そうに
 「天皇が決断を下すときに、政府高官の意見に影響されるのは分かりますが、
  彼は意見を持っていたはずです」
 木戸
 「陛下は支那の状況に決着をつけ、
  太平洋戦争を回避することに賛成していた。
  そのような雰囲気をもたらすために、意見も述べられていた」
 アメリカ側
 「しかし1941年の御前会議では
  日本が直面する問題の解決をするには、
  日米開戦しかない、と言っているじゃないですか」
 木戸
 「統帥部がその結論に達したので、
  陛下はなにもなさることができなかったのだ」
 
 「では天皇は彼らの意見に同意し、宣戦のため必要な措置を取ったのですね?
  陛下が問題を解決する唯一の方法として
  アメリカとの戦争を開くことになったのですね?」
 「はい」
 
 …つまり、天皇は軍や政府がしたことについては
 実質的に反論する権利はなかった、ということが明らかになっている

……
 別のところでは、木戸は
 「天皇終戦を決めたと言うではないか、
  もっと軍部に指示できたのではないか」とも聞かれている

 木戸はこれに対し、終戦の時は特殊な事態だった、と説明する
 「終戦の時は、内閣で決まらなかったために、
  最終的に陛下が聖断を下されたのだ。
  もし内閣が戦争継続を決めていたら、もっと難しい立場に置かれていただろう」
 そして
 「普段は内閣が示した提案に従われるしかなく、
  ご自身の意思を強調なさることはない」とも述べている

 戦争終結について、「陸軍の意見はどちらだったのか」と聞かれ
 「陸軍は戦争継続を望んでいたが
  陛下のご聖断で納得した」

 アメリカ軍はこれに対し
 「話を聞くと、陸軍になにかできるのは天皇だけだったが
  彼は見ているだけで万事なり行き任せだった、ということではないのか?
  天皇がもっと毅然とした態度でいれば、軍部の独走を途中で止められたはずだ」
 と厳しい言葉。
 木戸は
 「事態がはっきりしていなかったので、
  断固とした態度をお取りになれなかったのだ。
  軍部はあらゆる手段で継続の口実を作っていて、どうしようもなかった」
 
 なおもアメリカは
 「最初の2、3年ならその理屈は分かるが、
  9年も10年もすればそれは口実に過ぎない嘘だ、
  と聡明な天皇にはわかるはずだ」と食い下がる

 木戸は
 「当時は、事態が既に完了していて、
  何らかの措置を取ることはできなかった」
 「あなたの話によれば
  陸軍の暴走を止められなかったのは分かるが、
  でもそれを黙認していた責任はあるのではないか?」
 「仕方がなかった」
 「しかし天皇が毅然とした態度で軍部に命令していたら阻止できたはずで、
  後年の軍事的破壊も阻止できたはずだ」
 「そうは思えない、そんな状況だったとは思えない」

 何度も、当時は天皇が意見が言えない雰囲気だった、ということを強調している

 また、木戸自身の責任として、
 昭和16年、日米開戦前、
 近衛内閣総辞職後の後継首相に東條を指名したことを追及されている
 「開戦についての勢いが増すと予想されたのに、なぜ指名したのか」
 と聞かれると、
 「陸軍大臣は、軍が内閣を気に入らないと人を出してくれない。
  軍の気に入る内閣しか作れなかった。
  そうかといって作らない訳にもいかなかった」

 「東條指名を提案することで
  中国撤兵の拒否を是認したことになるのではないか」
 などという意見には
 「そんなことはない」
 「やむを得なかった、私は戦争を食い止めるために東條を指名した」と押し切っている

○日米開戦から終戦まで
 ・日米開戦直後の勢いはすぐにしぼみ、翌年の昭和17年には敗戦色が濃くなる
  近衛文麿はこの頃、
  たびたび荻窪の自宅で東條と会談していたらしい
  ひ孫の忠大さんによると、
  「常に誰かに監視されていた。
   盗聴器も仕掛けられていたと聞いている」

 ・昭和19年2月トラック島空襲で壊滅的被害
  この頃に、皇族に首相をしてもらおうという話もあったらしい
  しかし近衛は
  「このまま東條にやらせた方がいい、
   せっかく彼がヒトラーと共に世界の憎まれ役になっている。
   だから彼に全責任をおわせるのがいい」と拒否する
  華族皇族に戦争責任が及ぶのを恐れていた

 ・昭和19年サイパンの戦いに破れ、大平洋での最後の砦を失う
  この頃、近衛と木戸は終戦に向けた協議を密かに行っている
  近衛忠大さんが見せてくれた当時の文麿の日記によると
  「停戦、速やかなるを要す」
  さらに、無条件降伏も考えねばならない、と書いている
  終戦を急ぐのは「ただただ国体護持のため」だと。

  立教大学の茶谷さんはこれについて
  「華族の中でも侯爵は、皇族を守らねばいけない意識が高かった。
   天皇制度や自分達の存続の危機という意識のなかで
   終戦工作に身を投じたのだと思う」

  「これは昭和天皇も同じお考えだったと思う」
   としつつ、天皇華族の意識は少し特殊で
  「彼らは国家は、皇統、国民が含まれているという考えで、
   苦しむ民衆の前にまず皇統を守る、
   そのことで民衆が守られる、と考えていた」
  うーん、庶民から見ると皇族や華族の保身にしか見えんのだが、
  自分たちこそが国を守っている、というエリート意識なんだろうか。

 ・昭和19年、7月
  木戸内大臣は、内閣改造を望む東條の考えをはねのけ、
  総辞職に追い込む

 ・昭和20年、敗戦一色の中で特攻作戦が開始
  アメリカによる本土大空襲、アメリカが沖縄上陸など
  日本はどんどん苦しくなる

  木戸の回顧録によると
  「昭和20年の始めから終戦を何とかせねば、という話をしていた
   でもタイムリーにやらないと陛下も抹殺されてしまう恐れがあった。
   そうならないように持っていくのは大変だが、どうにもならない。
   だから自分でやることにした」と話している

  つまり、木戸が自ら和平案を作り、天皇陛下にも見せたそうです

  「職務に忠実であろうとすれば
   そんなことをする立場じゃなかったかもしれないが
   長年陛下にお仕えして、ご心配を見ている立場としては、
   そのままというわけにはいかなかった」と。

  彼の示した和平案は
  ・皇室、国体の護持が至上命題
  ・領土の放棄、海外派兵の撤退、軍備の縮小を提案
  ・戦争終結のための天皇陛下の信書を仲介国(この場合、日ソ中立条約を結んでいたソ連)に託し交渉
  というもの

  天皇がトップ、という立場を利用して
  第三国を入れ、戦争に突き進む政府の分裂を図る、という意図があったそうです

  しかしソ連からは返事がない
  実はソ連は米英と密かに会談していた
  昭和20年7月、ポツダム宣言をして日本に無条件降伏を迫る

 ・8月には広島、長崎原爆投下
 ・8月15日、御前会議で天皇終戦を聖断、終戦を迎える
  宮中で働いていた料理人によると
  このとき、人々は万歳を叫んでいた
  ああやはり戦争終結を望んでいたのだ、と思ったそうです

○戦後
 ・8月29日、昭和天皇は退位を口にする
  木戸は今それを口にすると戦犯になる、と反対

 ・8月30日にマッカーサーが来日、占領下に入る
  日本は食料不足が起きていて、
  皇居前には集会、デモが頻発

  看板を見ると
  「国体ハゴジサレタ、朕ハタラフク食ッテル
   ナンジ人民、飢エテ死ネ」
  痛烈な皮肉ですね…

  GHQも最初は天皇退陣を考えたが
  9月にマッカーサー天皇と会談、
  天皇制度を維持したままの方が占領が円滑にいくと判断した
  しかし、その方針は日本側には伝えられず
  日本には天皇を戦犯とすべき、という意見も上がる

  近衛はこの頃、副総理大臣になり、マッカーサーと頻繁に会っている
  軍閥と極端な国家主義者が日本を破滅に導いたのであって、
  天皇華族はむしろブレーキ役だった、と訴えていたらしい

  マッカーサーは近衛を、広い世界的視野を持つ人物と認定し
  改正憲法を作るよう指示する
  天皇も近衛に憲法改正を望んでいた

  そこで近衛は、大正デモクラシーのときの憲法学者に協力を得て憲法案を作る
  そこには、
  「統治権は万人の翼賛による」
  「天皇の大権は制限できる」
  など、国民主権の思想が見られる

  立教大学の茶谷さんは
  ・国民主権
  ・政治を議会中心の民主制度にする 
  ・天皇制度を民主制度に組み込む 
  …という意図がみられる、と。

 その狙いは「皇室制度を守るため」で、
 「GHQに認めてもらえる、民主的な皇室制度にしていくことを目指していて、
  当時としてはラディカルな考え方だった」

 このとき、近衛は天皇の退位についても言及し
 「改正憲法には、
  天皇退位に関する手続きも挿入せねばならないだろう」
 とインタビューに答えているらしい

 茶谷さんは
 「昭和天皇に退位してもらうのはやむをえない、
  でも皇室制度だけは維持させようと考えていた」
 …つまり、近衛の戦中から戦後までの行動は、一貫して皇室制度の維持だった。

 ・昭和20年10月12日、天皇伊勢神宮行幸要望
  先祖に謝りたい、という思いだったそうです。

  木戸はデモやら起きている最中なので心配したそうですが
  人々は穏やかに迎えてくれていて
  やはり日本人だ、来て良かった、と思ったそうです

 ・昭和21年2月になると、
  天皇陛下は全国巡業を始め、
  神ではなく人間としての自分の姿を人々に見せていくようになる

○木戸の収監
 その後戦犯会議が進み、宮家も例外なく扱われ、
 木戸と近衛にも収監命令がくだる

 木戸は逮捕されるとき
 「覚悟はしていた」
 「内閣を作った責任は問われると思っていた」そうです

 木戸は巣鴨プリズンに収監される前、天皇陛下に夕食に誘われる
 日記には、
  身体に気を付けて、とおっしゃった
  それは十分説明してくれという意味だと感じた、
 というようなことを書いている

 その会食時、天皇から再度退位の話も出たそうですが
 木戸は講和条約が結ばれるまでは責任をもってほしい、と伝えたそうです
 木戸はこのとき、死刑も覚悟し、最後の言葉だと思っていた

 収監の前に木戸が自宅に立ち寄ると
 娘婿の都留重人がいた
 彼はハーバード大で学んでアメリカには詳しく
 「アメリカの考え方は
  内大臣(木戸)が罪を被れば陛下は無罪にする、とは考えていない。
  内大臣が有罪なら天皇も有罪、
  内大臣が無罪なら天皇も無罪ということだ」
 と話す

 木戸はそれをきき、
 それまでは自分が責任をおえばいい、と思っていたが、考えを変えた
 天皇陛下のために自分の無罪を勝ち取ろう、と腹が決まったそうです

 アメリカの感覚からすれば日本の制度は奇妙で、
 なんで内閣にいたくせに戦争嫌なら嫌と言わないの、それも罪でしょ、となるので
 そこを説得しないといけない、
 ということなんでしょうね。

○木戸への取り調べ
 天皇の戦争責任について、何度も聞かれているが
 説明していくうちに、アメリカも次第に理解していく

 「内大臣は、天皇が神として振る舞うよう助言していたか」
 「いいえ」
 「天皇を神として唱えさせる教育はなかったのか」
 「そのような教育はしていない、
  天皇が神のようにされたのは1931年くらいからだ」

 「それを唱え始めたのは、誰なのか」
 「その頃政府は腐敗していた。
  政府は、真の日本精神に立ち返る主張をすれば、権力を保たれると考えた。
  権力に食い込んだ陸軍が、それを後押しした」
 「天皇が神だ、という考えを主張したのは陸軍だったんですね?」
 「国が民主主義とは逆の方向に動き出したとき、陸軍はそれを後押しした」

 アメリカは、天皇が神というのは軍や政府によるもの、と理解しつつ
 それを黙認した罪が天皇にはあるのではないか、と問いただす
 「天皇の反応はどうだったんですか」
 「陛下はご不興でいらっしゃったと聞いている」
 「天皇はそのことを知っていたんですね?
  民衆がそう信じるよう承知していたというのは不当なのではないのか」

 それに対して木戸は
 「天皇が神である、という表明がされたとしたら
  はっきりと否定なさったはずだ」
 「陛下は信念や感想を口に出せないことはたくさんある。
  そのようなことを仰ると、かえって政治に混乱を来すことがある」
 と、天皇の立場を擁護する。

 アメリカは
 「言うことは簡単だったはずだ」
 「高い地位にいる人が真実を語るのがなぜ難しいのか」と食い下がるが、
 木戸は
 「もしそんなことをしたら、
  陸軍が相当の騒ぎを起こすはずだ。
  陛下は何も仰ることはできなかった」
 「陸軍がクーデターを起こす恐れがある、と言うことか」
 「陸軍が統帥していたので、陸軍が騒いだら政府高官は押さえられなかったはずだ」

 アメリカ側は驚いて
 「あなた方が間違っていて、我々が正しいとは言わないが、
  我々の国ならばそれは最悪の行為と言われる」と聞くが
 木戸は
 「力の問題です」
 「陸軍はそう考えていて、政府高官はそれを打ち砕くことはできないと考えていた」
 と答える

 アメリカ側は
 「政府高官が国民の前まで行って、天皇の考えを言おうとすれば
  軍は暗殺までする、ということか」
 「その可能性はあります」
 
 アメリカ側は命までかかわる事態だった、と聞き
 「そこまで深刻だったのか」
 「話が分かってきました。
  あなたの国を裏切ったのは軍人だったと思う」と納得する

○近衛の運命
 一方、近衛にも収監が命じられた
 近衛は軽井沢の別荘でそれを聞き、夜のうちに自宅に帰る
 しかし帰宅後すぐ、書斎で青酸カリを飲み、自ら命を絶ってしまう

 忠大さんによると
 「彼の次女が収監命令を聞いて、
  軽井沢にいる父親の元へ急いで向かったそうです。
  でもすれ違いで父親は自宅に戻っていて。
  その時別荘に「死の解決」という本が置いてあって。
  次女は真っ青になって慌てて東京に向かったと聞いています。
  余りに慌てていて、軽井沢から東京までの記憶がないそうです」

 次男あての手紙があり、それが遺書となる
 「僕は支那事変以来、
  多くの政治的過誤をおかしてきた。
  これに対して深く責任を感じているが
  いわゆる戦争犯罪人として、法廷において裁判を受けることは耐えがたい」

 「勝てるものの行きすぎた増長と、
  敗れたものの過度の卑屈と
  故意の中傷と故意に基づく流言飛語と
  これ一切のいわゆる世論なるものも
  冷静さを取り戻して正常に復する時が来よう」

 忠大さんは
 「恐らく、巣鴨(プリズン)に行くことを潔しとしなかった。
  自分の抱えてる情報が重かったのが大きかったんでしょう。
  天皇の責任に関わるところに行ってしまうので、
  陛下にご迷惑をかけない形で決着させたかったのだろう」

 木戸は、なぜ彼は死を?と聞かれると
 「あのとき、近衛が生存して裁判を受けていたとしても死刑だろう。
  総理大臣級で一人殺すなら彼だろう」と後のインタビューで語っている

 うーん、私は普段自殺は容認しない人間ですが
 近衛に関しては仕方なかったかも、と感じた。
 彼自身は、戦争に反対し、皇室を守るために奔走したが、
 もし彼が法廷に行き、裁かれ、死刑になっていたとしたら
 天皇華族にも責任問題が及んでいたかもしれない。
 そこで消えるのが最善の策だった、というのは彼の信条からしても、納得した。

○松平康昌侯爵の活躍
 一方この頃、宮内省ではGHQの関係者を招いて鴨猟の接待をしている
 
 宮内庁は今でも二ヶ所鴨場、というのを持っている
 伝統的な鴨猟(でかいラケットのような網で鴨を捕まえる)をするのが習わしなんだそう

 戦後、宮内省はそこにアメリカの要職の人たちを招き、接待していた
 取った鴨はバーベキューやすき焼きにして食べてもらい、
 ビールやウィスキーもじゃんじゃん出した
 (天皇の許可を得て、宮内省の予算から出していた)
 アメリカ人たちは大喜びだったそうです

 これは下世話な言い方をすると
 皇室のアメリカでのイメージアップを図り、 
 皇室を無くせ、という意見を出させないためのもので
 料理長によると
 「中には酔っぱらってお堀に落ちたアメリカ人もいて、
  私が介抱していたら女性が頭にキスマークをつけて
  (ツルツル頭の方なので)
  みんな大騒ぎでした」

 「最も屈辱的な時代でしたが、
  日本はマッカーサーの思いひとつで潰される、
  特に皇室の存続については彼らにすがらなければなりませんでしたから、
  恥とは思いません」と語っている

 この鴨接待を取り仕切ったのが松平康昌
 彼は福井藩主の越前松平家の当主で
 ちなみに熱帯魚飼育が趣味だったそうです

 木戸の秘書官にもなっていたそうで
 人脈が広く、軍部にも食い込んでいたのだとか
 鴨場接待でもアメリカ要人と人脈を築き
 アメリカ内部の情報を得ていた

 彼はGHQからの要請を受け、
 天皇陛下は平和主義で、戦争の責任は軍にある、
 という長い文章を送っている
 (アメリカのチャールズ・ウィロビー少将が持っていたもので
  ペンシルバニア州ゲティスバーグ大学に保管されているそうです)

 これは、アメリカは天皇制度維持の意見だったが、
 同じ連合国のソ連天皇制度廃止の意見だったので
 それを覆すために日本側から証拠書類を出してくれ、
 とアメリカから依頼されて書いたものだそう

東京裁判
 一方、木戸は収監中の昭和21年、4月18日
 木戸は面会人に、天皇不訴追(収監もなし)ことを聞いたそうです
 その代わり木戸には相当激しく当たってくるから心するように、
 と言われたらしい

 こうして戦犯者を裁く東京裁判が行われる
 おおむね軍の責任という方向で話が進んでいたが
 昭和22年、東條は問題発言をする
 「日本国民の臣民が、陛下のご意志に反して
  かれこれすることはあり得ないことでございます」
 …何が問題か分かりにくいのだが、
 天皇の命令があったから国民は戦争したんだ、という風にうけとれるんだそうです

 そこでアメリカの首席検察官が、日本側に東條に発言を撤回させるよう依頼してくる
 松平は木戸に東條を説得するよう頼む

 そして次の裁判で、
 東條は
 「これは私の国民としての感情を述べたもので、
  天皇の責任とは関係ない」と発言を撤回し
  天皇は、東條の進言で渋々開戦した、とも証言する

 これ以降、天皇の責任を追及されることは無くなったそうです

 裁判の判決がくだり、
 昭和23年11月12日、東條は死刑、木戸は終身刑を言い渡される

 木戸は「朗らかな気持ちだった」と述べる
 7年巣鴨に収監される

〇再燃する天皇退位の話
 天皇退位の話から始まっているので 
 退位の話でこの再現ドラマのオチがついています。

 講和条約のときは木戸は収監中だったが
 松平が巣鴨に来て、退位について意見を聞いてきたそうです

 木戸は収監前、天皇に「講和条約まで退位は待って」と伝えていた
 その時が来たからどうする、というわけです
 木戸は、今ならいいんじゃない、といったそうですが
 今の法律では、天皇退位の項目はないから実行は難しんじゃないかなあ、ともつぶやいている

 「それで、陛下はお詫びのお気持ちを
  講和条約のお言葉に入れたい、と努力されたそうなんだけど、
  蓋を開けてみると、全く反対に受け取れるものになっちゃってる」と苦笑している

  「過去を顧み、世論に察し、沈思熟慮、あえて自らを励まして、
   負荷の重きに耐えんことを期し、
   日夜ただ及ばざることを恐れるのみであります」

  まだまだ天皇やりますよ、と受け取れる言葉になっている、と。

  最後に、松平アナが「実は平成天皇は自ら退位されるんです」
  と伝えて(未来からインタビューに来ている、という設定なので)
  木戸が「平成という元号になるのか、ということは陛下はすでに…」
  と驚いて終わっているしめくくりになっていました

 (最後に木戸がやんわり批判していた、講和条約の「お言葉」については 
  私がこの番組の録画を見た次の日
  (実際BSでこの番組が放送されていたのはもう少し前)
  にNスぺのネタになっていたので
  個人的にはとても驚きました)

〇感想など
華族天皇が、あの時代にも戦争終結に動いた
 という事実は知らなかったので驚きました。
 戦争をやめさせようとした、という勇気自体は素晴らしいですね。

 ただ、公家だった近衛と平民から華族になった木戸とは
 動機は全く違うように感じました

 木戸はおそらく、天皇につかえていくうちに
 本当は平和を望んでいたのに逆方向に行くことへの憂い、苦悩を見て
 何とかしたいと考えた。
 近衛に対しても、昔からの友人なので助けたい、と考えた。
 自分としても軍の考え方はおかしいと思ったから動いた、という感じがする。
 個人的な感情として、平和へ働いていった。

 しかし近衛は本当に根っからの華族
 「国体の護持」のため、
 昔から続いた皇族の伝統と歴史を守るために、戦争を終わらせようとした。

 私は庶民ですので、木戸の心情には納得するんですけど、
 近衛の心情は今一つピンとこないですね…
 途中で学者さんが
 「苦しむ国民より先に国体を救うことを考えた。
  国体を救うことで、国民が救われる、と考えた」
 と解説してくださっていましたが、
 天皇みたいな国民を考える人たちが先に救われないと意味がない、
 国民だけ助かっても国がバラバラになっちゃう、ってことなんでしょうか。。

 まあでも見ようによっては自分たちだけ先に助かるんか、とも受け取れて
 戦後の「国体ハゴジサレタ、朕ハタラフク食ッテル」という批判になってしまったのかな、
 と思います。

 日本の華族は、天皇を守るという使命から出発しているせいか、
 庶民との乖離があるのかなあと思います。
 イギリスの貴族の場合、子爵男爵なんかは地方の領主が起源なので
 まだ庶民のために、という意識はありそうなのだが…
 社会貢献するという意識が庶民にも分かりやすいので
 今でも敬われているのかな、と思います。
 イギリスでは民主制度が始まっても貴族制度は共存しているが、
 日本では共存できなかったのはそのせいもあるのかもしれない。
 
・木戸が裁判で説明していたように
 武力によって支配されたので誰も抵抗できなかった、
 というのはあの時代の恐怖を生々しく示しているように感じました。

 でもやっぱり今の感覚からするとよく分からないところがあって、
 政府高官が国民の前で、軍が間違っていて、天皇は神じゃないよ、
 と言ったら軍が政府高官を殺すだろう、と木戸は言っていたが
 その前に天皇が、軍の言ってることはおかしい、ということは出来なかったのか、
 と思ったりする。
 
 でも実際にそうするとなると、
 せっかく心を一つにしてまとまっている国民が大混乱して
 天皇とか皇室への暴動、軍への反乱などが起きて(神なんてウソつきやがって、みたいな感じで)
 対外戦争どころじゃなくなってしまう、
 それこそ危機を乗り越えられなくなって全滅する、
 だからそれができなかった。

 というか、それよりもまず、真実を口にしたら必ず軍に殺される
 軍につかまって拷問を受けたりする、
 実際そうなるかは分からんけど、そうなったらどうしようという恐怖がとても大きかった。
 だから誰も発言できなかった、
 ということなんだろう。
 
 恐怖が時代を支配する、というのはそういうことで
 平和な今から見たらタラレバの話はいっぱいあるだろうけど 
 実際自分がその時代に国民としていたとしたら
 大勢に従っとこうとなるんだろうなあ、と思います…
 海外の別の国家にも恐怖政治の例はいくつかあるが、
 二度とそういうことは繰り返してはいけないな、と思う。

 ドラマ仕立てとなっていたので
 その時代の空気感がなんとなく分かりました。
 戦中に起きたことは、今後の我々が学ぶことは多いと感じました。

 というわけで今回はこの辺で。