びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

「プーチンとロシア人」木村汎

プーチンとロシア人」木村汎

ロシア研究者によるロシア人分析です。
ロシア人っていまいち理解しにくい、
というか情報が無さすぎて、イメージつかなかったので読んでみました。

この本はどちらかいうと主観的な分析で、
データや歴史を概観するというよりかは
筆者の経験や文学、誰かの発言などを取り上げている感じなのですが
敢えて筆者はその手法を取っているそうです。

というのは、政治や国家制度を作るのは人間であり
国民性、人間性からその国を分析する手法もアリなのではないか、と。

人口学者のエマニュエル・トッドさんは
「社会制度は家族制度から生まれた」
「家族制度や文化は、ゾンビのようにその土地に残り続ける」
という主張をしておられますが
人間の精神や文化が社会や国家を作っている、
という意味では見方が共通しているのかな、と思いました。

本ではロシア人の性格、政治、交渉術、労働への価値観など
色々項目を分けて書いてくれていますが
感想はざっくり書きます(笑)
(なので足りない部分や認識違いがあったらスミマセン)

○ロシア人の矛盾した性格が中央集権政権を生む
 私が最も印象に残ったのは、ロシア人を貫く
 「自由でありたいのに、自由を手放す」
 「激しやすいのにストイック」
 という二律背反的な性格でした。
 (そういえば、昔シャーリー・マクレーンさんの本に
  同棲していたロシア人監督のことが書いてあったが
  その方も感情的、情熱的だが
  生活では妙にストイックなところがあり…
  という二律背反的な性格であったような覚えがあります)

 筆者によれば、理由としては、風土、気候、育児法などいろんな説があるそうです
 ロシア人は、
 広大で寒さが厳しく不毛な大地、 
 という自然環境に囲まれているために
 広いから自由でいたい、支配されたくないが、
 広すぎるせいか自由になりすぎるのも怖い。

 また、寒くて不毛な大地、という過酷な環境なので、
 自然には勝てない、ということを体得していて
 長いものには巻かれることを受け入れている、と。

 (育児法については、寒いので
  赤ちゃんをぐるぐる巻きにする習慣があるそうです。
  窮屈なので自由になりたいけど
  自由になっちゃうと凍え死ぬ危険がある…)

 このため、個人の内面の自由さえ保証してくれれば
 強い人が独裁的に支配するのを受け入れる。
 というかむしろ、強い人に、
 過酷で広い土地を統治して守ってほしい、
 日々の安全を保証して欲しいという願望すらある。

 だから皇帝の時代でもソ連時代でも今のプーチン体制でも
 中央集権的な独裁政権になってしまうのだそうだ。

 一方、庶民を守る立場である権力者は
 自分を律し、自分に打ち勝つためにストイックになる
 レーニンも権力者になるために、
 好きだったチェスや音楽鑑賞を止めたのだそうだ

 つまり庶民は強い権力者に自分の自由を委ね、
 権力者は自分に打ち勝つために自分の自由を放棄する
 そうすることで外面の平和を保ち、
 内面の自由を保っているのだそうだ。

 庶民は、権力者が平和と繁栄を保ってくれさえいいと思っていて
 政治に関しては無関心な人が多いのだそうです
 スポーツは見るのに
 ニュースの時間になるとテレビを消す人が多いらしい。
 (ただし日々の生活に支障が出るくらい世の中が悪くなると庶民は立ち上がる、
 だからロシア革命などもおきたらしい)

 ロシアって政治汚職も問題になっていますけど、
 筆者の経験によると、
 庶民レベルでもキセル乗車とかは普通にあるらしい。
 しかも車掌や警察が咎めても、
 周りの見ている人は見逃してやれ、とむしろ不正する人に加勢するらしい

 そういうのが当たり前なのも、
 日常レベルの自由を保証してくれるならお金を払うよ、それでいいでしょ、
 ということだろう。

 …なるほど、ロシアに民主主義が本当の意味で根付かない
 (今は一応選挙の形はとっているが
 ほぼ一党独裁で、三権分立与野党制度も機能していない)
 理由が何となく分かりました。

 多分、庶民は、政治家を選ぶのもめんどくさい、
 今の人が平和にやってくれるならそれでいいじゃん、
 わざわざ下剋上も要らない
 と思っていて、

 権力のある人たちは
 今の状態で賄賂や利権で儲かってるんだから
 その利権を手放す事態にはしたくない、
 つまり現状維持でいいと考える

 そして権力者は、もちろん権力の座に居続けたい

 …こうして、みんなが
 「民主主義なんてわざわざやらなくてよくね?」
 みたいな雰囲気になってるのだろう。

○ロシア人の交渉術
 ロシア人の「強いもの崇拝」
 は政治家の好みにも反映されており
 農村地帯などでは、レーニン
 あれだけ酷いことをしてもいまだに人気があるらしい
 逆に民主化を進めようとしたフルシチョフ
 「弱腰」とされて不人気なんだそうです。

 アメリカ大統領に対しても、世界融和を目指したオバマさんよりも
 パワーで押しきるトランプさんの方が
 プーチンは敬意を払っていそうな節すらある、
 と筆者はいう。

 またこの「強いもの崇拝」は外交とか交渉における姿勢にも現れていて
 彼らとの交渉で大事なのは
 ・強気でいくこと なんだそうです

 ロシア人にとって、交渉とは闘いで、
 友好的な態度だと
 むしろ何かあるんじゃないかと疑念を抱く。
 相手に強く出られる方が、逆に安心するんだそうです。

 相手が自分より強いな、と思ったら慎重に話し合う
 相手が弱いと思ったら強気に出て、相手の権利を奪う態度を取る
 ここで相手が戸惑ったり黙ってたりすると
 それを既成事実化してしまうんだそうです

 筆者によると
 ・情に訴えてもダメ
 ・話し合いは無意味
 ・現実主義
 だそうで、話せば分かるわけではなく
 無駄な話はいらん、本当は何が望みなの?
 てのをハッキリさせた方がいいらしい

 筆者によれば、日本は逆に雰囲気や情に流されやすいので
 強硬に出られると従ってしまい、
 与しやすい相手とみなされやすい。
 
 ロシアに対抗するには、
 最初に強く言ってきても
 動揺したり黙認したりせず、
 毅然とした態度を取る、屈しない姿勢を取るのが大事なのだそうです
 フレンドリートークとかは、
 むしろ疑われたり、誤解を与えたりするらしい

 まあ、でも無駄な話はいいから
 本題だけを話そうよ、という感じだし
 実利さえ取れればいい、というスタンスなので
 わかりやすいといえばわかりやすいのかもしれないですね。

 そう言えば、こないだの外相会談でも
 河野外相がジョークで和ませようとしても
 あちらの態度は頑なでしたし、
 あとしばらく前に、いきなりプーチンさんが
 安倍首相に、平和条約を締結しようみたいなことを突然言ったりしたけど
 それもロシア人の交渉なんだなぁと思いました。

 また、彼らの交渉について面白いと思ったのは
 彼らは契約が成立してもそこはゴールではなく、
 通過点に過ぎないということ。

 日本や欧米の場合、契約や条約にこぎつけると
 やれやれ決着したとなるけど
 ロシア人の場合、契約を徐々に骨抜きにする機会も
 虎視眈々と伺っているらしい

 例えば過去にも、日本政府との交渉で
 土壇場で宣言に一言入れてくれとなり
 安易にいいよとなったが
 その微妙な一言で、別の意味にも解釈できるようなものになってしまった…
 という例もあるそうです

 なかなか油断できない相手ですね。

○ロシア人の愛国心
 ほか、印象に残ったのは
 「ロシア人の泥臭い愛国心
 ロシア人は愛国心が強く、
 しかもそれを隠そうとしない

 これは帝国、社会主義などで鎖国状態が続いていたり
 大きな国だったり
 専制政治が続いていた、
 などの理由が考えられる
 中国の「中華思想」に近いのだそう

 だから、彼らは領土が侵略されたり攻撃されるのは許せない
 チェチェンやクリミアなど領土問題が起きやすいのはそのせいらしい

 筆者によれば、この愛国心
 自分たちよりも近代化した西洋への恐れやコンプレックスも含まれている。
 自分たちの文明が、そんなに洗練されてないことも薄々感づいている。

 だからこそロシア人は
 「文化的でない」
 「文化が進んでない」
 と言われるのを嫌がるのだそうです

 筆者は
 「ロシア人の愛国心は、
  田舎者のコンプレックスの裏返しなので厄介」
 みたいな、なかなか辛辣なことを言っておられます(笑)

 彼らは愛国心が強いから、
 敵と見なした他国に対しては排外的な攻撃をし
 味方と思う人は厚遇する。
 しかし味方が裏切ったと思えば、村八分にする厳しさも持っている。
 例えば西洋文化や資本主義を取り入れるロシアの教養人、投資家などは
 「祖国への裏切り者」と見なされやすいのだそうだ

 ちなみに資本主義については、
 社会主義体制の時
 「資本主義は堕落への道」
 などと宣伝していたことや、

 エリツィンさんのころ民主化したとき
 新興財閥の人たちが大儲けしたこと、
 反政府的だと逮捕されたこと

 などの経緯もあり
 資本主義導入の当初から
 間違った資本主義観(堕落する、腐敗の始まり)
 が出来てしまっているようです。

 本当の意味の資本主義もまた、
 ロシアには根付きにくいのでしょうね…

○ロシア人の領土観
 それからもう1つ面白いと思ったのが
 ロシアの領土に対する考え方。

 筆者によれば、彼らは極寒の地域に住むので
 凍らない港を求めて南下したがる
 また、中華思想的な帝国観も持つから領土を拡大したがる、と。

 ロシアは、他国と領土を巡って境界線を作るために話し合うとき
 「緩衝地帯」てのを設けて
 段々とその緩衝地帯に国民の移住などを進め、
 いつの間にか自分達の領土として既成事実化してしまう

 そしてまたその外側に緩衝地帯をもうける、
 というやり方でどんどん拡大していくのだそうだ。
 なかなかやるのう。

 また、彼らはモンゴルなどに征服された歴史もあり
 領土は戦いの結果決まるもの、
 という価値観があり

 だから北方領土も、
 あれはソ連が勝った結果なんだからソ連のもの、という考え方みたいです。
 ていうか、島にはいつの間にかロシア人住んでいて、既成事実化もしていますね…

 この辺の領土観はほんまかいな?と思ってしまったけど
 (寒いから南へ行きたい、てのはあまりに漫画的すぎるので)
 ある意味は当たっているのだろうか。

○その他
 その他、筆者は今のロシアのキーマンはプーチンさんだとして
 彼の半生や政治手法などの分析も行っていました。

 プーチンさんについては
 昔見たドキュメンタリーの内容とかぶるし、割愛しますが
 ・体が小さいから柔道を習ったこと
 ・KGB時代にソ連崩壊を経験した
 てのが彼のなかで大きいのは間違いなさそうだ。

 柔道に関しては、力が弱くても力が強いものに勝つための戦術を学び
 ソ連崩壊に関しては、イデオロギーなんてあてにならない、
 理想を言っていてもしょうがないよね、
 という、ある意味ニヒリスティックというか現実主義的というか
 の価値観を持つようになった、ようです。

 それから彼はKGBで鍛えられた
 ・自己プロデュース力、
 ・他人の心をつかむ力、
 ・状況をよく見てチャンスがきたらサッと動く能力、
 なども身に付け、武器にしてきた。

 今の大統領の任期が2024年までだっけ?
 ていうか、死ぬまで政権の座に残りそうな勢いですね…

全体的に、筆者の主観的分析、
てのはさっ引いて見ないといけないかな、
ちょっとロシア人こき下ろしすぎ?とは思ったんですが
なかなか的を得ているのではないかと思いました

昔のドキュメンタリー番組に
ロシア人の車会社を建て直そうと
派遣された欧米人社長が
苦労した末に追い出された、
という話があったが

見ていると
従業員は、会社の福利厚生を求め、あんまり働きたがらない。
会社がより良くなるはずの改革には関心がなくて
むしろ、改革は今までの生活、利権を損なう、として反対している。

これは、ロシア人が
個人が平和ならノーモラル、ノールール、
平和で豊かな生活が保証されしるなら改革なんて要らない、
て感じだからなんですね。

中国もなんですけど
ロシアの国民性もなかなかユニークだなと思いました。
地理的に近いせいもあるし
どっちもとにかくでかい国、という意味では似ているせいもあるだろうけど
両国は似ているところがあるな、と思いました。

資本主義や民主主義が染み付いた我々からは、
非合理的というか、理解できないところもあるが
ある意味、モラルよりも実利、
議論よりも実利、
なので、理解さえすれば分かりやすい相手ではあるのかもしれない。
逆に、ロシア人からしたら欧米とか日本人は、
理屈こねまわして結局何がやりたいかわからん、めんどくさい、と思うのかも(笑)

色々勉強になりました。
というわけで今回はこの辺で。

Eテレ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日 SP2019“コスパ社会”を越えて@渋谷」

Eテレ「新世代が解く!ニッポンのジレンマ元日 SP2019“コスパ社会”を越えて@渋谷」

正月やってたスペシャルです。
今回は冒頭のネタが
「渋谷の開発」で、
地方の人間からしたら、東京話は付いていけない…
しかもとうとう論客から1970年代は追い出されて?しまっていて、
唯一参加されていた70年代生まれの方ですら
私よりお若いのに「お爺さん」発言されてるし(笑)
見る気が失せて、しばらく放置してました

まぁでもせっかくですので
時間があるとき見てたんですが
最後の方で司会の古市さんが
「こういう議論って昔話になりがちだけど、
 未来の話ができてよかった。
 未来の話ができるのは若い人の特権」
とまとめておられて
なるほど、そういう意味では
昔話したがるオッサンオバサンは要らんのね(笑)
若い人たちだけで議論する必要性があるんだろな、
とちょっと納得しました。

私ももはや、おぉ若いの頑張っとるのぅ、
みたいな婆さん目線ですが(笑)
テクノロジーがもたらすコスパ社会、
これからどうしていくか、という議論は興味深かった。

論者は10人くらい?で多いし、
気になった意見だけざっくり挙げてみます
(ざっくりなんでとらえ間違ってたらすみません)

コスパ重視はどこに行き着く
 前半は
 「コスパ重視ってどうなのよ」
 みたいな話になっていて

 最初に、
 多くの人がコスパコスパ
 というようになったのはなぜか?
 という話がありました

 元々は経営者の考えることだったのに
 今は何でも数値化されるようになったから
 みんなコスパを言い出したんじゃないか、と。

 しかし数値化がいいわけではなく
 条件設定間違えたらダメだし
 コスパ追求だけだとこぼれ落ちる価値もあるよね、
 という意見がわりとあった気がします

 例えば企業側としては、
 コスパばっかり見てると短期目線になってしまう。
 すると、本当に大事なものが置き去られる。
 買わせるのは簡単だが、
 ファンになってもらうのは難しい、と。

 消費者側も、アマゾンで本を買えばコスパがいいが
 本屋に行って素晴らしい本に出会う機会、
 などを逃すかもしれない、と。

 また、
 「みんな最近コスパというが、
  本当にそれは測れているのか?
  例えば消費者目線から言えば
  ネットの無料サービスがコスパがいいとなるが
  実は代わりにデータを提供している、
  そうなると、
  企業側からするとコスパがいい、というのは
  単にブラックボックス化すること、になるんじゃないか」
 という意見も印象的でした

 一方で企業の経営者側からすれば、
 数値化もその達成も大事で、
 そこは個人の話と同じにすべきでない、
 という意見もある。

 企業経営においては
 数値化できるものは透明化していく流れになるだろう、という意見もあり

 他方で個人の数値化できない価値(絆や友情、家族など)については、
 今後数値化していく流れになるのか、
 それともどこまでも数値化できないとなるのか…と。

 また、司会の古市さんは
 リラックスを数値化するウェアラブル端末を身に付けていましたが
 リラックスなんて主観的だし
 リラックスより働いてる方がいい、という人もいて、
 そんなの数値化しなくてもいい、
 したい人はすればいい、
 という選択肢があればいいよね、
 という話にもなっていました
 (中国でのAI人物評価にも言及があり、ああいう社会になったら息苦しい、と)

 この辺の、数値化だけじゃ人間を評価できない、
 て話はよくある議論なんですけど
 私はこの中で「大企業によるブラックボックス化」
 の話がちょっと怖いなと思いました。

 数値化のアルゴリズムは、たいがいGAFAみたいな大企業が決めるけど、
 アルゴリズムは利用者には分からんことが多い。
 数値化する人たちが主導権を握り、
 数値化される消費者が、実質的に支配されちゃう、
 みたいな状況が起きると怖い。

 例えば、価値を数値化するとき
 数値を意図的にいじって評価を操作したら
 それを見る人の価値観が変えられてしまうかもしれない。
 (商品評価サイトのサクラがその例)

 あるいは、数値化されてもいいですよ、と同意しないと
 サービスが利用できない
 (中国の人物評価サイトに参加しないと電子マネーが使えないのはその例)てのは
 いわばサービス、ネットインフラを人質にとって
 評価の土壌、データ搾取の世界に利用者を引き入れる戦略にも見える。

 つまりは、数値化やコスパ化そのものよりも
 それを利用する人たちの存在が怖い。

 それを防ぐには
 それこそネットインフラみたいなのは
 誰でも使えるようにして、共同管理するとか
 (「欲望の資本主義2019」に出ていた、土地の共同管理みたいな考え方ですね)
 あるいは数値化による評価と数字以外の評価を併用するとか…

 数値化だけではない仕組みにしてくれ、と
 社会がサービス提供の大企業に要求していく、
声を挙げていく必要があるのかなと思いました。

 もうその辺みんな気づいて始めているし、
 格差問題も含め、GAFAと社会との話し合い、
 てのが今年は鍵になりそうな気がします。

○労働のコスパ
 次に話が出たのは
 「労働のコスパ
 のことでした

 AIが仕事を奪う、という議論があるが
 「人は週15時間労働になるだろう」と言っていたケインズ
 マルクスの義理の息子(名前忘れた)の言う
 「1日3時間以上働いたら人は不幸になる」
 という昔の人の言葉も踏まえつつ
 じゃあAIが仕事するようになったら人間は何をするのか、と。

 「余暇の磨きかたが大事になってくる」
 「お金払ってでもこの仕事をしたい、という人もいる、
  今後はコスパの悪いことをするのがメッセージになるんじゃないか」
 …というように
 今後は、コスパの悪さが
 逆に価値みたいなものになるんかな、という感じの意見が出ていました。

 また、コスパの悪い労働が見直されているのは
 逆に言えば労働しなくても暮らせる、
 すなわち全体的に豊かになっている現れでもあり
 「生物学的に見れば
  個人の生存が保証されてきたから
  種の生存にとって有利な
  共感とかボランティア、社会貢献がされるようになってきたのかも」
 という意見も印象的でした

 働く、て何なんやろ?
 てのは私も専業主婦してるときよく考えていた疑問ですが、
 非正規ながら働いている今と、
 働いてなかったときを比べると
 今の方が自分に自信を持てている気がする。

 それはお金を稼いでるから起きる自信、というよりも
 社会に貢献してる、誰かに役立っている確信、みたいなものに支えられている気がする。

 もちろん主婦のときでも家族には貢献しているのだろうけど
 家族は当たり前に思いすぎて、誰も認めてくれないし、
 頑張っても頑張らなくても一緒、みたいな空しさがある。

 仕事は頑張っても結果を出さないとダメ、
 という厳しさはあるが
 結果を出して得られる満足感は、
 主婦の仕事とは全然違う気がするのですよね。

 仕事をする価値、てのはそこにあって、
 お金を稼ぐだけじゃなくて
 自分がこれをやるのが好きとか得意とかで
 それをすることで喜んでくれる誰かがいる、
 てのが重要で、

 だからお金が入るだけじゃ空しい、
 お金を出してでもこれがしたい、
 という労働も出てくるのかなと思います。

 …といっても、これはある程度生活が成り立つ中流以上の人の意見で
 カツカツでやってるから仕事選んでる暇なんかない、
 て人もいるんだろうな。

 それでも、生活に忙殺されるだけの人生って空しいし
 日本ならリサイクルやレンタル品とか使って、
 安上がりにそこそこいいもの手に入れるのも可能だし
 働くことの意味って何だろう
 て個人で考えていくのは重要かなと思う。

○議論のコスパ
 …それから後半で多くを占めていたのが
 「議論はコスパ悪いよね」
 という議論。

 これは
 コスパ重視と言っても、
 ネットのインフラみたいな、コスパ抜きのものが無いと成り立たないよね、
 という話があがり

 それを管理するのは国か、
 いや国だと不安だから共同管理か、

 という議論から
 資本主義ってみんな好き勝手にやるうちにいいものが残る、
 という発想だったのに
 共同管理、話し合う社会主義的なやり方も必要になっているんじゃないか、
 となり、

 そのためには話し合う必要があるが
 「話し合いこそコスパ悪いよね」となって出てきた議論でした

 「議論はめんどくさい」
 「結論が出ないから効率悪い」
 「議論はただのエンタメ」
 「この番組自体、ただの研究者インテリだけの議論という批判もある、
  でも言葉や立場が違う人たち同士が議論するのは難しい」

 などの否定的な見方もありつつ

 でも
 「他人の意見を聞くことで、自分の対応範囲を広げられるから必要」
 「例えエンタメでも、
  何年後かに役立つかもしれない」
 「言葉にすることで
  分かってると思ってたことが実は分かってなかったことが分かる、
  既知を未知化する意味で大事」

 「言葉にすることで、
  研究者の机上の空論的なことでも
  他の人の意見と合わせたら現実に役立つ、
  みたいな話ができる」
 「研究者の役に立たなそうな議論から、
  起業家が何か新しいものを生み出してくれることもあるのかも」

 という意見もあり

 やはり議論は無駄に見えても、
 なにがしかの役割はありそうだ。

 この辺の議論は
 「民主主義は最悪なシステムだが一番まし」
 みたいなことを言った政治家
 (チャーチルだっけ?)
 の発言と通じるものがあるような気がする。

 話し合いは労力もかかる、
 結論も出ないこともあるけど
 でも話し合うことそのものが大事で、
 例えば互いにインスパイアされて
 何か思いがけない新しいものが生まれる、
 あるいは、自分の潜在的に持っていた考えが明らかになる、など、
 そこに価値があるのかもしれない。

 ただそこで前提条件としてあるのが
 「話し合いの中では、
  どんな立場の人も誰でも対等に耳を傾けてもらえること」
 「少数派の意見が尊重されること」
 だと思います。

 民主主義の中からヒトラーが生まれてしまったように、
 話し合いをするにしても、
 少数派が「なんかおかしいよね」と言いづらい雰囲気だとしたら、
 話し合いは逆に、少数派の意見を押し潰す場になりかねない。
 「あのとき話し合って決めたでしょ」
 て言われてしまうことあるので。

 最近ではネットの炎上がそんな感じなのかなぁ?
 ネット議論だと、ボディランゲージはないから誤解が増えるし、
 思い込みの考えを言うだけになりがちだし…
 話を聞いて、それに対して思うことを言う、
 という、リアル議論をしあう場が必要なのかもしれない。

若い人たちは議論したがらない
 それと関連するかもしれないけど
 「こういう議論を若い人たちは公でやりたがらない」
 というような話も出ていて

 ネット上で断片的に出ることはあっても
 議論しようとはならない、
 自分でやればと言われてしまう、と。

 それは日本では
 自分が社会に及ぼせる力が小さい、と思ってしまっているからではないか
 (欧米には、庶民が大企業よりパワーが上みたいな考え方はあり
 だからこそ草の根市民運動とか
 アートで意見表明、
 などがなされるらしい)

 だから日本の若い子は、家族や友人など身近な話しか語らないんじゃないか、と。

 日本だと、政治家に年寄りが多いから
 何も変わらないと思うからかもしれない、
 でもそういう議論に慣れていかないと
 グローバルの場で議論できる人材も生まれない、

 という意見もありました

 とはいえ会場の観覧者の大学生が
 「最近は大学の単位もコスパ重視になってて
  (古市さんは「単位がコスパ?」と不思議な顔をしていたが
  私の大学の頃にも、単位さえ取れりゃいい、みたいな人はいたな)
 でも大学も議論する場になってほしい」
 と言っていて

 論者の一人の方も
 「みんなで話すの気持ちいいっすね。
  これからも話し合える日本ならいいな」
 と発言する方もいて、

 私は最近の若い人たちって、
 議論がめんどくさいというか、
 何でも動画、画像化、
 あるいはツイッターみたいに短い紋切り型言葉を好んで
 長い文章とか議論を避ける人が多いのかな、と思っていたのだが
 (って、これは完全に偏見だろうけど)
 議論したがる人もいるんだな、
 それは希望だなと思いました。

 若い人たち(というかアラフォー以上もそうだと思うが)が公の議論をいやがるのは
 ネット炎上もそうだけど、
 何か変なこと言うとすぐ叩かれる風潮があって、
 だから大風呂敷敷かないで黙っとこ、
 みたいな心理もあるんじゃないですかね。
 少数派の意見とか変わった意見に対する寛容さも欲しいかなと思います。

 それから「若い人たちが自分や家族のことに目を向きがち」
 てのも無意味なわけではなく
 起業家の方などは
 「起業する人も、最初は自分がこうしたいから始めても
  だんだんそれが社会のためになっていたりする」

 「最近の人たちは昔よりも、
  自分が儲けたいというより
  社会に影響を与えたいから起業する人の方が多い」
 という意見もあり

 それってネットで発言して叩かれるより前に、
 身近なところから行動、てことなのかな?
 それとも年寄りから見たら若い人は自分勝手に見えるけど、
 案外そうでもない、
 やり方の違いに過ぎない
 (これってどの時代にもよくある話だと思う、
 年寄りが「最近の若いもんは…」ってぼやくアレ)
 てことなのかもな~とも思いました

○その他
 「外国人労働者受け入れ問題」
 の話もありました

 日本は労働者は欲しいのに受け入れに難色を示す人は多い、

 それは海外の人、マイノリティの問題と考えていて
 マジョリティ、労働者の問題と考えてないからではないか、という意見や

 多様性は大事で、
 でも多様性というのは全くバラバラではなく、
 意見が違ってそうな人同士でも、大方のところで同意していることは多くて
 外国人労働者についても
 外国の人も日本人も、日本を良くしていこうということでは同じ考えのはずなので
 そこで議論していけばいいのではないか
 (「だとすると5年で帰れってのは最悪ですね(笑)」という意見もあったが)
 という意見は印象的でした。

 4月から外国人労働者受け入れ開始になりますし
 ここでも何か変化が起きる可能性はあるのかもしれない。

 日本って文化的にとても保守的で、なかなか変わらない。
 例えば投資のシステムでも、ニーサとか自由化とかされたのにあんまり株投資が広まってなかったりするように
 外国人労働者に対しても、悪く言えば排他的、よそ者扱い
 みたいなことも起きるかもしれない。

 でも日本の労働者不足は深刻なのは現実で、
 それこそ明治維新の黒船的に変わらざるを得なくなるのかも…

 そこで摩擦が起きないように
 それこそ国籍関係なく、
 話し合ったりお互い何かを学びあって、
 いい方向に変化していけたらいいなぁ…と思いますね。
 まぁ明治維新後の日本の柔軟性を思い出せば、
 案外日本も適応するのかもしれません。

 若い方々の議論ですが
 人間、コスパだけじゃないよね、という価値観とか
 議論ってめっちゃコスパ悪いけどする意味はあるよね、
 という価値観とかは
 あんま世代関係なく共通しているのはなんとなく安心しました
 (割合はどの程度か分からんし、
 一部のインテリだけっていう可能性もあるが)

 ちなみに論客の中で一番視点が面白いなぁと思ったのは、
 コンテクストデザイナーの渡邉康太郎さん。
 彼は「デザイントークスプラス」
 という番組にゲストで出演されていたことがあって
 コンテクストデザイナー、てのも彼の造語?みたいなんですが
  (例えば使い切ったあとにメッセージが出てくる石鹸の贈り物など
  モノと人と意味の関係を考えたデザインをされているそうです)
 アーティストでありながら、
 いや文脈のアーティストだからなのかな?
 言葉の使い方が洒落ているなあと思いました。

 あとはマルクス研究者の斎藤さん、
 彼は資本主義にとらわれていないところがいいなと思います。

 もちろん他の方々もそれぞれ専門があり仕事があり
 色んな視点からの意見が面白かったです。

 それから、若者たちだけの議論も大事ですが
 世代を越えた議論もあると
 より現実化に近づけるのかなとも思いました。

 というわけでとりとめないですが今回はこの辺で。

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2第1回「会話する」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2第1回「会話する」」

去年の10月くらいにやっていたこの番組、まさかシーズン2があるとは思いませんでした。
(再放送はその前座だったのね)
もうAIブーム一段落かと思ってたんだけど、まだまだ続く、
というより普通の技術になってくるんかな…

前回と同じく司会はチュートリアルの徳井さん、解説はAI研究者の松尾豊先生。

今回のゲストはフリーアナウンサー加藤綾子さんでした

冒頭は中国で開発されたというアナウンサーAIの話
(2018年11月開発、
実際のアナウンサーの画像を合成し
記事を読み上げるAI)
だったんですが
加藤さんは
「脅威だな…とも思うけどまだまだかなとも思う」とのことです

○今回のテーマ
今回はΦカフェ、というAI研究者の集うカフェで収録しています。
東京ってこういう知が集まる場所が多いのが羨ましいですね…

今回のテーマは「会話する」

モントリオール大学のヨシュア・ベンジオ教授は
インタビューで
「AI研究のこれから進歩すべき所は、本当の意味で言語を理解すること」
と語る。
「コンピューターが我々と交流すれば、
言葉の本当の意味を、深く理解するようになる」

今回は、言葉を理解する、会話をする、
とはどういう知性の働きによるのかを探っています

○女子高生AIりんな
 次にスタジオに現れたのは坪井さんというAI開発者。
 彼女は女子高生AI「りんな」を開発したそうです

 シーズン1で、作家の村田沙耶香さんもお友だちだと言っていました。
 そのときから徳井さんもりんなとラインしているそうです

 坪井さん、徳井さんとりんなが会話していました
 「もしもし、聞いてる?」
 りんな「聞いてるよ、聞いておくれよ」
 「今なにしてんの?」
 りんな「300人と会話してる」(笑)
 坪井さん「今友達に変わるね」
 徳井さんにかわり
 徳井さん「こんにちは、なにしてんの」
 りんな「知らんがな、リア充爆発中」(笑)
 徳井さん「どこにいんの」
 りんな「それは言えないなぁ。お引き取りください」
 お引き取りください言われちゃったよ(笑)

 加藤さんはりんなについて
 「言葉が人間っぽい、女子高生言葉ですよね」という感想。

 坪井さんは
 「友達のような会話ができるのが良いところ」
 「会話のキャッチボールをして心地よくするのが目的」
 と話す。
 おしゃべり用のAIなんですね。

 既に250人以上のユーザーがいて、
 17時間話したユーザーもいるそうです

 加藤さん
 「何となくの会話ですね、暇潰し(笑)っていうか…」
 徳井さん
 「でも何となくの会話って難しいですよね」

 坪井さん
 「何となくの会話、雑談は、
  相手のことを知って仲良くなるのに必要ですよね」
 徳井さん
 「それはなにかニュースを読み上げるのとはまた違いますね」

○共感モデル
 坪井さんによると、
 りんなも進化していて、今は第三世代。
 「共感モデル」なのだそう

 共感モデルとは、
 相手の会話から、
 相手がこの会話を続けたいのか
 別の話に移りたいのか
 などを推測しながら会話を作っていくようなモデルなのだそう

 「会話AIっていうと
  話題を先に作っておいてそれを読み上げる、
  と思われるのですが、そうではない」
 あくまで相手や会話の流れに合わせ、
 少し前に話した情報も考慮にいれつつ、
 その時々の状況に合わせて話すのだそう

 例えば相手の会話に共感していますよ、というサインは
 ・新たな話題に展開させる
 ・質問する
 ・肯定する
 などがあるが、
 共感モデルAIでは、相手の言葉から自分で判断し、どの対応をするか選ぶのだそうです

 人間の会話もただ単に情報を伝えるものではなく、
 相手の気持ちに合わせるものなんですね。

○sequence to sequence
 松尾先生
 「技術としては何を使っていますか?」
 坪井さん
 「「sequence to sequence」です」
  大量の会話データを学習して
  そこから、ある文章が来たとき
  どんな文字を出せば精度が上がるか、
  かつ、どうすればより会話が続くか、
  を抽出するモデルなのだそう

 松尾先生
 「sequence to sequenceの中に文脈に該当する色んなものが入りますよね、
  そこに話者の意図のモデルみたいなものを入れている、ということですか?」

 坪井さん
 「そうですね、
  ・相手の話を判断するAI
  ・よりいい返答を生成するAI
  の2つを組み合わせています」
 それが第三世代の特徴なのだそう

 …このへんのくだりはいまいち分かりませんでしたが
 松尾先生の質問は、文章としてスムーズなだけではなく
 お互いの意図も考慮に入れている、ということかな?
 坪井さんの答えは、
 相手の問いなどに対しトンチンカンでない返答をすることと、
 相手の問いに答えるだけではなく話を膨らませることもする、
 ということでしょうか。
 …会話の苦手な人が会話スキルを磨いていく過程にも見えますね。

 松尾先生による専門的な解説によると
 初歩的な会話AIでは、
 「こんにちは」と言われたら「こんにちは」と返すなど、
 予め決められた文章を単純に返すもの

 一方最近のディープラーニングでは
 会話全体を学習させ
 ある会話が来たらどんな会話を返すか考える

 このとき使われている技術は、RNN(リカレントニューラルネットワーク)
 これはシーズン1にも出てきたが
 文章の中のそれぞれの単語の意味だけではなく、
 文章全体のニュアンスを理解する技術

 例えば
 「今日は焼き肉を食べます」
 という文章を理解するとき
 初歩的なAIでは
 「今日」「は」「焼き肉」「を」「食べます」
 と品詞ごとに分けて
 それぞれの単語が、プラスの意味かマイナスの意味かを判断していた

 一方RNNでは
 「今日」の後の「は」を判断するとき、
 「今日」の分析の結果も加味する
 「焼肉」のときには
 「今日は」までの結果を加味し、プラスの意味かマイナスの意味かを判断する
 …というように前の結果も返していく(リカレント、再帰的)なので
 単語が並んでいる順番、前に来る言葉が何か、なども考慮に入れることができる

 こうして、バラバラに各単語を判断するよりも
 人間の文章理解に近くなる

 さらに「sequence to sequence」はこれの進化形で
 文が最後まで行って全て終わったときの結果
 (EOS、end of sequence)
 が入って、初めて出力されるようになっていて
 相手の話した内容を全部聞いてから答えを出す、
 という人間の会話に近いものになっているそうです

 「RNNはわりと昔からあったんですが、
  対話や翻訳に応用するために、
  sequenceが入って来たときに sequenceで返す、
というふうにしたのが
  「sequence to sequence」ですね」

 相手の話を最後まで聞いて全体の意味を受け取って返す、 
 つまり文章をキャッチボールしていく、というイメージなのが人間の会話なのだ、と。

 AIも文章理解の技術が進んでおり、
 単語の意味→文章のニュアンス→文脈、
 とどんどん大きいまとまりで理解できている。
 そのうち難しい論文なども読みこなせるようになるのかも…だそうです

 Facebook人工知能研究所のヤン・ルカンさんは、翻訳にもこの技術が使われている、と話す。
 (シーズン1の最初の回にインタビューされていました)
 「RNNは、文章などの一連のデータを分析するときにも使われる。
  例えば英語から日本語に翻訳するときは
  まず英語の単語を一つずつ読み取り、意味表現を組み立てる。
  これは言わば長い数字のリストのようなもので、
  このリストから日本語の正しい時系列で出力するために、
  別のネットワークに入れる、
  つまり再帰するネットワークなのです。
  文の長さにより、ネットワークの長さも変わるのが普通です」

 まとまった文章で理解できるようになれば
 違う文法に組み立て直すことができる、ということか。

○進化した音声合成
 次に登場したのは、音声合成開発者の金田さん
 最初に、二種類のAIが発する言葉を比べていました
 どちらも
 「どれにしよっかな~」
 「えー、すごーい」とか
 「本当に分かってますか?(怒)」
 などの感情的な言葉なんですけど、
 
 後の方がより感情が入っているように聞こえる。
 加藤さんは
 「後の方が抑揚がある」
 徳井さんは
 「後の方が、音と音との繋がりがスムーズですね」

 後の方がバージョンアップした方なのだそうです
 「声優さんが話してるみたい」

 金田さん
 「ディープラーニングで、人間の感情表現に近いものを学習できるようになりました」

○意味を理解すると言うこと
 感情を表現するには、
 それに対応する言葉の意味も理解せねばならないが
 それについて松尾さんは
 「意味を理解するとはどういうことか」
 という問題を提起する。

 「文字を出せば会話が成立しているように見えますよね、
  でもそれは本当に会話が成立しているんでしょうか?」

 これは哲学者ジョン・サール
 「中国語の部屋問題」として有名な話

  中国語の部屋、とは、ある部屋に作業する人がいて、
  文字列をマニュアル通りに翻訳する仕事をしているとする
  そのとき正しい中国語を出せば
  外の人からすれば、中の人は中国語を理解しているように見えるが
  実際は中の人は、マニュアル通りにやってるだけだから理解しているわけではない
  じゃあ言葉をプログラム通りに変換しているだけの機械は言葉を理解しているのか?
  という問いです

 そのあと松尾さんは意味不明な文章を書く
 「colorless green idea sleeps furiously」
 直訳すると「色のない緑のアイデアが激しく眠る」
 加藤さんは「…意味わかりません」

 徳井さんは
 「昔僕こういうコントを考えてました」
 バレーボールのコーチがチームを集めて不可解な文章を言うコントらしいのですが
 加藤さん「何でそんなもの考えたんですか?」
 徳井さん「気持ち悪~い世界を作りたかったんですよ」
 …徳井さんらしいシュールなアイデアですねぇ(笑)

 松尾先生「なんで気持ち悪いんですか?」
 徳井さん「矛盾してるからですよ」
 松尾先生「でも文法はあってますよ」

 実はこれは50年ほど前に、
 言語学者ノーム・チョムスキーが考えた文章で
 なぜ文法上ではこんな文章が成立してしまうのか、を議論していたそうです
 
 では、意味が分かる、とは矛盾していないということか?

 松尾先生は
 「多くの言語学者認知科学者、脳科学者は大体同じことを言ってると僕は思っているんですけど…」

 それによると、
 人は言葉を使っていて
 それ以外のことは、大体他の生物と変わらない。

 変わらない部分、というのは
 環境の中で何かを知覚し、それに対し行動を起こすこと
 例えば敵を見たら逃げる、
 エサがあれば取りに行くなど。
 このように、知覚→運動、運動→知覚、のループを行っている

 一方人間の場合
 知覚や運動のレイヤー(1階部分)の上に
 それぞれ言葉(2階部分)のレイヤーが乗っかっている2階建て構造になっていて

 更に1階部分と2階部分は連動している
 例えば犬を見たら「犬」という言葉を発し、
 その「犬」という言葉を聞いた人は犬の画像を思い浮かべる

 このときの連動、
 つまり知覚や運動で得られる概念を言葉に変換したり
 言葉から知覚や運動を作り出したり、
 というのを意味理解と言うのではないか、と。

 そして松尾先生の意見では、
 AIの場合、この2階部分が発達していたが
 AIは1階部分も発達しつつある、
 であればこのままいけばAIは人間の知性を越えるのではないか、と。

 さきほどの中国人の部屋問題でも
 1階と2階が連動していない、
 つまり中国語には変換できるが
 その言葉が何を意味するかイメージできていないから、
 分かってると言えないのだそう。

 徳井さん
 「だから変な文章でも、平気でそのまま翻訳してしまうんですね」

 言語哲学者のフェルナンド・デ・ソシュール
 意味するもの、言葉を「シニフィニアン」
 意味されるもの、概念を「シニフィエ」と呼んだそうです
 従来のAIではシニフィエは描けないとされていたが
 今はそれを描く技術も出ている、とヤン・ルカンさんは言う。

 ヤン・ルカンさんは
 「ディープラーニングはここ数年で進歩した。
  AIは、学習により概念(意味や画像)と観念(言葉)の関連を示せるようになった。
  AIに世界をたくさん観察させれば、
  たくさんの概念を身に付けさせることが期待できる。
  たくさんの概念が集まれば常識となり、
  AIは常識を身に付けることができるようになるのです」

 …うーん。
 人間の言語理解の本質は
 言語(文字の羅列)→概念(意味や画像、性質など)
 概念→言語
 への変換に集約されてしまうのでしょうか?

○言葉を画像に変換する技術
 アメリカ、ワシントン州マイクロソフトリサーチでは
 世界中のAI研究者が集まっている

 ここの研究者ペンツァン・チャンさんとチウユアン・ファンさんは
 「text to image」、文章から画像を作る研究をされているそうです
 「ドローイングボット」というソフト?かなんからしいんですが、
 例えば「赤と黒色で、短いくちばしの鳥」
 と文章を入れると、そのとおりの画像が写し出される
 しかも色んなポーズを取った色んな鳥の画像を何枚か写し出していました

 チャンさんによると
 「AIは自然言語の説明にある不完全性を補完し、
 より鮮明に画像を作ることができる」のだそう

 彼によるとこの技術はまだ始まったばかりで
 長期的には、人間の概念、人間の理解に近づけていきたいのだそう

 うーん、でもこれが進むと
 人間が小説や歌の歌詞などから何かを想像する力が弱っていきそう…
 最近本の漫画化が進んでるけど、これと同調する流れなのか?

○人間は機械なのか?
 人工知能研究者のモントリオール大のヨシュア・ベンジオさんは興味深い話をしていました

 「脳のニューロン一つ一つは、データ処理の能力は無い。
  それがルールに従うよう集まり、システムを成します。
  シグナルを受けてシグナルを出す大量のニューロンが力をあわせ、
  非常に知的な力を発揮している、
  この仕組みは脳もコンピューターも同じです」

 「我々の体や脳の仕組みは、言ってみれば物理的な法則に従うだけです。
  ただ非常に複雑なシステム、という科学的な視点を取るならば
  私たちは本質的に機械だと言えますね。
  ランダムな「でたらめさ」複雑さはありますが、我々は機械なのです」

 「機械としての人間の理解を深めれば、それを応用して知的な機械を作ることができる。
  それこそが我々がデザインした究極の人工知能なのです」

 「もちろんそれを受け入れない人もいる。
  人間の知性は特別で、絶対に作れないと言う人もいる。
  なぜなら人には自然を越えた魂のようなものがあるから、と。
  それは宗教的な信念と結び付いている」

 「しかし科学的な視点からすればそんなものはない、
  私たちは単なるシステムでありただ壮大で複雑な機械なのです。
  人の言葉を理解する人工知能はそのうちできる、できない理由はない。
  その前に人類を滅亡させなければの話ですが」

 つまり人間はランダムで複雑な機械の1つなのだ、と。
 ここは賛否両論ありそうですね…

○人間を越えるAIは生まれるか
 松尾先生は再び、
 「人工知能はすでに2階部分は人間を越えてきていて、
  一階部分も完成しつつある。
  今後それぞれが連合していけば
  人間を越える知性が生まれるはず」という意見を述べていました

 徳井さんが
 「それは、四季には春夏秋冬があって…とかいうことですか」
 松尾先生
 「それはどちらかというと2階部分、
  言葉の定義の問題ですね」

 松尾先生によると、
 今は人工知能は四季がどうとかいう2階部分の情報量はむしろ人間よりも圧倒的に多い。
 しかし知覚の部分が弱い。
 それでも人間とほぼ同じ言葉の定義が出来ているのは情報量が多いからで、
 今後1階の知覚部分が強くなっていけば
 既に圧倒的な2階部分と合わせて人間を越えてくるのではないか、と。

 「それはいつぐらいですか?」
 松尾先生
 「具体的に言うと攻撃してくる人もいるのでね…」
 と言いつつ(誰のこと?(笑))
 「僕は5年か10年くらいでできると思います」だそうです

○感想など
 最後の方の、言葉を理解するとはどういうことか、の話はなるほどと思いました。

 多分我々は、この世界を物凄い情報量として認識していて、
 それは五感、第六感的なものも含めて、
 身体全体から取り入れた知覚から構成されているもの。
 そこから自分の意識の中で「自分が認識する世界」を再構成しているのだろうと思う。

 その「自分の認識世界」は一人一人違うもので
 知覚から取り入れるそのものだけでなく、
 過去の経験や記憶によるバイアスもかかって再構成されている世界なのだろう。

 つまり我々が生きる「外的世界」は共通でも、
 それぞれの内面にある「自分の認識する世界」は人それぞれ、無数にある。

 そして、言葉というものは
 それぞれの個人が持つ内面世界の情報から
 互いに共通できる情報だけを抽出して作られた
 情報が圧縮されたファイルみたいなものなのかな、と。

 そして、互いに意思疏通していくために
 そのファイルを圧縮したり解凍したりしていく作業が会話なのかな、と思いました。
 自分が意思を伝えるときは「内面世界」を「言葉」というファイルに圧縮し
 相手の言葉を聞いたときは、「言葉」ファイルを自分の「内面世界」に解凍していく。(松尾先生的に言えば、1階部分と2階部分の変換)

 しかし、「内面世界」→「言葉」への変換の時は
 足りない情報(言葉にできてない相手の気持ち)もあり
 そこは受け手が推測して補っていくしかない。
 その補い方が合ってないと、誤解が生まれる。
 だから我々は、ボディランゲージや表情などで足りない情報を補っている。

 最近のネット上のコミュニケーションでは、
 その人の気持ちをデジタルデータに変換して
 そのデジタルデータ同士で交流している、
 情報量が圧縮された状態同士で交流するから
 足りないところで誤解が生じ
 炎上なども起きるのかもしれない。

 この圧縮、解凍の働き
 (松尾先生的に言えば、1階部分と2階部分の変換)を強化していく、
 ということが知性を磨くということなのかな、

 知性を鍛えることで想像力が生まれたり、
 他人の気持ちを思いやったり
 他人の考えを自分の考え方と組み合わせた創作が生まれるのかな、と思います。

 一方、松尾先生がこの話に関連して
 「今AIはこの1階部分が発達してきている」
 とおっしゃっていたのは
 シーズン1の料理の回だったか、
 「画像の深層学習が出来るようになってきたのが大きい」
 ことを指しているのかなと思いました。

 最近のディープラーニングでは
 たくさんの画像データを教師データとして自己学習できるようになっていて
 目と脳に相当する部分が強くなってきている。
 人間で言えば目で見て真似る、みたいなことができている。
 これが料理ロボットの進歩に役立っている、と。

 これは知覚の7割だか8割だかを担うという目の働きがAIに持てるようになった、
 ということなのだろう。
 (触覚に関しても、センサーが進歩している)

 このときの話で興味深かったのは
 「じゃあ人間の料理人はいなくなるのか」
 となったとき、
 松尾先生が、料理人のデータは必要だから
 人間も技術を磨いていかねばならない、とおっしゃっていたことです。
 (↑記憶間違いだったらすみません)

 だから、
 「1階部分も発達して、そのうち人間を越えるかもしれない」というのは
 AIが脅威だよという意味ではなく
 AIは今後圧倒的な知識を持ちながら人間とは違う知覚を持つようになる、
 そうなると人間には思いもつかない発想で想像力、創造性を発揮していく、
 それが人間と切磋琢磨していける、ということなのかなと。
 そういう世界なら面白いなと思います。

 ただ今回紹介されていたドローイングボット(言葉から画像に変換する技術)を見ていて思ったんですけど、
 ああいう機械が現れ、
 言葉から概念を想像することなどを人間がやらずに機械に任せてしまうと
 人間の想像とか創作の力が弱まってしまうかもしれない…とも思います。
 人間が怠けちゃう、というか。

 というか、既に人間の文化も想像力が弱い方に変わってきている気がする。
 文字よりもビジュアルの方が好まれる、
 音楽も動画から流行していたり、
 小説もすぐ漫画化しているのは、
 その現れかもなぁ、と思います

 だから
 AIからアイデアを得て、刺激を得て新しい創作をしていく人と、
 ひたすらAIの提供するアイデアを消費するだけで脳が退化していく人、
 と二分化する世界になるのかも…?

 それからシーズン1のときは、
 私はへー、最近の技術すごーい、で終わっていたけど
 今回のベンジオさんの「人間は言ってみれば機械」という話は
 哲学的な議論だなと感じました

 最近読んだ「機械カニバリズム」という本では
 「人間はバグのある機械」
 みたいな、ベンジオさんと一見同じ意見が書かれていたのたが
 意味合いはだいぶ違うと私は思っていて、
 ベンジオさんの言い方だと、
 「機械は不完全な人間」で、「人間に近づく機械を作る」てのがゴールみたいなイメージを受ける。

 しかし「機械カニバリズム」の筆者は
 そもそも機械と人間を対等というか同じものと考え、どちらも完全でないとしている。
 どちらかがどちらかに近づくとか越えるものではなく、
 違う世界観を持つもの同士が、
 予測不能な未来を共に作っていくんだ、という感じ。

 私も最近はその考え方に傾いていて
 機械は人間に近づくのではなく
 どこまでも人間にはなれないのではないかと思う。
 それは全く同じコピー人間ができないのと同じ理由で
 言ってみれば、めちゃんこ記憶力のある人みたいな存在が
 人間とは別に独立して存在して、
 違う視点を提供してくれる、という感覚になるのでは、と思います。

 それから、哲学者マルクス・ガブリエルさんの議論も思い出した。
 彼は人間に似せた機械を作るのは反対の立場で
 「機械は道具に過ぎない」
 「人間は本質的に動物で機械とは違う、そこは変わらない、
  テクノロジーは我々の自己像、自己認識を変えてしまう、
  変えられた自己像が起こすものを心配している」
 というご意見だったと思います

 多分彼のいう、自己像が変えられるものの弊害、というのは
 例えば商業とか政治の場面で権力を持った人たちが、
 テクノロジーを利用して、広告操作で他人の意識をコントロールするとか
 AIの数字で出された人物評価を見て、それが本当のその人だとされてしまうことだとか、
 科学の発達で自分が万能だと思い込み、科学的に正しいとか儲かるならば何をしてもいいと思ってしまうことだとか
 を指しているのかなと思うのですが(誤認していたらすみません)

 もちろんそれはAIの間違った利用法をしないため重要な指摘なのですけど
 私は、テクノロジーとかAIによって我々の自己像が変えられちゃってることが、そもそも過ちなのではないかと思う。
 そしてそれは、我々が正に「機械と人間とは違うもの」
 と思い込んでいるから起きていることではないか、と思う。

 自分とは違う賢いやつが自分を追い越した。そいつが評価して数字で出してくれた、
 と思うから、それが正しくて自分の感覚が間違っている、と思っちゃうんじゃないか、と。

 テクノロジーやAIは人間とは違うもので、
 人間が支配するもの、あるいは支配されるかもしれないもの、と考えるから
 テクノロジーやAIが洗練されてくると、自分が間違ってるように感じちゃって
 これらが出す自己像を信じてしまうのではないか、と。

 そうではなくて、
 テクノロジーやAIも人間と同じもの、対等なもので
 単に価値観とか物の見方が違う存在で、
 こいつも間違いを起こすかもしれない、でも時にはめちゃめちゃドンピシャなこともいう、
 くらいの感覚で見るようにすれば
 AIの出す結果とか評価も
 「AIの意見はこうなのね、でも自分はこう判断するよ」
 と考えられるんじゃないかな、と思う。

 テクノロジーが自己像を変えること、
 それ自体は悪くないと思う。
 テクノロジーやAIが別の視点をもたらしてくれるメリットもあって、
 例えばマツコデラックスさんの番組で、AIに社会問題について聞いてみる番組があったけど
 ああいうAIとの共同作業の仕方はアリではないかと思います。
 そういうときも、AIに全面的に頼るとか信じるんじゃなくて
 1つのアイデアとして見る態度が必要かなと思います。

 年始の番組で
 中国で開発された人物評価ソフトが人間の行動を監視している、
 という話が紹介されていたけど、
 この例のようにAIがこう評価したからこの人ダメ、という利用法じゃなくて
 人間による評価と併用する、
 そんな利用法がされたらより我々の生活も豊かになるんじゃないかな、と思います。

色々考えさせられました。
というわけで今回はこの辺で。

NHKBS「玉木宏の音楽サスペンス紀行~ショスタコービッチ 死の街を照らした交響曲~」

NHKBS「玉木宏の音楽サスペンス紀行~ショスタコービッチ 死の街を照らした交響曲~」

正月にやってた番組です。
録画していたけど見る暇なくて…

何でこれを見ようかと思ったかというと
同じNHKBSで
映像の世紀プレミアム」
という、
戦前から現代までを
テーマごとに映像で振り返るシリーズがあるんです
(現在第11集くらいまでありますねぇ)

これは歴史上の、教科書載ってるような人たちが、
動画で見られる、てのが感激感動です
だってケインズとかアインシュタインとか太宰治とか
動いて喋ってんのよ(笑)

このうち、私なぜか第1集(芸術家たちの話)だけ見たことがなくて
年末にまとめて再放送されていたので録画して見てました。

そのとき、なぜか気になったのがこのショスタコービッチ
彼はロシアの作曲家で、
あの第二次大戦中、音楽の力で戦った方で
レニングラード交響曲」が有名です。

この曲はロシアに進攻したナチスドイツへの戦いの曲、とされており
レニングラードでの演奏会は語り草になったそうです
しかし彼は、実はこの曲に
スターリン独裁へ反対する思いも込めていたのだそうです

…という話が紹介されていて
映像と共に
レニングラード交響曲
も一部流れていたんですが

なんだろな、
重たいというか、
斜めに螺旋を描くような落ちつかなさというか、
不安をかきたてられる曲ですね。
なんか鍵盤の黒音ばっかり使ってる感じで
安定的な音で終わらないからかもしれない。

ショスタコーヴィッチさんの話は
1時間半のこの番組で、1分かそこらしか話が出てこないのですが、
曲も含めて何となく気になったんですよね。
そのときにこの番組が来たんで、見てみました。
別に玉木宏さんはそんなにファンじゃないです(笑)
(でも「あさが来た」の信次郎さん役は良かったなぁ…。
あんな旦那欲しい(笑))

さて今回の番組は、
ショスタコーヴィッチが故郷に捧げて作った「交響曲第7番」
通称「レニングラード交響曲」を書き上げ、
それがレニングラードで演奏されるまでのドラマを描いています

話の筋は、「映像の世紀」で1分で紹介されているような内容を2時間使っていて
情緒的で冗長、て言っちゃえばそうなんですが、
インタビューによる当事者たちの生々しい話、
ロシアの映像などがあり、胸に迫るものがありました

それにしても、戦争の過酷さも印象に残りましたが
それよりもロシア人、ヨーロッパ人の音楽を愛する心って
ここまで深いのか、と驚きました。

一応内容追ってみます
〇第1楽章「仮面の音楽家
 ・ショスタコーヴィッチの生い立ち
  彼はレニングラード
  今のサンクトペテルブルクに生まれた方。

  玉木さんがサンクトペテルブルクを訪ねていますが
  建物がとにかく美しいですね。
  荘厳、壮麗というか、帝国~って感じです。

  ショスタコーヴィッチは、若くして音楽の才能を発揮し
  13歳にして音楽院に入り、特に作曲の能力を見せたそうです
  18歳の卒業制作で初めて作った交響曲は高く評価され、
  ベルリンフィルでも演奏されたのだとか

  そのあと彼は第2、3…と交響曲を作っていく
  ヨーロッパの音楽も取り入れ、モダンで斬新だったそうです

  同時に彼はサッカー観戦も大好きだったそうで
  その理由として
  「スタジアムでほど、自分を自由に表現できる場はない。
   人々が強制ではなく、みな自分の、心からの声を上げることができる」
  と、当時の管理統治の厳しさを
  垣間見させるような発言をしています
  音楽家がサッカーって、なんか人間臭さを感じますね~

 ・スターリンの独裁
  その頃、スターリンがロシアを牛耳っていましたが
  彼は疑い深い人間で、
  自分に歯向かうと思う人に対して「大粛清」を行った
  政治家だけではなく、文化人や芸術家も次々と処刑され
  70万人が犠牲になった

  そのうち、ショスタコーヴィッチも狙われるようになる
  その理由が彼の「分かりにくい音楽」だったそうす

  研究者によると
  「スターリンは、音楽はシンプルで大衆的なものであるべき、と考えていた、
   市民を1つの型に押し込めようとしていたのです」
  市民を音楽で操ろうとしていたのか。

  そこで彼は
  次の第5番交響曲は分かりやすくして粛清を免れようとした

 ・独ソ戦
  しかしそのあと、更なる敵がレニングラードの外からやってくる
  1941年6月、ソ連と不可侵条約を結んでいたナチスドイツが
  突然条約を破棄してソ連を攻撃、独ソ戦争が始まる

  ナチスドイツの手はレニングラードにも迫り、
  いわゆる「レニングラード包囲戦」が行われる

  このときヒトラー
  「レニングラードの街を地球上から消滅させる」
  とまで言っていたそうです
  地球上から消す、てのが激しい表現ですね。

  玉木さんは、戦争の跡が生々しく残る場所も訪れる。
  たくさんの人が埋葬されているピカリョスク墓地、
  資料館、
  「市民のみなさん、通りのこちら側は危険ですよ」と書かれた当時の看板など…

  この看板はどういう意味?と思ったんですが、
  レニングラードは、地形からいうと、
  北はナチスドイツに支配された北欧、西はバルト海、東はラドカ湖に囲まれ
  南からしかドイツ軍が来る可能性がなく、
  つまり街の塀の南側にいると危ない、
  北の方がましだよということらしい。
  逃げ場が無いんですね…

 ・音楽の力で戦うショスタコーヴィッチ
  ショスタコーヴィッチはしかし
  この状況においてもなおレニングラードを脱出せず
  妻と幼い子供と共にとどまり、街を守ろうとしていた

  それはなぜか?
  彼は音楽の力で市民を励ましたかったのです。

  彼は政府管轄のドム・ラジオでスピーチを行う
  自分の第7交響曲を今制作中だということを伝え

  「いつもどおり世界は続いています。
   芸術家も戦っています。
   優れた芸術であればあるほど、
   誰も破滅させることはできない、と私は信じています」

  …戦争部隊が街を襲撃したら、楽器も燃やされまくって、
  音楽なんか蹴散らされちゃうんじゃないか、と私は思ってしまう。
  素晴らしい音楽なら、敵も攻撃の手を止めるはずだ、
  となぜ信じられるのだろう?と思いました
 
  しかし現NHK交響音楽団首席で、この交響曲も何度も演奏した演奏家の方は
  この第7番交響曲についてこう語る。
  「この曲は、あらゆる面でスケールが大きく、彼の他のどの作品とも違う。
   ある種の重さを感じる。
   それが耐えがたいほどの大きさまで膨らんだあげく
   戦車のように上に乗っかってくるように感じる」

  「…私達の社会に巨大な悪が存在し
   それが我々の人間性を破壊するさまを描いている。
   最後は悪に対し、勝利していく方向へ進んでいく…
   洗練さとはかけ離れていて、彼の音楽とは違うものだが
   聞けば聞くほど、まるで魔法のように取りつかれます。
   謎に満ちた音楽です」

  スターリンもこの交響曲の力に気づき
  ラジオでのスピーチのあと、彼をレニングラードから連れ出し
  安全な場所で交響曲を完成させるよう指示する

 ・ラジオ・シンフォニー
  一方ラジオには所属のオーケストラ、「ラジオ・シンフォニー」があった
  彼らは疎開できず、音楽を続けていた
  指揮者はカール・エリアスベルクで
  選曲を担当していた彼は、国内のみではなく敵国フランスなどの音楽も流そうとした
  そんな彼を芸術監督も理解し、当局を説得した

  そこへ独ソ戦争の開戦を知らせるアナウンスが流れる
  ラジオ・シンフォニーの楽団員も次々と徴兵されていった
  共産党指導部は「こんなときに音楽をやってる場合じゃない」
  とオーケストラの活動を休止させる

  しかし芸術監督は
  「音楽の力で戦いましょう」と訴えかけ、楽団の活動は再開する

 ・ひどい飢えと寒さ
  しかし1941年の9月、
  ナチスレニングラードの食料備蓄倉庫を攻撃、
  兵糧攻めを行う

  当時を知る97歳の女性は、当時の飢えについて
  「食べられるものは何でも食べた、
   犬や猫はみんな食べられ、人を食べる人もいた」

  「壁紙の裏に糊があるでしょ、
   あれは当時小麦粉で作っていたから
   壁紙を剥がして、それをこそげおとして食べていたの」

  飢え、てのは体験したことないですが
  この方によると、お腹が空いても食べ物がない、絶望的な状態なんだそうです
  お腹空いたらメンタルに来る私には想像もつかない世界だ。

  また、寒さもひどく、町に遺体が転がる風景は日常茶飯事だったそうです
  「老人と子供の遺体が、
   一ヶ月も放置されていたこともある」

  またある人は
  「母の妹が肉を買いに闇市へ行ったけど、
   売り子がもっとあるよと家に誘ったの。
   そのあと叔父がその売り子の家に行くと
   バラバラになった人間の手足と、
   叔母のコートだけがあった」
  売り子は客を誘い込み、その人を殺して肉にしていた

  …言葉を失うような、壮絶な風景ですね…
  極限状態では、そこまで人間性が破壊されてしまうのか。
  二度と起きてはならないことだと思う。。
 
 ・第7交響曲完成
  一方、ショスタコービッチ
  300キロ離れたクイビシェフという町で曲を完成させた
  彼は故郷への思いは忘れず、楽譜に
  「レニングラードの街に捧げる」と書いていたそうです

  しかしレニングラードのラジオ・シンフォニーは
  楽団員たちが飢えで倒れ、亡くなる人も少なくなかった
  1942年1月、楽団は活動を休止、
  指揮者のエリアスベルクも栄養失調で倒れる

  結局レニングラード交響曲
  同年3月、クイビシェフで初演が行われた
  各新聞はこの交響曲をこぞって称賛し、
  「ファシズムに対するロシア市民の戦いと勝利を描く」
  と書いていたそうです

〇第2楽章「第7番の魔力」
 ・モスクワ
  玉木さんは次にモスクワを訪ねる。
  ここにはクレムリン赤の広場があり、圧倒的な力強い印象。
  権力の象徴、という感じです。
  私の中ではプーチンさんのイメージが強いですね。

  スターリンはここにいたが
  ナチスの攻撃が激しくなると、
  市内の外れの地下司令部に潜んでいたそうです

  ここには円卓状の会議室があり
  真ん中にスターリンが立って指揮していた
  案内の方によると
  建物の音響が特別な作りで
  小さい声でも大きく響くようになっている

  これは、スターリンの声が小さいので、
  ほかの人が指示を聞き取れるようにという意図があったそうですが

  ほかにも、会議のスターリン以外の出席者がひそひそ話をしても
  スターリンに丸聞こえになるので密談ができない
  という役割もあったらしい
  疑り深かった、というスターリンの性格がよく現れている。

 ・ソ連アメリカの政治事情
  スターリンは音楽の魔力を知っていて、
  第7番も政治利用しようとしたそうです

  当時、アメリカはルーズベルト大統領
  アメリカは普通2期しか大統領ができませんが
  このときは非常事態だからと
  3期目も彼が大統領になった

  ルーズベルトは1941年、レンドソース法を成立させた
  この法律はアメリカの防衛にとって重要な国や
  アメリカ大統領が必要と判断した国
  などに援助ができる、
  というもの

  1941年の6月、ドイツがソ連に侵攻すると
  この法律をソ連に適用することが決定され
  それ以来、アメリカはソ連に援助していた

  しかし、アメリカにとって共産主義が脅威だったこともあり
  世論は、ソ連援助には厳しい見方をしていたようです。
  当時の世論調査では
  ソ連援助に賛成する人は35%、反対する人は54%
  このまま理由もなく援助を続けることは
  ルーズベルトの支持率にも影響する可能性があった

  アメリカは世論をつなぎとめるため、
  ソ連はさらなる支援を得るため、
  アメリカ市民から、戦争への共感を得ることが必要だった。

  そのとき切り札となったのが
  ショスタコーヴィッチの「第7交響曲」だったそうです
  アメリカ市民がこの曲を聴けば
  ソ連への共感が得られるに違いない、と。

  ここで暗躍したのが、対外文化交流協会VOKSという組織
  この組織は表向き、国外との文化交流機関であったが
  ときに諜報機関の手下となって働くこともした
  この機関が、「第7交響曲」の楽譜を写し取ったマイクロフィルムを作製し
  秘密裏にアメリカに送り届けることになった
  ドイツにばれたら阻止される、と思ったようです

  そのころ、モスクワで「第7交響曲」の2回目の演奏会が行われ
  スターリンは「スターリン賞第1席」をショスタコーヴィッチに与える

  先に第7交響曲を表現していた、NHK交響楽団の方は
  「賢い政治家は、芸術を政治に利用することをよく知っている」
  といい、スターリンヒトラーも音楽の力を知っていた、と話す。

  大衆の心も動かす、音楽の力…

〇第3楽章「もう1つのコンサート」
 ・命の道
  一方1942年4月のレニングラード
  ドイツの侵攻から8か月、
  スターリンは各地でドイツ反撃を試みるもうまくいかず、
  レニングラードに支援軍を送る余裕など無かった

  しかし、そんな街にも少しずつ物資が届くようになってきた
  それはなぜかというと
  「氷の道」ができたからだそうです

  レニングラードは先にも述べたように
  南北は敵軍、西はバルト海、東はラドカ湖に挟まれている
  しかし、このうちラドカ湖は、冬になると氷に覆われ
  車も通行することができるようになる
  そこで、対岸の町から物資を持ってきてくれる人もいた

  このとき物資を運ぶ義援軍に参加していた
  99歳の女性は
  「私たちは「命の道」と呼んでいたわ」と話す
  その湖は、レニングラード市内から車で1時間ほどの場所
  対岸の町までは70㎞ほどかかるそうです

  しかし、その道はナチスもそのうち知るようになる
  この道を走る車に、攻撃を仕掛けるようになった

  この道を走って対岸の町まで逃げた方もいました
  81歳の女性の方で、彼女は当時幼稚園児、
  保母さんが引率してみんなで逃げたそうです

  彼女の体験も生々しい。
  「良く晴れた日で、湖は眼がくらむほど明るくて輝いていました」

  「私たちは3台の車を使って出発した
   すると途中で戦闘機が低空飛行して、
   私たちの車をめがけて銃撃してきた」

  「突然、先頭の車に爆弾が下りてきて、
   運転手は急いで飛び出して逃げたけど、
   子供たちと車はそのまま氷の下に沈んでしまった」
  彼女は一番後ろの車にいて、その様子を目の前で見たそうです

  「隣にゴーシャという男の子がいたのだけど
   彼は急に頭を垂れてしまって
   私は彼に起きて、って言ったの。
   でも向かいに座っていた保母さんが「彼は寝てしまったのよ」と」
  実際はその時ゴーシャくんはすでに亡くなっていて
  「ゴーシャは死に、私は生き残った」
  と彼女は話す。

  …5歳かそこらでそんな体験したら、…と思うと言葉が詰まる。

 ・ラジオ・シンフォニーが奇跡の再開
  一方、レニングラードの街中も相変わらずひどい状態で
  ラジオ局の楽団、ラジオ・シンフォニーのメンバーも活動を停止したまま。
  ラジオは電波は発せられるようになったが
  放送するものもないので、無機質なメトロノームの音だけを流していたそうです

  しかしそれが奇跡を起こした

  レニングラード総司令部の最高責任者、アンドレイ・ジダーノフ
  この無機質なメトロノームにイライラを募らせた
  「ジダーノフだ、なぜこんな陰気な音を立てるんだ、
   音楽でも流せ」
  とラジオ局に連絡する

  こうして指揮者のエリアスベルクと芸術監督のバーブシキンは
  「何としてもオーケストラを復活させろ」と命ぜられることになる

  彼らはメンバーを何とか集め
  練習を行うことになるが
  寒さと飢えで満足な演奏にならない

  このときのメンバーで、打楽器担当の方の孫の方は
  「祖父の話では、みんな衰弱していて、
   最初のリハーサルはとにかくひどかったものだそうです」と語る

  この方によると
  「祖父はあまりの空腹で倒れてしまい、意識を失った。
   エリアスベルクは彼がいないことに気づき、ほかの楽団員に尋ねると
   「彼は死んだ、遺体部屋に運ばれた」と言われた。
   そこでエリアスベルクが確認をしにいくと
   祖父はまだかすかに呼吸していることが分かった」

  こんな風に楽団員は生きるのもやっとな有様だったが
  エリアスベルクは辛抱強く見守っていたそうです
  エリアスベルクの姪によると
  「叔父はメンバーの健康状態や状況を常に気にかけ、
   親身になって世話をしていた」

  しかしエリアスベルク自身も衰弱していて
  「彼は栄養失調だったのでしょう、足がむくんでいました。
   靴も履けず、立っているのもやっとだった」

  それでも何とかオーケストラは形になってきて
  1942年の4月にはラジオ・シンフォニーがコンサートを開き
  公開放送も再開するようになった

  芸術監督はその様子を見て
  エリアスベルクに
  「ショスタコーヴィッチの第7交響曲を是非やりたい」と相談する
  楽譜は手に入れるから何とかやろう、と。

 ・アメリカにも届いた「第7交響曲
  一方1942年5月、アメリ国務省マイクロチップが届く
  このマイクロチップを管理したのは
  ユージーン・ワインドロウブという方
  彼は第7交響曲アメリカコンサート初演のプロモーターを任された

  彼はニューヨークのカーネギーホールの隣で
  ロシア音楽を一手に手掛ける出版社を経営していた

  彼が受け取ったマイクロチップは252ページ分の楽譜で
  ロールにして30mほどあったそうです

  このマイクロチップは、手の込んだルートで送られていた
  ドイツを避けるために、
  ロシアから南下して、イランのテヘラン、エジプトのカイロ、
  そのあとアフリカから南米を通り、
  マイアミにわたり、ニューヨークへ。
  このスパイ映画のようなルートは、宣伝には格好のネタになった

  また、この第7交響曲を誰が指揮するか、という問題もあった
  3人の優れた指揮者の名前が取りざたされていたが
  ワインドロウブはイタリア出身の指揮者に任せることを決める
  ナチスドイツと組んだ祖国を嫌ってアメリカに亡命した方で
  ナチスとの戦いを描いたこの音楽には
  ぴったりの指揮者だった

  輸送ルート、指揮者争い、
  そして曲自体への期待と、宣伝のネタがそろい
  マスコミはこの音楽の講演について、競って報道した

 ・ラジオ・シンフォニーにも第7交響曲
  一方、ラジオ・シンフォニーにも楽譜が届く
  しかし、エリアスベルクはこの楽譜を見たとたん
  「…これは無理です」という

  なぜかというと
  この交響曲ショスタコーヴィッチの音楽の中でも難易度が高く、
  まともにやろうとしたら100~120人必要で
  つまり人手が足りなかったそうです

  エリアスベルクは、そこを何とか80人で演奏しようと決めたが
  ラジオ・シンフォニーの楽団員たちは
  戦争にかり出されたうえ、
  残った楽団員は飢えと寒さでたくさん亡くなっている

  そこでエリアスベルクは手を打つ
  戦争にかり出された楽団員からの手紙を頼りに、
  彼らが今どこの部隊に所属しているかをしらみつぶしに調べた

  そのあと、レニングラード総司令部に直談判する
  「徴兵された音楽家をもとに戻してほしい」と。
  総司令部は
  「たかが音楽の為に…」というが
  「あなたがダメというなら、最高責任者のジダーノフに直訴する」
  というエリアスベルクに折れ、
  彼が差し出したリストをもとに
  楽団員をレニングラードに戻す

  そして、レニングラードでの講演の日も決まる
  市民にはポスターで知らされ
  ラジオでも宣伝が行われた

  …エリアスベルクさんの執念、スゴいですね…

  しかし、ドイツ軍がそれを聞きつけ
  「レニングラードの占領攻撃を行う」と予告する
  この日にヒトラーが乗り込んでくる、といううわさもたったそうです

 ・アメリカ人の心もとらえた第7交響曲
  このころ、アメリカでは第7交響曲は大評判を呼んでいて
  「TIME」誌の表紙に
  ショスタコーヴィッチの絵が飾られたこともあったそうです

  アメリカでは1942年の7月に全米で初演が生中継され
  そこからアメリカ全土で62回の講演
  ラジオでも2000回放送された、
  というからかなりの数です。

  メディアも彼の作品を称賛し
  「傑作」「今世紀最高」「普遍的な戦争音楽」
  「今や、ショスタコーヴィッチを嫌いという人は、アメリカ人にあらず」
  と書く雑誌すらあったそうです

  アメリカ人作家さんは
  「第7交響曲は、大ヒット映画のようなものだった」という
  「大衆にファシズムの侵略を感じさせ
   それが勝利のイメージで終わる。 
   これこそが当時アメリカ人が求めていたものだった。
   アメリカ人はそのとき、勝利の物語を渇望していた」

  分かりやすい曲だったのでしょうか。
  アメリカ人はこの曲に、英雄の出現を感じたのでしょうか。

  当時、在米ソ連大使の婦人はスピーチで
  「私の息子も陸軍で、兵士としてソ連で戦っている」と語る
  ソ連の兵士にアメリカも共感を示した

 ・ショスタコーヴィッチの真意
  ルーズベルトはその後、後にも先にもない大統領4選を果たし
  スターリンアメリカの支援を得て、
  その後独ソ戦争に勝利する
  アメリカとスターリンが音楽の力を熟知し、利用した結果だった

  しかしショスタコーヴィッチがこの曲に本当に込められていたものとは
  「巨大な悪」であり
  それはナチスドイツに限ったものではなかったそうです

  彼が曲を完成したとき
  知人たちが集まって祝宴を開いたのだそうですが
  そこに出席していた知人の女性がこう話していました
  「話は自然と第7交響曲のことになりました。
   彼は考え込むように静かに言った、
   「この音楽は恐怖、奴隷制度、魂の束縛、を込めた曲だ」と。
   彼は私を信頼してくれたのか、こうも話してくれました
   「ファシズムはもちろん、私たちの社会システム、
    すなわち全体主義体制すべてを描いている」と」

  他にも逸話があって、
  映画の都、ロスのハリウッドでは
  この曲の映画化の話も持ち上がっていたそうです

  監督は当時売れっ子の方、
  脚本はのちにノーベル文学賞をとるような方。
  しかしショスタコーヴィッチは映画化を頑として拒み、
  この話は実現しなかったそうです

  大衆化させるようなものではない、
  映像化できるほど単純なもんじゃない、
  と思ったのでしょうか。

 ・レニングラードでの演奏会
  1942年8月9日。
  とうとうレニングラードでもコンサートが行われる

  会場は、レニングラード・フィルハーモニア
  (現在はサンクトペテルブルク・フィルハーモニア)
  最も格式ある演奏会場で、1500人が収容可能
  ドイツ軍の総攻撃も予想されたが、
  会場は市民で埋め尽くされたそうです

  夜の7時、会場の幕が上がる
  外ではドイツ軍の攻撃が行われていたが
  演奏はラジオで生中継されたばかりか
  街のスピーカーを通して街中にも響き渡り
  前線で働く兵隊たちの耳にも届いた

  当時戦っていたドイツ軍が、こう書き残しているそうです
  「あの曲を聴いたとき、
   私たちは絶対にレニングラードを倒せない、と思った」
  私はこの言葉に、なぜだか鳥肌が立ちました

  その夜、会場で曲を聴いたという98歳の方は
  「演奏された第7番は、ショスタコーヴィッチが私たちの街のために書いてくれた。
   あの曲は、包囲の恐怖で傷ついた心を癒してくれる、薬のようなものでした。
   コンサートが終わっても、戦争中であることを忘れてしまったほどです
   あの日から私たちは、強い心を持つようになった気がします
   他人にパンを分け与えられるような、強い心を…」

  終演後、一人の少女がエリアスベルクに花束を渡しに来たそうです
  こんな戦争時、みんな飢えているのに花を…
  エリアスベルクは驚いたが
  その少女は
  「たとえ何が起きても、
   普通の生活を忘れないように、と母が言っていました。
   だから母は花を植えているの」と

  そしてその花束にはメッセージの書かれた紙があった
  「レニングラードの音楽をお守りくださり、ありがとうございます」

  1944年1月、レニングラードは解放された
  900日以上に及ぶ包囲から、ようやく市民が自由になった

  レニングラードコンサートを開いたラジオ・シンフォニーは
  いまだに語り草になっていて
  あの日の夜、少女が渡した花束の写真や、
  花束に入っていたメッセージの現物などは
  今も戦争博物館に展示されている

  花束の話は正直、出来すぎな話だな、と思ってたんですが
  本当にあったんだ、と分かってびっくりしました

  この博物館の館長は、楽団員とも交流があって
  生前彼らが話していたことを
  後世に伝えねばと考えているそうです 

 「私が忘れられなかった話は、
  ラジオ・シンフォニーのリハーサルを再開したとき
  みんな髪は乱れ、顔は真っ黒だった、ということ。
  つまり人は簡単に堕落してしまうのです。
  体を洗うのにも体力がいる、
  ましてやわざわざ花を摘んで花束にする、などということなど
  考えられない状態になってしまう。
  楽団員たちは、
  音楽が自分たちを正気に戻してくれた、と。
  演奏することが彼らにとっても、救いになったのです」

 博物館には楽団員の言葉としてこう書かれているそうです
 「私たちは英雄ではなかった、
  重要なのは、私たちが人間であり続けたということだ」

 玉木さんは取材を終えて
 「日常を続けるということなのかな」と話していました
  ただ、そういう戦争のような非常事態で、
  日常を続けられることができるかどうか…
  でもそれをできた人が、
  結局生き残ることができたのかな、と。

 「音楽の力を伝えた交響曲第7番、
  世界の人は畏敬と親しみを込めて「レニングラード交響曲」と呼ぶ」
 という言葉で終わっていました。


最後の演奏会のくだりは本当に感動してしまって
見ていて良かったと思いました

音楽の力、てそこまで強いのか…と本当に驚いた。
ドイツ軍の戦意を挫くほどだったのか、と。

まぁ、ドイツ軍も当時、
ソ連の寒さと飢えにはかなり手こずっていたようなので
既に気力は弱まっていたのかもしれないが、

それでも、第7番の素晴らしさを分かるドイツ兵士も
また芸術が分かる人だったんでしょうね。
別の形で聞けば、また違う出会いだったんだろうなぁ。
そんな人間同士が戦わなきゃいけなかった時代…何とも言えない。

このレニングラードでの講演を聞いたご婦人が
「他人にパンを与えられる強さ」
という話をしていたとき思い出したのは
「世紀の映像プレミアム」シリーズで紹介されていた話でした

それは、私の記憶が間違いでなければなのですが
しかも第何集の話かすら覚えてないのだが
独ソ戦で敗退したドイツ兵に対して
ソ連の市民がかけよってパンを与えた、とかいう逸話です
それがレニングラードだったかどうだか覚えてないのですけど、
もしかしてパンを与えた方は、
この曲を聞いて希望を胸に取り戻していたのかもしれない、
と思いました

ラジオ・シンフォニーの復活劇も印象的でした
誰かのためにしっかりしなくちゃ、ていう気持ちって結構大事で
例として挙げていいのかわからんけど、
広島の被爆者で
小さい子のお母さんだった方で
かなり被害を受けたのに
「まだ死ねない」
となんとか気力で生き延びた体験を聞いたことがあります

楽団員も、
「音楽をみんなに届けて勇気を与えなければ」
という使命感を得て、
実際に音楽で、みんなに勇気を与えたのはもちろんですが
自分自身にも力を取り戻していたのかなと思いました

個人的には、音楽や絵とか芸術って
お腹もいっぱいにならんのに
何で太古の昔から存在するんだろう、と思っていたのですが

例えば困難から立ち上がり、勝利していく…とか
今はしんどいけど、いつか幸福に満たされる…などのような
自分がそうありたい、と思う人生のイメージを
受け取った人の中に描かせ
それを現実化するよう、心を後押しさせてくれるから、
あるいは、他人の悲しみ、残酷な戦争など、
他人の体験を我々の中に追体験させてくれるから、
なのかもしれないと思いました。

それも(歴史学者のハラリさん的に言えば)
人間のファンタジーを信じ
それにより歴史さえ作ってしまう能力ゆえ、なのかな?

予想以上に見て良かった番組でした
というわけで今回はこの辺で

NHKBS「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を超えて~(後半)」

NHKBS「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を超えて~(後半)」
後半です。
前座に色々な方々のインタビュー映像が流れる。
チェコの経済学者、トマス・セドラチェクさん
 プラハの美しい月を見ながら
 「ゴーレム」の話をする

 「ゴーレムは、ユダヤ教のラビが語った警告の物語だ。
  「人間が自分に仕えさせるために作ったものが、
   あまりに強力な力を持ってしまい、破壊的になることがある」とね」

 「ゴーレムは、テクノロジーやAIのシンボルにもなり得るだろうし、
  恐らく市場もそうだろう」

・経済学者、安田洋祐さん
 「今起きている問題は、
  利益が生産活動に使われていないことだと思います。
  本来の資本主義の形になっていない…」


さて、後半は仮想通貨の話から始まります

 アメリカの投資家ジェフリー・ヴェルニックさんが聴衆の前で語っている
 「2008年、サトシ・ナカモトの論文が現れ、
  最初のビットコインが発行された。
  それは偶然だとは考えにくい。
  2008年の金融危機の年だった。
  当時は金融システムへの不安が渦巻いていたからね」

 (サトシ・ナカモトは実在すら疑われているが
 彼は混乱に乗じて儲けようと思って、
 論文を出したのだろうか…)

第7章「仮想の野望が世界を巡る」
 2018年9月、東京で行われたブロックチェーンサミットにて

 世界の投資家が仮想通貨市場としての日本に注目する
 インドネシアの投資家
 「日本の市場には興味がある。
  日本は仮想通貨をサポートしている数少ない国の1つ、
  国の支援もある」

 日本のカジノ経営者は、カジノのマネーを電子化することを狙っている
 「物理的だったカジノのチップをデータにして、
  どこでも使えるようにしたい」

 中国人の投資家
 「中国ではブロックチェーンに200万人が投資している、
  多くは90年代以降生まれの若い人たちだ」

 …意外と仮想通貨に投資している人は多い。

 日本のIT企業のCEO
 「ICO(仮想通貨による資金調達)のインパクトをみんなあまり分かっていない。
  ブロックチェーン相対取引(一対一)なので、
  トランザクション(仮想通貨の取引)を禁止すると取引が停止してしまう、
  トランザクションを民間に委ねたのが仮想通貨の新しいところ」

 …この方は用語を並べてるので意味が分かりにくいが
 要するに国家の担保で発行していた今までの通貨と違い
 ブロックチェーンでは技術や参加者全員の同意が担保し、
 国が関与しないのが新しい、
 という意味らしい

 この中にいたチャールズ・ホスキンソンさん
 (香港を拠点としたブロック チェーン研究所のCEO、
 3つの仮想通貨立ち上げに関与する数学者)

 彼は講演でこう語る
 「ビットコインは次のことを教えてくれた。
  お金とは、必ずしも政府や一流銀行から与えられるものではない。
  気に入らないなら、自分で作ればいい」

 インタビューで彼は、今の状況では
 30億もの人がクレカや保険に入れず事業融資も受けられない、と話し
 「新しいシステム(仮想通貨)では、
  誰もが同じ市場にアクセスできる」という。

 また、彼はテクノロジーは売買のあり方も変えた、とも語る。
 「2000年以降、インターネットの成長は新しい企業を生んだ」

 「彼らは仲介人だ、
  想像もしなかったような大きいスケールで物を売ることを可能にしてくれた」

 「しかし大きな問題は、彼らがあまりに強大になり、
  中央集権的になったことだ」
 「社会の進化からすれば、仲介人は必要ない」
 そして仲介人を代替するのがブロックチェーン技術だ、という。

 「中央集権型のシステムから分散型システムに移行して世界に広がる、
  こうして世界がひとつになる」

 「僕らのテクノロジーは世界市場を作る方向に向かっている。
  今は実力主義社会だ。
  出身や言語、生まれが裕福かは関係ない。
  自分がどれだけ一生懸命働き、どれだけ他人と繋がり、どれだけ価値を産み出しているか、だ。
  究極の自由市場になる」

 「脱中央化は、真の競争の始まりか…」(ナレーション)

 個人的には、インターネットが登場した時に
 いろんな人が「民主的で平等な社会が実現できる」と夢を語っていた、
 そういう状況を思い出しました

第8章「繰り返される夢」
 ナレーションによれば
 「中央を越えてつながろうとしたのは、いつか見た夢」なのだそうです

 グレン・ワイルさん
 (大学IT企業の研究者、経済学者、法学者
 ラディカルな考え方を提唱しているらしい)

 経済学者の安田洋祐さんがインタビューしています
 ワイルさんは「オークション理論」について説明する。
 「多くの人は、自由市場社会に生きていると思っているが
  多くの場合、ほとんどのものは競争的な対価では利用できていない」

 安田さん「例えば?」

 「東京で君が起業するためにビルを利用するとしよう。
  普通高すぎて買えない。
  そこでオーナーと交渉するが、
  オーナーは君の事業の価値を知って高く吹っ掛けてくるかもしれない、
  そうすると借りられず、君のアイデアが実現しないかもしれない」

 「そこでオークション理論だ」

 「このシステムでは、みなが自分の土地の価格を自分で測り、
  その価値に応じて税金を支払う。
  例えば100万ドルの価値を付けた土地に
  7%、7万ドルの税金を支払うとしよう。
  そしてもし誰かが100万ドルでそれを買いたいという人がいたら、
  必ずその価格で土地を売るという仕組みだ」

 「税金と言っても、資産から一部が持っていかれるだけの話だ。
  このシステムの特徴は
  土地の価値が滞ることなく、
  税金を通じて利益を人々にわけあうところだ」

 「管理は国家、決定は市場」という字幕。

 (…うーん、いまいち分かりにくい。。
 土地が欲しい人はオークション方式で値段をつける。
 するといい立地は欲しい人が多いから価格が上がるが
 それを買えるだけのお金がある人は、
 そのぶん税金を払うことになるから全体に還元される、
 ということかな?

 でもこの場合土地の所有者はオーナーだから、
 価格が上がればオーナーの得になり、やはり地上げ屋は出そうだが。
 所有者も国にしてしまえばその問題は無さそうだが
 そうなると社会主義になる…)

 「このシステムは今のシステムより圧倒的な自由市場だが、
  同時に究極の社会主義でもある。
  矛盾しているように聞こえるでしょう?
  我々は資本主義VS社会主義と考えているからね」

 「でも本来、政治経済学ではそんな風に考えていなかった。
  19世紀後半の政治経済学では「共同所有」の考え方がないと、
  競争は実現できないと信じられてきた。
  この考え方の中心がヘンリー・ジョージだ」

 ヘンリー・ジョージは、全ての税を廃止して「地価税への一本化」を考えたそうです
 (19世紀アメリカの作家、政治家、政治経済学者。「進歩と貧困」などを執筆。
  彼は政治家のとき、当時の貧富の差を目にし、
  貧富の差の原因は、
  労働者が重税に苦しむ一方で
  地主や資本家層が天然資源を私的所有し、そこから利益を得ているからだ、
  と考えたそうです

  そこから「自然とりわけ土地は人類の共有財産」であり、
  ほかの税金を廃止して、地価税だけにすればいいと提案したということらしい)
  
 「彼はカール・マルクスアダム・スミスよりも沢山のベストセラーを書いた。
  でも冷戦の時代では共産主義vs資本主義とされたから、
  誰も彼のアイデアを話さなくなった」

 安田さん「彼の提案の根拠は?」

 「彼は「土地は神か自然が作ったもの、人間が作ったものではない、
  だから決して誰かに属するものではない」と言った」

 そして彼は
 「私的所有という仕組みが中央集権に繋がる」
 「真の意味で分散型市場システムが必要」
 という。

 富に繋がる少数の人たちが権力をコントロールする点で、
 共産主義もリーマン型資本主義も同じだ、と。

 「「私的所有」は極めて個人主義的で、それは我々の社会的性質に反する。
  自由主義新自由主義はあまりにも個人的すぎる」

第9章「貨幣愛のジレンマ」
 「自由を加速させてきたテクノロジー
  人間のスピードを越えるのか」というナレーションのあと

 前半にも出てこられたフランスの経済学者ジャン・ティロールさん
 彼は仮想通貨について、否定的な見方をする。
 「仮想通貨で問題になるのは、
  1つめは成功するかしないか、
  2つ目は社会にとっていいものかどうか」

 1つ目の問いに対しては
 「恐らく私は成功しないと思う」
  仮想通貨は純粋な資産価格のバブルで、
  誰もが価値を信じなくなれば価値はゼロだと。

 もう1つの問いも
 「私は役に立たないと思う」と。
  経済が不安定な国でない限り、先進国では無駄だ、と。

 一方、ハイエク研究者のジョージ・セルゲンさんは別の話。
 ハイエクは自由競争は奨励していたが、
 中央のない分散型システムにせよと言っていたわけではなく
 中央の存在は否定しなかった、という

 「ハイエクは、連邦準備制度イングランド銀行を無くせ、
  と言ったわけではない。
  彼は
  「民間にも中央銀行と同じように通貨発行権を与え、
   競争させた方がいい」と言った」

 貨幣の発行にも競争原理を持ち込めば、
 中央銀行は権力を乱用しようとしないだろう、と。

 ハイエクは「隷従への道」で
 「権力は腐敗する」と書いている

 ロンドンにて
 フェリックス・マーティンさん
 (イギリスのファンドマネージャー
  貨幣の本質を歴史的に分析する方
  「21世紀の貨幣論」の著者)

 彼は新しいシステムである仮想通貨は、
 実は昔への回帰だという見方をする
 「一体なぜ仮想通貨はこんなにポピュラーなのか?
  これは「ロックの貨幣論」への皮肉な回帰だと思う」

 ジョン・ロックは、社会契約説により近代的民主主義の基礎を作った人

 「ロックは貨幣の歴史においては非常に重要だ。
  我々には彼の貨幣論が知らぬ間に染み付いている」

 「ロックは「貨幣のシステムは、厳密でシンプルなルールに従うべき」と言った
  例えば金本位制度は、10ポンド通貨は金の量に依存すべし、とした」
 (ちなみに「世界史を変えた詐欺師たち」という本によれば
  ロックは今の経済学者とは違い、
  コインの価値は、市場の需要供給の関係で決まるのではなく、
  純粋にそのコインが含有する金や銀の量に依存する、と考えていたそうです)

 「実は仮想通貨も同じだ、
  ビットコインのようなポピュラーな仮想通貨は
  発行できるコインの数に厳格な条件が定められている。
  (ビットコインなら2100BTC)
  これはある意味金本位体制より厳しい。
  これでは経済成長や不平等の拡大には対応できない、
  一国の通貨にはなり得ないと私が思う理由の1つだ」

 また、彼はお金をモノと思うのは幻想だ、という。
 「大方の人々はお金はモノ、所有するもの、財産と考える。
  でもお金はモノではない、「債務関係」だ」

 「例えば財布の中の10万ドル札は、
  我々に取っては「資産」だが
  (銀行などの)信用を担保する側からすれば「負債」となる」

 貯金は銀行への貸し、モノではなく債権。
 紙幣の起源からしたらたしかにそうですね…
 (日本の紙幣も、日銀からの借用書なんですね)

 「お金はモノだ、という取り違えは、
  人々のお金の扱い方や政策立案者の考え方に影響する。
  貨幣の発明以来、人類はこの混乱を生きてきた」

 (ナレーション)
 「そもそもはモノとモノとの交換から生まれた貨幣だが
  それが幻想なのだとしたら…
  貨幣は、単に貸し借りの関係を表すものだとすれば
  モノとしての価値は消える」

第10章「巨人の後悔」
 (ナレーション)
 「市場の自由を頼りにあり続けた資本主義
  計画を求める声は劣勢だったが
  リーマンショックで形勢は逆転する…」
 リーマンショックの混乱から立ち直るため、各国が市場に介入した
 このとき繰り返された「ケインズvsハイエク」の論争…

 安田さんとティロールさんの対談。
 安田さん
 「特にリーマンショックのあと、多くの人が経済の行方に懸念を示しました、
  資本主義の未来についてどう思いますか」

 ティロールさんはケインズ的な国家の介入を支持する。
 「市場の失敗や混乱を収めるための強力な国家が必要です」

 「レッセ・フェール(なすがままに、自由放任)的な規制緩和の兆候もありますが
  それが金融業界にとってよくないのは明白なのに
  誰も失敗から学ぼうとしない。
  規制を撤廃して金融危機にさらされている国もあります」と。

 一方冒頭に出てきた投資家、ジェフリー・ヴェルニックさんへのインタビュー
  (学生時代はハイエクフリードマンに師事
  仮想通貨やブロックチェーンに精通するアメリカの投資家)
 彼は政府の介入に批判的。
 「今の金融緩和は「歪められたルール」の結果で、
  レッセ・フェールの結果ではない。
  むしろ政府の介入があると何が起こるかを示す最悪の例だ。
  政府の保証が無ければあんな契約をするはずがない」

 彼によると、
 リーマン危機の数年前、
 フレディ・マック
 (米連邦住宅貸付抵当公社、住宅ローン買取や証券化をする
 アメリカ政府支援企業の一つ)
 が破産したら社債を売るべきか、
 と友人が聞いてきたそうです
 しかし彼は政府が救済するだろうから売るなとアドバイスした、と。

 「政府に救済されることへの期待が、
  市場の機能を弱めていた」
 …日本のバブル時を彷彿とさせる話。

 彼の話は今回の主役、ハイエクとその弟子フリードマンに及ぶ
 「当時バーナンキが面白いことを言っていた、
 「フリードマンなら私のしたこと(政府の介入)を擁護しただろう」と。
  でも彼はハイエクとは言わなかった、
  ハイエクなら反対しただろう」

 フリードマンハイエクの一番弟子で、ハイエクの理解者とされていたが、
 師匠とは違い「市場のマネーは中央がコントロールすべし」と言っていたらしい

 (「ハイエクの一番弟子の過ちか?」という字幕)

 「フリードマンは政府との繋がりが強かった」そうで、
 フリードマンは「小さな政府」と称しつつも
 実際は中央集権的な政策を取っていたそうです
 バラマキ、累進課税など…

 ハイエクは晩年、フリードマンについて
 「彼の経済理論を批判しなかったことを今でも後悔している」とのべているらしい

第11章「市場を科学した果てに」
 「発展してきた資本主義を、テクノロジーが加速させる」というナレーション。

 再度ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルさん登場。
 彼は、人がなぜ機械を擬人化したがるのか、をこう分析する。
 「「機械」を意味するドイツ語は「マシーナ」
  これはギリシャ語の「メヒャネー」が語源で、
  これは「トリック(策略)」も意味する」

 「世界には機械やロボット、つまり人が作った兵器や道具があり、
  人々はそれに対し恐れや愛着を感じる
  それはロボットが人間の感覚を具現化しているからだ。
  我々人間のロボット信仰の根源はここにある」

 その上で、それでも機械は人間に依存するただの物体に過ぎない、と言う。
 「しかし実際は、機械そのものは知能や命を持たない。
  一定の時間が経てば止まる電気回路に過ぎない」

 「スマホもパソコンも、人間が使わなければ一年もしないうちに使えなくなる、
  つまり機械は全て人間に依存し、人間なしには存在し得ない」

 歴史学者のハラリさん
 彼は、人が機械に支配される未来を危惧する
 「世界はこれからの数十年で劇的に変わるだろう、これは避けられない。
  しかしどのような社会に変わるかは我々次第だ」

 「技術はあくまでも人間のためのもの、
  技術の奴隷になってはいけない」

 「スマホもそうだ、スマホを使っているのか使われているのか。
  暮らしを支配されていないか」

 「遺伝子組み換え技術や自律型兵器システムなど、
  政府は危険な開発を規制すべきで、個人のレベルでもそうだ。
  技術との付き合いかたに気を付けるべきだ」

 ガブリエルさん
 彼は、人間の体験をすべてを機械化、効率化すれば、
 人間の体験から「本質」が抜け落ちてしまう、と警告する。
 「機械が作られる目的は、
  経済の効率化や製造プロセスの合理化ですが、
  そのとき、お金として買えない価値や意味は見過ごされる」

 「それは言わば実体験、
  例えば美術作品を見たり、ワイン片手に家族や友人と楽しんだり…」

 「そう言った体験をするとき、我々は現実の世界にいる。
  ポストトゥルースではない、現実の世界です」

 「こうした体験に価格をつけることは出来ない。
  なぜなら、現実の体験の本質は「自由」や「偶然性」にこそあるからです」

 「経済は、予測や合理性が追求され、数字がものをいう。
  企業の存続や成長が保証されなければならない世界です。
  こうした世界は、価格のモデルに基づくシステムに従わない限り機能しない」

 「しかし地球上が全てこうしたシステムに覆われてしまったら、
  自らの手で「自由」「偶然性」を全て破壊することになるのです」

第12章「合理的思考のパラドックス
 ハイエクは自由市場主義者だが、
 市場が全て決める、という合理主義者ではなく、
 人間の非合理性を認めていたそうです

 ハイエク
 「社会や人間の行為は、およそ物理学の用語で定義することなどできない」
  (「科学主義と社会の研究」)

 ハイエクは「新自由主義の教祖」と呼ばれるそうですが、

 ハイエク研究者のセルギンさんは
 「その言葉は好きではない、
  ハイエク新自由主義ではない」
 という
 「それは、リベラリズムを嫌う人たちが使う蔑称です。誤解を与える」

 セルギンさんは
 「面白いですよね」と皮肉を込めて言う、
 自由主義者
 「金銭的、物質的な生産高やGDPしか気にしない」とよく批判されるが
 ハイエクは違う、と。

 「ハイエクは、自由を含めた他の要素が大事だと言っている。
  人間の自由の方が、社会の生産性よりも大事だと」
 ハイエクは超合理主義を批判していた、とも話す。

 ハイエク
 「人間の理性とは、合理主義が想定するように、特定の個人に宿るものではない。
  理性とは、人と人とのかかわりあいから生まれた。
  他人の能力や行動を裁く資格など、誰にもない」
 (「真の個人主義と偽りの個人主義」)

 セルギンさん
 「ハイエクの要点は、
  自由な社会には価値がある
  ー人々が自由に職業を選び、自らの能力を生かせる場があり
   お互いや社会について自由に意見できるー

  これらはGDPなどの数字で測ることはできないが、
  人間の幸福にとってとてつもなく重要なことだ
  社会の進化を考えるとき、
  一人あたりの生産性などという物差しを用いるべきではない」と言う。

 チェコの経済学者、セドラチェクさん
 彼もハイエクの思想を評価する。
 「ハイエクは、資本主義の古典的な価値に立ち返っていた人だ」

 「今の経済は資本主義ではなく、「成長資本主義」だ」
  我々は、成長に囚われて資本主義の本当の価値を捨てようとしている。
  人間的価値より経済成長を優先するなら、
  それは本当の資本主義ではない」

 「経済成長をするのは素晴らしいが、
  成長への偏愛は止めよう。
  このような経済学の根本的な哲学に
  ハイエクが貢献したのは間違いない」

 セドラチェクさんは
 「ハイエクの思想は、
  偏った考えの人たちにハイジャックされたのだ。
  偉大な思想にはしばしば起こることだが」
 と表現する

 (…ハイエクの言う「市場の自由」がはき違えられ
  なんでも売れればいいとなり、
  売れること、経済が成長すること自体に価値が見いだされ
  そもそも目指していたはずの個人の自由は忘れられてしまった、ということなのか…)

最終章「経済学の父が見ていた人間」
 セドラチェクさんは大御所の名前を口にする。
 「全ての経済学者は、アダム・スミスに立ち返る。
  経済学の父だ」

 アダム・スミスは経済学の祖、
 人々が自らの利益を追求すれば、社会にも富が生まれる市場の仕組みを
 「神の見えざる手」
 という表現で説明した方

 アダム・スミスは、
 ハイエクによりこう書かれているそうです
 「アダム・スミスは「合理的経済人」という化け物を産み出した、
  と思われているが、それは事実誤認である」
 (「真の個人主義と偽りの個人主義」)

 セドラチェクさん
 「アダム・スミスは市場は完全でないことを認めていた。
  非合理的な人間を統合させることの限界を分かっていた」
 アダム・スミスは有名な「国富論」のほか、倫理学書「道徳感情論」も書いている

 ハイエク
 「スミスによれば、人間とは元来怠惰で、無精で、軽率な浪費家である。
  時に善人になり、時に悪人になる。
  時に聡明だが、それ以上に愚かな存在だ」
 (「真の個人主義と偽りの個人主義」)

 (ナレーション)
 「経済の巨人たちが求めていたのは
  全ての人があるがままに生きられる社会。
  それが、「市場」と言う言葉に込められた意味…」

 セドラチェクさん
 「ハイエク
  「見えざる手」にまつわる素晴らしい文章を書いた。
  ギリシャに遡り、思想家のトマス・アクィナスの文を引いている。
  「全ての「悪」を消そうとすれば、多くの「善」が消えてしまう」とね」

 (…すべての人を善人にするために、
  社会主義的に管理していくと、 
  個人の自由や幸せがなくなっていく、ということなのだろうか…)

 「アダム・スミスもこれに同意するだろう、
  これが自由な社会の本当の価値だ。
  物を買える「自由」
  相手をののしる「自由」ではなく、
  もっと深い「自由」だ。
  個人が国家の考えに支配されない、そんな自由です」

 私たちは、市場や自由、競争を都合よく解釈して来たのか?

 ガブリエルさん
 「人間は「イメージ」の中に存在しています。
  本来の「自由」とは、自らの「イメージ」を作り出せる可能性のことです。
  自由を享受し、未来に引き継ぐ方法を見つけなければいけない」

 ハラリさん
 「資本主義は、社会を正しく進ませる、自然で永続的な方法だ、と言われますが、
  でもそれは間違っている。
  資本主義は、過去何百年間に作られた1つの制度に過ぎない。
  行きすぎた「自由市場」という概念に惑わされてはいけない」

 (ナレーション)
 「市場主義に、
  合理性と競争を夢見るのは自由だが、
  人は愚かで弱い。

  しかし、そのような愚かで弱い人間が
  そのままで生きられるのがそもそも市場では無かったか?

  行き先を決めるのは、
  この欲望の星を生きる我々だ」

 ハイエク
 「文明が発展できたのは、
  人間が市場の力に従ってきたからだ」
 (「隷従への道」)
 という字幕で終わっていました

〇感想など
 後半は意見が雑多で
 あと初耳な話も多かったので混乱しました…
 むしろここまで編集したスタッフさんがすごいわ(笑)

 第7章は仮想通貨(分散型システム)の話、
 第8章、第9章は仮想通貨、分散型システムは昔の回帰かも?という話、
 (プラス、ハイエクは中央を否定してないという見方)
 第10章、リーマンショック時の政府の介入はどうだったのという話、
 第11章、人がテクノロジーに支配される危うさ、
 第12章、ハイエクの自由思想の本質、
 最終章はアダム・スミスと絡めつつ、本当の自由とは、という話になる
という感じですが、

・7章で数学者のホスキンソンさんが
 新しいシステムは
 「誰にでもアクセスできる」
 「仲介者がいないから、みんな自分の力でできる」
 とおっしゃっていたのが、どうも胡散臭いと思ってしまいました(笑)

 耳聞こえはいいけれど
 逆に仲介者がいないからこそ、自己管理、自己責任が伴い
 一人一人が仕組みを理解しないといけなくなるので
 逆に厳しい世界だな、と…

 ティロールさんが「経済がしっかりしている国なら不要」
 というが、まさにその通りかと。
 別に国がちゃんと保障してくれるなら競争したくない、って人もいるだろうし…

・8章、9章の意見は面白かったです。
 しかしながらオークション理論はいまいち理解しにくい。
 ヘンリー・ジョージさんの考え方は
 「土地や自然はみんなのもの」という考え方がみんなの中で合意されることが前提で、
 分散型というより、むしろ土地を所有管理する強い中央権力がいないと
 難しいのではと思いました。

 それとも協同組合的なものを作って、
 みんなで管理するイメージなのかな?
 そこにブロックチェーンシステムを使うと面白いかもしれない。

 個人的には、ブロックチェーンシステムって、
 お金みたいに個人の欲が絡むものではなく
 土地の貸し借りとか保険や共同組合みたいに、
 限られた参加者内で、互いの信用が担保になっているシステムになら
 厳密に管理できて良いのではと思います。

 それからマーティンさんが
 「お金はモノではない」「借り物」と言っていたのが興味深かった。
 私もお金はエネルギーの流れのシンボル、
 みんなで使う水の流れのようなもの、
 流してみんなで使っていくものなのかな、と思っていて、

 だから自分のところにあるからって別に自分が偉いわけでもなく
 たまたま自分のところに来ただけのもの。
 使って流す方が生きるものになる。
 必要以上に溜め込むと滞ってしまい、
 自分のためにもみんなのためにも良くない気がする。

・10章のリーマンショック時の介入への批判は
 日本のバブル時代の状況を思い起こさせました

 あのときも、企業の不良債権が焦げ付いていて
 それでも政府が助けてくれる、と思って対応が遅れていたような。
 
 経済学者のティロールさんは
 ・規制緩和すべきでない
 ・非常時は政府が介入すべし 
 という話をしておられたが
 
 素人目から歴史を見ると、前半は賛成だが後半は反対した方がよさそうに思える。
 好景気時は政府がある程度介入して、
 規制を作って増税して
 勝ちすぎの企業は抑えて、社会保障を充実させ、
 (195060年代はそういう理想的な時代だった、と聞いたことがある)

 逆に不景気のときは政府はあんまり介入せずに、
 悪い企業はつぶれてもらう方がいいのかな、と…
 (首になる社員を考えるとそんな風には言えないけど、
  新しい出発と思う前向きさも必要なのかな、と…)

・しかしながら一番考えさせられたのは
 最後の2章で話題になっていた
 「市場の、人間の自由とは一体なんなのか」ということでした

 市場における自由とは何か?を考えてみたのですが
 例えば、好きなときに、好きな値段で、好きなものを売買できる自由。
 それにより、
 欲しいものを(自分の考える価値より)安く買える人と、
 逆に同じものでも、’(自分の考える価値より)高く売って利益を得る人、
 がいてウィンウィンになる状況。

 労働市場ならば
 自分の好きなことをして、
 それに価値をつけてもらってお金を稼ぐ自由、
 雇う側なら、より腕のいい人を雇う自由、…など

 しかしそれが人間にとって自由じゃなくなるのはなぜか?
 それは「いつもうまくやらないといけない」
 というプレッシャーのせいなのかなあ…
 ミスは許されず、いつもウィンウィンの取引をして利益を得ないといけない、みたいな…
 好きなことを仕事にすると辛くなる、あの感覚と同じなのか。

 ドイツのマルクス・ガブリエルさんは
 テクノロジー至上主義を批判していて
 テクノロジーですべての仕事や体験を効率化してしまうと、
 偶然性、自由などが抜け落ちてしまう、とおっしゃっていました
 (彼の科学至上主義批判がいまいち理解できていなかったが、
  今回ようやくすっきりしました。
  まあでも個人的には「科学vs人間」という対立構図に単純化されているような感じで
  そこが同意しかねるが)

 何事も科学や数字でキチキチ決められると
 ハプニングや気まぐれの要素が無くなる、
 何事ももうわかってること、すでに決まっていることになる。
 そうなると自分の未来へのイメージがなくなってしまう、と。

 市場も、需要と供給という計算に組み込まれると
 何か抜け落ちるものがあるのだろうか。
 昔マイケル・サンデルさんが
 「それをお金で買いますか?」という本で
 子供とか臓器、学校の成績などを売買していいのか、と議論していましたが
 そういう、友情とか愛とか倫理など、お金で価値を測れないものだろうか?
 それとも、(ガブリエルさん的な分析をすれば)
 ハプニングや失敗から生まれる新しい発明や希望?

 そこをすくい取るには
 市場で売買しちゃいけないものをみんなで話し合って決めるとか
 失敗する人、市場での競争から降りたい人などを救済するような仕組みが
 必要なのかもしれないな、と思いました。

・最近たまたま「世界史を変えた詐欺師たち」(東谷暁
 という本を読んでいたんですが
 (歴史上、経済に影響を与えた人物をいろいろ書いている本)

 この中にケインズについて書かれた章があり、
 ハイエクとの比較上面白かったのでちょっと書いておきます
 筆者が経済学そのものが詐欺くさいと考えている方みたいなので、
 そこは差し引かねばならないが…

 ケインズは不況時、財政出動や政府介入もやむなし、
 という理論を展開していたが、
 それは彼が、人間には理性だけではなく感情で判断を誤るような不確信性があり、
 その不確信性が経済を左右している、と見抜いていたかららしい 

 だから不安にとらわれてオタオタしている人たちへの「とりあえずの現実策」として、
 個人の確信性を取り戻すべし、
 そのために政府が人肌脱ぎなさいよ、という意味の政策だった
 
 こういう結論に達したのは、彼の、
 人間は理性通りにいかないよね、みたいなニヒリズム
 現実へのバランス感覚などが影響していたようです

 というのは彼は、若いころ奔放な享楽的な生活をされていたり
 性的指向バイセクシャルだったり
 経済学も8週間学んだだけで「もういい」と言っていたとかで
 道徳的にも学問的にもけっこう、なんでもあり、な人だった
 
 このため、彼の経済理論もその時代に合わせて変わり
 「一貫性が無い」という批評も受けていたようです
 (例えば保護貿易の関税を支持したかと思えば
  関税より国際為替問題が優先課題だと言ってみたり…)

 よく言えば、臨機応変で現実的な人だったといえる。
 さらに彼にはカリスマ性があり、人を説得する能力もあった
 (このため、のちに詐欺師という人もいたらしい)
 
 そんなわけで、
 「一般性理論」は不況時、
 この不況を読み解くための方法を
 世の中の人に分かりやすく伝えるためのものに過ぎない。
 別に自分の理論の集大成というわけでもなく
 ハイエクからは「時事論説」とされていたようです

 (ちなみにハイエクケインズより若いが親しい友人で、
  常に親愛の情をもってケインズを評し、別に敵対はしていなかったらしい)
 
 ケインズも、財政出動はずっとやればいいと思っていたわけでもなく
 「政府による財政出動が、のべつまくなしに支配的であるとすれば
  それは社会主義以降のイベントというべきだろう」
 とハイエクと同じようなことも言っていたそうです
 (このため、筆者の東谷さんも、前回のセドラチェクさんと同じく
  リーマン後、混乱が脱したのにまだいくらでも財政出動すべしという人たちを
  「似非ケインズ派」と呼んで批判している)

 ハイエクが、「財政出動社会主義への道」と批判した「隷従への道」についても
 ケインズは、前半スキデルスキーさんがおっしゃっていたように
 「道徳的にもすべて同意する」と称賛していたそうです

 しかしそのあと、
 「問題は、どこに線を引くかを知ることでしょう。
  どこかに線を引く必要があることは、あなたも認めている。
  そして、それを論理的に突き止めることは不可能です。
  しかし、あなたは、どこに線を引くかについては、
  何ら方向性を与えてくれないのです」
 という批判を書いているそうです

 つまりケインズはどこまでも現実主義者だった
 しかしハイエクは理想的すぎたのかもしれないですね…
 それが後世にもケインズが受け入れられ
 リーマンショックの時にもケインズ経済学が復活した一方
 ハイエクはそんなにメジャーではない理由なのかもしれない、と思います

・ちなみに、この本は仮想通貨についても1章割いていて
 仮想通貨は詐欺の疑いがある、という議論を紹介している
 「ボンジ・スキーム」…価値が無いものを、いずれ価値が上がると見せかけて売る
 「ピラミッド・スキーム」…いわゆる「ねずみ講」、誰かに売らないと自分が儲からない仕組み
 のどちらかである可能性がある、という議論もある

 その証拠に、仮想通貨には採掘上限があり
 仮想通貨が広まったときにはすでに、
 その上限までの大部分が
 最初のビットコインを採掘した人たちに所有されている疑いがある、と。
 (2017年8月時点で、上位1%のビットコイン所有者が全体の90%
  上位3%が全体の97%所有している、というデータもあるらしい)

 それから、現実のお金と結びつけるときのシステムが脆弱だ、という問題もある
 (パスワードの管理など。NEMなどの流出事件はそれにあたる)

 今のところ投機目的のバブルに過ぎないのでは、とこの本では分析されていました

 私も個人的には
 お金としての仮想通貨には
 ただの投機目的の人しかいないし
 あまり未来があるようには思えないが、
 ブロックチェーン技術自体は面白いと思っています。
 先にも書いたように、保険とか土地の貸し借りとかお金の支払いとか
 信用が前提にある関係の範囲内での契約履行、という利用法なら
 まだ未来があるのかもしれない。

前半、後半を通してですけど
今年はGAFAの独占問題をどうするか
あと競争に敗れた人たちをどう救済するか、
つまり格差問題をどう解決していくかがキーになるのかなと思いました。

それから人工知能や機械をどう人間の感覚に寄せていくか
あるいは人間の感覚(特に若い世代)が人工知能ちっくになっていくのか、
というのも今後注目するところかなと感じました。

新年早々かなり勉強になりました。

というわけで今回はこの辺で。

 

NHKBS「欲望の資本主義 2019~偽りの個人主義を越えて~(前半)」

NHKBS「欲望の資本主義 2019~偽りの個人主義を越えて~(前半)」

今年もありました「欲望の資本主義」、
もはや私のなかでは年始の風物詩と化しております
(取材する方々は大変だと思いますが)
今回もメンバー充実で大興奮でした(笑)

今回は市場の力を強調した経済学者、
フリードリヒ・ハイエクが主役なようです。
私はあんまり知りませんでしたので勉強になりました。

では前半から内容見てみます
第1章「今、資本主義という怪物が暴れる」
 最初はロンドンから。
 2016年、国民投票ブレグジット(イギリスのEU脱退)が決まった
 しかし2018年、再度の国民投票を求めるデモがおきる
 未だに世論は分断している

 デモの参加者たちは
 「ここ2~30年で人々は排他的になった」
 「本当は政府の経済政策の間違いなのに、移民政策を隠れ蓑にしている」

 次に出てきたのは、ロンドン大主催の
 「なぜ家が買えないのか?」
 というセミナー

 ここで講演していたライアン・コリンズさん
 (ロンドンの経済研究所ディレクター、不動産関係の研究者)
 「ロンドンやマンチェスターシドニーメルボルン
  オークランドバンクーバートロントなどの
  主要都市の土地の価格は平均年収の7倍になっている
  この被害をもっとも受けているのはミレニアム世代だ」と演説。

 彼はインタビューで
 「土地価格の急上昇の原因は金融市場の規制緩和にある」と話す。

 金融機関は土地を担保にお金を貸すので、
 不動産価格を上げれば利益が出るし
 土地所有者の資産価格も上がる

 それらが政治家や不動産会社への圧力となり
 不動産価格を押し上げる
 しかしそのせいで、若い世代が家を買えなくなっている、と。

 その状況はアメリカも同じで
 不動産バブルが原因のリーマンショックからまだ立ち直っていないそうです

 彼はその原因として
 「サッチャーレーガンの時代に「新自由主義」へのパラダイムが起きた。
  1980年代のことだ」と話す。

第2章「暴走の犯人は新自由主義?」
 1980年代、戦後の高度経済成長が頭打ちになり
 そのとき現れたのがアメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相

 彼らは規制緩和、金融の解放を行い
 全てを市場に委ねることで経済成長を加速させようとした

 ロバート・スキデルスキーさん
 (イギリスのケインズ研究者、議員でもある経済学者)
 「新自由主義によれば
  金融システムはコントロールする必要がない。
  なぜなら彼らは、市場はいつも正しいと信じているからだ」

 しかし新自由主義は大きな代償を残す
 「1980年代以降の富や所得の格差の大幅な増大が
  今のポピュリズムの台頭や
  多くの人々の「システムに取り残された」
  という感覚につながった」

 「人々の怒りの余波が、今のブレグジット(イギリスのEU離脱)であり
  経済ナショナリズムだ。
  トランプも同じで、彼はラストベルトエコノミーが産み出した大統領だ」

 そしてスキデルスキーさんはこう言う。
 「全てはハイエクの影響だ。
  彼はこう言った
  「市場が崩壊するならそうさせればよい、
   市場に任せればいずれ健康が回復する」とね。
  しかしこの考え方は、政府にとっては悪影響をもたらした」

 「もちろん当時の全ての政府が彼の考え方を取り入れたわけではない、
  しかし市場に介入する「大きな政府」を罰するには便利だったのでしょう」

 特にサッチャーさんはハイエクから影響を受けていたそうで
 「常に「隷従への道」(serfdom)を持ち歩き、
  決断に迷うときはいつもハイエクを参考にしていた」

 一方、ワシントンのCATO経済研究所、ジョージ・セルゲンさん
 (金融経済学、歴史学者ハイエク思想研究者)

 「世界経済の問題のなかで、
  私が最も懸念しているのは自由貿易だ。
  今の世界は自由貿易を脅かす状況にある。
  それはトランプの過激なロジックのせいだが、
  それは他の国々にも悪影響を与えている」

 「その背景にあるのは、
  幸福や安定に大きな脅威となるナショナリズムだ。
  それは最終的には国境封鎖にいたり、
  文化間の交流、人々や物の自由な行き来を敵視することにつながる」

 「こうした自由主義への抵抗は大きな妨害となる、
  もっと深刻なのは、世界平和の土台を蝕むことだ」

 と、懸念することはスキデルスキーさんと同じ。

 ホワイトハウスの前でデモをする人たちは
 「今のアメリカは1億4千万人が貧困に喘いでいる、
  それは今の経済システムが、
  人々を救うためではなく
  搾取する強欲のために存在しているからだと思う」
 と格差の拡大が原因だ、と言う。

 しかしハイエク擁護派のセルゲンさんは、
 格差の拡大は致し方ないというようなことを言う。

 「ピケティ
  (「21世紀の資本」で、
   g(経済成長率)<r(資本収益率)、
  つまり富める人はますます富む、と書いた)
  の本や結論は全く評価していない。
  彼の理論は誤っていることが体系的に証明されている」
 ピケティは統計を根拠に理論を展開するが、
 統計はいつも正しいとは限らず、やり方によっては人を惑わす、と。

 彼はこう言う。
 「私たちが嫌う「貧困」と「不平等」は同じではない。
  みなが平等でも貧困な社会はあるし、
  不平等が存在しても、世界史のスケールから見れば
  最貧困層でも豊かな暮らしをしていることがある」

 「不平等を無くしたいのなら
  貧しい人を豊かにすべきで
  豊かな人を貧しくする必要はない、
  我々は貧困を減らしたいのだから」
 彼の考え方は、いわゆるトリクルダウン理論に近い。

 「これは古典的な自由主義の考え方と一致することになるが、
  私は例え不平等が増えたとしても
  最貧困層が豊かで、上の階級に行ける可能性があるのなら
  そのような社会を選ぶ」

 「大きな不平等が存在し、深刻な機能不全に陥っているからといって
  法律を変えて富を再分配しようという結論は短絡的、表面的だ。
  自由な経済活動の増大や、巨大化した企業が危険とは限らない」

 日本での相対貧困も、
 世界の貧しい国から比べれば、
 衣食住には困ってないんだから問題ない…
 ということか。

第3章「GAFAという陰の演出家」
 GAFAとはGoogleAppleFacebookAmazonのこと。
 最近彼らの独占が問題になっています。
 ニューヨーク州立大学
 スコット・ギャロウェイさん
 (デジタルマーケット分析企業CEO、
 「ThefourGAFA」でGAFAを批判)

 彼は4企業を独自に分析する動画を配信し、
 自社のビジネスサーチ部門をブランド化しようとしている

 ギャロウェイさんの分析によれば
 「Googleは神」
 「Facebookは愛」
 「Amazonは消費」
 「Appleはセックス」
 なんだそうです

 Googleという神に対して、人々は検索という祈りをささげ
 どんなメンターや司祭よりも検索結果を尊重する

 Facebookは子供の成長にとって栄養と同じくらい必要な、
 社会的な繋がりを提供する

 アマゾンは「安くいいものを買える」という消費モデルを提供した

 アップルが一番意味不明だったが
 「異性を引き付けるために、自分をよく見せる」
 という意味でセックスなんだそう

 「これらの神、愛、消費、セックスは人々の本能に踏み込んでいる」

 「これら4つの企業の時価総額の総計は、ドイツのGDPを越えている」

 「これは今の経済の病を現す。
  アメリカでももはや人間性は賛美されない、
  その代わり、英雄として賛美されるのは
  テクノロジーの億万長者だ」

 彼はこの解決策は
 「これら巨大な企業を分割すること」という
 「規制でも懲罰でもなく、独占禁止のための分割だ」

 一方、ジャン・ティロールさん
 (フランスの経済学者、市場の力と規制を分析しノーベル賞を受賞
 イケメン経済学者の安田洋祐さんと対談しています)

 ティロールさんは、「分割は解決策にはならない」という。

 それは企業のグローバル化のためで
 「昔は各国は、電気、通信、鉄道など公共事業の会社に規制を加えられたが
  それは国内の法律だった」

 安田さん「企業の影響範囲と国境が一致していたのですね」

 ティロールさん
 「その通り、しかし今のグローバル企業の影響範囲をコントロールすることは不可能だ」

 彼の解決策は
 「最低限必要なのは市場ではない、競争だ。
  競争は緊張感をもたらす。革新を迫り、低価格のサービス競争を促す。
  独占状態では革新は起きない、
  新商品と旧商品の共食いになるからだ」
 と、独占を無くすことを提案する。

 安田さん「大企業による、スタートアップ企業の買収についてはどう思いますか?」

 ティロールさん
 「それはしばしば起きている。
  「entry for buyout」買収のための上場、ですね。
  それでは競争も起きず、消費者にとって自由も生まれない」

 しかしそれは現実に起きている
 「大企業がライバルになりそうな企業を買収してしまう。
  Facebookがワッツアップやインスタグラムを買収したように。
  今の自由経済において、規制が最も重要な課題です」
 もはや規制以外に、GAFAは止められないのか…

第4章「怪物の深層にあるものは?」
 ベルリンの「経済サミット2018」
 ここに出席していたのは、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルさん
 (「世界は存在しない」という哲学を展開している方)
 「我々は機械が必要なのか」というテーマの討論?に出席し、
 他の出席者が
 「(機械化は)非常に大きな問題だ、
  職場では必要とされていないと感じる人たちは、
  みな停滞と無力感を感じるようになっている」
 と機械化を懸念する意見を述べると

 彼はそれに対して、
 「私は違う考え方です」という
 「我々の労働量は、これまでになく多い」と。

 しかしこれは彼の皮肉めいたロジックで
 「我々は常にデータを発信している
  例えばSNSのやりとりや、この会議などね。
  そこで私たちは、意味を持たないものを意味あるものに変えている。
  実はGAFAは、我々に膨大な負債を負っている」

 つまりネットサービス利用、というタダ働きのことを言っている。

 ガブリエルさん
 「ソーシャルメディアはカジノのようなものです」という。

  我々利用者は、「いいね!」を投票し、
  常にファイルや画像をアップしている。
  そこでポイントを稼いだ人は大儲けできるが
  実は一番儲けているのは胴元であるプラットフォーム会社だ、
  その仕組みが正にカジノだ、と。

 ガブリエルさんは
 「GAFAは、最もダーティーなカジノだと断言できますよ」
 と刺激的な表現。

 「インターネットの世界に規制がかけられる前に、
  これらの企業はできるだけ資産を倍加させようとしている」

 「我々はGAFAから搾取され、GAFAのために働かされている。
  我々がニュースを見たり検索したりする行為は全て「労働」であり、
  データや付加価値を産み出す。
  その付加価値が、カリフォルニアの口座に
  何十億ドルものお金を振り込ませている」

 取材はイスラエルにも及ぶ。
 ユヴェル・ノア・ハラリさん
  (「サピエンス全史」「ホモ・デウス」などで有名な歴史学者)
 「今は監視資本主義、といえるでしょう。
  アマゾンが取引のすべてのデータを集め続けたら、
  その巨大なデータベースと顧客や経済への深い知見で
  市場のすべて、少なくともある分野では
  Amazonが独占することができる」

 例えば今トマトの売り場は色々あり、
 不味くて高いものは売れないのが自由市場の仕組み。
 しかし20年後にはアマゾンが市場を独占し、
 彼らが商品の質や値段を決めているかもしれない、と。

 彼はこうした独占を懸念する。
 「こうした監視資資本主義を止めなければ、
  結果的に中央集権的なシステムになる。
  それは20世紀的な自由主義市場ではなく、中国に近いシステムになる」

 ハラリさんはこの状況に声を挙げるべきだ、という。
 「今のまま市場の力に委ねたら、
  すべてのお金と権力が一握りのエリートに集中してしまう
  多くの人たちが経済的、政治的に無力でひどい状態になる場合もありうる。
  何らかの行動を起こす必要がある
  冷笑的になる必要はない」

 …ネットサービス利用者は、利用料はタダだと信じてサービスを利用し、検索している
 でもそれはタダではなく、
 我々はその代わりにデータ提供、
 という無償の無限の労働を行っている
 その無償の労働力を糧にGAFAたちは低コストで利益を出し、
 ライバルを追い払って市場を独占していく、というシステム…

第5章 「市場はすべて自由の為に?」
 チェコプラハ、SSOBチェコ中央銀行
 ここには毎年この番組に出ておられるチェコの経済学者、
 トマス・セドラチェクさんがおられました
 (今回は来日されてないのね)

 彼は今回のお題がハイエクだと聞いたのかな?
 「自由はとても複雑な問題だ。
  我々チェコ人は、不運にも自由の事をよく知っている、
  なぜならこの国は、最低の共産主義国になろうとしていたのだから」
 と相変わらず言い回しが独特。

 一昔前、冷戦時代
 自由をうたう西側の資本主義と
 平等をうたう東側の共産主義が争っていた

 資本論を書いたマルクス
 資本主義を批判し、計画経済を理論化した
 社会主義は、全て必要な物資は中央で統制することができる、と主張した

 セドラチェクさん
 「ハイエクが批判したような自由でないシステムが、
  自由なシステムより生産性が高い、という状態を想像しよう。
  余計な競争や過剰な広告より、計画経済の方が優れている、
  「一つの翁工場で、1種類の車を作る、これの何が悪い?」とね。
  実際、最初はこちらの方が優れている、と考えられていた。
  しかし資本主義が勝利した」

 ハイエクは「隷従への道」という本で
 社会主義を独裁の始まり、と批判し
 「リーダーの多くは、まず社会主義になり
  のちにはファシストナチスになった」と書く。

 しかし資本主義の勝利は
 人々が自由を求めた結果だったのか?とセドラチェクさんは言う。
 「1989年、鉄のカーテンが壊れ、共産主義が終わった時
  チェコと周りの国で起こったことは
  いまだに議論になっている
  「これは自由の問題だったのか、空腹の問題だったのか?」と」

 必要としていたのは、自由だったのか、ただの豊かさだったのか…

 マルクス主義と敵対していたはずのアメリカ、
 ニューヨークのニュースクール私立大では今、
 マルクス主義集会が開かれている

 マルクス主義者を支持する人たちは、資本主義による格差の拡大を批判する
 「気候変動、発展途上国の環境問題などは
  富める国と貧しい国の構造が核心のグローバル帝国主義にある」
 「富裕層の資産は25%増大した一方で、
  大多数の人たちは食事にもありつけない。
  世界の豊かな8人の人たちと、人口の半分の資産が同じだ。
  経済成長は給料の増加や豊かな社会保障にはつながっていない、
  マンションオーナーを増やしただけだ」

 さらに、資本主義よりも社会主義が自由をもたらす、という人もいる
 「今という時代は「自由の罠」に陥っている」

 「憲法でも社会の価値観としても、「自由」は歌われている。
  でも実際は朝早起きして、したくない仕事をして、
  なのに給料は安く生活は苦しいままで自由などない」

 「一部の人だけが社会の富を独占するのではなく、
  みんなが生活していけるくらいの富を手に入れる、
  そのためには社会主義的なアイデアが役に立つ。
  世界の人々が本当の自由を謳歌できる」
 
 彼らは社会主義者の歌っていた歌「The International」をうたっていました

第6章 「国家VS市場」
 ケインズハイエクは20世紀に生きた経済学者で、
 お互いをライバル視してきた

 ケインズは国家による市場介入を重視し
 ハイエクは国家の介入を嫌い、市場の働きを重視した

 その対立が鮮明になったのが第二次大戦前の大恐慌
 ケインズはこのとき
 「国家が介入し、失業を減らす」という処方箋を出した
 「雇用、利子、および貨幣の一般理論」という本は
  経済学の革命ともいわれた

 しかしハイエクはこの政策に対し、
 「国家が関与を強めるのは、社会主義がするような隷従への道」だと批判する

 ハイエク研究者のジョージ・セルゲンさん
 「明らかに言えるのは、ハイエクは第二次大戦中の西欧諸国のような、
  国家権力の増大を警戒していた。
  第二次大戦のとき、政府の権限が増大し、様々な規制が行われ、
  国家による戦争のための計画経済が行われた。
  軍の為に物の生産をコントロールされた」

 「同時にハイエク社会主義の台頭を目にしていた。
  東欧の国では社会主義がスタンダードで、知識人の中には賛同するものすらいた」
 ハイエクは独裁政治を懸念していた、と分析する。

 ケインズ研究者のスキデルスキーさんも
 「ハイエクの考え方は、中央計画に反対で、
  計画するのではなく市場に任せようとした。
  彼にとって、ケインズは中央計画と市場経済との中間をとっているように見えたのでしょう。
  政府の権限が大きくなると、「従う精神」に流されてしまう。
  その流れを止めようとしていたのだろう」
 と、中央の統制に警戒するハイエクの姿勢に理解を示す。

 それはケインズも同じで、
 ケインズは「隷従への道」という本に賛辞を送っているそうです
 「これは実に見事な本だ、
  道徳的にも哲学的にも私はほぼ全面的に賛同する、
  それも感動したうえでの賛同だ」と書いているそうです

 しかしその上で、ケインズは彼と真っ向から対立する意見を提示する
 「だが今必要なのは、計画をなくすことではなく、むしろ増やすことだ」

 ケインズは、精神的にはハイエクに同意するが、国家の介入はやはり必要だと主張した

 ハイエクはそれにたいし、
 「計画が独裁を招くことはない、と信じるのはばかげている」
 と批判しているそうです

 スキデルスキーさん
 「ケインズハイエクに言った
  「あなたの考えは経済的な安定をなくし、
   人々は自由を放棄することになる。
   あなたの考える政策は、むしろ独裁的なシステムにつながるだろう」とね」

 スキデルスキーさん自身もハイエクを批判する
 「ハイエクの理論は間違っている、
  マクロ経済の理論を信じようとしなかった。
  労働市場にしても、
  彼は競争がある限り、失業は自発的なもの、とすら信じていたようだ。
  失業しても、賃金次第では仕事があるはずだ、と。
  彼の理論はバランスの取れた理論とは思えない」
 人々の意思にあまりにも任せすぎ、ということなのだろうか。

 一方ジョージ・セルゲンさんは
 「私はハイエクを支持し、ケインズは支持しない。
  一般理論はダメな本、表面的な本だ。
  人々は、ケインズの「一般理論」は金融経済に多大な貢献をしたように扱っているが
  私に言わせれば、これまでに読んだ金融経済の本において
  最も不満の残るものだった」

 「隷従への道は、人々に非常に大事な気づきを与えた。
  ハイエク
  当時増大していた国家介入の風潮を止めるのに一役買ったと思うが、
  その後最後の仕事をしたのはミルトン・フリードマンだ」

 スキデルスキーさんも
 「もう一人、新自由主義の推進には
  ミルトン・フリードマンの「マネタリズム」があった」とフリードマンの話。

 「(フリードマンは)
  国家にお金の印刷を任せておけば常にインフレを起こせてしまう、という考え方だ。
  マネーの量を決めれば、
  後は市場が始末する、と」

 「フリードマンの考え方から、
  独立な中央銀行と財政機関という発想が生まれた
  政府は手足を縛られるべきだ、
  国家から独立した中央銀行にお金の供給をコントールさせる。
  つまりどこまでも反国家的な考え方だ」

 「彼らは「すべてうまくいくことを保証する」と言った、
  しかし2008年に想定外の危機には対処できなかった。
  あの危機は、
  新自由主義の理念を問いただした事件だったのです」

前半はここで終わり。

…前半はわりと分かりやすかったかなと思います。
1章、2章は「新自由主義」の起こした格差問題、
3章、4章はGAFAの話。
5章は、
ハイエクが勧めた自由資本主義は、本当に自由をもたらしたのか?
資本主義がもたらしたのは豊かさ(しかも一部の人たちだけの)だけではないか?
という問題提起、
6章はハイエクケインズ論争の話。

でもそれだけではまとめきれないものもある。

例えば第2章ではハイエク派のセルギンさんが
「トリクルダウン」理論や格差を容認するような話をして
個人的には賛成しかねたが

5章のチェコのセドラチェクさんの話を聞くと、
我々が格差と引き換えに豊かさを求めたのは事実、
それは歴史が示していることがわかる。

3章のGAFAの分析はちょっとイミフな所もあるんですけど(笑)
彼らが人々の本能まで支配し、巨大化してきた話は頷ける。

年末のガブリエルさんの番組で、
「社会はイメージの投影に過ぎない、
 だとしたら広告で大衆のセルフイメージをコントロールできれば
 支配ができてしまう」
という哲学者の精神分析を受け入れた新自由主義
広告産業を生み出した、
という話があったのを思い出しました。

GAFAが我々の本能を支配し、
我々の「自己像」を
彼らの商売の都合の良いように作り変えているのかも、
(「リコメンド機能」は案外そうかも)
と思うと何とも言えない…

4章のガブリエルさんの「カジノ」の表現はシビレました(笑)
私も去年あたりからモヤモヤしていた
「ネット上のタダ働き」なのですが
これを切れ味鋭く描いてくれました。

彼らが市場を独占している限りは、
我々は彼らのプラットフォームをつかわざるをえない、
だから彼らが胴元になり、彼らが儲かる構図。

となればGAFAの独占を何とかする必要があるが、
ユーザーのデータ提供による労働コストタダ、には勝てませんからね。
コストは最小、ライバルが出たとしても勝てないし、
そりゃ買収された方がライバルも得だろう。

しかもこのタダ働きはユーザーへの強制ではなく、
自発的な(むしろ喜んでやってる人も多い)ので規制は難しい…
個人的には、GAFAに儲けを分け与えてもらう
(ネット税?)
以外に方法はないのではと思ってしまう。

第5章は後半につながる話だと思います。
自由市場思想から始まった資本主義は
自由をもたらしたのか、自由を無くしたのか、と。

6章はケインズハイエクですが
後半から考えると、
ハイエクフリードマンを同等に見ているあたりは
スキデルスキーさんには若干誤解があるのかもと感じました。

後半が長いので分割します。
さてそれでは後半へ。

NHKBS1「ホモ・デウス~衝撃の書が語る人類の未来~」

NHKBS1「ホモ・デウス~衝撃の書が語る人類の未来~」

正月から、BS特番濃いですねぇ…

元日は、歴史家のユヴェル・ノア・ハラリさんが書かれた本
「サピエンス全史」
それからその続編の「ホモ・デウス
いずれもベストセラー、話題になったこの本、

ご本人へのインタビューのも交えつつ、
その内容を紹介している番組でした。

私自身は元々あんまり人類史に興味が無いせいか、
新聞広告では見てたけど、
話題になろうがスルー状態でした…
分厚いし、おそらく今後も読むことも無いと思う(笑)ので
内容を紹介してくださるのはありがたいです。

前半は「サピエンス全史」
後半は「ホモ・デウス
の話でした。
前者は今までの歴史、後者は未来予測について書かれているようです

番組を観た感じでは、
うーん、正直、そんなに衝撃というほどでもないけど…(スミマセン)

前半の人類史の話では、
歴史に生物学や経済学などの色んな視点を取り入れたのが新しい、とされていたけど、
以前にジャレド・ダイアモンドさんの番組を観ていたので
(ダイアモンドさんも
割と多角的な視点で人類史を見ていたので)
あんまり驚きは無かったかなぁという感じです。

あと後半の話は
発達しすぎたテクノロジーが人間を飲み込んでしまうのではないか、
という危惧が主に描かれていたが
シンギュラリティについて語るカーツワイルさんのインタビュー
(「人間ってナンだ?AI入門の最後の回」)
の方がインパクトあったかも。

とはいえ、今までの歴史書とは違う見方をされていて、
ハッとさせられるところが所々にあったのが勉強になりました。

ざざっとメモった内容かいてみます

前半「サピエンス全史」
本の内容紹介と、池上彰さんとハラリさんとの対談が中心でした

○常識を覆すハラリさんの見方
 ハラリさんのサピエンス全史は、
 今までの人類史とは違う見方をしているそうです

 例えば
 「男性の方が力が勝るから、男性優位の社会だった」
 という見方をアッサリ否定。

 「人類の場合、体力と社会的権力は比例しない。
  例えば20代の人の方が60代よりもずっと強壮なのに、
  たいがいの社会は60代が20代を支配している」
  と書いている

 池上さんはなぜこのような見方ができるのか、
 と聞いていましたが
 ハラリさんは
 「歴史を語るときは、
  王様や貴族からの視点も、農民からの視点も、
  動物からの視点も必要」
 そして、
 「人間も動物だから、
  歴史を語るときも生物学の知識も必要だし、
  同様に経済学や資本主義の知識も必要」
 だと述べていました

 つまり、色んな学問からの知識、視点を持つことの大事さを話している

 これは、彼の生まれがイスラエルだったのも大きいようです
 イスラエルユダヤイスラム、キリストの各宗教の聖地があり
 色んな人々や宗教が行き交う土地だった
 だからものの見方は多種多様、スタンダードというものがない。

 ご本人は
 「歴史家としての私のつとめは、
  世界的な問題の答えを出すために
  グローバルな視点にたって歴史を示すこと。
  この本でそれをやろうとした」と。

 教え子の方は
 「中東では多数のストーリーを持つ人がいて、
  互いに真実と捉えて議論する。
  だからこそ包括的な視点が生まれたのだと思う。
  彼は物事を俯瞰することを教えてくれた」
 と話す

○歴史の転換点
 ハラリさんの本では、歴史の重要な転換点は以下の三つ、としている
 ・7万年前の「認知革命」
 ・1万2千年前の「農業革命」
 ・近代以降の「人類の統一」

○認知革命
 ハラリさんによれば、
 250万年前は地球上にはたくさんのホモ族がいて、
 ホモ・サピエンスはその1つに過ぎなかった
 力で言えば、ネアンデルタール人よりははるかに弱かった

 そんな弱小種族のホモ・サピエンスが生き残れたのは
 「フィクションを信じる力があったから」
 なのだそうです

 ホモ・サピエンスは、無数の赤の他人とフィクションを共有することで団結できる、
 だから一対一では勝てないネアンデルタール人とも
 集団対集団になれば勝てる、と。
 他人と協力できるのはフィクションを信じる力があればこそ、らしい。

 これは現在にも通じるものだそう。
 例えば「会社」とはなにか?
 人、建物、株式、どれでもなく、
 「会社」という概念をみんなが信じていること、なのだそうです

 ハラリさんは
 お金や国家、法律も全てファンタジーだ、と言う。
 「人間同士の協力の基本には  神々、国家、法律というフィクションがある
  人間は同じフィクションを作り、同じ話を信じ、同じルールを作ることができる」
 「チンパンジーには
  「良いことをしたら天国に行ける」
  と信じさせることは出来ないのです」

 (「人類誕生」の番組では、ホモサピエンスは他人と協力しあえたから生き残れた、とあったけど、
 ハラリさんの場合
 「幻想を信じられるから」
 という説明が新鮮でした。

 しかしながらアマゾンの民族「ピダハン」のように、
 宗教や目に見えないものを信じない種族もいる
 (といっても彼らは精霊は「見える」と主張するが)
 動物にも葬式みたいな、死を悼む振る舞いをするものもいる、
 と聞いたことがある。

 つまり目に見えないものを信じるのは人間だけではないし、
 人間でも信じない人もいるわけで
 他人と協力するため、という意味合いの方が強いのではと個人的には思う。
 どっちかいうと因果関係は逆で、
 他人と協力したい、村八分にされたくないから、
 仲間と同じファンタジーを信じる、てことなのでは、と。

 まあでも社会性も虚構を信じるのも
 同時進行的に発達してきたもので、
 どちらが先、とかはないのかもしれない。
 いずれにせよ、肉を食べ出して脳みそ(特に大脳新皮質
 が発達したことと関係あるのは間違いないだろう)

○農業革命
 2万5千年前、人類は穀物の栽培を始めた
 これにより計画的に食糧を作ることができるようになり、幸福になった

 …というのが通説だが
 ハラリさんは
 「むしろ農業革命により長時間労働、格差、不健康をもたらし、
  人類を不幸にした」
 という見方をしているらしい

 「人口爆発と飽食のエリートたちの誕生につながった。
  平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、
  見返りに得られる食べ物は劣っていた」

 「農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ」
 とまで書いているらしい

 ハラリさんはこのことについて
 「我々は農業について考えるとき、
  普通は共同体や、王様貴族など選ばれた人の視点で考える。
  彼らにとって農業は良いもので、
  都市や帝国を作るには欠かせない。
  しかし農民にとっては農業化により暮らしはより苦しくなった。
  小さく平等な社会だった狩猟採集民に比べ、
  貧困や貧富の差も生まれた」

 それから農業は、
 集団同士の争いや健康問題も産み出した、と。

 「古代人の骨格を調べると、
  農耕のせいでヘルニアや関節炎など
  多くの疾患がもたらされたことがわかる」

 また、人が穀物を栽培化したのではなく
 穀物が人を家畜化した、という表現もしている

 ハラリさんは
 「例えば米は二万年前はアジアの一部で栽培されていただけだったが、
  人類は米を各地に広め、
  米の世話のために時間を使い、
  水と肥料をやりずっと面倒を見た。
  人々が米に尽くしている、ということになる」

 (ダイアモンド博士の番組でも、農業の始まりによるプラス面だけでなく、負の面も挙げていました。
 骨格を調べると、
 栄養不足で、背丈も狩猟時代より小さくなったそうです。
 貧富の差も拡大したとも指摘していました。
 それでも誰も反乱することなく農業を続けたというのは
 やはり他人と協力したい、仲間はずれにされたくないことの現れなのかなぁと思ったりする。

 とはいえ、今までは支配者中心の歴史観だったが、
 個人の幸せからみたら農業化ってどうなのよ、
 と考えた点ではハラリさんの優しさを感じました。

 それから植物が人間を家畜化した、
 というのは少し過激で面白い表現だなと思いました。
 ただこれは、人間は食べられるものしか選んで残してないし
 例えば品種改良でイネが病気に弱く、倒れやすくなってしまったように
 植物にとってもどうなの?という見方もできる。
 つまりウィンウィン(ルーズルーズ?)の関係なんじゃないかなと思う)

○人類の統一
 農業革命で個人の幸福が失われても
 国は拡大化し、グローバル化していった

 ハラリさんはこの過程を「人類の統一」と呼ぶが
 ここには
 「宗教」「貨幣」「帝国」の3つのフィクションがカギを握ったそうです

○宗教の役割
 サピエンス全史では
 「社会秩序は全て空想上のものだからみな脆弱であり、
  社会が大きくなれば、これはより脆くなる」
 「宗教が、この脆弱な構造に超人的な正当性を与えるようになった」
 というようなことが書かれている

 例えば「目には目を」
 で有名なハンムラビ法典には
 ハンムラビ王の
 「メソポタミアの神々が、この地に正義を行き渡らせる権限を私に与えた」
 という言葉があるそうです

 人間により与えられるルールは脆くて破られやすいが
 超人的な神々が与えたルールは、みんな絶対的なものだ、と信じるらしい
 このような、フィクションを信じる人類の強い力により、社会の秩序が保たれている、と。

 さらハラリさんは
 「一神教の登場は決定的だった」と書いているらしい
 「過去二千年にわたって、
  一神教は暴力により、あらゆる競争相手を排除することで、
  自らの立場を強めようとしてきた」
 「巨大な世界秩序は、一神教の土台の上に置かれている」

 しかし彼は一神教の功罪についても述べていて、
 「神や天国についてのフィクションを何百万人の人が信じれば、大きな力を発揮する
  それは時には病院の建設になるが、
  戦いをもたらすことにもなる」

 ハラリさんは池上さんからのインタビューで
 「天地創造もアダムとイブも、聖書に書かれたただの物語にすぎない」
 「言ってみれば神はポケモンのようなものです」
 と思いきったことを言う。

 「ポケモンは現実にはいないが、
  携帯で見ると現れて、みんな奪い合う。
  私の甥っ子がポケモンを見つけると、友達と喧嘩になります。
  でもイスラエルパレスチナとの戦いもそれと同じようなものです。
  神も天使もいないのに、聖書に聖地とかいてあるからそれを巡って争う。
  でもそれは想像に過ぎない」
 
 (…エルサレムを巡って真剣に争う人たちに聞かれたら刺されそうな話ですね…
 まぁ私も宗教は信じない人間なんで、
 正直宗教戦争はあんまり理解できない。

 もともと宗教って人が幸せになるためのものでしょ?
 人の命をかけてまで守らなきゃいけない教えって何なのよ、と思ってしまう。

 私も昔新興宗教に入れられそうになったことがあったが、
 そのとき信者に、当時私が信頼していたカウンセラーさんに通うのを止めろ、と言われ
 「おたくらの宗教はそんな決まりがあるのか、
  おたくのとこに入らなくても幸せな人は世の中にたくさんいるでしょ」
 と反論した記憶がある。
 何のための宗教か、という問いをしていくことが重要だと思う)

○貨幣という幻想
 ハラリさんはまた、貨幣について
 「最強の征服者」
 「お金こそ、人間から見た一番の物語」という

 「お金そのものは物質的な価値はない、
  100ドル札で食べたり飲んだりもできない。
  ところが銀行家や財務大臣
  「この紙切れはバナナ10本分です」と言い、
  みんながそうだと信じればそうなってしまう」と。

 そもそも貨幣の始まりとはなにか。
 人類は昔は物々交換をしていた。
 しかし、例えば治療のお礼にバナナをたくさんもらっても
 食べきる前に腐ってしまう
 そこでバナナ農家はお金と交換することで
 治療などのサービスを好きなときに受けられるようになった

 つまり貨幣とは、
 品物やサービスの価値が紙切れ何枚分などと同じ、
 と大勢の人が信じることで、
 誰とどんなときにも交換できるようにしたシステムで、
 これは集団をまとめるのに効果的な力を発揮した

 ホモ・デウスでは
 「貨幣は人間が産み出した信頼制度のうち、
  ほぼどの文化との溝をも埋めた。
  宗教や性別、人間、年齢、性的指向などに基づいて差別することのない唯一のものだ
  貨幣のお陰で誰もが見捨てられず、
  信頼しあってない人同士でも効果的に協力できる」と書いている

 更にお金は、信用の創造もできる
 例えば工務店に働くAさんが1000万円稼ぎ、銀行に預ける
 そのあとパン屋を開きたいBさんが銀行から1000万円借りて
 パン屋を建てるためにAさんに1000万円払う
 するとAさんは、儲けの1000万円を銀行に預ける

 …おや?実際は1000万円しか動いていないが
 帳簿上はAさんが2000万円所有していることになる

 「人類は想像上の財、つまり現在まだ存在していない財を
  特別な種類のお金に変えることに同意し、
  それを「クレジット(信用)」と呼ぶようになった」

 人々が、なぜ想像上の財を信じるようになったのか?
 それは文明の発達のためだ、とハラリさんはいう

 新大陸の発見で資源の利用が増え、
 物理学の法則の発見で機械が産み出された
 文明の発達で、富が創造できることが分かった
 つまり、目に見えない遠くの大陸や法則も、
 現実的な富を生むことが実証されたわけです。
 このため、人々はパイを大きくするために資本を投入するようになった。
 これが資本主義の始まりなのだそうです

 (お金は人間が産み出した最大のファンタジー、てのはたしかに同意します。
 最近読んだ本「世界史を動かした詐欺師たち」では、
 筆者が経済学は詐欺師と似ている、と書いていたけど、
 価値のない紙切れを、
 権威のある人たちが
 「これは価値がある」
 と信じさせるのがお金のシステム。

 為替とか株投資のシステムも
 「やがて価値が上がるはず」
 と信じる人がいないと成り立たないシステムであり

 集団詐欺でもあり、ファンタジーであり、ゲーム、幻想でもあり…
 人間の信じる力は現実化するほど強いことを示している、と思う)

○お金を求めて帝国が拡大し、人類統一につながった
 ハラリさんは、この資本主義と帝国が結び付いて「人類統一」につながった、と考える
 「帝国は境界線を自在に変え、
  無尽蔵の欲を持つ」
 スペイン帝国は金銀を求めて新大陸へ行き、アステカ、インカ帝国を滅ぼした

 そうして
 「帝国は自らの基本的構造もアイデンティティも変えることなく
  次から次へと異国民や異国域を飲み込んで消化できる」

 「現在はイギリスの国境は明確だが
  一世紀前までは、地球上のどんな場所にも大英帝国の一部になり得た」
 帝国は各地に広がり、文化、国家システム、経済システムも共有した

 こうして、資本主義と帝国のビジョンが結び付き、
 人々の統一をもたらし、経済成長に向かった

 ハラリさんはインタビューで
 「資本主義はおそらく世界を征服した唯一の宗教です。
  キリスト教イスラム教も、
  誰もが信じるわけではないが
  資本主義はみんなが信じている。
  社会主義を主張している中国は、どこよりも資本主義的な国です。
  資本主義の主な信念は、経済成長です」

 お金を投資する→商売し、売れる→よりお金が増える
 ということを信じる信念
 これはみんなが共有した最大のフィクションだ、と。

○果たして我々は幸せになれたのか
 人類はこの資本主義のシステムのお陰で
 物質的な豊かさや寿命の長さを得てきたが、
 果たして幸せになれたのか?

 ハラリさんはインタビューで
 「本のなかで私が問いかけているのは、幸福、という哲学的な問題です」という。

 「ほとんどの本は国家の力について述べているが
  個人の幸福については軽視されてきた。
  しかし、幸福について考えることなしに、
  世界の重要な問題について理解することはできない」

 「権力は、必ずしも世界を作ったり、人々を幸せにしてきたものではない。
  歴史を見ると、人々は権力を大きくするのは得意だが、
  幸福になるのは上手ではない。
  たしかに人類は2、3万年前よりは大きな力を持っているが、
  幸福にはなっていない」と。

 では幸福になるためにはどうすればいいか?
 それは歴史から学ぶことだ、とハラリさんはいう。

 池上さんの
 「我々は過去の歴史から学べば、自信を取り戻せるのでしょうか」
 との質問に
 「人類は、歴史から自信も警告も得られる。
  人類は時にはとても愚かで無責任な行動をとることもある、
  それでも賢明な行動をとることができるのが人類で、
  我々は希望を持てる」
 と話している

 これからは、グローバルな視点が必要だ、とハラリさんは言う。
 「なぜなら21世紀の問題は全てグローバルなもので、
  地球温暖化、格差問題、AIを始めとする新たな技術の台頭などは、
  全て世界的な問題なのです」と。

 (今までの歴史は権力者や国がどうなったか、にばかり注目が行って、
  国民の幸せは考えていない、
  という視点は面白いなと思いました。

  何がどうなったら、国民が幸せになれるのか、
  という視点で歴史を分析したら面白いかもしれない。
 
  例えば日本の江戸時代は、なんとなく庶民が幸せそうに見えるんだけど、
  それはある程度国民が自分で自由に経済活動できたことがあったかもしれないな、と。

  ハラリさんは「グローバルな視点」を強調していて
  もちろん地球的な問題を考えるときはそういう視点は必要なのだが、
  幸せが何なのかは文化や習慣によっても変わるし
  その国々によって、何がどうなれば幸せになるのか、
  を分析しても面白いかなと思いました。)
 

○我々の未来
 これは後半の内容とかぶるのだが、
 ハラリさんはサピエンスは今までの生き物と比べても、唯一、
 自然の限界を越えられる生き物だ、と話していました
 「人類は、神の能力を手に入れようとしている。
  自らを動物から神へとアップグレードしようとしている。
  昔は死や老いを乗り越えられるのは神だと思われていたが
  今は技術者だと信じられている。

  いずれ一部の人たちはそれができるようになるだろう。
  人類は外面だけではなく内面も変え、
  体や脳の性能を大幅に変化させる。
  バイオテクノロジーやAIを使って新たなものに生まれ変わるだろう」

 だからこそ、これからの選択が重要だ、と彼は強調する。

 「20世紀の産業革命は我々に電気や列車、テレビなどをもたらし、
  独裁政権も民主的な政権も産み出した。
  バイオテクノロジーやAIにも良いところや悪いところもある、
  私たちはユートピアディストピアもどちらも選択できる、
  我々は歴史上重要な転換点にいる」と…

 後半では、さらに
 「この世はユートピアディストピア?」
 と聞きたくなるような状況が紹介されていました。

後半「ホモ・デウス
 ホモ・デウスとは神の人、という意味で
 ハラリさんはこの本で、
 サピエンスは今世紀中に全知全能の神に進化することを目指すだろう、
 と書いているそうです

 しかし彼は、
 神の領域に行けるのは一部の人だけで、
 行ける一握りの人とそうでない大多数との格差が増大する、とも警告する
「何もしなければ、
 超エリートの集団と
 巨大な底辺層の役に立たない人々に分裂する危険がある」と。

後半は、北京で開かれた「我々が未来に伝承するシンポジウム」での彼の講演の様子と
NHKが彼に行ったインタビューを中心に構成されていました

○生命誕生以来の大変革
 中国の講演にて。
 「AIやバイオテクノロジーなどは、
  神だけに与えられていた能力を我々に与えてくれる
  これは人類最大の革命となるだけではなく
  生命誕生以来の大変革と言える」

 また、ハラリさんはインタビューでこう言う。
 「歴史を学ぶ意味は、過去にとらわれないためです。
  世界は常に大きく変化していて、
  100年前のやり方は通じるはずがない。
  未来について正しく理解するために、
  過去の人たちが語ってきたことは
  フィクションなのか、本物なのかを見極めることが必要です」

 大変革を前にして、我々が歴史から学べることは何なのか…

 ホモ・デウスでは
 「生命誕生以来の大変革」とは
 「生物工学」「人体拡張技術」「AI」がキーとなるとしているそうです

○生物工学
 生物工学は最近、遺伝情報を操作することができるようになった
 ホモ・デウスでは
 「生物工学者は、ホモ・サピエンスの体に手を加え
  遺伝子コードを書き換え、
  新しい手足を生えさせることもできるようになるだろう」
 と書いている

 実際に現実化している例が紹介されていました

 ・ゲノム編集で生まれた双子
  昨年、中国の科学者が受精卵のゲノムを書き換え、
  エイズになりにくい双子の女の子を産んだと主張し
  大きな反響を呼んだ

  発表直後に開かれた国際学会ではマスコミが押し掛け
  他の科学者たちからは厳しい質問が飛んだ

  「倫理的な手続きはしたのか」
  「あなたは一線を越えてしまいました。なぜ秘密裏に行ったのか」

  この科学者は
  「逆にあなたに聞きたい、
   家族や友達が苦しんでいたらどうするのか」
  と反論しているが、それ以来公の場には登場していない

  この科学者がこのような研究を行った背景には
  中国ではゲノム編集の競争は激化しているそうです

  NHKが取材したサイヤジン社という中国のバイオ企業では
  ゲノム編集により、紫外線を当てると
  耳や尻尾が緑色になるマウスなどが作成されていました
  欧米の企業などの要請に応じて作っているそうです

  この企業では、マウスの遺伝子情報を効率的に編集するシステムが既に出来ているが
  最近はヒトの体細胞のゲノム編集も始まっているらしい

  この会社の方は
  「技術が進化することで、生産コストが1/10になったものもある、
   人間が求める創造の可能性は無限大だ」

 ・ミニマム・セルの作成
  アメリカのJ・クレイグ・ヘンターさんの研究所では
  人が完全に合成した、最小限度の遺伝子情報だけを持つ細胞
  「ミニマム・セル」
  を作成した、という

  この細胞は自己増殖機能も持ち、増殖の様子が動画でも発信された

  ベンターさんは
  「100万のうち1つでもコードを間違えたら生命は誕生しない、
    私たちはこれに成功した」と話す。

 ハラリさんはこれらの技術の拡大に伴う危険性について、
 こう指摘する。
 一つは、欲望の為に技術が使われること。
 「ゲノム編集は、最初は病気の治療のためだった。
  しかし次第に肥満や体質改善などに使われるようになり、
  いずれはデザイナーズ・ベビーのように、
  望み通りの生命を作るために使われるかもしれない。
  人類の欲望は止まることを知らない」

 もう一つは、格差の拡大。
 「裕福な人々は、自分や子供を
  より知的で才能を持つよう設計できるようになるでしょう。
  格差は一度広がってしまうと、なかなか元に戻すのは難しいのです」

 「どうやって体や脳を作るかわかればそれは神と言える。
  責任がなく巨大な力をもて余す神かもしれない。
  我々はまさに、神への道を歩んでいる」

○人体拡張技術
 ハラリさん
 「これまでのところ、人間の力の増大は、
  外界の力のアップグレードに頼ってきた。
  だが将来は、人の心と体のアップグレード、
  あるいは道具との一体化にもっと依存するようになるかもしれない」

 いくつか、機械と人間世界との融合が始まっている例が紹介されていました

 ・電子チップを手に埋め込む
  スウェーデンストックホルムでは、
  街角で簡単に体に電子チップを埋め込むことができる
  (注射器みたいなのを手に刺すだけで、数秒で終わる。
  前にNHKスペシャルの「マネー・ワールド」という番組でも紹介されていました)

  チップを埋め込んだ手を
  読み取り機械にピッとかざすだけで支払いができるので
  とても便利らしい

  3000人余りが既に埋め込んでいるそうですが
  埋め込んだかたは
  「便利で良かったわ、チップなら絶対に離れないし置き忘れることもない」だそうです。

  最近、日本でも首にチップを埋め込んだ迷子の犬が無事保護されていましたが
  そのうち人間でも、埋め込みは当たり前になるんでしょうか…

 ・VRの職場
  グラハム・ゲイラーさんという
  「VRchat」というベンチャー企業の方は、
  ゴーグルを着けて仮想空間に出勤している

  同僚は他国からもアニメのキャラになって出勤していて、
  勤務時間後も仮想のバーで歓談するそうです

 ・考えるだけで動く機械の手
  ハラリさんは
  「脳とコンピューターの繋ぎかたを学べば
   脳で動かす機械の手を持つこともできるようになる
   遠隔で操作できれば繋げる必要もない、
   機械がお皿を洗っている間に
   誰かと会話をしているかもしれない」

  アメリカ軍のDARPAでは、実際にそんな研究が行われている
  (DARPAアメリカ軍の高等技術計画局で
   ベトナム戦争の時には枯葉剤
   湾岸戦争の時にはステルス戦闘機を開発した実績があり
   他にもここの技術はインターネットやGPSにも応用されている)

  DARPAは5年前から生物技術研究局を設立し、
  人の神経細胞を研究しているが、
  その一環に脳チップの研究がある

  NHKDARPAの本部に取材していました
  生物技術研究局の入り口には脳の模型と埋め込まれたチップがあり
  室長によれば
  「あれは本物です、
   今は人の体でテストをしている段階です」だそうです。

  DARPAは企業や大学にも予算を提供し
  共同で技術開発を行っており
  例えばパラドロミクス社では
  脳にワイヤを直接繋ぎ、脳の電気信号を読み取る
  「ブレインインターフェイスマシン」を作る技術を開発している

  この会社自体は軍とは全く関係無いもので、
  障害を持つ人の脳を機械とつなぐことで、
  その人の身体機能をマシンが援助することを狙っているそうです

  しかしDARPAは、これを軍にも役立てることを考えている
  「頭の中で想像するだけで、軍用機を動かすことができるかもしれない」
  と話していました

  感情に任せて撃ちまくってしまったらどうなるんか…と考えると怖い。

〇人間至上主義
 ホモ・デウスでは
 「人類は創造と破壊を行う神のような力を獲得し
  「ホモ・サピエンス」を「ホモ・デウス」にアップグレードするようになるだろう」

 「古代ギリシャヒンドゥーの神々を考えるとよい。
  私たちもずっと壮大なスケールで愛したり、憎んだり、創造したり破壊したりするだろう」

 というようなことを書いている

 ハラリさんは神の力を得ようとする人間には
 「人間至上主義」
 の考え方が強い、という
 「私たちは、幼い頃から人間至上主義のスローガンを
  これでもかとばかりに浴びせかけられていた」
 「そうしたスローガンは
  「自分に耳を傾け、自分の決定を信頼し、心にしたがい、心地よいことをせよ」と促す」

 しかし、この人間至上主義は、一部の限られた人だけになる、
 というようなことを彼は書いている

 ホモ・デウス
 「体と脳の設計の仕方を知っている人と知らない人の格差は大幅に広がる、
  それはサピエンスとネアンデルタール人の差をもしのぐだろう。

  21世紀という時代は、
  進歩の列車に乗る人は、神のような創造と破壊の力を獲得する一方。
  後に残された人々は、絶滅の憂き目にあいそうだ」

〇AI、人工知能
 ハラリさんが述べる「キーとなる技術」の最後は人工知能
 
 人類が扱うビッグデータはこの10年で20倍になり
 それを分析し、活用する人工知能も開発されている

 北京での講演では
 「今後は、データやコンピューターの革新により
  他人の心をのぞきこみ、
  他人の欲望を支配することもできるようになるだろう」
 とハラリさんは語る

 人工知能の活用例がいくつか紹介されていました

 ・ローンの信用度を測る人工知能「JScore」
  これは、みずほ銀行ソフトバンクが共同で開発した
  顧客信用度を測るAI
 
 ローンの審査を人間にかわって行い
 利率や限度額も決めてくれるそうです
 このAIは通常の審査のほか
 「自分は浮かれやすい方だ」などのアンケートをとり、
 それをもとに性格診断のようなことも行うそうです
 
 開発した会社によれば
 「過去の何万人ものデータを集めて作っているので
  かなりの確率で当たると思う」とのこと

 このAIに登録する人は既に40万人おり、
 このAIによる審査では
 人の審査よりも貸し倒れ率が半分以下になったそうです

 みずほフィナンシャルグループ会長は
 「AIは金融のあり方を変えてくれる」
 とAIの可能性を指摘する。

 「AIはその人にあった個人の金融を作ることができる。
  例えば今までは留学資金などはなかなか借りられなかったが、
  AIは将来の可能性からキャッシュフローを作ることができる。
  将来の可能性を開いてくれる」

 ・仕事の効率化を行うAI
  アメリカの企業「セールスフォースドットコム」は
  有明で2018年1月に開いたイベントで
  「私たちは第4次産業革命の中心になる」
  「かつては蒸気や機械が人間を助けてきたが
   今はAIが仕事の効率化を助けてくれる」
  などと話していました

  この会社が開発したAI「アインシュタインくん」は
  仕事の効率化を行ってくれる
  
  例えば石鹸会社の例では
  20人のスタッフが財務管理や卸との交渉を行ってきたが
  その業務をAIに任せたところ
  業績が伸びそうにない取り引き先を整理することで
  仕事の効率化が測れるようになったそうです

〇AIに判断を任せていいのか
 AIは人間の判断力を助けるだけではなく
 私たちにも革命的な変化を促す、とハラリさんはいう
 
 「石器時代の人間と今の人間は、
  体や精神はそんなに変わらないでしょう。
  しかしこれからの人間は、
  社会だけではなく体や精神も根本的に違う人間となり、
  もはや同じ人と言えなくなるかもしれない」

 何が違うかと言うと
 今まで人間は意思決定や問題解決を行う知能と
 喜怒哀楽を担う意識とが
 互いに役割を補いあってきたが、
 それが知能優位になるかもしれない、と。

 「知能と意識は全く違うものだ、
  知能は問題を解決する能力、
  意識は苦痛、喜び、憎しみなどを感じる能力。

  人間は主観的な感情を元に解決するが
  AIは感情を発達させることはない。

  今のところ世界中の殆どの投資はAIに向けられており
  企業や国、軍隊は知能で支配したいのです。

  私が怖いと思うのは、意識を全く用いない知的な存在が
  世界を支配することです
  そういう存在は、人間よりはるかに優れた知能を持つが、
  感情や主観がなく、人間とは全く違う存在だ」

 人工知能が支配する社会とはどんなものだろうか?
 AIの活用が急速に進む中国を見ると、ちょっとオソロシイ話になっています…

 中国では、飲み会でみんなスマホをとりだし
 「私は○点」と自慢しあう
 何の点かというと、
 これは中国のネット通販企業アリババが開発したもので、
 スマホの商品購入履歴や交遊関係、位置情報などをもとに
 個人を採点するシステムなのだそうだ。

 明確な基準はもちろん公開されていないが、
 ・高級レストランで食事をする回数が多い
 ・点数の高い人との交遊が多い
 …などの人はスコアが高くなり
 ・ローン返済や公共料金の支払いが滞っている人、
 ・ルールを守らない
 …などの人はスコアが低い傾向にあるらしい

 また、婚活サイトでもこの点数は表示され
 「同じような条件の人ならスコアが高い人の方が印象がいい」
 と話す女性もいる。

 実際、今のところの点数が低い大学生は
 「これ以上点が下がらないようにしないと」と、
 自転車のとめかたも気を付けていました。
 まるでAIに行動を見張られているかのよう。

 ホモ・デウスでは以下のオソロシイ予言をしています。
 「助けになるはずのAIが
  いずれ人間を飲み込んでいく」

 「やがて私たちは、この全知のネットワークから
  例え一瞬でも、切り離されてはならない時がくる。

  私たち以上に私たちのことを知っていて、
  私たちよりミスが少ないアルゴリズムがあるならば
  それを信頼して、自分の決定や人生の選択を委ねるのは、
  とても理にかなっていることだ」

 こうして私たちは、自分で考えなくなり
 自ら選択肢を失っていく…

 「データ至上主義が世界を征服することに成功したら、
  私たちはどうなるのか?

  最初は人間至上主義の
  健康や幸福の追求を加速させるだろう

  しかしアルゴリズムに権限が移るようになれば
  人間至上主義のプロジェクトは、意味を失うかもしれない。
  なぜなら、人間よりはるかに優れたシステムが存在するのだから。

  我々はシステムの構築者からチップとなり、
  やがてデータへと落ちぶれ
  最後には土くれのように
  データの奔流に溶けて消え失せるかもしれない」

 彼が気がかりなのは子供のことだそうです。
 「彼らは歴史上初めて、
  成長したときどんな世界になるのか分からない世界を生きている
  働く環境や人間の絆がどうなっているのか
  分からない世界に生きている」

 スタッフの「どうしたらいいでしょうか?」という質問には
 「もっと自分を知ることだと思います。
  月並みかもしれないが、
  自分が何者かを理解することです。

  テクノロジーを追い求めるだけではなく
  現状に満足して、
  自分のうちなる考えに耳を傾ける時間が必要です

  あなたは今何を考えていますか?
  それはあなたにしか分からない、
  他人の誰もがあなたの頭をのぞくことはできないのです」と。

 (AIが便利だからといって、
 判断をそれに委ねるのではなく、
 自分のことを一番知ってるのは自分のはず、という自負心を持ち、
 時には「ハズレでもいいから自分で決めよう」と思う気概が必要なのかもしれないですね)
 
○最後に
 倫理を監査するカリフォルニア大の科学者
 「科学者は社会に危険なことをしていても自覚しないときがある、
  自分達が生んだ技術が社会にどんな影響をもたらすのか、
  その光と影を議論していくべきです」

 みずほ銀行の会長
 「イマジネーション、想像力を鍛えねばならない」
 「リベラルアーツ、自分は何を考えているのかの人間力が必要」

 ミニマムセルを開発した科学者ベンターさん
 「AIはどんなに賢くても、有能とは限らない。
  人間を賢くしても、ホモデウスにはならない。

  性格や行動を操作する人が出てくることを心配しています。
  私たちはまだ十分に、人間が何であるか理解できていない」

〇感想など
 後半に関しては、「フランケンシュタインの誘惑」の話を思い出させました。
 技術は悪くないんだろうけど、
 それが暴走しちゃったらどうなるんだろうね…という感じの議論。

 うーん、でも私は怖がっていてもしょうがないのかなと思います。
 かの中国人科学者のように、
 技術があれば、やっちゃう人はやっちゃうでしょうし。

 ただそこをしょうがないねと容認するんじゃなくて
 「それでいいのか」とみんなで議論できる、
 反論も賛成もできる、
 アルゴリズムをAI1つにしない、
 そういうオープンな状態にしておくことこそが重要なんじゃないか、と思います。

 それにしても、中国の採点システムはやりすぎかなあと思う…
  決まりが守れないからって減点!ってのは息苦しい社会だなあ。 
 うっかりしちゃったのね、っていう寛容さが欲しい。
 ゲームくらいならいいけど、日本ではできてほしくないかな。

 人間って不思議なもので、
 点数を出されたら絶対だと感じてしまう。だからこわい。
 それをシステムとして受け入れても違和感がないのは
 一党独裁体制だからこそなのかなあ?とも思ってしまう。

 採点システムを作るにしても
 点数じゃなくて、点数で出せない良さを語るストーリーがあればと思う。

 ただ、私は個人的には、
 人間はそこまでアホじゃない、と思う。
 会話型ロボットみたいなとぼけた面白いロボットもいるんだし、
 機械に支配される、されないというよりは
 人間的な感情システムと、機械の決めるシステムを
 うまいこと融合させるやり方を見つけられるんじゃないかな、
 と楽観的に考えている。

 むしろ怖いのはテクノロジーより、
 この状況を利用して支配、被支配の構造を作ろうとする人間ですね…
 そういう人は、もしかしてAIを隠れ蓑にして自分たちの権力を拡大していくのかも… 
 それこそジョージ・オーウェルの小説の世界だ。

 それを防ぐには
 新しい技術を誰もが利用できるように透明化するとか
 採点システムを多様化するたか
 敗者復活できたり、過去を忘れられる権利を設けるとか
 ハラリさんがいうように常に弱者の視点で見ていく事が大事かなと思います。
 
 ちょっと過激な表現はありつつも
 基本的にハラリさんは個人個人の心、幸せを願っていて、
 その気持ちが貫かれた本なのかな、
 と思いました。(読んでないんで勝手な想像ですが(笑))

 というわけで今回はこの辺で。