びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

Eテレ 人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3「第8回 診療する」

Eテレ 人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3「第8回 診療する」

AI入門番組の実践編、
進行とレポーターは原田まりるさん、
解説はAI研究者の松尾豊氏です。

今回は診療に使われるAIについて。
シーズン1、2よりも現場に近いな、という事例が紹介されていました

○今回のゲスト
 今回のゲストは宮古島で在宅医療をされているお医者さん、
 泰川恵吾さんでした
 「AIと医療についてどうお考えですか」と聞かれて
 「離島は高齢化が進んでいて、人もいなくなっている。
  でも20年もすると都会で同じようなことが起きてくる…」

 「在宅だと一人一人を看取る、
  それは絶対人間がやらなくちゃいけないと思うのですが、
  でもカルテを書くとか、ちょっと採血するなどの作業がAIでできれば、
  人間がもっとクリエイティブなことに集中できると思います」

 松尾先生も
 「最近はディープラーニングが実用化されていて、
  国も認可するようになってきていて、
  現場で使えるようになってきていますね」

○ガンの診断サポートAI
 最初は、国立がん研究センター中央病院から。
 原田さんが訪れると、ここの内視鏡科の山田真善さんが
 模型で内視鏡検査の練習をしていました

 山田さんが紹介してくれたのは、
 内視鏡検査の支援をするAI
 内視鏡カメラで撮影している映像をリアルタイムで解析し、
 病変と思われるところを円で囲んで示してくれる

 人間の目だと、隆起タイプの病変は発見しやすい、
 平坦型、陥凹型のものは発見しにくい、などクセがあるが
 AIはすべて見つけてくれるのだそう
 
 山田さんによると、
 「同じ録画動画をAIと人間に診断させたところ、
  AIは98%、人間は87%の精度で病変を発見したんです」
 つまりAIの方が優れていたそうです

 というのは、人間の場合、この辺にありそうだな…とアタリを付けて
 そこを集中的に見るが
 AIの場合、画面全体をまんべんなく見るので、
 思いもよらない場所の病変も見つけてくれるのだそうです

 さて、このAIをどのように学習させたかというと、
 まず、ガンの病変に印をつけた教師データを作り
 それをディープラーニングでAIに学習させる
 すると、病変の特徴を自動的に抽出し、学習する

 今回は、この教師データを作る様子が紹介されていました
 専門の研究員さんが画像を1枚1枚見て、
 それに印をつけていくのだそうです
 研究員の方は1日に300枚は見るそうで
 原田さんが「嫌にならないですか?」と聞くと
 研究員の方は
 「私はそんなに苦にはならないんですけど、
  病変を探しあてるのは大変ですね」
 一応専門医の方もチェックしてくださるそうですが
 見つけるのが大変なのだそうです

 今まで1万件以上のデータをそろえ、AIに学習させているそうです。
 しかし、学習したAIをテストすると、
 よくわからない間違いを起こすこともあるそうです

 例えば、連続写真を見せたときでも
 一部だけ「病変なし」と判断しちゃうこともある
 「AIならではのブラックボックスですね」と。
 原田さんも
 「人間なら、普通はここだけ外すことはないですよね」
 
 判断においては、色、形などの複数の要素を考慮する
 人間の場合、数要素単位しか処理できないが
 AIの場合、数十~数百要素も処理できる
 そこは人間が追い付けないので、
 AIがどうやって学習しているかは理解できないそうです
 そこで、AIに失敗データも間違いとして入れて学習させていくことで、
 さらに精度を上げていくのだそう

 原田さんが
 「学習できなかったことができるようになると、やっぱりうれしいですか?」
 と聞くと
 研究員の方は
 「頑張ったね~、って思いますね」
 「できないときは、なんでできないの、って叱咤激励しながらやっています」
 まるで躾してるお母さんのような気持ちになるんだそうです(笑)
 
 最初にAIを紹介してくれた山田医師は
 「AI支援を受けられる内視鏡検査医師は、
  発見に限って言えばですが、 
  熟練医と同じくらいのスキルを簡単に身に着けられるので、
  医師の技術格差の是正も期待できます」
 原田さんは
 「小さな病院でも発見できるようになる、と…」
 山田医師は「まさにそれが理想です」と話していました

 うーん、医師の腕は上がるかもしれないが、
 それまでには、やはり人間の研究員さんの地道な努力が必要なんですね。

……
 松尾先生は
 「データのアノテーション(教師データを作る)
  (もともとは「注釈する」という意味ですが
   プログラミングの世界では、コードで表しきれない情報を、補足として付け加えることらしい)
  が紹介されていましたけど、
  あれって非常に貴重なんですよね。
  AIの紹介する話は多いんですけど、
  プロセスまでちゃんと撮影してくれる取材は少ない。
  あの作業が大変だし、あれをコツコツやっていくことが
  精度を上げていくのに重要なんです」
 と、縁の下の力持ち的な研究員さんの重要性を強調する。

 泰川さんは
 「どっちかというと、
  熟練した医者が「素早く」内視鏡検査をするのに役立つと思う」と。
  というのは、
 「大腸の内視鏡検査は苦しいもので、
  上手下手ってのは、見つける見つけられないもあるんだけど、
  スピードもかかわってくる。
  ザーッとやっていると見逃すこともあって、
  それをAIがここです、てポンと出してくれると注目できる」
 原田さんは
 「じゃあ、お医者さんだけじゃなく、患者さんの痛み軽減にもなると…」
 泰川さん「絶対なると思います」
 松尾先生
 「速いってのはAIならではですよね…
  AIの場合、速度を上げるのは設計上いくらでもできるはずで、
  素早くデータを取ってきてあとでゆっくり見るとか、
  いろんな使い方ができると思います」
 なるほど。速さもウデのうちなんですね。

 それから、原田さんが
 「ああいう機械は、小さい診療所で使うのは難しそうですけど…」
 と聞きますが、泰川さんは意外にも「それでいいと思います」と。
 というのは
 「小さい診療所は、熟練した人が多いんですよ。
  大きいところの方が新米さんがいるんで、難しい」
 それから、
 「内視鏡検査はそこで完結するものじゃなくて、
  あそこから細胞を取ってきて初めて診断になる。
  補助として役立ちそうなものだと思います」
 AIの診断ですべて決まるわけではない、というお話もされていました

認知症早期発見サポートAI
 次は、認知症を早期に発見するのに役立つAIです。
 原田さんが取材していたのは、
 慶応義塾大学の精神神経科学教室の岸本泰二郎さん、
 AI開発会社研究開発部の豊柴博義さんでした

 最初に二人は、原田さんにテキストデータを2つ見せて
 「どちらが認知症の方の文章だと思いますか?」

 全部メモるの難しかったので、だいたいの内容をざざっと書くと
 テキスト1は
 「体がちょっとだるいんです、
  ええ、これがなかなか抜けない、
  もうけっこう前ですよね、はい、いや、整体に。
  もう結構疲れたって感じる、
  どこにも行きたくないってことで、
  でも歩かんと足が悪くなる…」

 テキスト2
 「食あたり、だから多分、昼ご飯が良くなかったね、
  弁当があって、
  うん、ほかの人はあの、弁当だからさ、
  自分家から持ってきたやつ。
  火曜日には一応全部出勤で、
  5時半まで働いたけど、…」
 
 とかいう内容で
 原田さんは
 「テキスト1の方があいまいだけど、話が飛んでいる感じがしない。
  テキスト2は話があっちこっちに飛んでいるから、2かな」と。
 私も2かなあ、と思っていたのだが

 認知症早期発見サポートAIにこれらのAIを読み込ませると
 1の方が「可能性大」
 2は「可能性小」と出る。
 実際、1が認知症の方で、2は健康な方だったそうです。

 一見見ただけでは分からないのですが
 豊柴さんによると、認知症の方の話の特徴として
 ・「あれ」「これ」など指示語が増える
 ・同じ内容を反復する
 ・話題の幅が狭い
 などがあるのだそうです

 なるほど、筋が通ってない、というよりも
 同じ話を何回もする、ってのが危険なのね。

 岸本さんによれば、
 AIに会話書き起こしデータを入れることで、
 この特徴を定量化することができるらしい

 方法としては、
 まず文章の会話をテキストデータにし、
 それらを単語(名詞、品詞など)に分解する
 それらをすべて要素ごとに数値化して、(1,3,4,…)などという行列で示し、
 これらをベクトルに変換する

 簡単な例で3次元ベクトルにし、それをビジュアル化すると
 3次元空間上の一つの点(正確に言うと、原点から座標空間中の点までの矢印)で示される
 認知症のAさん、Bさん、…健康な方のaさん、bさん…のベクトルを出して
 三次元上にそれぞれプロットすると
 認知症の方どうし、健康な方どうしでだいたい固まった場所にプロットされる
 それをもとに、このへんなら認知症の人の可能性が高い、低いと判断できる

 実際は3次元だけではなく、100次元単位で解析するそうで
 このようなデータ解析により、認知症の解析ができるようになるそうです

 慶応義塾大学の研究員の方が
 実際に原田さんと10分ほど会話し、そのデータを録音、解析していました 
 「生活していてお困りのことは…」など、ごく普通の会話です。
 今までに1400件ほどの会話データが集められているそうです

 岸本さんはしかし、この技術の扱いは慎重にすべき、
 と話していました
 「望んでもない人が診断されて、差別など悪用されないようにしないといけない。
  例えば認知症の人は保険に入りにくかったり、
  就職しにくかったり…
  などに使われると良くないと思う」

……
 松尾先生は最後の岸本さんの言葉について
 「どう使っていくかは重要だと思います」と賛成しつつ
 「一方で使い方次第では、
  例えば企業の中のうつ病を早期に見つけるとか、
  いい方向に使えるとも思います。
  技術としては広がっていくと思う」
 とおっしゃっていました。

 個人的には、認知症が分かるなら本人にも知らせてほしいな、と思いました
 その方が、進行が進んだときに備えて、財産後見人を決めるとか
 物の整理をしておくとか、やれることがあると思うからです。
 それに、認知症になるかも、と思っておく方が
 心の準備もできるのではないか、と思う。
 (まあ、知りたくない、って人もいると思うので、
  希望者だけでいいと思いますが)

 それから、就職差別、保険差別については、
 社会の方が変わらねばならないのではないか、と思います。
 認知症の人も、まるきり何にもできなくなるわけじゃなくて
 できるところと忘れちゃうところがあるだけ、と聞いたことがある。
 だからそういう特性を理解して、
 認知症の人も働けるような職場環境を作る、とか、
 認知症の人が入れる保険、などが作られればいいのかな、と思います。
 認知症の人が乗れる、柔らかい車とかもできるといいなぁ。
 そうすれば就職差別なども無くなるのでは?

 というか、5人に1人が認知症の時代、でしたっけ?
 これから認知症の人が多くなっていくことが分かっているわけで
 そういうビジネスも出てくるんではないか、と希望的な観測として思います。

 一方、泰川さんは
 「医師も使うなら、AIのことを正確に知る必要がある」
 AIの診断を全てとすべきではない、というお話をされていました

 「完全にAIに判断を任せてしまうと不都合が生じる。
  今でもそういう使い方をする人もいますが、
  (AIには)エビデンスはあると思うが、
  エビデンスがすべてじゃないと思うんですよね」

 「最終的な判断を誰がするのかをちゃんと決めて、
  医師の方がこれは何なのかを本質的にちゃんと理解して、
  そのうえで、メインなものとして使っていくことが大事だと思います」
 と話していました

 AIに頼り過ぎず、人間の判断を絶対とするのでもなく、
 人間の弱点をAIで補いつつ、AIとうまく協力していくことが重要ですね。
  
○ウェンデル・ウォラックさん
 知識人にAIの未来についてインタビューするコーナー、
 今回は倫理学者のウェンデル・ウォラックさんでした
 彼も泰川さんと同じで
 AIの判断と人間の判断をどう折り合わせていくか、という話をしていました
 
 「現在、医療分野のコンピューターシステムには、
  平均的な医師よりも過ぎれた判断ができる。
  では、コンピューターの方が正しいと分かっているとき、
  医師は盲目的に従うべきか?
  あるいは、医師が、コンピューターはすべての情報を反映していない、と感じたときは
  その医師に従うべきなのか?」
 
 「これは簡単な問題ではない。
  私が考えるのは、全員が持つ集合知を求めることだ」
  倫理委員会を開き、実際にコンピューターがすべての情報を反映していないのか、
  どの治療法が最善かを検討することだ、と。

 「私が恐れているのは、人工物の行為に対する人々の責任感が薄れることだ。
  責任を取る人が誰もいなくなるのは、破滅への道だ」

 …昔読んだ、集合知についての本(「群れはなぜ同じ方向を目指すのか?」)
 によれば、集団の多様性が大きいほど、正解に近づくそうです。
 ウォラックさんが、判断に困ったときはみんなで話し合うべきだ、
 というのはそういう考えからなのかなと思いました。
 一人の人と機械、だと多様性は2しかないからね。
 機械も1人として、機械も交えて話し合うのが大事なのかも。

 どちらにせよ、「機械も間違えることがある」
 と思って、人間側の判断力も研ぎ澄ませておくこと
 機械に歯向かう必要もないけど、
 機械に盲目的に従う必要もない、
 と思っておくことかなと感じました
 
○最後に
 原田さんが
 「診療所に来られる方は、
  診察だけじゃなくて、
  コミュニケーションを取りたいと思っている人もいますよね」
 と聞くと、

 泰川さんは
 「医者としてもそうありたい(コミュニケーションを取りたい)と思っています。
  かける時間をかけるべき人に配分できたら、と思う」

 「高齢者は病気をたくさん持っていて、一人の診察にとても時間がかかる。
  医師も高齢化していて、
  高齢者が増えると体力的にきついんですよね…
  そこをAIが補ってくれるといいと思う」

 松尾先生は
 「日本の医療でも、高齢化の問題は避けて通れない。
  そこにAIをどうやって使っていくかを、
  みんなで考えていかねばならない、と思います」
  AIにできることは効率化して、
  人間の医者にしかできない重要なところはたくさんありますし、
  そこにリソースを投入していくことかな、と思います」
 と話して終わっていました。

…高齢者が病院を社交場に使っている、
 とひと昔前に批判されたことがあったような気がするが
 でもコミュニケーションも老いを防ぐ一つの手段でもあるし、
 コミュニケーションをとるための受付AI、
 ある程度ざっくり問診してくれるAI、
 なんてのもできたらいいのかなと思います
 (問診AIについては、シーズン1、2でも紹介されていましたね)
 
 カルテや画像診断、簡単な採血検査、血圧検査なんかも
 自動化されていくと、お医者さんの負担も減るのかな、と思います。

 一方で、あまりに診察の技術を自動化しすぎると
 お医者さんの腕も鈍る可能性もある。
 (研究の世界でも、昔よりキットが出て実験がやりやすくなり、
  原理を考えない学生が増えた、と嘆く大学の先生の話を聞いたことがある)
 なんでこんな判断するんだろう、と考えながら
 もう一度確認する、そういう医師教育も必要なのかなと思います。

…医療へのAI活用は、割と実用に近いところにあるのかなと思います。

 少し前に、医学部受験者の男女差別が話題になっていたけど
 それは女性の離職率が高いからで、
 そのそもそもの原因は過酷な労働環境にあるわけで。

 AIの活用で、医療現場にも働きかた改革が進めば
 もっと女性医師も働きやすくなるし
 医師になりたいと思う人も増えるかもしれないですね。

 また、患者さんにとっても、
 待ち時間や検査時間の少ない診療を受けられるようになるかもしれないし、

 あるいは医療の発達していない国にも、
 日本の高度な医療技術を
 AIなどを使ってデータ化していけば
 短時間で伝授できるようになるのかもしれません。
 (いやらしい話でいうと、ビジネス戦略としても使えるかもしれない)

色々と夢のある技術なので、
開発者さん、
教師データを入れる研究員さん、
現場のお医者さん、
みんな頑張ってほしいな~と思います。

さらには倫理的な問題などもあるので
我々一般人も他人事として考えるのではなく、
こういう技術に関心を向けたり
応援したりしていくことが大事だなと感じました。

というわけで今回はこの辺で。

変化の時代だからこそ、地道に「今、ここ」に集中して生きる。

個人的な話、しかも感覚的な話なのですが、
3月末からなんかリズムが変だなあ…と感じています。

仕事に関しては、
机の場所が変わったり、人の入れ替えがあったりで、
なんだか落ち着かない。

自分の仕事に関しては、
機械がご機嫌ナナメなのもあり
昼休みがろくに取れなかったり、ギリギリまで仕事したり…
昼ごはん食べてても「機械大丈夫かなあ」と気になっちゃって、
味がよく分からなかったりして(笑)

仕事に対するスタンスは、人によっていろいろだろうけど
私は効率よく働いたうえで「定時に帰ります」としたいタイプ。
(もっと言えば、「沖仲士の哲学者」エリック・ホッファーさんの生き方、
 労働は生活のため、残りの時間は思索に費やす、てのが理想)
なので、仕事以外の時間に仕事が食い込むのは
すごく自分の中でバランス崩れている感がある。

その割にやったことに成果が出なくて、ボスの反応もイマイチだし…

そのせいかわかりませんが、
疲れのようなものがたまっていて、
10連休のあとくらいからか、
あんまりやる気が出ない状態になっています。。

なんでしょうね、
5月病ってやつなのかもしれないけど、
仕事も、プライベートもなんですけど
なんだか毎日が心あらずで流れている、というか。

仕事に関しては、やりたくて始めたわけですけど
最初始めた時ほどのワクワク感が無いのですよね。
(まあ、これは社会人みんなそうかもしれんけど…)
最近ちょっとルーティン的、マンネリ化している、というか…
ご機嫌ナナメの機械に付き合うのも疲れてきた。。

あと、日常生活でも
テレビや本などでいろいろ情報収集したりもするのだけど
なんだろうね、ビビッと来るものがあんまりないんだよね。
こればっかりは出会いだから、仕方がないのだけど。

夜眠るときも、睡眠のリズムがなんかおかしい。
眠たくて、爆睡しているときに限って、
タイマーや電話で強制的に起こされたり、
今日は時間あるから寝られる、という時に限って、
なんか目が冴えて眠れなかったり…。。

とにかく、ぐっすり眠りたい。
そのためなら入院してもいいとすら思うくらい。
疲れがたまってるなー、と自分でも思います。

…てなわけで、なんだかリズムがおかしいので
信頼している方に相談したのですが
アドバイスいただいたのが
「マインドフルネス、「今、ここ」に集中するのがいい」
という言葉でした

というわけで、今回は
「今、ここ」に生きる、がテーマでございます。

マインドフルネスは、私の中のイメージでは
瞑想を西洋風にアレンジしたもの、という感じで、
本なんかも良く出ている。
呼吸法とか目をつぶって静かに、という印象。
(多分、ググってもいっぱい出てくる)

そういう、瞑想とか呼吸法もあるのですが
「その時その時の作業に集中すること、
 例えばご飯を食べるときは、過去のこととか先のことをあれこれ考えずに
 ひたすら今食べてるものを味わうこと」
というメッセージをいただきました。

話を聞いたときは、
あれこれあまり考えず、目の前に集中しろという意味かな、
と思っていたのですが、
そのあと、「今、ここ」というキーワードが
心に響くようなものにいくつか出会いました

・「世界の哲学者に人生相談 不安でたまらない」
 1つ目は、Eテレの「世界の哲学者に人生相談」という番組。
 視聴者さんのお悩みを哲学者が解決する、という形式の番組ですが
 この前、2週にわたりハイデガーが取り上げられていました

 このときの視聴者さんからのお悩みは
 「毎日なんでもかんでも不安になってしまう」というもの。
  だんなが事故らないか、子供がぐれないか、
  晩御飯飽きられないか、…など、未来が不安でしょうがないらしい。

  私自身は自分が「不安になる」ってのは暇なときが多いので
  なんか行動してれば気が紛れて、そのうち解決するんじゃない?と思ったのですが…
 
 この番組で登場していたのがハイデガー
 ハイデガーはドイツの哲学者で
 第一次世界大戦に従軍し、ヒトラーの台頭も経験している
 友人が亡くなり、祖国も敗戦した経験から
 「人間の存在」の意味について考えたそうです
 そこで彼が到達したのは
 「ダーザインDasein=今ここ(日本語では「現存在」という難しい訳語)」
 だそうです。
 
 ハイデガーの哲学は難解そうで
 この番組を見ていても、理解するの時間かかりそうだな、
 全部は紹介されきれていないな、と感じました
 (「存在と時間」を読もうかと考えてしまったほどだが、
  書評を読むと、かなりかみ砕いて消化するのが時間かかりそう…)

 エッセンスとして、この番組で紹介されていたのは
 ○「不安」とは「今、ここ」の大切さを教えてくれるものである
 ○「不安」と「恐れ」を明確にする。
  ハイデガーの定義では、「恐れ」は対象が分かるもの
  「不安」は対象が分からないもの
  対象が分かるネガティブ感情は、どうにかできる、ということらしい
 ○「不安」を解決するには、
  「不安」を遠い過去や未来のものと考えるのではなく、
  「今、ここ」の話なのだと考えること
  (ハイデガーの難しい言葉によれば「通俗的時間(過去とか未来)」ではなく
   「根源的時間(今の連続として考える時間)」に生きろ、らしい)

 最初の「不安」は「今、ここ」の大事さを教えてくれる、
 というのは、いまいち解説が弱かったので、分かりにくかったんですが
 私がネットなどで調べたものなどを総合すると
  ・不安を感じるときに、改めて自分や今までを見つめなおし、
   平穏な日常のありがたさがわかる
  ・不安から逃げるための営みが、生きることである
   (生に希望を感じていなければ、不安をどうにかしようともがくこともない)
  自分が「生きてる~!」って感じるために不安はあるんだよ、ということか。

 それから、「根源的時間」については解説があって
 ・ハイデガーの用語では
  「根源的時間」の概念の中では、「過去」は「既在」「未来」は「到来」、というそうです
  過去は、今の自分の中にもある。
  未来は、今に引き寄せることができる、
  という意味だそうです
  過去や未来のことを遠いものとしてとらえず、
  今の問題だと思えば解決できる、と。

 ・「根源的時間」を生きる、という究極的な形として
  死を意識して生きること。
  そうすれば濃密に生きられる、とも言っていました。
  いつ死ぬか分からんと思えば、今日やれることはやろう、と思えるということか。
  これを「先駆的決意性」というそうです
  (たしかスティーブ・ジョブズさんも似たようなことをおっしゃっていたような)

 …なので、相談者さんへの悩み解決法としては
  ・どうなるか分からない未来なんか考えないで、
   今できることを一生懸命やれば大丈夫
  ・いずれ死や悪いことは来る、
   と意識して備えておけば、覚悟もできる、
 などの回答となったのですが

 私の中では「今、ここ」、Daseinの考え方が気になりました
 「未来を遠いものとしてとらえるのではなく
  今やれることに集中すること。
  過去のことについても、もう取り返しがつかない、と思うのではなく
  今の自分につながっているんだ、と考えれば、
  解決に向けて行動できる」

・今を生きる、という体験談
 ただ、私としては、ハイデガーの考え方を聞いた後、迷いもありました…
 何だろう、なんか焦りがあったです。
 
 私は現実的な経済見通しとかも見るのだけど、
 占いとか芸術肌の人の、感覚で先読みする方の話も参考にする人間でして、
 (理性と感性、両方で世界をとらえる方がいいような気がするので)
 例えば占星術的に言えば、
 今年3月から天王星牡牛座時代(7年ぶりの変革)
 去年秋から木星射手座時代(12年に1度)とかいうし、
 まあほかのものも含めて
 「変革せよ」「変化せよ」「挑戦せよ」「自分の心の声に従え」
 みたいな話をよく目にするのですよね。(特にスピ系、なんであんな煽るんでしょうね)

 で、自分の中でも
 何か迷いがあるなら、生活を変えた方がいいのか、
 大きなこと(は何か分からんけど)に挑戦した方がいいのか、
 などという焦りをなんとなく感じてしまって…

 しかしながら、
 その辺をリアルに考えてみても
 新しい世界にチャレンジする気力が自分の中に無いと感じる。
 (そもそも疲れているし)

 そこでハイデガーの話で気になった、
 「今、ここ」というキーワードでいろいろ探してみたのだが
  https://globo-site.com/imakoko-ishiki/

 この方の体験談はすとんと来ました。
 今、ここ、を楽しむにはどうしたらいいか?というもので

  仕事をしているときも、
  過去や未来を気にするのではなく、
  今していることを楽しめば時間が濃密になる、

 というようなことを書いていらっしゃる。
 
 具体的に言えば
  仕事をしているとき、この仕事してたら給料いくらかな、とか
  仕事終わったら何しよう、とか、
  昨日あの人こうだった、…
 とか、未来や過去を考えていると
 実際の仕事がおろそかになって、ルーティンな感じがして、つまらなくなる。
 
 でも、目の前の作業とか、目の前の人との会話に集中して
 心をこめて一つ一つの動作をしていけば
 誰かとの会話から新しい気づきがあったり、
 作業から何か発見があったり、
 感謝も生まれたりする…、、と。

 思えば、私は
 「何か変化をさせなければ」と焦っていたのかなと思います。

 でも、今年とか来年が変革の時代だとしても
 変化って、急に起きるものではないのですよね。
 1日1日の積み重ねで起きるもの。

 過去の社会の変化を見てもそう。
 例えば今のようなネット社会、パソコン社会って、
 私の子供のころには全然予想できなかった事態。
 ポケベル使っていた時代から比べたら、
 みんなスマホいじってる今の世の中は、
 そこから大変革した、とは言えるはず、なのだが、
 実際その時代に生きていた人間にとってみれば
 急に変わった感はなく、いつのまにか変わっていた…って感じではないでしょうか。
 (少なくとも、一斉にみんな携帯使いだした、
  という事態ではないはずだ)

 個人の人生においても、変化ってそんなもんだと思います。
 ドラマチックな出会いで結婚決意したとか
 瞬発的に人生が変わる人もいるかもしれないけど、
 たいがいは、その時は気づかずに
 後から振り返って「あの時が転機だった」と感じるのではないかしら。

 たぶん、日々の生活の積み重ねが
 そのあとの大きな変化につながるのだろう、と思う。

 そして、後で振り返って、それが自分の心に従ったものだった、
 という変化にしていくためには、
 一日一日、目の前の作業に集中することだろうと思う。

 例えば、今やっている仕事が向いているかいないか、
 それはまずちゃんとやってみないと分からない。
 ちゃんとやってみて、合わないなと思ったら
 次の道に潔く行ける気がする。

 まあ人間ですからね、
 どうしても気乗りしないからスルーしよ、という選択もアリなんだけど
 適当にやって、なんかヤだから次、
 と思って次を選んでいるようでは
 どこに行っても自分の「これ!」というものに出会えない気がする。

 それに、全力でやったものは、
 たとえ向いてなかったとしても、次のところで役立つことが絶対ある、と私は思う。
 どんな経験も無駄にはならない。
 いただいた仕事、なすべきことを
 今とりあえずやってみよう、と集中することが大事で、
 そうやっていくと、
 自分の中で「これ!」びびっと来るものに出会えていくのだろうと思う。 

 そして「ああ、自分の人生のここが大変革だったんだ」
 って気づく日が来るんだろう、と思う。

 もちろん最近はブラック企業もあるからね、
 自分の心身を犠牲にしてまで、仕事することは無いわけで。。
 休憩、食事、趣味にも集中するのです。
 仕事以外の時間には、仕事のことは考えない、ていうくらいの勢いで。

 仕事以外でも、好きでやっている趣味でも、ブログ書く人も
 やっている間はその「作業」に集中する。楽しむ。
 そして、疲れたな、もう休もう、と感じたら、途中でもしっかり休みに集中する。

 「今を生きる」を徹底させていくことで
 濃密な時間が過ごせるのではないか。
 そうすることで、今自分がしていることが
 自分の心からやりたいことに従っているのかが、
 感覚としてわかるんじゃないか。
 それが変革の波に乗っていくことにつながるのではないか。
 そんな風に感じました
 
 今を生きる、の意味が、自分の中では少しすとんと来ました。

NHK「SONGS」に出ていたスガシカオさん
 最後に私が「今、ここ」を感じたのは
 録画してみていた「SONGS」のスガシカオさん。

 実は私は昔スガさんのファンでして
 ZEPP OSAKAでやってたライブにも昔行ったことがあります。
 声とか歌も好きなんですが、
 めちゃくちゃサービス良くて、トークも面白くて
 予定より1時間はオーバーしてましたね…
 
 なんでしょうね、ナナメから見た世界観が好きですね。
 世の中に皮肉を込めつつ、
 でも弱者に対する優しさも感じられたり…
 あとは、アブノーマルな世界的な曲もあるけど、
 なんかカッコよく聞こえちゃうのよね(笑)

 しかしながら正直言うと、4枚目のアルバムくらいからイマイチ…と感じるようになり
 私も出産したりとかで全然聴かなくなって、
 彼自身がインディーズに戻ってしまったのもあり
 聴くのといえばKHK「プロフェッショナル」の「Progress」くらい…
 (っていうか、これもKokuaというユニットの曲だったと思うが)

 で、今回の「SONGS」(この番組も、大泉洋さんの進行が面白いのでたまに見る)
 では、そんなスガさんがインディーズに戻った理由、
 またメジャーに戻った理由、などの話も織り交ぜつつ
 「夜空のムコウ」「Progress」「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」
 を歌ってくださっていて、見ごたえありました。

 スガさんは紅白にも出たそうなのですが
 そのあと2011年に事務所などとの契約を解除しています
 その理由について
 「自分の中で、いろんなものがルーティンになってきたのが嫌になってきたんすよね」
 という話をされていました
 もっと生の反応がほしい、と。

 そこから、プロモーションも宣伝も事務も全部、自分と数人のスタッフでやって
 最初のお仕事が東北でのライブだったそうですが
 その時「Progress」を歌っていた時の話をされていました
 「お客さんが何人かすすり泣いているのが見えて、
  なんかこっちももらい泣きしそうになっちゃて…
  でも歌がダメになっちゃうから、聞かないように必死に歌い遂げた、
  今でも覚えてます」
 「自分が今までやってきたことが、分かってもらえてるんだ、
  と実感した」
 
 私も「Progress」は毎回「プロフェッショナル」で聴くのだが
 この歌は好きです。
 聴く時々によって、心に響きます。
 
 スガさんの「ルーティンになってきたのが嫌になった」
 てのは、今も私は似たような心情なので
 (といってもそんなに長いこと仕事してないんだけど) 
 なんとなくわかる。

 スガさんはそこから環境を変えたわけで、
 外から見たら大変化なのだが、
 ご本人の中では、地道な目の前の「今、ここ」に戻った、
 ということなのかなと思う。
 目の前の人に歌を届けたい、地道な歩みをもう一度してみたい、みたいな…

 「Progress」の歌詞でも
 「ずっと探してきた 本当の自分って もう少しカッコよかったけど
  僕が歩いてきた その道のりを 本当のジブンって言うらしい」
 この歌詞が、なんだかずーんと胸に響きました。

 番組の最後に流れていたのは
 「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」
 新しい曲なんですけど、これは別の番組でちょっとだけ聴いていて
 全部聴きたいなあと思っていたので、ここで聴けて良かったです
 歌詞も曲調も、昔のスガさんっぽい…
 後ろ向きっぽいのに、「ま、こんな世界だけど生きてこか」て気にさせられる。

 スガさんはまたメジャーに戻った理由として
 「やっぱりいい曲ができたときには、
  たくさんの人に聞いてほしい、と思うから。
  インディーズだと、どうしても一部のファンの人にしか知らせることができない」
 と話しておられました。
 
 でもそれも、目の前のことに集中したからこそ到達した場所なのかな、と思う。
 なんか、またメッセージ性の高い曲が聴けそうな気がする。
 今後楽しみだな~と思いました。

将来どうなるか、
1年後、5年後、10年後に地球や世界に起きている変化に、
自分がついていけるのか。
…なんていう大きな不安も、私は感じることがたまにあるのですけど、

1日1日、1分1秒を濃密に、
自分の心に尋ねながら生きていく、
その積み重ねが、将来の何かを作るかもしれない。

そう信じて、目の前のことに集中していこうと思いました。

というわけで今回はこの辺で。

「世界のすごいお葬式」ケイトリン・ドーティ

「世界のすごいお葬式」ケイトリン・ドーティ

何となく読んでみた本。
邦題からして、奇抜な葬式を取り上げた雑学的な本かと思っていたが
もっと重いテーマのある本でした。
原題は「From Here to Eternity ~Traveling the World to Find the Good Death~」
こっちの方が内容に合うかなと思います

筆者はアメリカの葬儀屋さん。
現代アメリカの、効率重視の葬儀に疑問を持ち、
「死者と向き合い、寄り添える葬儀を目指すべき」
と、世界を旅したルポのような本です

読んでいて、アメリカ式の葬儀への批判が前提で、
いまいち分かりにくかったんですが
あとがきによると、
アメリカの場合は、
お葬式のあと、遺体にエンバーミング(薬品による腐敗防止の処置)を施し、
きれいな状態にしてから棺に入れ、土葬するらしい。
一部火葬もあるそうですが
いずれにしても処置するのは葬儀屋さんで
家族で立ち会わない人もいるんだそう
時間もきっちり決まっていて、
時間が来たら納棺、とか、形式的に進むことが多いらしい

日本でも今は葬儀屋さん任せで、簡素化したなぁと思うけど
(昔は家でお葬式や食事などしてましたけど、今は葬儀場ですね)
アメリカと比べれば、お骨拾いとか49日までの法要とか
まだ死者と寄り添う儀式があるのかもしれない。

筆者はそういう、簡素化したアメリカの儀式は
死を覆い隠す、死を忘れようとするやり方だと感じ、
土葬や火葬、自然葬など、
顧客の望むやり方でお葬式をする会社を起業しています。

さて、この本で筆者が紹介している弔いの風習は
死者と共に暮らす、
ガイコツを崇める、
遺体を肥料にする、…などで、
まあめちゃくちゃ奇抜、ってのは無いんですが、
それらの儀式に込められた意味合いについての
筆者の分析が興味深かったです。

というわけでざざっと内容書いてみます
コロラド州クレストンの火葬
 アメリカでは土葬が一般的(これはカトリックの影響もあるみたいです)ですが
 コロラド州クレストンには、アメリカで唯一の野外火葬場があるそうです
 それも公共団体ではなく、ボランティア団体が行っているらしい

 筆者の会社も火葬は行っているのですが
 施設ではなく、自然の中で、野外で、
 それも小さい町なので、町の人たちみんなが参列する、
 というのが筆者の心を打つらしく、
 何回か見に行っているそうです

 やり方としては
 コンクリートの台の上に備え付けられた網の上に
 遺体と薪と香草(ジュニパー)を乗せて、火を付けて焼く
 町の人たちみんなで、その火を取り囲んで見送る
 今では音楽付きの儀式のような感じになっているそうです

 しかしこのやり方を受け入れてくれる地域はなかなか無かったらしい
 コロラド州のこの町は割と自由な雰囲気の所で
 ヒッピーとか仏教とか色んな宗教の方もいて、受け入れられやすかったみたいです

 とはいえ最初はこの地域でも猛反対にあい、
 事故や感染の危険はない、
 などの科学的根拠を示しても納得されなかった
 それでも住民に、実際何が不安なの?ってのをヒアリングし、説明して回るうちに
 自分もしてほしいという人が増えて来たんだそう

 この団体のやり方は、大がかりな焼却場も要らず、シンプルなもので、
 お金もそんなにかからない。
 なので利用者にもそんなに負担にならないそうです
 さらに、火葬以外の葬儀も頼まれればサポートするし、
 また、普段から人生を終えるときに必要な書類のレクチャーをするなど、
 地域のためになるサービスも提供しているので
 今では
 「あなたたちが来てくれて良かった」とも言われるそうです

 しかし、なぜ火葬が良いのか?
 この団体の方の考え方は書いてなかったんですが
 筆者によると、火葬の習慣を持つ民族の方たちは
 「焼かれることで、魂は解放され、自由になる」
 「残された者も、燃えているのは肉体に過ぎないと悟り、執着はきれいに消える」
 と言うそうです
 つまり、見送る方も、見送られる方も、
 炎によりすべてが浄化され、この世への未練が無くなる、ということか。

 アメリカでも火葬を希望する方は少なからずいて、
 この団体に問い合わせもあるそうですが、
 この町の住人に限り、受け入れているんだそうです
 そのためだけにここの土地を購入する人もいたのだとか

 こじんまりした町なので、住人はお互いのことを知っていて、
 故人を焼くときは、町中の人たちがその炎を取り囲んで、温かく見送る
 母親の葬儀に参列したある男性(別の町に住んでいる)は、
 火葬と聞いて最初不安に思ったそうですが
 「この町の人たちに母は愛されていたんだな、と感じた」と話していました
 
 日本では今では火葬が当たり前ですが、
 野外で、実際肉体が焼かれているのを目にする、
 というのは日本のやり方と違い、インパクトが大きい気がしました

 私は想像しかできないのだが
 リアルに別れを実感したり、
 あるいは悪いこと、嫌だったことも全て浄化されるような気持ちになるのかな、
 と思いました

インドネシア
 インドネシアのタナトラジャ地方に住むトラジャ族は、
 亡くなった方を埋葬した後、
 数年に1回、墓から掘り出し、
 たびたび再会する習慣があるそうです

 …お墓の中で腐らないの?と思ったんですけど、
 遺体はきれいにミイラ化しているらしい
 腐らない理由は定かではないそうですが、
 気候のため、あるいは昔ながらの処理方法
 (口から油を注ぎ、茶葉や樹皮で皮膚を覆う)のため、
 などと言われているそうです

 この部族にとっては、遺体に触れたりするのは抵抗が無いらしく、
 亡くなってからも長期間、遺体と一緒に暮らす習慣もあるらしい
 それは数ヵ月、数年に及ぶこともあり
 その間は遺体を着替えさせ、共に食事したり話しかけたりする
 筆者を案内してくれた方に「気持ち悪くないのか」と聞いたが
 自分も7年おじいちゃんの遺体と暮らしていた、
 毎朝起きたらおじいちゃんの服を着替えさせるのが習慣だった、と話していました

 なぜ遺体と暮らすのかというと、
 彼らの概念では、肉体的に死んでも魂は死んでない、と考えているみたいです。
 彼らの文化では、
 人間と動物、生者と死者とは自由に行き来できる、と考えるそうで、
 死体に話しかけたりするのは、
 そうすることで、亡くなった方と魂の交信ができる、と信じているからなのだそう

 遺体を掘り返す儀式もその延長にあるもので、
 掘り返して話しかけたりすることで、
 また死者と魂を交信しあっている

 あんまり説明は無かったんですけど、
 この儀式は、マネネと呼ばれる決まった期間に行われるようです

 マネネの間、村人はみんな集まって遺体を掘り返し、
 遺体を丁寧に洗い、服も着替えさせる
 息子との再会に涙を流す母親もいたそうです

 …遺体と再会する、のはちょっとぎょっとするんですが
 (日本だったら、怪談話になりそうです)
 でも死者が帰ってくる、ていうのは、お盆も似たようなものかなと思う。
 遺体があるリアル版なだけで
 亡くなった方とまた会話できる、と考えたら
 遺族にとってはある意味嬉しいと思える日なのかもしれないな、
 と思いました

○メキシコ
 メキシコは、死者を祭るお祭り「死者の日」があるそうです
 毎年11月1日で、
 その日はこの世とあの世のゲートがあき、
 死者の魂が現世に訪れると考えられている
 そのため、パンやバナナなどのお供え物をするそうです
 
 その風習自体は日本のお盆と似てなくもないので
 さして驚きもないのですけど、
 この章はどちらかいうと、
 筆者を案内してくれた女性の話が印象的でした

 その女性は、メキシコからの移民3世で
 祖父母、両親は差別に苦労しながらも、アメリカで生計を立てる
 そんな家族の体験から、
 肌の色が白に近い彼女は、メキシコ文化から遠ざけられながら育ったそうです

 そのあと、彼女は結婚し、赤ちゃんを授かる
 しかし、喜びもつかの間、妊娠6ヶ月で先天性の病気が見つかり
 医師に「私なら生むのを勧めない、長く生きられない」と言われ
 泣く泣く人工中絶を選択する

 その後の彼女の喪失感は計り知れないものだったそうです
 ネットで体験談を探しても
 ありきたりの慰めばかりで、彼女は満たされない

 そんなとき救いを得たのが自分のルーツ、メキシコで、
 彼女は夫とともにメキシコに訪れる
 そのとき、ここには死者を受け入れる習慣がある、安らぎがある
 と感じたんだそうです

 というのは、彼女がメキシコに行ったとき、ミイラ博物館もあり
 そこには幼くして亡くなった子供のミイラもあった
 メキシコでは亡くなった子供は小さな天使と呼ばれ、
 精霊として敬われるそうです
 小さな遺体はきれいに洗われ、聖人の衣装を着せられ、神に近い存在となる

 彼女はそれを見て、子供の死を無かったことにしない、
 むしろ神様の近くにいさせてもらえる、
 そのことに心を動かされたそうです

 筆者はその女性とともに、
 11月1日、死者の日のお祭りがされているミチョアカン州の町を訪れている
 その日は屋台が並び、墓地にはキャンドルの炎が灯されて死者を迎えるそうです

 彼女は
 「子供が無くなった人は
  自分の子供について語る機会を奪われる。
  でもこの日によって、
  自分の子を変わらず愛している、
  今もその子を誇りに思っていると示す機会を取り戻すことができる」
 と話していました

 アメリカにいたとき、
 彼女は子供を亡くしたこと自体だけではなく、
 周りの人たちの反応にも苦しんだんだそうです。

 悲しみを見せるな、
 悲しいからって周囲を巻き込むなと重圧を感じ、
 悲しむこともできない、それが辛かった、と。

 筆者によると、欧米の葬儀では「尊厳」が重視され、葬式の儀式も形式的。
 通夜は2時間、など時間がきっちり決まっていて、
 遺族は棺が埋められるのを見届けることがないまま、
 お墓を離れるように言われてしまうんだそうです
 (全部が全部、そうじゃないとは思うが)

 私は、メキシコの儀式よりも、
 むしろアメリカの合理化されているお葬式の方に驚きました。
 生きている人の生活の方が大事だから簡素化する方がいい、
 という意見もあるのかもしれないけど、
 特に愛情が深い人にとっては、
 故人とゆっくり向き合いたい、
 納得いくまで悲しみに浸りたい、という気持ちはどの民族にも共通であるはずで
 順序が逆に亡くなってしまった子供ならなおさらだ、
 と強く感じました

ノースカロライナ州カロウィー、遺体を肥料化する事業
 ここでは、遺体を堆肥化する研究をしている方がいるんだそうです。

 元々建築学の方なのだが、
 お墓の設計をしていくうちに、
 「死んだら土に還りたい」と望む人が少なくないと感じ、
 微生物により、そのまま埋めるよりも速く、
 土に還れる方法を研究することにしたのだそう

 彼女がそのアイデアを論文にしたところ、
 法医学者などが賛同して、共同研究するプロジェクトが発足したそうです。

 彼女の方法では、炭素を含む混合物(ウッドチップなど)に遺体を寝かせ、
 水を与えることで
 微生物が遺体を分解し、4~6週間で分解される計算なのだそう
 まだ研究段階ですが、
 土に還りたいという希望を持って、遺体を提供してくださる方もいるのだそう

 彼女の研究にはもちろん反対する人もいて
 「高齢者が強制安楽死され、コンポストにされる可能性がある」
 「大量殺人を合法に隠蔽する」
 などという、想像力豊かな?批判もあるんだそうですが

 筆者は、彼女自身は環境保護活動にも熱心な方で、
 そんなクレイジーな方ではない、と断言する。
 共同研究者の法医学者も
 「ここではドナーをMr.○○、Mrs.○○と呼んでいる。
  ドナーは研究物ではなく、人間ですから」
 と、ドナーになってくださる方への敬意を忘れないそうです

 筆者は施設にも同行していますが、
 まだ研究の途中なので
 うまいこと分解がなされてない様子なども描かれています
 悪臭はどうなんだろう?と思ったんですが
 法医学者によれば
 「捜査犬はコンポスト施設に見向きもしなかった」と証言していて、
 順調に進めば採用されるのかも?と思いました
 
 ちなみに、火葬して土に埋めれば肥料になる、と考える人もいますが
 人の体は、燃やしてしまうとあんまり栄養は残らないそうです…
 自分が養分となって新しい命を育む、
 てのはいい考えだなあと思うのだが 
 それを実際やるのがアメリカっぽい、って気もしました…

 筆者は、このプロジェクトに関わるのがほとんど女性だ、
 という事実にも言及していて
 建築学者の女性も
 「体を腐敗に任せる、という考え方は、
  もしかしたら、(男性側の要望で)見た目を気にする
  今の女性の風潮に抗っているのかも」
 というようなことを話している

 つまり、遺体を積極的に腐らせる、てのは、
 女性の男性目線からの解放、フェミニズム運動的な意味合いもあるのかも、
 というような分析もなされていて、
 そういう見方もあるんか、と個人的には思いました

○スペイン、ガラス越しの遺体、お墓のリサイクル
 スペイン、というかヨーロッパでは、
 お墓はリースが一般的なんだそうです

 亡くなったらお墓のリース契約をし、
 一定期間、遺体が分解されて骨になるまでお墓に入れて、
 そのあとはお骨を集団埋葬する、というのが当たり前らしい
 (ドイツなどでもそうらしく、お墓使いまわしって抵抗ないのか?
  とちょっとびっくりしました)
 
 スペインの場合は、カトリックの影響で埋葬が多いものの、
 火葬率は3~4割、火葬と埋葬が多いそうです

 埋葬する場合は、死後24時間以内にしてしまうことが多いそうで
 (衛生上の問題なのか、文化の問題なのかは不明)
 そのためエンバーミング処理はほとんどしないらしい
 (ちなみに、アメリカ、カナダ、ニュージーランドはほとんどエンバーミングするそうです)
 埋葬される前は、ガラスの入れ物に遺体を入れられ
 遺族は最後の別れをするそうです

 火葬の場合は、火葬場で焼かれますが
 遺族はガラス越しにその様子を見ることができ、
 6割が立ち会うそうです。
 筆者がこの数字に驚いていて、
 アメリカではほとんど立ち会わないどころか、
 立ち会えることも知らない遺族が多いらしい

 筆者は、スペインのやり方を見ていて、
 どうもすべてがガラス越し、というのが納得いっていないようだったのですが
 (故人と家族が触れ合うことができないので)
 このガラスがあるからこそ、 
 遺族は遺体への警戒心を捨て、死者に近づくことができ、
 火葬などの立会も増えているのかも、とも分析していました

○日本
 筆者は日本も訪れています。
 日本人の私としては、日本の事例紹介よりも
 筆者がアメリカ人として日本をどう見ているか、というのが興味深かったです。

 筆者が日本人の死に対する考え方として書いていたのは
 ・自殺を利他的なもの、と考える
  筆者によれば、西洋は自殺は罪で、身勝手な行為とされるが、
  日本の場合、古くは武士の切腹があり、
  戦争時には神風特攻隊があり、
  また姥捨て山の昔話もある

  西洋では日本は自殺に容認的なので自殺文化を助長する、
  と批判する人もいるそうですが、
  筆者は、日本人の自殺には
  「周囲の負担になりたくない」という考え方があるのでは、
  と分析していました。なるほど。

  日本では人のための自殺なら容認される、という分析については、
  一昔前の話なんじゃ?思いますが
  現代でも、日本では自殺はよっぽど苦しんだ人が選ぶ手段、かわいそう、
  という感じで
  たしかに自分勝手とか、意思が弱い、
  などと非難されることはあまり無いかもしれないですね。

 ・日本の風習
  日本はほぼ火葬で、その割合は99.9%。これは世界一なのだそうです。
  昔は土葬でしたが、土地がないことも関係しているのかな。
  筆者は火葬場も見学していて「清潔で高級」と話しています
  日本の場合、お骨をお箸で骨壺に入れるのが普通ですが、
  アメリカでは骨は粉々にしてしまうのだそうです。
  お話を伺った住職によれば「日本人は骨が好き、魂を感じられる」とのことです

  ちなみに私は知らなかったですが、お骨を上げた後残った灰は、
  持ち帰る遺族と、壺に入りきらなくて置いていく遺族がいるそうです
  残された場合、業者がまとめて処分しますが、
  その灰の上に桜の木などが植えられることもあるんだそうです

 ・日本人の死体観 
  筆者によると、日本人は死体を汚れたもの、
  忌むべきものと思う風習があったのだそうです。
  数々の儀式は、遺体を悪霊から遠ざけ、汚れを取り除くためのもの
  忌明けというのは汚れが取り除かれたことを意味する、と。
  妊婦はお葬式に来てはいけないとか
  葬式に出席した後は塩でお清めするのもその考えに基づくそうなのだが、
  なるほど、あまり深く考えてなかったけどそうか、と、改めて勉強になりました

 筆者は最近の日本のトレンドも書いていて、  
 ・終活ブーム
  遺影撮影カメラマン、死に装束のオーダーメイドもある、
  日本のバズワードは「終活」という紹介もされていました
 
 ほか、最新技術と融合した先進的なお寺も紹介されていました 
 ・新宿のICカード管理の墓地
  昔は端末に名前を記入するようになっていたが、
  操作できないお年寄りもいたので、ICカードも使えるようにしたそうです
  お墓の管理は、家族に代わって住職が行ってくれる

 ・横浜の死者のためのホテル
  これは私もビックリしましたが、
  死者がお葬式の前に滞在(冷蔵室で管理される)
  その間家族が好きなだけ会うことができるホテルもあるそうです
  お風呂もあり、死者とともにお風呂に入ることもできるし、
  家族が宿泊する部屋もあり、
  お通夜もできるんだそうです。

  ホテルは明るく清潔で、従業員の方も朗らかなのだそう。
  経営されている方によると
  遺体を清めたり寄り添って過ごすのは、
  家族の悲しみを癒す効果があるのだそうです。
  筆者の言葉で言うと、
  昔の日本のように死体を汚れあるものとするのではなく、
  故人の入れ物だった美しい抜け殻として、遺体を慈しむ効果がある、
  とのことです。
  
 ・両国の高層墓地
  これは私もテレビで見たことがあるが、
  お墓の場所がない、遠くて行けない、
  という都会では、高層マンションに墓地を作る、という試みがあるそうです
  ICカードでお墓を訪れることができ、管理は住職が代わりにしてくれる

  この会社とは別ですが、オンラインでお墓詣りできる会社もあります

 筆者はこれらの日本の方法を
  日本人は昔は死体を恐れていたが
  今はその恐れを乗り越えて
  亡くなった方の人物を見るようになっている、
  そうして悲しみを癒し、亡くなった方に寄り添おうとしている、
  そのために最新のテクノロジーとの融合も試みている、
 と好意的に評価していました
 
 アメリカは逆に火葬が増えていて、
 早く死から離れよう、死を忘れようとしているそうです

 個人的には、デジタルなお墓とかIC管理のお墓などは
 日本全体ではまだ一般的ではなく、
 特に田舎やお年寄りには眉をひそめられているような気もしていて、
 好意的な評価がされるのは逆に新鮮でした。
 デジタルなんて軽い、と思う人もいるかもしれないが、
 死者を想う心を忘れなければいいのかな、
 現代に合わせてやり方を変えていくのはありなのかなと思いました

 ちなみに他に私がテレビで見た最近の日本の弔い方は、
 遺骨や遺灰をネックレスにしたり、遺灰をダイアモンドに加工する、
 骨壺をインテリア的なデザインとしてとして部屋に置く、
 あとお墓と連動したアプリで故人と会話する、…など。
 ネックレスなんかは、
 利用している方によれば亡くなった人をより身近に感じられるそうで
 それも死者を思う1つの形なのかもしれない。
 
ボリビア、死者信仰
 ボリビアには、頭蓋骨を祭壇に並べ、崇める人たちがいるそうです
 彼女たちは夢でその頭蓋骨に呼ばれ、
 夢で呼ばれた場所に行ってその頭蓋骨に出会うのだそう

 家族の頭蓋骨を持つ人もいるが
 全く無縁の頭蓋骨の場合が多い
 それぞれの頭蓋骨には名前を付けられ
 頭蓋骨ごとに担当の分野があるそうです
 (日本の神様に、安産とか学業成就などの担当分野があるのと同じ)

 この頭蓋骨信仰はカトリックには面白くないそうで、
 止められてはいるが熱心な信者も少なくない
 男性社会のカトリック社会で差別されている女性、
 弱者が救われる道として骸骨信仰があるんじゃないか、
 と筆者は分析していました

 骸骨を神様として崇める、てのはそんなに珍しい気はしなかったんですが
 (たしかテレビで見たけど、
  南米のどこかでミイラを祭っているところもあったような)
 でも男性階級社会のカトリックへのアンチテーゼ、
 と見ると、さきほどのフェニミズムの話と同じで、
 現代社会、生きている人の社会を反映しているというか、
 なかなか深い話だなと感じました

○筆者の会社
 最後に取材旅行を終えた筆者の会社の様子が書かれていました

 そのとき自然葬の依頼があったそうで
 亡くなった方の遺体を引き取りに行く様子が書かれていました

 遺体は検視局に1ヶ月半置かれていて
 遺体の一部にはカビが生え、
 遺体袋の中は腐敗した体液でびちょびちょになっている状態だったそうです

 筆者や他のスタッフは、その方を袋から救いだし、
 カビているところが剥がれないよう気を付けつつ、
 きれいに洗って整える
 そのあと自然葬の霊園に連れて行き、エンバーミングすることなく埋葬する

 筆者はその作業をいやがることもなく
 亡くなった方に敬意を払い、淡々と行っていました。

 その作業を行いながら、
 筆者は、実は自分が一番望む埋葬法だが、
 恐らく叶えられないであろう方法について言及していました

 それは鳥葬で
 インドに移り住んだゾロアスター教の方々が行っていたそうです
 死者は牛の尿で清められた後、
 一晩お祈りや聖典を読み上げ、悪霊を払ったのちに
 ようやく塔の上に運ばれ、ハゲタカがついばんでいく

 しかし、1990年代にインドで牛への鎮痛剤処方を認められると
 牛を餌としていたハゲタカがその薬が元で大量死し
 今では難しくなっているそうです

 ほかにもチベットでも天葬と呼ばれる似たようなやり方があり
 伝統的なやり方では、ハゲワシに供する前に
 骨と肉を解体する仕事の方がいたのだそうです
 (とても過酷な仕事で、熟練の職人さんも酒なしではやってられない仕事らしい)

 しかし、この方法も、中国からくる観光客が写真を撮りたがり
 そのせいで鳥が近寄らないので、
 儀式がうまくできないのだそう

 筆者も見に行きたいが、
 それは儀式を邪魔することになるから叶わない、
 それは彼らの意には沿わないだろう、という話でした

○最後に
 筆者は最終章で
 「最初にこの仕事を始めたころは、
  スペースを作る仕事だ、と言われた」
 と書いています。
 スペースを築く、というのは
 遺族が外界から何を言われることもなく
 思い切り悲しみに浸れる場所

 彼女はそのころはその言葉を理解できなかったが
 旅してきた国々ではそのスペースがあった、と考えるようになったそうです

 今のアメリカでは、
 病院では亡くなった方は機械的に扱われ
 葬儀屋はお別れ会をショー、商品にしようとする

 筆者は、スペースを築くとは
 遺族に意味のある務めを与える、ということではないか、と書いています。
 骨を拾ったり、遺体を洗ったり、祭壇を作ったり、
 そのような儀式は、
 遺族に目的意識を作り、悲しみから脱出する手助けをしてくれるのではないか、と。

 筆者は、実際に儀式の場に足を運ぼう、と呼び掛けています
 故人の髪の毛に触れるだけでも、メイクしてあげるだけでもいい。
 埋葬に積極的に関わろうとすること、
 それは人間らしい行為、死と悲しみに立ち向かうための行為だ、
 というようなことを書いて終わっていました

○感想など
・この本を読んでいて、お葬式って何のためにやるんだろう、
 と改めて思いました。

 人類は何万年も前から、死者を弔っている。
 動物でも、象など知性が高い生物は死んだ仲間を悼む、
 と聞いたことがあります
 発生の時期からして、人類にとって、芸術と同じくらいの必要さなのかなと思う。

 なんで死者を弔う儀式が必要なのか?
 私が前々から思っていたのは
 葬式は「死んだ人のためではなく、生き残った人の為の儀式」
 残った人たちが、自分達の死の怖さを静めるため、
 (儀式をちゃんと行えば成仏できる、キレイな死後の世界に行ける…みたいな)
 あるいは別れの悲しみを癒すため、
 に行うものなのかなと。
 もっと大きく文化的宗教的に診れば、
 死者を弔う儀式を集団で行うことにより、
 みんなで団結する、という意味合いもあるかもしれない。

 なので私は今まで、
 お葬式に対してはちょっと冷めた見方をしていました

 ちょっとひねた見方かもしれないが、
 生きてる人の自己満足的なもの、
 社会的に、この家はちゃんとしてますよ、と示すためのもの、
 やらなきゃいけないからやってるような儀式、でもあるよな、と。

 なので、形式的にやらなきゃいけないくらいなら
 自分の葬式なぞ大変だし、
 やってくれなくてもいいよ、とすら思っていました。

 昔「ピダハン」というアマゾンに住む民族の話を読んだことがありますが
 その人たちは埋葬の習慣が無いそうで、
 穴をほって埋めて、それでおしまい。
 あとはジャングルの森林が分解してくれるのに任せるそうです

 これは彼らの世界観が影響していて、
 彼らは超現実主義者で、死後の世界とか見えないものは信じない。
 死んだ人はもういないんだから、
 生きているものは自分の生活に集中する、というスタンスなのですが
 (ただし、精霊は「見える」ので信じるらしい)

 個人的には
 その方が執着も残らないし、
 簡単に大地に還ることができるし、いいなぁ…と思っていました
 (今でも、お骨はお墓に閉じ込められるより散骨してほしい、と思っています。。
  まあ、あんまり奇抜なことをやると田舎では嫌がられて、
  残された人が困るだろうから、希望はしないけど)

 しかしこの本を読んでみて、
 お葬式は残された人のためではあるけれど
 それは生きてる人の自己満足や儀礼だけでもないのかな、と思いました。

 お葬式とは、生きている人が悲しみを癒し、きちんと別れを告げて、
 先の人生に前向きになるための儀式なのかな、と。
 生きている人が、亡くなった人との良いエピソードを思い出して温かい心になり
 悲しみから立ち上がって、
 愛情や尊敬など、ポジティブな感情を自分の心に取り戻す過程なのかな、と。

(お盆とか、今回紹介されていた「死者の日」「マネネ」なんかも、
 その人との思い出をまた思い出して
 再びその人への愛情を思い出す過程なのかもしれない。)

 だから自分のお葬式は要らないというのは、
 傲慢な考え方かもしれないと思いました
 残されたものたちが後悔しないお葬式をきちんとしてもらうこと、
 それが死に行くものの、最期の思いやりなのかもしれない。

 私の遠い親戚の方で
 事故で突然亡くなった方がいたんですが
 (ご高齢で、階段から転落したとかいう亡くなり方だったと思います)
 お葬式のとき、みんなが泣き笑いしながら
 「ありがとう」と連呼する、不思議なお葬式だったそうです。

 生前その方自身も、みんなに「ありがとう」と言っていたような方だったそうで
 (私は直接お会いしたことがないのでわかりませんが)
 だからみんなもありがとう、と言っていたんじゃないかな、
 と参列した方は言っていました。
 とても温かい雰囲気のお葬式だったそうです。
 私も葬式をしてもらうなら、
 そんな風に、参列した人達が温かい心になれるものになってほしいな
 と思います。

・見送る側としての気持ちも書いておくと
 正直に言うと、私はお葬式に出たり、人の死に接したりして、
 今までにあまり悲しいと思ったことはないです…

 何ででしょうね、なんか泣けないんですよね。
 (昔は、それで自分が血も涙もない人間なのかしら、と悩んでいました)
 どうでもいいとかじゃなくて、実感がわかない、
 というのが正直な気持ちなのです。
 なんだろう、その人がしばらくどこかに出掛けていて、
 ふっとしたときにまた再会できそうな気がしてしまう。

 逆に、遠い土地に住んでいる知り合いとか、昔の知り合いで
 お互い生きてはいるけど、また会えることが無さそうな人もいるし…

 死に別れるのと、生きているけど会えないのとはあまり変わらないんじゃないか、
 と思うことがある。

 もっと極端に言うと、
 近くにいるだんなとか子供の存在も、なんか夢のように感じることもあるし
 そもそも自分が生きていることすらも、現実なのか夢なのか…
 と思うこともあるし。
 逆に、遠くにいても、知り合いじゃなくても、本の中の作者ですらも
 ああこの人の言う(書いている)こと、私の考えと同じだな…と思えるときは、
 (一方的にだけど)なんかその人の息遣いを感じたりする。

 心が触れ合えたと思える瞬間、
 それが私が他人を感じるときなのかな、と思います。
 それが空間や時間を越えていても
 なんか分かり合えるものがあれば、それが私にとってのリアルなのかな。
 
 昔「100分de名著」のオルテガの回のとき
 解説者だった中島武志さんが
 「死者との出会い直し」
  亡くなった人も、生きている人の心の中で生きていて
  この人がいたら自分の行動をどう思うかなあ…と考えたりする、
  その時亡くなった人と「出会いなおす」んだ、
 …というような話をされていたのですけど

 何か気持ちが通じ合う、通じ合えた、
 と思える思い出、やり取りがあれば
 体が側に居なくても、
 その人を身近に感じられることがあるのかな、と思う。

 生きている間、誰かと出会っている間に、
 そういう瞬間をたくさん自分の中に残しておけば
 たとえ誰かが亡くなったとしても
 自分の心の中で生き続け、
 自分と「出会い直し」てくれるのもしれないですね…
 

誰かをこの世から見送るときは、
別れを悲しみながら、
でも、その人から受け取った言葉、
受け取った思いやり、楽しいエピソードなどを思い出しつつ
ありがとう、と温かい心で見送りたい、

自分が送られる時も
そういう温かいものを
他の方の心に残して去っていきたい、

そんな風に感じました。


というわけで今回はこの辺で。
 
 

口をゆすがないスウェーデン式歯磨きを試してみた件

さいころから、虫歯とは無縁な私ですが
歯周病の恐れがあったり、
1年ほど前、奥歯が欠けて不便な思いをしたり、
歯って大事だな…とつくづく思います。

しかしながら、
けっこう歯を手入れするのは難しい。
歯間ブラシを買っても、使いづらかったり
歯ブラシを交換しなくちゃと思っても、忘れてしまったり…

そんな私ですが
最近何気なく見ていた番組で紹介されていて
試しにやってみた方法があって、
思っていたよりよさげな感じなものがあったので、
紹介してみようと思います

これはちょっと前に「ためしてガッテン」で紹介されていた
スウェーデンでやられている方法です
スウェーデン人は甘いもの好きで、
 昔は虫歯が多かったが
 この方法で減ったとかいう話です→具体的な数字は忘れました)

しかし、番組冒頭で、
これを普及させたい、とおっしゃっていた歯医者さんは
「日本人には無理かも…」と話していたんです
それで余計に興味を持ったのですが

結論から言うと、それはなんと

「フッ素入りの歯磨き粉をたっぷりつけて磨いて、
 そのあと余分な歯磨き粉は吐き出すが、
 水で口をゆすがない」

というもの。

まあ、詳しくはホームページに書いてあるので
わざわざ私が書くまでもないんですけど、

一応やり方を書いておくと
・歯磨きの量は2センチくらいたっぷりつける
・磨いてゆすがないあと、2~3時間は飲食しない
 (最低でも30分)
というもの
(ただし、12歳以下はおすすめしないそうです、安全のためですかね)
口ぶくぶく、はしないんだそうです。

しかし、歯磨き粉、口の中に残って大丈夫なの?と思ったのだが
紹介していた歯医者さんは
「歯磨き粉は医薬品として作られていて
 入っている成分はそれに準じている」
フッ素なども問題ない量なんだそうです。

実際、スウェーデンの家庭にお邪魔したVTRでは
家族みんな、歯磨き粉を吐き出した後、
歯ブラシは洗うけど、口はゆすがない。
「気持ち悪くないの?」と聞いても
「いいえ、むしろフレッシュよ」という人もいました。

この歯磨き、何がいいかというと、
フッ素が歯にコーティングされやすいのだそうです。

番組で実験した結果によると
フッ素の口の中の残存量は
口をゆすぐ回数に比例して減っていく
ゆすぐ回数が
0回(ゆすがない)…25.8ppm
1回…8.3ppm
4回ゆすぐと、1.9ppmまで減るんだそうな。ゆすがないのと25倍違う。

フッ素は何の役割をするかというと、
歯をコーティングするような役割で、
酸などが歯に触れても溶けにくくなるのだそうです

とはいえ、確かに、磨いたやつをそのまま口の中、てのは
清潔好きの日本人がちょっと引きそうなやり方ですね…
ゲストの方々もびっくりしていました

しかし、 金子貴俊さんでしたかね、
実際番組内で試してくださったんですけど
歯磨き粉を吐き出すにせよ、多少は飲み込んじゃうから、
「初めてバリウム飲んだ感じ」とはおっしゃっていたが
「でも歯医者行かなきゃいけないくらいなら、
 毎日これやるのは全く問題ない」
と話していました

今までいろんな歯磨き法は聞いてきたが
このやり方は私も初耳で、かなりびっくりしました。

けれども、スウェーデンで効果が実証済み、
しかも普通にみんなやってる、てのを聞いて
ならば日本人にできないはずがない、
と思い、私は試してみることにしました。

ただ、洗った汚れが口の中に残るのは気分的に気持ち悪いので
先に歯磨き粉をつけずに磨いて口をゆすぎ、
そのあと、フッ素をコーティングする、という気持ちで
歯磨き粉をたっぷりつけて磨き、
それをゆすがない、
という方法にしてみました
(つまり、歯磨き粉つけずに1回、つけて1回、2回磨くわけです)

やってみると、
最初はやっぱり気持ち悪いですね…

もとから私、歯磨き粉はほとんどつけない人なので
違和感ありまくりです。
しかも最近の歯磨き粉って、ミントの味が多い…
ミント好きじゃないし、
歯磨き粉が奥歯の間でシャリシャリする感触が気持ち悪いし
最初の3分くらいはキツイ…

まあでもその3分超えたくらいになると
だんだん口の中も慣れてきて、
10分もすればスースーしてるのがちょっと残ってるかな、という感じ。

しかし驚いたのはそのずっと後で、
いつも私、朝ちゃんと磨いても、夕方には歯がざらざら…
夜磨いても、朝にはざらざらする…
ということがあったのですけど
この歯磨き方法をしてみると、
夕方あるいは朝まで、歯がつるつる!

甘いもの食べたりすると、
歯がべたべたになったりするんですけど
この方法でも確かにべとつくが、ましにはなっている感じでした

私けっこう歯のざらつきが気になる人間で、
舌でよくチェックして磨きなおす、
というくらいなのですが

この方法だと歯がつるつるのままなので
びっくりしました。

1週間くらいこの方法をやっていますが
もう少し続けてみようかなと思います。

それから、もちろん虫歯予防法は、歯磨きだけではなくて
番組では「プロケア」というのも紹介されていました。

これは、定期的に歯医者さんに行って、
歯石など、普段の歯磨きではどうしても取れない汚れを
プロの歯科衛生士さんに取ってもらう、というもの。

私も独身時代通っていた歯医者さんでは
半年おきくらいに定期的に診てくださり、
歯石など取ってもらっていました
(私はどうしても歯石が溜まりやすい体質なんだそうだ)

しかしながら、子供ができてから
行くのが億劫になり
歯医者が商売のために言っているのか?と疑ってしまったこともあり
(今考えると浅はかでした、スミマセン…)
遠ざかってしまっていましたね…
私は別に歯医者は嫌いではないし、
今後はちゃんと行こうと思いました

私は昔は、年を取ってから入れ歯になるとしても、
まあ年だからしょうがないか…と思っていたんだけど
歯が欠けた時に、自分の歯じゃないとやっぱり不便!
(差し歯とか入れ歯は、本当の歯よりも壊れやすいです。
 そのたびに直してもらうのはとても不便です)
と思うようになっていて、
年をとっても自分の歯で美味しく食べたいな、と思っています。

なので、歯はちゃんとお手入れしよう、
と改めて思いました。

スウェーデン式歯磨きは
生理的にどうしてもダメ、って人もいると思うので
まあ万人にはお勧めしませんが
フッ素コーティングしてるんだ!
と思えば我慢できるかな?
慣れたら割といいんじゃないか、と個人的には思います。

プロケアは万人にお勧めします。
歯周病とか、自覚症状ないものも教えてくださいますし。

歯は大事にしましょうね~

というわけで今回はこの辺で。

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3「第7回恋愛する」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン3「第7回恋愛する」」

AI入門番組の実践編です。
進行とレポーターは原田まりるさん、
解説はAI研究者の松尾豊氏です。
「恋愛」がテーマですが、広く言えば美にも通じるものでした

○今回のゲスト
 今回のゲストは川畑秀明さんでした。
 慶應義塾大学で心理学研究をされているそうです
 「心理学の中でも、
  美しさ、芸術や顔の魅力、恋愛などが
  どういう脳の働きの反映なのかを研究しています」

 松尾先生は
 「恋愛するとき、脳のどこが活動するかとか…?」
 川畑さん
 「そうですね、特に報酬系と呼ばれるところ、
  お金など、ご褒美がもらえると分かっているときに働く系があるんですが、
  それが人に魅力を感じたり、芸術に感動するときにも
  働くことが分かっています」

 原田さん
 「松尾先生は恋愛のとき、どういった感じですか?」
 松尾先生は急に話をふられて
 「…え?恋愛ですか?」(笑)

 しかしやはりクールに(笑)
 「報酬系については興味がありますね。
  恋愛のプロセスというのも、
  うまく報酬系が設定されているなと思うし、
  男性側、女性側でまた絶妙に設計されている気がする」
 原田さん「なるほど」(笑)やはり、表現がAI的というか…

○会話のアドバイスをするAI
 最初に紹介されていたのは、
 チャットでの会話サポートをしてくれるAIでした

 開発したのは六本木にある会社、
 お話を伺ったのは、社長の豊嶋千奈さん、
 開発アドバイザーで北大の川村秀憲さん。

 豊嶋さんは原田さんに
 「ラインなどのメッセージのやり取りで困ったことはないですか?」
 原田さん
 「文字だけだと気持ちが分からないので、
  怒ってますか?とか悲しんでますか?と聞いたりします」
 豊嶋さん
 「かなりストレートですね(笑)
  相手の方の反応は?」
 原田さん
 「怒ってないよ、とか」
 そりゃ親しくない限りは怒ってるよ、ってはっきり言えないし、そう言うしかないですわ(笑)

 通常、恋愛マッチングアプリでは
 登録者の情報から合いそうな人をマッチング
 →チャットしあう
 →会話が合いそうなら実際に会う
 →お付き合いに進展

 …となりますが、
 豊嶋さんによれば
 「チャット」の段階でうまくいかず、次に進めないことが多いらしい

 そこで、豊嶋さんの会社のアプリのAIは
 このチャットで介入して会話を助けてくれるそうです

 原田さんが実際に体験していました
 まず自分の情報を入力、
 すると合いそうな人を候補に出してくれる
 (今回はADさんが仮名でお相手していたそうです)

 原田さんがその人とチャットを始めると
 「何の音楽が好きですか」
 「ヒップホップが好きです」
 「昔からお好きなんですか」
 「中学生くらいから」
 「音楽以外には何がお好きですか」
 「テニスが好きです」

 …などという尋問のような(笑)会話が続き、
 原田さんは苦痛を感じたのか
 「…ログアウトしたい…」

 するとAIが
 「テニスを好きになったきっかけはなにかな?聞いてみたいよね」
 などとアドバイスしてくる

 そこで原田さんは
 「テニスを好きになったきっかけは何ですか」とそのまま聞くと
 「今までやったことが無かったので、
  新しいことをやりたくて始めました」

 豊嶋さんは
 「本人の人となりが出てきましたね。
  チャレンジ精神がありそうな方ですね」

 AIは、原田さんの相手のかたは仕事の話が多い、と判断したようで
 そのあとも
 「休日が不定期なんだって!どんな仕事をしているのかな?」
 「どんな仕事内容なのかな」
 などとアドバイスしてくる

 相手の方にもアドバイスが出ているそうで
 今回はADさんがデートに誘おうとすると
 「まだ誘わない方がいいぞ!」と言ってくる
 原田さんの好感度を分析して、
 そこからまだ機が熟してないぞと判断して言ってくれるそうです

 豊嶋さんは
 「好きなものを聞くだけだと、
  その人の人となりは分からないですよね、
  その状態でデートに誘われても、当たり外れが分からない。
  誘う前に人となりが予測できれば
  出会いやすくなると思います」

 原田さん
 「どういう技術を使っているんですか」
 川村さんは
 「AIのスタンダードであるディープラーニングを使っています」
 出会いアプリで、男女のユーザーが増えてビッグデータとなってきて
 うまく行った例も行かなかった例もあり、
 それらを教師データにできるようになった
 今はそれをAIに学ばせ、トレーニングしているそうです

 このAIでは、1000人ぶんの会話データを使っている
 一定時間以上会話が続けば親密である、などと判定して
 それらをもとに、話題の選択やタイミングをアドバイスしている

 原田さんに
 「こんなアプリがあったら自分も使いますか?」と聞かれると
 豊嶋さんは
 「実は、私が20代の時欲しかったサービスを作っているんです」
  若いころにふられたとき、自分が原因と分かっていても、
  具体的に何がダメだったのか分からなかった。
  もし情報があれば、行動も変わっていただろう…
 「そういう情報が必要なときに
  教えてくれるサービスが欲しかった」と。

 原田さんはこのAIを使ってみて
 「恋愛をシミュレーション化しているように感じたんですが」
 豊嶋さん
 「実際、ユーザーさんからは
  リアル「乙女ゲーム」だね、と言われました」

 乙女ゲームとは、男性キャラと会話しながら恋愛していくゲームだそうで

 豊嶋さんはそれでも、
 「ゲームでもいいと思うんです、
  自分が主人公になって、情報を見ながら行動を起こして、
  本当の自分と本当の相手との間をうまくつなぐのが
  このアプリの役割だと思っています」

 まあ、恋愛って感情で引きずり込まれるところもあるけど、
 駆け引きゲームみたいなところもあるからね。
 このAIを福利厚生に導入する企業も出てきているそうです


 原田さんは
 「恋愛もコスパ重視になってきてるなと思いました。
  このAIも、恋愛に失敗しなくないということで開発されたそうで…」

 たしかに、最近若い方は合コンするより、
 結婚相談所の紹介で相手を見つける方、多いです。
 恋愛って結構時間もパワーも食われるし
 相手によってはリスクになるので
 合理的でそれはそれでありかな、と思う。
 昔みたいに、恋愛を芸術とかに昇華させる時代ではないというか、
 そこまでの熱量を持てない人が多い気がするのよね…

 松尾先生は
 「恋愛をシミュレーション化している、
  というのは適切な表現だなと思います。
  相手もこちらもAIからアドバイスを聞きつつ会話している、
  そこにはなにか正解があって、
  そこを目指してやっている感じだなと思いました」

 原田さん
 「川畑先生はどう思われましたか?」
 川畑さん
 「実際に学生さんに使ってどうなるのかな、という興味はありますね」
 引っ込み思案の人も多いので、
 会話がうまくいかない人の助けになればいい、と。

 原田さん
 「チャットでAIの助けで盛り上がっても
  実際会って、会話が進まなかったらどうするのかな、と思ったんですが」

 川畑さん
 「そのような理想(AIの助け)と現実(出会ったとき)にギャップがあったとき、
  どうやって背中を押して、
  恋愛に発展させてあげるかだと思います」

 松尾先生は
 「(実際のデートの時も)
  メガネみたいなのを着けて、
  こういうことを言った方が良い、
  とか指図してくれると良いかなと思いますけど…」
 原田さん
 「そこまでして恋愛する意味あるんですかね」(笑)
 うーん、そうねえ、相手がアドバイスメガネかけてきたら引きそうだな…

○他人から見た自分の印象を教えてくれるAI
 次は都内のエステサロン。
 AIを使った新しいサービスがあるとのことで
 利用中のお客さんに尋ねると
 「自分の印象を数値化してくれるらしいんです」

 この方は
 「子供の入学式の時写真を撮ったら
  自分の予想と実際の写真の映りが違いすぎて、ちょっとショックで…
  その原因を分析して、対策を取ってくださるということなので」

 お店の方に話を聞くと
 まず4枚の色んな表情
 (穏やかだったり、険しかったり、凛としていたり)の顔写真を見せてくれて
 「どのかたが一番知的に見えますか?」
 「どのかたが一番話しかけにくいですか?」

 色んな人に聞いても、たいがい同じ答えなのだそうで
 「ということは、周りが表情から感じ取っている印象はだいたい同じなんですね」

 原田さんは
 「AIが理想と現実のギャップを明確にするんですね…怖~っ!」(笑)

 原田さんも体験していました
 最初に、自分の見られたいイメージを選ぶ
 項目を選ぶようになっていて、
  好印象、楽しそう、人間味がありそう、
  輝いていそう、知的、凛としている、きれい
  前向き、幸せそう、話しかけやすい、かわいい
  上品、清潔感がある、洗練されている、生き生きしている、…など

 原田さんはこのうち、
 「人間味がありそう、輝いている、凛としている、洗練されている、」
 などを選ぶ

 判定を見るとCで(たぶんAに近いほど理想と現実が近い)、本人凹んでました(笑)

 具体的に見てみると
 「かわいい」の項目が高く、「知的」の項目が低い
 「お姉さんタイプになりたいけど、かわいらしいと思われているんですね。
  高望みしてる人みたい…(笑)」

 たしかに原田さんって、私の印象だと
 知的になろうとしてちょっと硬くなっているのかな~、と感じる。
 実際はけっこう天然系じゃないか、とみているのだが(笑)
 そこがかわいらしいというか、人間っぽくていいのになぁ~、
 素を出してくれた方がいいのになぁと思ったりします(あくまで個人的な意見ですが)

 その他、エステサロンらしく
 「疲れている」「イライラしている」の項目もあり、
 原田さんは高いと判断されていました

 開発者の太田さんという方に話を聞くと
 「顔写真に対して、
  生き生きしているなどの項目をスコア化して、AIに学習させて、
  学習させたAIを使って、実際のお写真を判定しています」

 具体的には、
 教師データとして、モデルさんの顔写真を撮影して使っているらしい
 教師データを作るときは、
 モデルさんの前にスクリーンを置いて
 かわいいもの、怖いものなど色んな写真をスクリーンに映し出したものを見せ、
 そのときに瞬時に出た表情をとらえて撮影したんだそう

 そのあと、40~50代の女性にモデルさんの顔写真を見せて、
 印象19項目について、点数を付けてもらい、

 その点数と写真をAIが学習しているそうです

 太田さんは
 「他人にどう見られているかというのは、
  繊細でなかなか分かりにくい情報ですし
  お伝えするのも、人間同士ではなかなか難しいですよね。
  もしこのAIを信頼してくださるなら、
  自分を生き生きさせるパートナーとして使えると思います」

 なるほど、言いにくいことをAIがズバッと教えてくれる、
 と思えばけっこう率直なアドバイスとして使えそうです。
 私も使ってみたいなあ。

 そのあと、「お疲れ」と判定された原田さんはエステしてもらってました(笑)


 原田さん
 「松尾先生、どうでしたか」
 松尾先生
 「すごく良いですね。僕も使いたい」
 原田さんにどうして?と聞かれると
 「どういう印象を他人に与えているのかは気になります」と。
 「学生さんに励ましを与えたいな、
  というときもあるんですけど、
  僕は強く言って、凹ませちゃったりしがちなんで、
  どう言えば相手にやる気を持たせられるか、は気になります」

 原田さん
 「それって表情と関係あるんですか」
 松尾先生
 「僕って、自分が興味ある話は楽しそうになるんだけど、
  興味無い話はけっこうつまらなさそうなのが顔で分かるので…」
 うーん、私はそういう人の方が好きなんだけどなあ。
 その方が分かりやすいし、話してたら悪気あるかどうかは分かるし。
 
 川畑さんはそれを聞くと
 「ストレスのホルモンにコルチゾールってあるんですけど、
  それが強い弱いが顔に現れるという研究があります。
  顔の形態分析をすると、
  どの顔の要素にストレスが乗ってくるか分かるんです」

 松尾先生は
 「顔の形態で?」
 川畑さんは
 「例えば顔の輪郭や目、口などですね。
  人はそれらを複合的に読み取って印象を形成していく」

 この人ストレスたまってんなー、ってのが
 顔を見たらなんとなくわかる、ってことですかね?
 逆に言えば、ストレスで顔が変わるんですね。
 そういえば昔「顔」がテーマの番組で、 
 オバマさんやブッシュ(子)さんなどの元米大統領さんが
 8年の間の顔の比較、がされていたけど
 確かに顔が老けたし険しくなった、ってのが分かって
 アメリカ大統領って過酷な仕事なのね…、ってちょっと怖かったです。

 原田さんは急に思いついたように
 「印象って、人に好かれるのにどのくらい必要なんですか?」
 川畑さん
 「というと?」
 原田さん
 「私って、最初の印象でしか人を好きになったことがなくて、
  中身を知って好きになることが一回も無いんですよ。(一同笑)
  それって印象で決めてるんですかね?
  …あ、でも面食いってわけじゃないんですよ(笑)」

 川畑さん
 「ネガティブな印象を持ったまま何回も会ってもダメなんですけど、
  ニュートラルとかポジティブな印象を持って
  何回も出会いを重ねていけば接近しやすくなる、
  というのはあります」

 松尾先生は
 「でも(印象は)割と接触回数に比例してますよね?
  相手と会うとだんだん好感度が上がってくる…
  だって映画の出会いって、たいがい第一印象は最悪じゃないですか」
 原田さん「なるほど」
 松尾先生
 「原田さんはああいうの共感できない感じ?」
 原田さん「フィクションだな、って思います」(笑)

 昔本で読んだけど
 相手の評価は最初の印象でだいたい決まって、
 2回目で確認し、3回目でダメ押しする
 3回目くらいまでリカバリーできないと、印象を覆すのが難しい、
 とか書いてあった気がするのだが…(「人たらしのブラック真理術」)
 私は第一印象があてにならないことが多いので、あまり当てはまりませんが。

 原田さんの場合は、第一印象で思い込み過ぎているか、
 それとも直感がかなり鋭くて、見ただけで相手を見抜けるか
 (うちの義母さんはそのタイプ)
 どっちかなんだと思います。
 私はその逆で中身見ないと人となりが分からないので、
 特に第一印象が悪い人に対しては、初めて会ったつもりで会話しています。

○マックス・テグマークさん
 各界の知識人にAIの未来についてお話を聞くコーナー
 今回は物理学者のマックス・テグマークさんでした

 彼は、意識を持つAIができるはず、
 そうなったらそのAIの「人権」も守ってあげるべき、
 ということを話していました

 「我々は、どんなAIシステムが意識を持つのか、まだ分かっていない。
  それは、どんな生物学的な学習で
  意識ができるのかを分かっていないからです」

 「しかしブレイクスルーがあれば、
  このような機械を構築すれば意識を持つ、とか、
  同じ用途でも、こう構築すれば意識を持たない、
  などと予測できるようになるはすです」

 「そうすれば、退屈な作業をするロボットには意識を持たせず
  介護など、感情が必要なロボットには
  意識を持たせることもできるはずです」

 しかし、このことは付け加えさせてほしい、と前置きしたあと

 「人類は、長年自分達は、特別な存在だと思い上がってきた。
  奴隷は意識が無いからどんな扱いをしてもいい
  動物は意識が無いから何をしてもいい、などと…」

 「私は、機械に対して同じ過ちを犯したくない。
  本当に知性と意識を持つ機械を作るならば
  その機械が苦しむような設計をすることは、
  人間を苦しませるのと同じくらい、非道徳的なことです」

 「ですから、本当に喜びを感じられる機械を作りだし、
  それが宇宙に広がっていくなら
  それはとても素晴らしいことです」

 テグマークさん、楽観的で人間味のある方なんで、けっこう私は好きです。
 「LIFE3.0」という本が話題だそうですが、
 邦訳はまだされてないみたいですね…

○最後に
 原田さん
 「今回はどうでしたか」
 松尾先生は
 「面白いですね、技術を上手に使っているなぁということ、
  今の時代ならではの恋愛があるんだなと感じました」
 それから、
 「これからは、人の勘に基づく部分がどんどんAIにスコア化されていくと思います。
  熟練の領域も、スコア化されていく。
  ビューティーは、完全に科学の領域に変わっていくと思う」

 原田さん
 「美容の領域がAIに変わっていくと、
  みんな同じ顔になっていくのかなと思うんですが…」

 松尾先生
 「それは違うと思います、人により好みは違う。
  好みは進化に基づいていて、
  本能の部分と関わりがあるもので、
  そこは短期間で変わるものではないと思います。
  一方で、好みは時代背景や社会によっても変わるものもあれば
  国や地域によって変わるものもあり、
  レイヤーもたくさんあると思います」

 先ほどの、会話アドバイスAIや、印象判断AIも
 その人それぞれの魅力を引き出す方向にパーソナライズされたら
 それはそれでより面白くなるのかもしれないですね。

 原田さん
 「愛することが技術だとしたら、
  その技術や知識などをAIがカバーしてくれて
  一方で、愛することを知っていける時代になるのかな…」

 川畑さんは、
 「「美が幸福を約束する」と小説家のスタンダールが言っていて、
  容姿が美しければ恋愛がうまくいって、
  そうなれば幸福になるであろう、ということなんですが
  実際は(恋愛がうまくいっていても)幸福になると保証してくれるわけじゃない。
  そこには努力が必要なんですね。
  AIで楽にできる部分はあるけど、
  努力しなきゃいけないところは
  人それぞれやっていかなきゃいけないのかなと思います」
 と言って終わっていました。

○感想など
・最初のアドバイスAIについては、
 AIのアドバイスに頼り切るのではなく
 AIのアドバイスを実行していくうちに、
 会話が行き詰ったときはこういうアプローチをすればいいんだ、とか 
 相手がこういうふるまいをしたら脈がありそうだな、とかが
 学習できるようになればいいのかなと思います。
 そのうち、デート学習AIとかできるんかな。。
 
 まあとはいえ恋愛ってマニュアルはないし
 相手によってハマるやり方はそれぞれなんで
 それも経験積んでくしかないんだがね(笑)

 恋愛だけじゃなくて、
 ビジネスで相手に不快を与えないための会話術、
 などの形でこういうチャットアプリが使えたら面白いかもと思いました。

・印象判断AI、面白いので使ってみたいです。
 ただ、最後の「お疲れ」判断が出ていたのが気になったかなあ…
 エステサロンなどで使われると
 「お疲れ」「リフレッシュ」などに判断を結び付けて、
 エステメニューに誘導されてるんじゃないか、っていう疑いが…(笑)
 (エステって高いんで)
 
 エステだけじゃなくて、就活や接客などで使われたらいいかなと思います。
 私は就活のとき、自分がどう見られているか分かってなくて
 今にして思えば、自分自身が思っている自分の性格と
 相手がこうだと思ってる性格が一致していなかったんじゃないか、と思う。
 自分がこう見られている、と分かれば
 自分をどういう方向にプロデュースすればいいか分かりやすいんじゃないかな、
 と思います。

・松尾先生は最後に「美の部分もスコア化される」と話しておられましたが
 使い方を間違えるとちょっと怖いかなと思います。
 数字だけが一人歩きして、
 点数が低いからダメだと決めつけてしまったり、
 少数の人の好みが切り捨てられてしまったり、
 結果だけを見て、そこまでの努力の過程が評価されない、などになったりしたら
 画一的な美だらけの世の中になりそう…

 たぶんそれって、スコア化自体が悪いのではなく
 評価軸を一つだけに絞ってしまったり
 点数に頼り過ぎたりするために起きる弊害だと思うので

 美しさの評価をスコア化するにしても、
 評価軸を複数作るとか
 結果だけではなくプロセスも見るとか
 点数をあえて気にしない人がいてもいいとか、
 多様性や少数意見も同時に大切にされてほしいなと思います。
 
 そうすれば、平均以上の質のものを効率的に作るときはAIに頼り、
 一方で個性的なものを作るときはあえてカンを使って、…
 などというように使い分けができて
 より美が豊かな世の中になるのかな、と思いました

 いろんなジャンルで、
 ビッグデータを集めてディープラーニングで学習、というパターンが応用されてきているんだな~
 というのが分かって面白かったです。
 これからはその中身のアイデア勝負になるかもしれないですね… 

 というわけで今回はこの辺で。

NHKBSプレミアム「イギリス 白馬の王子さまに会いたい!」

NHKBSプレミアム「イギリス 白馬の王子さまに会いたい!」
 
イギリスに今でも残る貴族の方々の話です。
先に200年前の天皇陛下の話がありましたが
こちらはイギリスの王家を支える貴族のお話です

番組自体は2月に放送されたものの再放送ですが
ちょうど元号変更の時期に放送されていて
伝統とか、日本の皇室制度などについても改めて考えさせられました

 番組では、20歳の大学生が
 社交界デビューのための舞踏会への招待状を受け取った場面から始まりました

 大学生の子は庶民ですが、幼い頃から乗馬に親しみ教養を磨いている
 イギリスでは、そのような淑女から選ばれた女性が毎年舞踏会に招待され、
 社交界デビューするんだそうです
 (選考の基準はよくわからんけど、アメリカ出身の方などもいるそうです)

 彼女はデビューに備え、現役イギリス貴族に取材しながら、
 貴族の歴史などについて学んでいく、
 という形式で番組が進んでいて、なるほどーと勉強になりました

 長い番組なので私の印象に残ったところを挙げてみます
○イギリスの貴族制度
 イギリスではいまだに世襲制の貴族制度が残っていて、
 現在800人くらいの方が爵位をお持ちだそう
 5つの爵位(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)に分かれ、
 功績に応じて王室から与えられ、
 長男がそれを引き継いでいく仕組み。

 元々は君主が家臣の功績を称えて与えたもので、
 伯爵は行政、男爵は地方を治める、など、
 役割に応じて爵位が決まっているそうです

 「貴族年鑑」などもあり
 ニセ貴族を見破ることもできるそうです

 しかし、なぜこの貴族制度がいまだに保たれているのか?
 番組では、はっきりと明示はされていなかったものの、
 現役貴族さんの話などから、
 貴族自身が自分の立場に謙虚になり、社会や地域のために尽くし
 領民がそれに尊敬の念を払う、
 という伝統が脈々と受け継がれているからなのかな、と感じました

○貴族の責任
 番組では、5人の現役貴族にインタビューしていました
 若くてイケメンな方が多いし(笑)
 豪華なお家も興味深いですが、

 どなたも貴族の責任、ノブレス・オブリージュ
 についての言葉を口にされているのが印象的でした
 行動の仕方は色々あるが、
 権力あるものはそれ相応の社会責任を果たさねばならない、と考えておられる。
 
 ・ウェールズ地方の男爵
  一人目の独身男爵は、ウェールズ地方に広大な屋敷を持つ方です。
  26歳の時父親が亡くなり、急に爵位を引く継ぐことになったそうです

  今は屋敷を公開して、家や地方の歴史を案内するツアーをしている
  歴史や地方のことを知ってもらうのが喜びなのだそうです
 (ちなみに1年間日本で教師をしていたご縁で、
  日本語ツアーも企画しているそうですよ)

  彼は貴族の責任についてこう話していました
  「領民のために力を注ぐのは代々の教えです。
   貴族には義務があり、それを尊重し、向き合わねばならない」

  「責任はありますが、私は楽しくやっています。
   人を助けるのは名誉なことです、
   私は祖父や父がしていたことを受け継いでいるだけなのです」

  「貴族制度には賛否両論ある、
   しかし爵位を受け継いだものが、
   その特権に謙虚になり、皆に尊敬をもって接すれば
   貴族は今の世にも意味ある存在であり続けるはずです」

   地位の高いものほど、皆に謙虚に尽くす、
   そういう姿を皆が見てくれている、と。

  ・スポーツで貢献する貴族
   2人目の子爵は、ポロというスポーツの選手。
   (馬に乗りながら、スティックでボールを打ってゴールを目指すようなゲーム)
   ロイヤルファミリーの方々ともお友達なのだそう

   しかし彼はこのスポーツに限界を感じ、
   別のことに挑戦しようと5000㎞大西洋を横断ボートレースに参加する
   未経験での挑戦だが、なんと優勝。

   彼はこのとき
   「人は窮地に陥って初めて知らない自分を発見する」
   と思ったそうで
   そんな経験をほかの人にもしてほしい、
   と、スポーツイベントを企画する会社を立ち上げた

  「勇気を出して踏み出すことです。
   それがどこにいくかは分からないが、
   人生において大きな一歩になる。
   極限まで挑戦することで、人は自分を変えられる」
   と彼は話していました

   彼は貴族の責任について
   「爵位は自分で稼ぐのではなく、引き継いだもの。
    それに見合う人になるのだ、と言われているようなものだと思う。
    私は、200年後に自分の生きざまを問われることがある、
    といつも思って行動している」

  ・ビジネスをする男爵
   イギリスの貴族はフランスなどと違い閉鎖されておらず、
   お金が無いと没落もするので、起業家精神が必要で
   ビジネスをしている人も多いそうです
  
   3人目の男爵の祖先は、産業革命時代に貢献して爵位を与えられた新興貴族。
   それを受け継ぐ現男爵は、ビジネス貴族らしく
   「この広大な屋敷を維持するのにはお金が必要」
   と率直に語っていて
   (年間4千万円かかるそうです)

   屋敷を使った結婚式ビジネス(宿泊もできるそうです)
   所領のリゾート開発、
   など新しいビジネスで稼いでいるそうです

   彼は、
   「父から受け継いだものを息子に繋げていくことが大事だと思っている」
   と話していました

   貴族も、お金を世の中に回すことで貢献することが必要、なのかな?

  ・スコットランド氏族
   4人目は爵位は無いが、スコットランドの氏族長の息子さん。
 
   スコットランドは18世紀まで独立していたことがあり
   イギリス本土とは違い、氏族制度があるそうです。
   地域で氏族が集まって暮らし、その氏族を束ねるのが氏族長だそうです

   氏族長は税の徴収、管理、領民の相談を受けるなど
   色んな仕事をしていたそう
   他の氏族長を招いてパーティーし、
   交流を深めるのも大事な仕事なのだそうです
   パーティーでは伝統衣装のキルト(スカートみたいな男性の民族衣装)をはく
   キルトの柄で氏族が分かるらしい

   この氏族は昔、借金を抱えて宅地を押さえられたことがあったそうで
   (50~60代くらいの現氏族長の祖父の代なので、相当前です)
   その後海外ビジネスで取り戻せたそうですが

   この経験から、語学は大事だと考え、
   氏族長の息子さんは7か国語をマスターしたそうです
   彼は名門大学ではなくビジネススクールに通い、早く独立したいと考えている
   「父や兄弟に恥をかかせないために、懸命に生きようと思う。
    誇れる氏族になりたい」と話していました

 ・貴族議員
  5人目の方は現役議員の伯爵さん。
  イギリスは日本と同じく二院制だが
  上院は貴族からなる貴族院
  下院は選挙で選ばれる庶民院なのだそう

  貴族院は王族と貴族から構成され、任期は無期限、終身なることも可能
  ただし無報酬(経費は出る)なのだそう

  貴族院の役割は何なのか?を現役議員さんに聞くと
  「法案を一字一句確認し、目的に沿うかどうかを確認する。
   下院は任期や選挙があるので
   どうしても政治的なところしかクローズアップされない、
   我々は時間をかけて、法案全体を精査できる強みがある」
  とのことでした

  しかし、トニー・ブレア首相のときに
  院の議席は不要だと、
  半分以上削られてしまったそうです

  5人目にインタビューしていた伯爵さんはこれに憤っており
  「貴族の誇りは個人のものではない、
   国家に尽くす責任がある。
   議席を減らすことは、その責任を我々から取り上げること、
   存在意義を失うことなのです」と話していました

  彼の家には小冠とローブ(マントみたいなの)も代々伝えられていて
  伝統的な行事のときに貴族たちはそれを見にまとうそうです
  「これらは、国の魂である王家に殉じること、
   自分の魂を国に捧げる象徴なのです」

  そして、彼はイギリスにおける王室の意味も語っていました
  「人々がこの国を訪れるのは
   現代にも息づく王制があるからです。
   現実に女王の姿を見ることができ、歴史を感じられる。
   それはイギリスならではのことで、
   人はそこに神秘を感じる。
   それがいまだに王制が支持されている理由なのです」

社交界デビュー
 番組の最後では
 主人公の大学生はドレスに身を包み
 社交界デビューの場で挨拶していました

 毎年20人ほどのレディーたちが、ここで社交界にデビューするそうです
 女王さまへの挨拶の儀式のあとは、
 貴族の王子さまたちとの会食、
 夜になると舞踏会でワルツを踊る
 ここで恋愛が生まれることもあるんだそう

 社交界の重要なイベントは他にも年にいくつかあって、
 競馬であるロイヤル・アスコット、
 テニスのウィンブルドンなどもその一つなのだそう

 それらのイベントは、社交界にデビューした女性たちが
 貴族の方々とお近づきになれる場なのだそうです

 これらは、王室や貴族に庶民がふれ合うことができる場でもあり
 この伝統が続いてほしい、と大学生は話していました
 「貴族は過去と現在をつなぐ架け橋だと感じました。
  彼らの話から、イギリスがどのような歴史で
  今の姿になってきたかを知ることができるのです」
 と話して終わっていました

○感想など
…ヨーロッパの貴族って、物語の中の話かと思っていたら
 現実にこういう方々がいるんだ、というのにまず驚きました(笑)
 
・番組を見たときは、貴族の方々が
 国や地域への貢献の思い、を口にされていたのが印象的でした。
 その直前に、「200年前の生前退位」(江戸時代の光格天皇のお話)
 という番組で見た
 光格天皇の「自分を後に、万民を前に」という言葉が重なりました…
 
 地位のある身だからこそ
 みんなや社会のために尽くさねば、謙虚であらねば、と思うのが素晴らしい。 

 どうも身分制度とかって、
 上にいる人が威張って、搾取して…
 という嫌なイメージを持ちがちなのだけど
 (そういうふるまいをした時代には、王政が倒されているのだろう)

 上の人が、自分が上にいるのはみんなのおかげなんだと自覚すること
 お金や地位のある人間こそが謙虚でいること、が大事なんだな、と思います。
 (これは、貴族でなくても言えることかもしれない、私も見習いたい)

 そして、これが何百年にもわたって受け継がれてきた、
 ということも重要だと思います。
 最初の貴族の方は
 「私は父親や祖父がしていたことを受け継いでいるだけ」
 とおっしゃっていたけど
 よき行いを続けていくことで
 時代が変わっても貴族は尊敬を受ける。

 また、貴族の方々は、大昔の様式のお宅を丁寧にお手入れされ、
 守っていらっしゃる方が多い。
 古いしお金もかかって大変なのになぜ残すのか、と思うのだけど、
 自分が貴族だと自覚する「場」であったり、
 自分が背負う歴史の重みを感じる「場」の意味合いがあるのかな、
 とも思いました

 貴族が尊敬され、イギリス貴族制度が支持されているのは
 それらの伝統の大切さを、庶民も貴族も理解しているからなのだろう。

・それからもう一つ思ったのは、イギリス貴族制度はよくできているなあ、ということ。
 番組では「貴族制度が王室を支えている」
 という興味深いナレーションがありました

 元号が代わった日に見たNHKスペシャル「日本人と天皇」では
 後半の方で皇室制度の存続の危機、の話がありました。
 そのとき、宮内庁か専門家の方か、どなたか忘れましたが
 「華族制度が廃止されたときから、
  日本の皇室制度は骨抜きにされてしまった」
 と発言していた方がいらっしゃって、
 その時は全く意味が分からなかった。

 しかし、今回の番組を見て思うとなるほどなと思いました。
 皇室と一般庶民って、世界がかけ離れすぎているのだけど、
 現在の日本の場合、その間を取り持つものが何もないのですよね。
 だから、皇室の方が一般人と結婚される、お付き合いする、となるとかなり敷居が高いし、
 皇室側からしても人選が大変…
 
 イギリスや華族制度があったころの日本なら、
 貴族や華族という、皇室に近い世界だけど皇室でもない、
 という方々がいらっしゃる。

 その方々の中に社交界デビューすることで、
 一般人でもそういう世界への免疫ができる感じがする。
 貴族世界からしても、社交界デビューという場を設けることで、
 身分とか立ち居振る舞いなど、
 ある程度の能力の持った人を選別できる。
 皇室としても、貴族世界が、
 一般の人との緩衝材的な立場になっている気がする。
 (皇族方の結婚相手が貴族から見つかるわけではないかもしれないが
  そういう場を通して、人脈とか人を見る目も養えそう)

 今の日本の皇室の場合、
 皇女さまの結婚だけでも報道はすごいし、人選も大変そうに見える。
 皇太子さまとの結婚となると、ためらう一般女性も多そう…
 雅子様も大変だったでしょうね。
 (余計なお世話ですが、悠仁さまのお相手になる方とか、ほんまめちゃ大変そう…)
 それは、貴族社会のような緩衝材的なものが無いからなのかなと思います。
 
 日本の場合、華族制度は
 日本国憲法の「法の下の平等」を理由に廃止されたようです。

 イギリスの場合、平等と貴族制度が両立しているのは不思議なんですが
 貴族院の存在があるからなのか、
 それとも貴族の「ノブレス・オブリージュ」が脈々と受け継がれ、
 貴族にも庶民にもずっと理解されてきたからなのか。
 (つまり、身分が高いのもそれなりに大変なんだよ、とみんな分かっているというか)
 そう考えるとイギリスはすごいな思います。

 そういえば私も、皇族の方々は国民のために尽くしておられるイメージはあるが、
 日本の華族って、ただの遊んでる金持ちくらいのイメージしかなかったです(…スミマセン)。
 そもそも華族ってどんな人?と思って調べたけど、
 どうも明治時代になってから、
 江戸時代までの大名や公家の方々に(ヨーロッパを真似して)華族を与えた、
 というのが始まりなようです。

 だからイギリスと比べると、歴史は浅いかも…
 おそらく華族のプライド、というものはあるはずなんでしょうが
 庶民とはちょっと遠いのかもしれないですね…
 もうちょっと庶民から身近に尊敬される存在だったら、歴史も変わっていたのかなあ。
 

…私は連休が来る前、
 正直、改元の儀式ってみる人いるの?とか思ってたんだけど(笑)
 儀式の様子や、それをお祝いする日本人みんなの様子が報道されているのを見ていると、
 やはり日本には皇室を敬う気持ちはずっと存在して
 それは自然に沸き起こるものなんだな~と感じました
 (かくいう私も、儀式はずっと見てしまいました(笑))

 しかしながら、今回の番組を見ていて、
 イギリスはなんだか伝統の格が違う、と感じてしまいました。
 上手いこと言えないのだが、
 イギリスの場合、儀式の日一度限りじゃなくて
 国民も含めた制度、国民も貴族もセットとして皇族が存在している感じがする。
 普段の生活と地続き、というか…

なんかその辺、日本の皇室制度とか、国民の皇室に対する意識もそうだけど、
見習わないといけないところがあるのかな~と感じました。

というわけで今回はこの辺で。

NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「幕末を作った天皇 200年前の生前退位」

NHKBSプレミアム 英雄たちの選択「幕末を作った天皇 200年前の生前退位

元号が代わる連休中、
天皇制度や皇室関係の特集番組が放送されていました。

それまであんまり気にしたことも無かったのですけど、
今回の改元では、
天皇さまや天皇制度って何なんだろう、
天皇制などの伝統を守り続けることの意味は何だろう、
などを考えさせられました。

元号が切り替わった日のNHKスペシャルだったかの
天皇と日本人」
という番組の中では
天皇陛下が一代に1回しか行わないという儀式、
大嘗祭(夜を徹して、国の平安と五穀豊穣をお祈りする儀式)
では具体的に何がなされるのか、
の紹介もされていたのですが

天皇陛下
神様へのお供えものを、2時間かけて自ら給仕も行う。
向きや順番も決まっている。
それを2回(2か所あるので)も行う…などというお話。
準備も大変だし、体も大変なのに、
みんなここまで昔ながらの形を守って、
大掛かりな儀式をするのはなぜなんだろう、
などと考えてしまいました

その疑問が少しだけ分かったかな、
と思った番組について書いてみたいと思います

「英雄たちの選択「幕末を作った天皇~200年前の生前退位」」
NHKBSの番組で、
司会は杉浦有紀アナと、歴史学者磯田道史さん。

あんまり見ない番組ですが(なんせ歴史に興味が無いので…)
今回の英雄は光格天皇
光格天皇とは江戸時代後期の天皇で、
平成天皇の直近(といっても220年前)に生前退位された方です。

生前退位がメインの話かと思っていたら
ちょっと違う話でしたが、
改めて天皇制度や伝統について考えさせられました

光格天皇と言われましても、私はお名前も知らなくて、
司会の磯田さんも「あまり知名度は無い」
しかし、「歴代天皇の中では3本の指に入るくらい重要な方」
ともおっしゃっていました

何の功績があるかというと
「江戸時代、お飾り的存在だった天皇という存在に、権威を取り戻させた人」
なのだそうです

呼び名からもそれが見て取れて
幕末の名鑑を見ると、
平安までは「○○天皇」とあったのが
途中から江戸時代までは「○○院」という戒名のようなお名前。
しかし、光格天皇からは「○○天皇」に戻っているそうです

とはいえ、名前変わっただけじゃないの?とも思ったんだけど(笑)
人々が天皇様を見る目も変わってきた、
それは光格天皇が生涯かけて、生きざまにより変えたものなのだそうです

というわけで、
光格天皇の生涯を追ってみますと

・お生まれ
 光格天皇東山天皇の孫に当たる宮家の出身。
 しかし本家ではなく、お母様も鳥取の庶民の方、
 天皇位からほど遠い身だった

 しかし当時の天皇陛下が急逝され
 残されたのは生後10ヶ月の皇女さまだったことから
 お家断絶の危機を回避するために9歳にして天皇となる

 彼は後に
 「末端にいた私が天皇になったのは、思いがけない天遇だった」
 と書いているそうです

 その生まれのためか、
 天皇の役割ってなんだ?
 ということを生涯追求されていたそうで、
 天皇が威光を持っていた頃(平安時代など)の儀式を、次々復活させたそうです

天明の大飢饉
 彼が天皇の役割について自覚するきっかけとなった出来事、
 とされているのが
 17歳の時の「天明の大飢饉」だそうです

 天明3年、浅間山が噴火、
 火山灰のために天候不順となり、
 農作物は不作となり、たくさんの人々が飢えに苦しむ

 天明7年には
 困窮した民により、大阪や江戸でうちこわし運動が行われる
 京都では、民が奉行に助けを求めても動いてくれないことから、
 御所に直接訴えに来る「御所千度参り」が起きた

 その時の様子を記した書によると
 「御所の周りには、京だけではなく
  大阪や近江からもお参りの人々がたくさんいた。
  朝廷は、御所の周りには湧き水を流してくれた、
  りんごも3万個配ってくれたが午前中には無くなってしまった」

 さらに、このとき光格天皇は幕府に
 「困窮した民が御所にお願いにくるから、
  幕府は米を配って助けてあげてくれないか」
 という手紙を書いているそうです

 当時天皇はお飾り的な存在で
 幕府の政策に口を出すのはありえないことだったそうで
 江戸でも議論にはなったが
 結局お救い米を放出する措置を取ったそうです

 専門家の所功さんによると
 「このとき、光格天皇は、天皇としてなさねばならぬこと、
  つまり幕府に意見をすることを自覚されたのではないか。
  自分が行動すれば、結果的に民を助けることができる、
  という手応えを得た最初の出来事だったのではないか」
 と解説していました

 光格天皇は後に自分の役目として
 「自身を後にし、天下万民を後にし、…」
 と書いており、
 民のために尽くすのが天皇の役割だと考えておられた、
 その原点となる出来事だったということです

 <解説>
  このときスタジオのゲストの方々の解説によると、
 光格天皇のお人柄として
 ・傍流の生まれであるコンプレックスみたいなもの、
  当時宮家の地位が低かった(磯田さんによると、宮家は摂政家より下だったそうです)
  →古来天皇が力を持っていたころの儀式の復活、権威の取戻しをしようとした
 ・君主意識があった
  →上に立つものは、民のために尽くすべし、という自覚があった
 ・先を見通す力、行動力、民の期待に応える力があった
  →危機に対し何もしない幕府と比べて、その良さが際立った
 などがあるのでは、という話でした。なるほど。

天明の大火災
 災厄はまだまだ続き、
 天明8年、今度は京都の町が大火事になる
 市内8割が焼失、御所も建て替えが必要になった

 すると、光格天皇は公家に平安時代の御所を調べさせ、
 その通り再建しようとした

 しかし当時は飢饉の対応などで財政が厳しく、
 老中、松平定信寛政の改革を行い、緊縮財政だった
 定信は京都に乗り込んで、
 「しもじもの者が困窮する」と要求を撥ね付ける

 ところが天皇
 「清涼殿、紫宸殿(儀式を行う間)、南門から紫宸殿に至る回廊」だけは増築してくれ、
 材木の質にはこだわらない、
 自分の休む部屋は狭くていいから、そこだけは頼む、と主張した

 結局、幕府側は光格天皇の要求をのみ、
 ただし他の間の面積は削ることで折り合った
 定信はしぶしぶだったようで、
 「今回は特別に天皇のたのみ通りにするが、
  新たな要求はお断り申し上げるべし」と書いているらしい
 
 <解説>
  なぜここまで昔通りの再建にこだわったかというと
  ・儀礼や儀式には「場」が必要、回廊もないと、儀式が丸見えになる
   形こそが儀式には大事、ということらしい
  
  また、しぶしぶながら幕府が要求をのんだのは
  ・長い歴史を持つ朝廷に比べ、歴史の浅い幕府など格は低い。それを実感した
  ・天皇を味方につけておいた方がいい、と考えた
  ・幕府が天皇を敬うことで、幕府、大名、家来の上下関係の序列も保てると考えた
  などという見立てがされていました

  磯田さんなんかは
  ・定信は古美術の趣味もあったので、
   個人的には昔の御所を見て見たかったんじゃないか
  という説も唱えていました(笑)

・尊号事件
 一方、松平定信との対立の火種はほかにもあった
 寛政3年、光格天皇は公家たちを呼んで会議を行う
 親王である自分の父親に天皇の称号を与えたいが、どうかというもの

 親王太政大臣、関白、左大臣、右大臣より身分が低く
 天皇である自分の父親がそれでは
 具合が悪いと考えたそうです

 しかし、定信は
 「尊号とはそんなに軽々しいものではない」
 と反対する
 光格天皇は、室町時代に前例があったことを持ち出して正当性を主張するが、
 定信は、室町時代のことは戦乱の世の中の特例だ、と断固として反対する

 天皇は業を煮やし、尊号を父親に与える、と一方的に幕府に通告するが
 定信は、朝廷との調停役の公家たちを江戸に呼び
 この公家たちの陰謀に違いない、と厳しく取り調べ、彼らを処分。
 結局、天皇は断念したそうです

 <解説>
  当時はまだ幕府の力が強く、
  朝廷からの意見は内々に行い、幕府に承認されたうえで正式にお願いする、
  という手続きがあったそうで、
  それを飛び越える行いは、定信としてはどうしても受け入れられなかったそうです

 (ただし、後で調べてみたら
  定信はこの尊号事件などが徳川家斉との不和を招き(まあほかにも原因はあったそうですが)、
  後に定信が辞職に追い込まれることになったようです)

・それでも天皇の権威は復活していく
 尊号事件のときは、幕府に天皇が屈した
 しかしその後も光格天皇は、天皇の権威を取り戻そうとし、
 それが次第に浸透していった

 それを象徴しているのが47歳の生前退位の時、
 御所を移るために行った行列だそうで

 このときの絵巻を見ると、
 光格天皇は古来の小道具を行列に使っていたそうです
 例えば
 「大刀契(だいとけい)」
  (律令時代、将軍が遠征するとき、天皇から与えられた刀と割り府)
 「鈴鎰(りんいつ)」
  (国司が地方に赴くとき、持参する鈴と赴任先の倉の鍵)

 所功さんによると、
  これらは、昔天皇が地方に将軍や国司を派遣するとき持たせていたもので、
  天皇が国民を心にかけている、ということを象徴的に示したものだ、
 と話していました

 また、絵巻には行列を眺めている庶民の姿も描かれている
 天皇陛下のお姿を目にすることで、
 庶民の中にも、かつて抱いていた朝廷への尊敬の念が戻っていったそうです

 その後、幕府は朝廷の権威にすりよっていく
 定信が老中を辞して(というか徳川家斉に首にされて)60年後のこと、
 11代将軍の徳川家斉が、
 上皇になっていた光格天皇
 自分を左大臣に、息子を右大臣にしてくれるようお願いをしている

 上皇がそれに応じたお礼として
 文政7年(光格天皇…このときは上皇、53歳のとき)
 90年途絶えていた修学院離宮の御幸(上皇さまが離宮にお出ましになること)
 が復活された
 調度品、庭園、建物も全て新品にされ、その費用は幕府もちだった

 その後、光格天皇は14回御幸を行い、費用はすべて幕府持ちだったそうです
 つまり、松平定信が権力を持っていた頃とは違い、
 天皇は幕府にコントロールされるどころか、
 敬われる存在になっていたということを示している

 天保11年、光格天皇は70歳で亡くなる
 徳川幕府が倒れたのは、その数十年後だった

 <解説>
 ・退位行列のときのスゴさについて、磯田さんは
  「退位行列のときは都に人を入れてはいけないので、
   関所を閉めるよう全国に伝令を派遣した、その数がスゴかった。
   天皇は実際には統治してないのにそういうことをしていた」

  ほか、
  ・退位行列だけではなく御幸も何回もされている、
   華やかさを何度も見せる、一種のメディアコントロールとも言える
  ・「京都」という歴史ある場所で行列したというのも大きい。
   時間的にも空間的にも掌握している印象を与えたのではないか
 …という意見がありました

光格天皇の成し遂げたこと
 結局、光格天皇は後世にどんな影響を与えたのか。
 専門家の方によると
 「明治以降、天皇を中心にした国家ができていく礎になった」と。

 「日本の幕末のターニングポイントは日米通商修好条約だったが、
  幕府はそれを結ぶ前に、朝廷に許可をお願いしている」
 これは、幕末の混乱期、
 幕府が絶対的な権力にすがりたかった現れではないか、と。

 たしかにパワーがあったのは幕府かもしれないが
 それ以上の精神的な支えみたいな、絶対的な存在感を持っていたのが天皇だった、
  ということです。

 (幕末については、ここではあまり説明がないのと
  私も日本史を覚えていなかったので、後で調べてみました…
  「尊皇攘夷」という言葉があるので、
  尊王攘夷の人だけが尊皇なのかと私は勝手に思っていたんですが
  開国派も攘夷派も幕府も、共通して「尊皇」だったようですね。。
  
  幕府は天皇に日米通商修好条約の勅許を求めたが、拒否されたので
  幕府は朝廷の許可を得ずに条約を結んでしまった。
  それが「天皇をないがしろにしている」と批判されたようですが

  幕府はそのあと、「公武一体」を唱えて、
  徳川家と皇女和宮を結婚させています。
 
  つまり、開国派も攘夷派も幕府も、
  他国への対応についての考え方は違えど、
  みんな天皇を中心にした国家を考えていたということなんですね)

 磯田さんは最後に、
 「江戸時代の天皇は立場が弱かったが、
  その時代の天皇制度を学ぶ意味はある」
 とおっしゃっていました

 「いつでも天皇は力を持っていたわけじゃない、
  再興されたりリプリントされたりすることで、伝統が逆に守られてきた。
  「虚であるはずの儀式が、実である権力に変わっていく」
  そんな過程が垣間見えたのではないかと思います」
 とまとめていました。

…私が最初この番組を見たときは
 松平定信の時代は幕府が天皇をコントロールしていたのに
 なぜその後幕府は、無条件に天皇を敬い、
 お金まで出すようになっていたのか?
 が正直よくわからなかったです(展開が早すぎた)

 でも考えていくうちに、
 それは光格天皇が復活にこだわった、
 「伝統」だとか「形」「場」などの力が成したものなのだ、と思い至りました

 なぜ光格天皇が形にこだわったのか?
 取りようによっては
 光格天皇が戦略的に儀式を使って、
 天皇の俺すごいんだぞ、って演出して
 それでみんなを畏れさせた、
 と、取りようによっては思えなくもない。

 でも、光格天皇は「万民を前に、自身を後に」と書いており
 天皇とは皆に尽くすもの、という役割を自覚していて、
 権力に執着していたわけでは無かった。

 むしろ、自分の背負ってしまった天皇という地位の持つ歴史、責任、
 その重さを感じていたのかなと思います。

 その重さがないがしろにされていた、当時の世の中に歯がゆい思いをしていた、
 だから儀式の復活、称号の復活、など
 「形」の再建にこだわったのではないか、と。

 私自身は、基本的には形なんかどうでもいいと思う人間です。
 しかし「人は見た目が9割」とかいうように
 結構形とか見た目って大事だなと
 ある程度年が行ってからは考えるようになっている。

 スポーツや芸能や職人芸で「型」が大事にされているように
 形はたしかに基本を作り、ひいては精神に影響するような気がする。

 儀式や道具や呼び名や見てくれは、どうでもいいわけではなく、
 場や型があってこそ、宿るものがある、
 型を守ってこそ保たれる実があるのだろう、と思う。

 宮内庁関係の儀式も、昔ながらの面倒な儀式に見えるが、
 そういう所作を通じて
 儀式に参加している方や、それを見ている我々も含めて、
 神様と向かい合い、精神的な気づきを得る役割もあるのかなと思いました
 (今はやりの、断捨離なんかも
  掃除というよりは、自分と向かい合う精神的な儀式だろう)
 
 そして形に宿った精神が、
 新たに規範となるふるまいをもたらすのかもしれない、とも思います。
 平成天皇も、天皇の役割とはなにか、
 を在位中追求されていたと報道されていますが
 退位の儀式の際、部屋を退出される直前、
 突然立ち止まって一礼されていました
 (侍従の方は戸惑っている感じだったので、
  あらかじめ決まった動きではなかったと感じました)
 その謙虚な所作には私は心を打たれてしまって、
 これは在位中追求してこられた「天皇とはどういう役割か」を追求していく中で
 自然とにじみ出てこられたものなのかなと感じました。

 少し前に、「100分で名著」という番組に
 オルテガの「大衆の反逆」という本が取り上げられていて
 オルテガは、保守というか復古的、温故知新的な思想の方。
 古いものをとにかく壊そうとする大衆を批判していて
 伝統などの時間をかけて作られたものには価値があるんだよ、
 ということを説いていました

 私はどっちかいうと、伝統ねえ…と思う人間だったが、
 今回改めて、長い間かけて紡がれてきた伝統や天皇制度、儀式などには、
 オルテガがいうように、 
 何か深い意味意義があるのだろうな、と感覚的に分かりました。
 だからこそ、みんな自然と敬いの念が生じるのかな、と。

 とはいえ、天皇制とかいうと
 日本では右翼だの左翼だのという極端思想が絡むので
 あまり大っぴらに話がしにくい気がする。

 それは第二次大戦の苦い記憶があるからなのでしょうが、
 当時だって、天皇陛下が好んで戦争やりたかったわけではないだろう。
 ポツダム宣言を受け入れるかどうかの御前会議でも、
 「自分はどうなってもかまわないから、戦争をやめるべき」
 というご聖断をされている。

 とはいえ時の天皇がトップにいるときに
 日本が戦争を始めてしまったのは事実なので、
 平成天皇はその歴史も受け入れ、
 慰霊の旅に何度もお出になられている。

 そのお姿からしても、トップに立つものの責任の重さ、
 を改めて感じさせられます。
 たとえがいいのか分からんけど、
 会社でも、部下の不始末があると、
 自分がしたわけじゃないのに
 トップが記者会見して頭を下げ、社会に対して責任をとりますよね…
 
 まあこの辺の話は、政治っぽくなるんで深入りは避けますが
 どうも日本って、政治とか思想が絡むと感情的になっちゃってややこしいけど、
 王家や伝統、儀式などの役割とは何なのか
 なぜ人々はそこに敬いの念を抱くのか、
 政治とは離れて改めて考えてみると、
 大事なものが見えてくるのかもしれないなと思いました

伝統について、もうひとつ考えさせられる番組があったのですが
長くなるのでまた別に書きます