びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

NHKBSプレミアム プレミアムカフェより 「旅のチカラ~限りある命と向き合う~(2013年放送)」

NHKBSプレミアム プレミアムカフェより
「旅のチカラ~限りある命と向き合う~(2013年放送)」

「プレミアムカフェ」は、過去のドキュメンタリーをリクエスト放送する番組。
今回は「旅のチカラ」という番組で
死に関することをテーマとして、2回分が再放送されていました。

前半は西原理恵子さん、後半は高橋源一郎さんの回
(ちなみに私はどちらの方も好きですね…)で、
西原さんの回も良かったんですが(ガーナで変わった棺桶を作りに行く話)
高橋さんの方が印象的だったのでこちらをメモっておきます。

高橋さんが選んだのは、イギリスの子供用ホスピスを訪ねる旅。
ホスピスとは、終末期の方のための施設ですが
子供用のホスピス、というのもヨーロッパにはあるんだそうです。

彼らは難病で、長くは生きられない運命…
少し昔では優生保護法、最近では出生前診断で、
生まれるのを避けられてしまうような人たちでもある。
そんな彼らがギフトなんだ、という言葉が最後にあり、
短い命でも生きる意味、というものを考えさせられました

○高橋さんの旅の動機
 高橋さんは当時62歳、お子さんが二人おられる
 というか、私は知らなかったんですが
 それまでに4回結婚されていたそうで、
 しかし子供には縁が無く、
 還暦近くにようやく授かった子供さんなんだそうです。
 けっこう山あり谷ありの人生なのね…

 しかし数年前、3歳だった次男が脳炎にかかり
 「命を落とすか、3分の1の確率で脳障害が残る」
 ということを医師に言われたそうです

 高橋さんは
 「もう最初ね、言っている意味が分からなかった」と言いつつ、

 「しばらく考えたら落ち着いてきて…
  何が起きても、彼の一切の生涯を支えていこう、と思うようになった。
  なんか元気が出てきたんですよね。」
 「なんでそんな元気になれたのか分からないんですけど、
  その力がどこから生まれてきたのかを知りたくて…」と。
 今回の旅の動機はそれだったそうです
 
 高橋さんの次男さんは、
 幸運なことに、命を取り留め、後遺症も特に残らなかった
 
 しかし高橋さんにとっては、その経験が大きかったそうで
 障害を持つ子供、ダウン症などの難病を持つ子供、
 死に直面している子供などに目が向くようになった、と。 
 「さよなら、クリストファー・ロビン」という本では
 子供が父親に「死んだらどうなるの?」と尋ねるシーンを書いたりしている
 
○マーティン・ハウス
 彼が訪ねたのはイギリス、ヨークシャー地方のリーズという町。
 古くから毛織物産業で栄えた地域ですが
 今はかなりの田舎で、羊の牧場が広がっています。
 この日、天気はイギリスっぽく、どんより曇っていてはっきりしない。

 高橋さんは
 「暗くて、古くて…天気も悪いしね」と率直な感想(笑)
 彼は競馬好きで、イギリスには何回も来ているそうですが
 この地域は初めてなんだそう。

 町中から車で30分の場所に「マーティン・ハウス」というホスピスがある
 できてから25年で、イギリスのなかでも長い歴史を持つそうです

 今の責任者、シーラさんが出てきて案内してくれる
 施設の中はアットホームな感じの雰囲気で
 だれかの家のランチに招かれてる、みたいな日常感がありました。

 食堂を兼ねた共用スペースにはたくさんの親子がいました。
 ほかに、子供部屋が15部屋あるそうです。

 ホスピス、というと、
 亡くなるまでを過ごすための施設かと思ってたんですが
 ここは一時滞在に使う人が多いそうです。
 子供部屋に一週間ほど子供が寝とまりして、
 その間病気のケアや生活の世話をスタッフがしてくれる
 親は別の部屋で寝られるようになっている

 子供はここにいる間、他の家族たちと交流でき、
 親は子供を預けて自分達の時間を過ごせるようになっていました。

 ちょうどランチタイムでした。
 ご飯は専用のスタッフが手作りし、
 費用は募金やチャリティーで賄うので、利用者は払わなくていいそうです
 高橋さんは職員用のバッジをもらい、
 一週間見習いとして手伝うことに。

 ランチタイムのあと、近くの牧場のナタリーさんという女性が、
 ウサギなどの小動物をたくさん抱えてやってきました
 彼女は週に一回、ボランティアでやってきて、
 子供たちに動物にふれ合いをさせてくれる

 子供たちは大喜びで動物に触ったり餌をあげたり。
 インディカちゃんという子の父親は、
 「以前は動物を見ても、
  背景の1つという感じでなにも反応しなかったけど、
  今は動物を生き物として認識している」

 「ここにいると、インディカがほかの人たちと一緒にいる、
  それがとても新鮮です。
  夫婦二人で映画も見に行けるようになったんですよ」
 と嬉しそうに話していました

 この施設では、死を待つだけではなく
 生を豊かにしよう、というのが合言葉だ、とナタリーさんは教えてくれました

 高橋さんは
 「病院みたいな暗さが無いよね。
  日本の病院だと、絵とかは描いてあるけど、なんか元気が出ないというか…
  ここはそんなことはない」

 動物の次は、楽器とふれ合う時間。
 高橋さんはジュナちゃんという子を担当していましたが
 ジュナちゃんは高橋さんの眼鏡が気になるみたいで
 楽器よりそっちを取り上げて遊んでました(笑)

…全体的に、くつろげそうな雰囲気がいいなぁと思いました。
日本の場合、老人ホームとかでもなんかかしこまってるというか、
冷たい雰囲気があるんですけど、
こちらは本当に家、て感じでいい。

それから日本の場合、子供が死にそうな病になってると、その家族は神妙にしてないと…
みたいな圧力を感じるが
家族がリラックスしてても、
罪悪感みたいなのが全くないのも羨ましいと思いました

○周りの大人は前向きでいてほしい
 テレビが取材に来ていると聞いて、
 キャットちゃんという15歳の子が、
 伝えたいことがある、と言ってました。
 車椅子に乗る髪の長い女の子です

 高橋さんは
 「あなたはもう大人だと思うから、ストレートに聞きますね。
  でも答えにくかったら答えなくていいです」
 と言ってインタビューを始める

 「あなたの病気は何ですか」
 「SMAという脊髄性の筋萎縮症です
  筋肉に力が入らなくて、歩くこともできません。
  病気の進行は止まらず、だんだん力が入らなくなっています」

 高橋さん
 「この施設にきて、何か変化はありましたか」
 キャットちゃん
 「いい意味で、母親から離れて生活ができるようになりました。
  自立したと思います。
  好きな場所に買い物にも行けるんですよ」
 「それから、同じ病気の4歳の女の子とも友達になれました。
  彼女の両親もとてもいい人たちです」

 そして、彼女の伝えたかった事とは
 「周りの大人に、前向きに生きてほしいということ」だそうで
 「周りの大人がハッピーなら、子供もハッピーになれんです。
  病気のことを気にし過ぎず、前に向いていける。 
  だからあまりくよくよしないで、と言いたい」

…この言葉には、大人として考えさせれた。
自分が重い病の子だけではなく
親が病気や離婚などの子は敏感、と聞いたことがあるが、
周りの大人が暗いのが伝わるんでしょうね。
ましてや自分のせい?と思うと余計に重苦しくなるのかなと思う。
難しいけど、
介護する側がハッピーになるのって大事だと思った。

そして、老人介護の現場も同じで、
介護する側の家族へのケアも、
もっとされねばならないと感じた。
面倒を見る側の家族がリラックスすることは、
罪悪感を抱くべきことどころか、
むしろ目指さねばならんことなんじゃないか、と。

○ベアトリスちゃん
 高橋さんは、キャットちゃんが友達になった、
 という4歳のベアトリスちゃんが気になる、と言っていました
 普通の女の子ではあるが、
 時々大人を試すような視線を投げかけるのが気になるそうです。

 この日、動物とのふれあいの後、
 エッグスプーンレース、というのをやっていました
 スプーンに卵をのせ、ゴールまで走る、というゲームですが
 ベアトリスちゃんは、なぜかゴールの前で引き返してしまう
 大人の思惑通りにはならないわよ、という感じでした
 とはいえひねくれてるとかいうわけじゃなくて、
 多感な子ゆえの陰がある、という感じでした

 彼女はキャットちゃんと同じ筋萎縮症で
 7か月で発症し、この施設にはもう2年通っているそうです
 
 高橋さんは、父親のアンドリューさんにインタビューをしていました
 「マーティン・ハウスは、子供用ホスピスです。
  ホスピスというと、死の近い子のための施設ですよね。
  マーティン・ハウスはそういう要素は無いですが、
  ここに入ることにためらいはなかったですか」
 アンドリューさんは
 「そうですね、私も悩みました」と正直に答える
 「気になったのは、ホスピス、という名前です。
  そこに連れて行く、ということは、
  受け入れたくない「現実」(娘の死)を受け入れてしまうことになる、
  と思っていました。
  ですが、来てみてそれは違いました」

 高橋さんは、ベアトリスちゃんについて
 「4歳の子としてはとても賢いですね」
 アンドリューさんも
 「賢い子なので難しいときがあります。
  ときどき、4歳かと思うような質問もしてくる。
  「死んだらどうなるのか」「私は死ぬのか」など…
  どうこたえるかとても難しいです。
  私は信心深い人間ではないので、答えを持っていない」

 アンドリューさんは、そう聞かれたら
 「誰だって死ぬよ、明日車にひかれて死ぬかもしれない」
 と答えたいが、それはできないので
 「君はどう思う?」と、彼女に考えさせることにしたそうです
 すると、娘は「お姫様か妖精になるの」と答えたので
 「君がそう思うなら、そうだと思うよ」と答えているそうです

 高橋さんは
 「ベアトリスちゃんは、笑顔が美しいけど、
  時々怒ったり見透かしたような表情を見せることがある。
  だからこそ、彼女には辛い状況に耐えられる強い力があると思う」というと
 アンドリューさんは
 「毎朝目覚めると、素晴らしい子供たちがいます。
  私はとても恵まれています」と答えていました

 高橋さんはこのインタビューのあと
 「難しいね…
  子供に、自分は死ぬの、と聞かれたら、
  死ぬよ、と言える、とは断言できない」と呟いていました

…うちも上の子はわりと多感で、小学1年のときに
「死んだらどうなるかと思うと寝られない」
と言っていたことがあった。

そのときは、
「誰も死んで帰ってきたことはないから私も分からん」
「体は土にかえって、新しい命になる」
「死んだらどうなるか分からんから、
 悔いにならないように生きよう、と私は思ってる」
とは伝えたが
死に本当に直面してる子に答えるのは難しい、と思います。
ベアトリスちゃんみたいに
自分で決めるのが一番納得できるのかもしれないですね…

 合間に、高橋さんの父親はどうだったのか?と取材のスタッフが聞くと
 「色々ありましたからねぇ。うちは引っ越ししたり、解散したり…
  工場がつぶれて夜逃げもしたからね…
  父親はほとんど家にいなくて、
  子供に興味があるのかなと思ってた。
  もちろん愛情が無かったわけじゃないとは思うけど、
  今から思うと、もったいない人だったなあと思う。
  子供と遊んでればもっと楽しかったはずなのになあ、とか…
  だから今僕が代わりに子供と遊んでいるんだけどね」(笑)

高橋さんも苦労されてますね…

 ベアトリスちゃんはその次の日、自宅に帰っていました
 最後にようやく高橋さんに名前を聞き、笑顔で手を振っていました
 もう少し話が聞きたいから、と自宅を訪ねる約束もしていました

○アートの部屋
 マーティン・ハウスには、アートをする部屋もあり
 自分たちでものを作ることもしている
 このとき、貯金箱に色付けをしている男の子がいました
 彼は絵筆ではなく、指で好きな色を付けている

 ボランティアでアートの指導をしている方は
 「指紋や手、足型を使うこともあります」
 その意図として
 「身体の一部だからです。
  子供が亡くなっても、家族にとって思い出の品として残るから」

うーん、思い出の品を残すのが前提、というのが切ない…
 
○リトル・ルーム
 食堂の一角で、ある母親がマーティン・ハウスのスタッフと相談していました
 彼女の子供はマーティン・ハウスに通っていたが、1か月前亡くなり、
 施設の人たちにお別れを告げに来たそうです

 マーティン・ハウスに通っていて、自宅や病院などで亡くなった子の多くは
 このハウスにまた帰ってきて、
 1週間ほど、最後の時間をスタッフと家族とで過ごす
 このため、奥の方に
 遺体と家族が泊まるための部屋「リトル・ルーム」があるそうです。

 使っていない部屋を高橋さんが見せてもらうと、
 亡くなった子が眠るためのベッドと、
 そのそばに家族のための椅子、机も置いてありました。
 ゆっくり過ごせるように、という配慮がなされている

 1年前、この部屋で息子と別れを告げた、
 というカースティさんという女性に、高橋さんは話を聞きに行っていました

 彼女の息子はトーマスくんという子で
 生まれて3か月ほどで息を引き取った
 彼は動物が大好きだったそうです

 カースティさんは、トーマスくんを失ったことについて、
 「トーマスは私たちの最初の子でした。
  家族の病歴は何も問題が無かったし、
  私たちは正しく生きてきた。
  他人を傷つけることもしていなかった。
  なのに、どうして私たちにこんなことが起きたのか…
  私たちじゃなくてもいいのに …」
 とやり切れない悲しみを高橋さんにぶつける。

 しかし
 「でもこの経験で出会った人たちはとても素晴らしかったです。
  私たちが望めば、息子(遺体)の体を毎日洗ってあげたり、着替えさせたり、
  散髪したりして、したいようにすることができた
  そうさせてくださったことには感謝しきれない。
  彼が天に召されるまで、ずっと世話してあげられたんですから」

 トーマスくんが亡くなる数日前に撮影した写真を見せてくれました
 彼は赤ちゃん羊といっしょにすやすや眠っている
 「とてもリラックスしていました。
  彼が生まれてから初めて、私も夫もくつろぐことができた。
  彼らが残してくれた思い出と、してくれたことは
  私たちのショックの大きい期間を、とても美しいものにしてくれた。
  彼の死さえも、美しい思い出となったのです」

 高橋さんは
 「痛みは人をくじけさせたり、力を失わせたりすることも多いが、
  痛みも悲しみもあるから、より世界が優しく見えて、
  喜びをより感じることができると思う。
  あなたが語ってくれたこと自体が、大きなメッセージになっていると思います」
 
 カースティさんは
 「彼の死が、少しでもほかの誰かの救いになるのなら、
  もしかしたら息子はそのために生まれたのかな、と思います。
  彼の話が、たくさんの人に知ってもらえることを誇りに、幸せに思います」
 
 高橋さんは取材の後
 「子供の死はつらいし、忘れたいことだけど、
  それを人のために使う、ということ…
  それはそれで、子供は生まれて死んでしまったんだけど、
 それで終わりじゃなくて
  それが別の人や子供にとって、
  遠くからでも何かの力になったら、それはそれで救いがあるよね」

…このハウスが、子供たちが亡くなったあともケアしている、という話には驚いた。
でもたしかに、生きている間に過ごせた時間が少ない分、
ゆっくり一緒に、最後の時を過ごせるのは素晴らしいと感じました。

以前よんだ本で見た
日本にある、亡くなった人のためのホテル
(家族と最後の日々を過ごすための施設)
を思い出したが、
日本にも、お金のある人のためだけではなく
福祉施設としてそういうケアがあってほしいと感じました。

それから、カースティさんのお話は率直で心に染みました。
子供を突然失う理不尽さ、
それだけに、そこに寄り添ってもらうことの必要さがひしひしと伝わってきた。
彼女の発言が、こういう残された人のためのケアの広がりにつながれば、と思う。

それから、彼女は体験を語ったあと
「息子はこのために生まれてきたのかも」と話していましたが
自分の辛い経験は、
他人の痛みを知るために起きているのかもしれない、
と私も思うときがある。

とはいえ彼女ほどの経験は、私も分かりますなんて軽々しく言えない。
経験者じゃないと分からない凄まじい痛みがあるだろう。
それだけに、今同じ経験をしている人にとって、経験者の発信は心強いものとなる。

そうやって発信し、他人の助けになっていくことで
カースティさんの痛みも少しずつ癒されていってほしいと思いました

○メアリーさんの牧場
 次に高橋さんは、マーティンハウスの動物のボランティアをしているメアリーさんを訪ねていました
 彼女の牧場には100頭以上の動物がいる
 彼女によると、「保護された動物ばかりです」
 
 彼女はもともと高校教師だったそうですが
 始末されそうな動物を救い、
 子供たちに触れ合いをさせるボランティアを10年前に始める
 「動物たちは、子供が障害を持っていることが分かっている。
  マーティン・ハウスでは、とてもおとなしくしていますよ」
 メアリーさんは、今は教師を辞め、
 マーティン・ハウスのボランティアをしている
 
 「若いときは、家族もあったし、自分のことで精いっぱいだった。
  でも年を重ねて、他人のために割く時間ができるようになった。
  いまは自分のためではなく、他人のために何かができることに
  喜びを感じています」

 そのあと、メアリーさんは
 「トーマス!」と一匹の羊を呼ぶ
 なんと、あのトーマスくんが一緒に寝ていた羊に
 トーマスという名前を付けてくれていたんだそう
 立派な大人の羊になっています。
 カースティさんとは今でも交流があるそうです

 高橋さんはこの後
 「チャリティとかボランティアとか、エコも好きじゃなかったんだよね…
  なんか無理にいいことだからやろう、てのが嫌でね。
  関係ないやと思っていたけど、
  いつからかな、子供ができてからかもしれないけど、
  一人で生きているんじゃない、助けられてるでしょ、
  と思うようになった。
  そういうのが見えてきたら(関係ないというのが)恥ずかしいと思ってね。
  もっと周りのことも考える、ということの延長上なのかな。
  メアリーさんやマーティンハウスの人たちも、
  聖人君子とか、すごい遠くの人がやっていることじゃないんだよね…」

高橋さんの正直な発言がいいですねぇ。
私もエコとかは偽善者的な感じで嫌なんですが、
(というかある意味宗教的というか)
日常の中でやれることをやる、
そういう気楽さが、マーティン・ハウスやメアリーさんの牧場にはあるような気がする。

ボランティアったって、
やってる人が楽しめて、自分の癒しにもなってないと続かない気がする。
日本だと構えちゃうんだけど、
もう少し気楽でのんびりでもいいんかなぁと思う。

○ベアトリスちゃんの自宅訪問
 旅も後半になり、高橋さんは約束していたベアトリスちゃんの家を訪ねる
 ベアトリスちゃんは鮮やかなピンクのフリフリドレスをきて、出迎えてくれました。
 彼女はお気に入りの紙でできたお城を見せてくれて
 「妖精が住んでいるのよ」と。
 
 一通りおしゃべりをすると、
 ベアトリスちゃんはベッドに横になり、
 父親にたんの吸引をしてもらっていました
 アンドリューさんは「これを朝と夜、それから彼女の調子が悪いときにしています」
 彼女は、体を支える筋力も弱まっていて、
 うっかりするとうつぶせになってしまう

 アンドリューさんは彼女の介護のため、会社をやめ
 基金を設立し、医療費を集めている
 彼は運動なんて無縁な人だったが、今はトライアスロンをして資金を集めている
 
 高橋さんがアンドリューさんに
 「リラックスできる時間はありますか?」と気遣うと
 アンドリューさんが「コーヒーを飲むときですね」
 と言っていると、ベアトリスちゃんが心配そうに寄ってきて
 「何の話をしているの?」と。
 鋭い子ですねぇ…
 アンドリューさんは「冗談を言ってるんだよ、ウォッカとか言えないだろう」と笑っていました

 ベアトリスちゃんは、そのあと高橋さんに
 「お気に入りの場所」といって、
 田園風景が広く見える窓のところを案内していました
 「向こうに木があるでしょ、飛んでいける気がするの」

○設立者のレノア・ヒルさん
 最終日、マーティン・ハウスではイースターの復活祭があり、
 この施設を設立したレノア・ヒルさんが訪ねてきました
 
 彼女は高橋さんのインタビューに答えてくれました

 彼女が最初看取ったのは二人の兄妹だったそうで
 「二人は、自分たちに何が起きているのか分かっていなかった
  しかし、死に直面しながらも、私たちに贈り物を贈ってくれた」

 「愛らしい姿で私たちに別れを告げてくれた。
  私たちもあんな風になりたい、と思った」

 「多くの子が、尊厳をもって死に対峙しました。
  私たちは彼らを見て、自分達の未来に向き合うようになる」

 「「現実」について、彼らの方が大人よりもずっとうまく向き合っています。
  そして子供たちは、「今を生きる」才能があります」

 高橋さんは
 「僕は、彼らは弱い子、守られるべき存在と言うよりも
  社会がいいものになっていくために贈られた、
  ギフトだと思っている」

 レノアさんは
 「私もそう思います。
  私はここ以上に色んな感情を味わえる場所を知りません。
  こんなにも深い苦痛を味わったこともなければ
  これほどの喜びを味わった経験もない。
  子供たちは素晴らしいギフトを与えてくれる存在です。
  彼らの側にいることがてきて、私はとても幸せだった」

 レノアさんは
 「死に行く子供たちと家族のためのケア」と言う本を書いており
 「親のなかに子供は行き続ける」ということばを最後に書いているそうです。

二人の対話を見て、
短い命で生きることが決まっている彼らは、
普通の子達よりも人生の密度が濃いのかも、と思いました
だから周りの人に強い感情を残せるのかな、と。

私の子供の道徳の授業参観の時、
ある学校での難病を抱えた子の詩が紹介されていました

その難病の子は、理科の授業で電池の話を聞いて、
「人の寿命も電池のようなもの。
自分も電池が尽きるまで精一杯生きたい」
というような詩を書いたそうです。
命を粗末にする人もいて悲しい、とも。

それを聞いたその子の先生は
その詩を他の子たちに紹介したところ
その学校で問題になっていたいじめが無くなった、
というのが道徳の話でした。

今その話を思い出したんですが、
難病の子たちは、自分の寿命を知っているからこそ
生きることに全力になれる。
その姿が他の人たちにも命の大切さを教えてくれる。
それが彼らが命をかけて教えてくれた使命なのかもしれない、と思います。

また、私の友人には、若くしてガンで亡くなった人がいました。
彼は闘病生活をブログで公開し、
治療の経過だけではなく、ウナギを食べたり山登りしたり、
好きなことをして生をしっかり味わっていることも、ブログに書いていました。
亡くなる直前には、憧れの人との面会も実現させていましたね…
彼は人生は短かったけど、
周りの人の心のなかには深く痕を残して亡くなっていった。

そういう濃密な生き方ができれば、
亡くなっても生きている人の心の中に生き続けられるのかな、と思う。

そして、子供たちが濃密な生をいきるために手助けしてくれるのがマーティン・ハウスなのかなと思いました

○旅を終えて
 高橋さんは
 「色々な形の死がある、
  忘れ去られる死、忘れられない死、…」

 「でもマーティン・ハウスは、死をいい影響を与えるものに装飾していく。
  装飾していくっていうとあんまりいい意味に聞こえないけど、作り出すというか、プロデュースしている」

 「それは死をプラスに変えようということで、
  文学も芸術もそういうものですよね」

 「それは悲しむためというよりも
  残った人が、何かを見いだして、より良く生きるための作業でもある」

 「だとすると、それは特殊なことじゃなくて、
  誰もが芸術に参加できる、ということかなと思います」
 と話して終わっていました

高橋さんの言葉って、正直でとてもいいなぁ、…と思います
(さきほど、ボランティアは無理していいことしてる気がしてる、
とも話していたけど、
それはかなり正直な感覚で
ぶっちゃけそう思うときがある、と共感できました…
そうじゃない人もいるんだろうけど、
やらされ感があるとなんか嫌になる、ていうかね…)

ここでは、
「いい影響になるように、死を修飾している」
という表現がいいと思いました。
一見、死をキレイに見せてるだけでしょ、とも受け取れる冷めた見方にも聞こえて、
高橋さんも言い直してはいたけど、

でもそもそも人間の生死って、
自然の営みを綺麗事にしてるところがあるんじゃないの、と私は思う。

だって動物の場合だったら、
生きたら死ぬ、それは自然の摂理として処理されて、
生を喜ぶことも死を悲しむことはない。
人間が勝手に生や死の儀式を作って、
何かの意味を見いだそうとしているだけ、といえばそうなんですよね。

でもそれこそが人間の特徴なのかな、と私は思います。
哲学者の三木清
「人生は虚構」と言い切っています。
人間の一生は大海原の世界に浮かぶただのあぶくに過ぎなくて、
人間がそれに勝手にストーリーをつけてるだけなんだ、と。

だけど三木は、虚構を演じ切ることが偉大な人生につながる、とも述べている。
このくだりで私がいつも思い出すのはフィギュアスケートの羽生くんなんですけど、
彼はよく「こんなの羽生結弦じゃない」とかいう言葉を口にする。
自分で、「王者」というキャラクター、虚構を作り出して
そこに向かって努力することで偉業を成し遂げている。

それでいいんじゃないか、と私は思う。

というより、虚構こそが人間のやってきた偉業で
宗教も科学も芸術もスポーツもすべて、
勝手に生まれさせられた自分の生(生物学的にはそうです)を、
意味あるものに修飾していくための営みなんだろう、と思う。

そしてマーティン・ハウスの人たちは
動物や先住民の世界だったら黙って死を待たされるだけ
(先住民の世界の場合、食料などの資源が少ないから、難病の子供は見捨てられてしまう)
の短い寿命の人たちの生を
より輝かしいもの、濃密なものにすべく手助けしてくれている。
素晴らしいお仕事です。
誰もが虚構を全うすることができるわけです。
そして、そこに全力で応える子供たちも素晴らしいなと感じました。

ところでプレミアムカフェのスタジオでは
日本にも、2016年に関西に子供用ホスピスができた、
と紹介されていました。

もっとこういう施設が増えていくといいですね…
ついでにいうと、高齢者や社会的弱者が
自分の生を意味あるものとして終えられるような手助けが
もっとなされていくと良いかなと思う。
最近は高齢者施設に併設のカフェとかもあるけど、
そこに普通の人が、気軽に参加して助けられる仕組みができたらいいなぁとも思いました。

一人で生きてるわけじゃないよね、
ボランティアも隣の困ってる人を助ける延長なのかな、
と高橋さんが言ってましたけど
そんな風に、肩の力を抜いて
福祉が語れる世の中、
先日書いてた障害者のこともそうなんですけど、
そうなるといいなぁ。

色んな生のあり方が共存できる社会が来るといいなぁ。
と思いました。

というわけで今回はこの辺で。

「カラー版 虫や鳥が見ている世界―紫外線写真が明かす生存戦略」浅間 茂

「カラー版 虫や鳥が見ている世界―紫外線写真が明かす生存戦略」浅間 茂

最近哲学、道徳系の重い本が多かったので
自然科学系の本を読んでみました
図書館で見つけてざざっと呼んだ本です。
親書で薄く、写真が多くて見やすいです。

この本は虫や鳥は見えるが、
人間には見えない世界を写真で示した本です。
人間って、情報の7割~8割を視覚に頼っていると聞いたことがあるが、
その視覚情報も完全ではないんだなあ、と改めて思わされました。

ざっくり読んだので内容はうろ覚えですが(すみません)
何かに役立ちそうな予感もするのでメモっておきます

最初の方で解説があったんですが、
人間は世界のすべてが見えているわけではない。
可視光の範囲内のものしか見えない。
人の目には、光の三原色である赤、青、緑の光をとらえる受容体があって
それらの混ざった色が見える、とのことです。

しかし、鳥や虫には、紫外線の波長の光も見えるそうです。
正確に言うと、地球のオゾン層で280nmより短い光は吸収されてしまうので
近紫外域のものが見えるそうです。

(細かく言うと、目には明るい、暗いをとらえる桿体細胞と
 光の波長をとらえる錐体細胞があり、
 錐体細胞は、赤(長波長側)専門のもの、青(短波長側)専門のもの、緑(中間波長側)専門のもの、紫外線領域専門のものの4種類がある)

なぜ人間には紫外線の光が見えないのか?
それは、進化の過程に関わっていて、
恐竜が生きていたころ、哺乳類は小さくて力が無いので
夜にしか活動できず、夜行性だった。
昼間活動しないので、紫外線と緑の光は必要ではなく、その2つが衰退した。
しかし、霊長類のみは緑用の細胞が突然変異で復活したらしい。

その間、鳥や虫など空を飛べるものは昼間も活動していたので
4つの錐体細胞は衰えることなく保たれている、ということらしい。

筆者はその範囲で見えるものを
紫外線を通す特殊なフィルターを使ったカメラで撮影しています。

筆者によると、人間の目には同じ色に見えても
紫外線吸収や反射によって、違う色に見えるんだそうです。
主なメカニズムとしては
・皮膚表面の構造による色の変化
 表面の凹凸が変化することで、
 人間の目には同じ白でも、紫外線を通すと黒っぽくなったり白っぽくなったりする
 一部のチョウの羽などがこの例だそうです
 写真では黒、白でしか変わらないけど、彼らには何色で見えてるんでしょうか…

・色素による色の変化
 筆者によると、色素は光を吸収して変化する性質のものと
 光を反射して変化する性質のものがある
 人間の目では同じ黄色でも、紫外線吸収による黄色なのか、
 紫外線反射による黄色なのかで見え方が異なるらしい

そして、これらの紫外線による色の変化を何に利用しているかというと
・オスとメスとの区別…生殖のため

・花粉のある所をはっきりさせる…生殖、食べ物を集めるため
 花の場合、わざと虫に取って見えやすい色にして、
 虫を呼び寄せて、花粉を運んでもらう
 虫の場合、見えやすいからすぐにえさにありつける

・有害な紫外線を吸収、または反射し、やり過ごす…紫外線を回避する
 筆者の解説によると、有害な紫外線は
 人間の皮膚にあるメラニンのように、吸収して熱に変換してしまう方が
 毒性は無くなるそうです。
 (反射も効果はあるが、一部はどうしても透過してしまう)
 このため、紫外線吸収の色素を使い、紫外線を回避する戦略をとる花もあるようです

このような動植物の戦略を、写真を使って一例一例解説している、
という内容です。
海外、日本、いろんな場所まで行って、
どうしても撮りたい、という生き物を
執念で撮影しているところがすごいです…

欲を言えば、動植物の共進化の歴史や
どうやってそういう色素や構造体ができていったのか、
というところまで踏み込んでくれたら
より深みのある本になるのではないか、と思いました
いろんな種の写真を羅列しているだけなので
ちょっと飽きてくる…(すみません)

感想など書いてみますと
・筆者のカメラで見ると、
 同じ白でもメス、オスがはっきり区別がついたり
 別の種のものが擬態して、人間や哺乳類の目では紛らわしいもの
 (名前でも「ニセ○○」と名付けられているものがあるが)
 がはっきり区別がついている

 テレビで見る赤外線カメラもそうだけど、
 鳥や虫には、人間の眼とは違うものが見える、
 それはたぶん全然違う世界なんだろうな、と思った。
 ユクスキュルのいう
 「環世界(すべての生物は種特有の近くを持って行動している、という考え方)」
 を思わせました 
 
・植物も戦略別に種ではっきり区別がつけられるらしいが、
 パンジーやチューリップなど、
 人間が色だけで勝手に交配したものについては、
 紫外線吸収とか動物を呼ぶ、という戦略とは関係なく
 まだら模様に見えるんだそうです。

 人間が、自分の見える範囲でこれとこれを組み合わせたらきれいだから、
 と自分らの都合で勝手に自然を変えてしまった、
 てのが如実に表れている。

・これを読んでいて、鳥や虫に言語や文字があったら、
 どんな風になるのかなと思いました。

 少し前に読んだ「新記号論」という本では
 人類の文字は、自分たちの(映像として)見える世界の
 線や交わりのパターンに似せて作られている、
 という発見が紹介されていました。
 もしそれが正しいとしたら、
 紫外線の波長でも見える世界になったら、
 また言語や文字が変わるのかもしれない、と思った。

 もっといえば、地球外生命体がいるとして、
 その人たちが人間とは全然違う感覚器を持っていて、
 その人たちが言語を持つとしたら 
 もしかして人間に見えない領域込みの形になっているかも、…??

・今後人間が、このような可視領域外の視点を獲得する可能性もあるかも、
 と思った。
 というのは、AIの進化と絡めて
 センサーの技術も発達しているし
 デバイスを人間に埋め込む技術も発達しているので、
 こういう紫外領域、赤外領域のセンサーを
 人間の目に埋め込むことも、将来的には可能になるかもしれない、と。

 それが何の役に立つか、立たないかはよくわからないが
 少なくとも、見えないものが見えてくると
 思考回路や文化も変わりそうな気がする。

 それが、人間の視点を広めることに役立てばいいかなあ、と思います。
 虫や鳥の気持ちもわかる、とまではいわなくても
 人類が、自分たちだけの世界じゃないんだ、
 と認識するようになるきっかけになると
 また面白い世界になるのかな、と思いました

読み返すと面白いかもと思った本でした。
というわけで今回はこの辺で。

NHKBS1 超人たちのパラリンピック「君は超人を見たか」

NHKBS1 超人たちのパラリンピック「君は超人を見たか」

3月に放送された番組の再放送です。
パラアスリートたちの身体能力を科学で解き明かす、というもので
3月の時には何となく見逃していたんですが、今回見て見ました

元陸上選手の為末大さんが、
3年かけて取材したもののダイジェストという感じで、
一人一人のアスリートにかける時間が短くて消化不良な所もありますが、
いろんな競技が紹介されていたのは良かったです。

前半、後半と分かれていまして
前半は人間の身体の持つ可塑性、
後半は道具を一体化させる身体の適応力に注目しています。
前半では生物学者福岡伸一さん、
後半はメディアアーティストの落合陽一さんが
為末さんと対談もしていて、それも興味深いものでした

前半では、
障害者云々というよりか、
トップアスリートの身体能力のスゴさが科学で理論的に説明される、
てのが興味深かったです。
後半は、落合さんの突き抜けた発想がすごいな~と感じてしまうと同時に
新しい時代へのワクワク感も感じました。

<前半>
 前半は、欠けた身体の能力に対して体がどう適応しているのか、に注目しています
 紹介されていたのは以下の4選手です
・パラアーチェリーのマット・スタッツマンさん
・脳障害を持つスイマー、コートニー・ジョーダンさん
ブラインドサッカーのリカルド・アウベスさん
・パラスイマーの女王、ジェシカ・ロングさん
(車椅子フェンシングのアントン・ダッコ選手
 車椅子ラグビーの池崎大輔選手
 全盲のスイマー木村敬一選手 の紹介もちょっとだけありました)

○アーチェリー選手のマット・スタッツマンさん
 彼は満島ひかりさんの番組にも出演されていましたね…
 生まれつき両腕が肩から無く、足で矢を射る選手です。
 パラアーチェリーで足で射るのは、彼だけなんだそう
 それでも2012ロンドンではメダルを獲得しています

 彼は足で弓を固定し、顎で矢を引っ張って射る
 為末さんも足で弓を固定する体験をしていましたが、
 手よりもぶれますね、と話していました

 彼は、日常生活でも足だけでなんでもこなす
 料理も、食事も、火を使うのも車を運転するのも、なんと全部足です。
 それに対して寛容な社会もすごいなあ、と個人的には思うのだが
 彼の住んでいたアメリカ南部では、
 たぶんそんなに支援は充実していないのでしょう。

 だから彼の両親は、彼が大きくなっても自立できるようにと、
 小さい頃から手助けをしなかった。
 「手助けを親に頼んでも、自分でやりなさい、と言われた。
  だから試行錯誤して、足でできる方法を考えていたよ」

 為末さんは、弓を足で固定するとぶれる、と言っていましたけど、
 彼の固定能力のすごさが科学で証明されていました

 彼の弓を引くときの上下左右のブレを、
 健常者アーチェリー選手と比べる
 健常者アーチェリー選手は、
 上下方向に2ミリ、左右方向に1.5ミリのブレがある
 これだけでもスゴいんですが、
 マットさんの場合、上下はわずか0.5ミリ、左右に至っては0.2ミリ!

 専門家は「ほぼ静止状態ですね、驚異的としか言えない」
 と驚いていました
 幼少期からの訓練の賜物、ですかね…

○水泳選手のコートニー・ジョーダンさん
 彼女は、生まれつき脳の障害で左半身が麻痺している選手。

 普段陸上で歩くときは左腰を持ち上げるようにして歩き、
 キーボードは右でしか打てない
 左は人差し指くらいしか動かせないそうです

 しかし、彼女は水に入ると、左腕も動かして泳いでいる
 「陸にいるときは体が重くて、年寄りになった気分になるが
  水に入ると解放されて、若返った気分になる」

 彼女の脳で何が起きているか調べるため、脳画像を撮影していました
 普通、血流があり、細胞が生きている所は白く映るが
 血流が無く細胞が死滅しているところは黒い影が映る
 彼女の場合、真ん中に穴が空いているような感じです。
 それはわりと広い範囲で、
 左の運動野の半分以上がこの黒い範囲にあるそうです
 専門家も「予想以上のダメージです」と。

 目や口、皮膚感覚などを司る所も真っ黒になっている。
 そこで彼女の脳の様々な所から信号を送り、
 どこを刺激したら左指が反応するか調べると
 彼女の場合、普通は体幹や肩を動かす部位が
 ダメージを受けている場所の代わりに、左指への指令を送っていたそうです。

 専門家によると
 脳の一部が損傷を受けると
 そこが担っていた機能を補うため別のところが活性化する
 このとき、脳神経の「再編成」が起きるそうです
 
 そして、「やる気や意思が、「再編成」を促すことが最近分かってきた」

 彼女の場合、水泳をやる時に必然的に体を動かさねばならず、
 動かしたい、という意思が再編成を促してきた可能性がある、とのことです

 彼女は左半身を動かすトレーニングも毎日地道にしていて、
 「動け、動け」
 と念じて左指を動かすこともしていました
 
 昔は脳細胞はいったんできたらもう再生しない、と言われていましたけど
 再生しない代わりに、他の細胞が頑張るんですね…
 人間の体ってすごい。あきらめたらだめですね。

福岡伸一さんとの対談
 為末さんは、生物学者の福岡さんに、障害者の細胞の「再編成」について聞いていました
 「障害者はある部分が失われて、
  サッカーで言えば10人でプレーしているようなものじゃないですか?
  でもパラ選手は適応しているように見える。
  それはどのように起きているんですか」

 福岡さん
 「生命現象では、何かが起きたとき、
  (たとえば腕を失う、遺伝子の欠落、など)
  動的平衡として、新しい平衡状態を作ろうとする」
 「それは元通りにするんじゃなくて、
  違う状態を作るんですね。
  それが元よりも、優れた状態になる可能性は常にあるんです」

 それから、細胞の動的平衡は常に起きていて
 「毎日細胞は少しずつ更新している。
  1日たてば少し変わっていて、
  1年たてば同じ人も、細胞レベルでは丸きり入れ替わっている」
 だから、細胞レベルではいつでも再生の可能性がある、と。

○スイス・チューリヒのレストラン
 視覚障害者の目の前には、どんな世界が見えるのか。
 それが体験できるレストランが、スイス、チューリヒにあるそうです
 それは真っ暗闇で食事するレストランで、
 盲目のシュライアン・ザッパさんが考えたもの

 お客さんは最初戸惑いつつ、
 そのうち上手に手の感覚でワインも注げるようになる
 暗闇で何も見えないと、何の料理だろう、としっかり味わったり、
 会話が静かになり、相手の話に耳を傾ける…

 ザッパさんによると
 「見えていると、相手の話に口を挟んで聞くのがおろそかになる、
  暗闇は聞く力を鍛えられる。
  暗闇は、眠ってる感覚が発揮されてお勧めですよ」
 と話していました

 福岡さんはこのVTRを見て
 「遮断することで得られる感覚がある、てのは、
  僕も虫取り少年だったからわかる」と話していました
 
  自然にいると、いろんなものが動いているので
  虫を取るためにはまず自分の気配を消し、
  自分から何かを発することを止めねばならない
  すると、何かの音が聞こえたり、暗闇で蠢くものなどが見えるそうです

 「だから僕らは、普段は情報にただ反射しているだけで、
  本当の世界は観察していないんですね。
  感覚をある程度遮断することで見えるものがある、
  というのは分かる気がする」

 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」
 という本には、
 目の見えない人が、いろんな感覚を総動員して生活している様子が描かれていて
 とても興味深いです。
 目の見えている人の方が、情報の洪水で本当のものが「見えてない」かもしれないです…

ブラインドサッカーのリカルド・アウベス選手
 この選手はブラインドサッカーでブラジルのエース選手。
 為末さんは練習風景を見ていましたが
 「2メートルくらいディフェンスの選手と離れているのに
  なんか見えてますよね…
  座頭市の世界みたい」(笑)

 ブラインドサッカーは、
 ボールの中の鈴の音と、
 守りの選手の「ボイ」という声を頼りにサッカーをする

 でも、うまい選手は見えてるかのような足さばき。
 ディフェンスもうまく切り抜けてシュートする。
 私も目の見えない人体験をしたことがあるが、
 まず不安で足が動かないです。。
 リカルドさんは
 「僕は相手のスパイクの音も聞いている。
  聴覚は僕のレーダーみたいなものです」

 彼に横たわってもらって、
 運動しているときの状態を再現しつつ脳画像を取ると、
 見えないはずなのに視覚野が反応している

 専門家は
 「我々の感覚で体験するものとは違うような空間の広がりを
  察知する能力があるのかな、と思う」

 リカルドさんに話を聞くと
 「音から映像が浮かぶ」そうです
 鈴の音がだんだん大きくなるにつれ、近づくボールが見え、
 壁の跳ね返りの音で、やってくるボールの角度も分かる
 そして、ボイ、の声の距離感で、相手の位置も「見える」そうです

 彼の感覚はどう養われてきたか?
 彼は6歳までは見えていて、それまではサッカーに夢中だった
 網膜剥離で8歳で視力を失うが、
 それでもビニール袋にボールを入れて蹴り、
 ガサガサ言う音で位置を察知し、サッカーは続けていた

 そして健常者の友人と技を磨きあった
 「君のやり方は古い、と言われたら負けずに新しい技を磨いた」

 専門家はこの話を聞いて
 「成功体験も失敗体験も、エピソード記憶として脳に残るんですね
  見えていなくても、運動の体験を
  脳神経の発達時期(子供の時期)にしていたことが、
  その後の視神経の発達を促したのだろう」と。

 昔何かのテレビで見た番組でも、
 盲目の方で、声を出してその反射音で目の前のものがわかる、という方がいましたが
 その方も、耳で聞いているときに視覚野が反応していました。
 脳の障害を受けていたコートニーさんと同じで
 これも脳の中で、
 目から視覚野への回路が、耳から視覚野に変わる「再編成」が起きているのかな、
 と思います。 
 人間の脳の可塑性ってすごいです。。

○水泳選手のジェシカ・ロングさん
 彼女は膝から下が生まれつき無いが、
 4種の泳ぎをこなし、パラ水泳では9個の世界記録を持つ

 為末さんは彼女の泳ぎを見て、
 「セオリーでは、足がないとバランスを崩して沈むんですけど、
  彼女はそうじゃない。
  逆に健常者のばた足って何のためにあるんですか、ていう…」

 彼女の関節に光るマーカーを着けて泳いでもらい、
 その映像を撮って泳ぎのフォームを分析していました

 比較の為に、同じく足がない日本のパラ選手にも同じように泳いでもらう

 すると、バタフライでは
 上半身を入水させたとき、日本の選手は浮く力を得るために
 手を下に向けて押す
 すると反動で上半身は浮くが、下半身が沈み、
 体全体は斜めになって水の抵抗を受けやすくなってしまう

 しかしジェシカさんの場合、
 水に入れた手の平を素早く手首から曲げ、後ろに水を押す
 すると前に推進力が働き、下半身はあまり沈まない
 このため体全体はほぼ横になり
 水の抵抗は減る

 専門家は
 「僕らは後から見たらそれがいい、と分かるんだけど、
  よくこれを自分で身に付けたなぁ…と」

 また、クロールも特徴がある
 普通は腕をかくたびに体が回転するので、
 体のバランスが取りにくい
 健常者の場合、かいている腕の反対の足をばた足することで、バランスを取っている

 ジェシカさんのクロールを分析すると、
 腕をかく力のピークが
 普通は腕が真下に来たときだけ、山としては1つだが、
 彼女は山が2つあるそうです

 彼女の場合、腕を入水させた直後と、真下に来たとき、
 二回、かく力のピークがある
 入水させた直後のかく力は、健常者のばた足と同じ働きをしていて、
 これで反対側の腕かきによるバランスの崩れを修正しているのだそう

 ジェシカさんは泳ぎのテクニックもすごいのですが
 それを支えている彼女のメンタル、言葉も力強かったです。

 彼女は、生まれつき膝から下に直接指が着いていた
 両親はそんな彼女を捨て、施設に入れたので、彼女は孤児になってしまった
 しかしそんな彼女を養父母が育ててくれた

 彼女は1歳半で義足を着けるため、
 足の指を切断する手術を受ける
 しかしそのあとも、伸びてくる骨を切断するため
 手術を25回も受けているそうです

 「大人になってから経験するような辛いことを
  幼い頃から経験した。
  でも私にとっての障害はただひとつ、
  「できない」と思う考え方なんです。
  私が自分の泳ぎをすれば、世界は注目してくれる」

○障害者にスイッチが入るとき
 再び、為末さんと福岡さんとの対談。
 「パラアスリートを見ていると
  人間には困難にあっても、ある瞬間にスイッチが入る、
  と思わされることが多くて…
  彼らも自分の人生が変わるような、突き抜ける瞬間がある、
  と話してくれることがあるんですが、
  それはどう説明できますか」

 福岡さんは
 「生命にとっては、情報の変化が重要なんです。
  たとえば温度が下がるとか、遺伝子の欠落とか…
  パラリンピアンも、大きな身体の変化を経験して、
  潜在的な能力が発動されたり、
  準備された反応が惹起されたりすることがある」
 変化への適応が、爆発的な力を起こすことがある、と。

 それからもう一つ、人間は生きる意味を求める性質がある、と話していました
 「人間は大脳が発達することで、物語を作るようになった。
  それは、quest for reason、(quest=疑問、reason=理由)
  つまり「存在理由」を求めるようになったのが
  人間の意識の特徴で、
  自分にどういう物語を用意して、自分の存在価値を考えるか…
  これはスポーツ、科学、芸術にも言えるんですが、
  これは最後の大きなモチベーションになっている」

 いろんな哲学者も同じことを言っていますが
 自分についての物語、三木清でいうところの「虚構」を求める渇望が
 人間の偉業への原動力になっているのかもしれない。

 そしてこれは障害者だけの特別なものではなく、
 人間として共通することだ、と感じました。
 誰しも人生で大なり小なり挫折や困難に直面するわけで、
 そのとき自分の存在価値をどこに見出せるのか、が大事で、
 見いだせたとき、爆発的な力が生まれるのかもしれない。

 もちろん障害者の困難は普通の人よりは大きいことが多い、
 (とらえ方は人によるとは思うが)
 だから、彼らから学ぶことは多いのかな、と思います。

<後半>
後半は
アンプティサッカーのバルシュ・テッリさん
・車椅子テニスの国枝慎吾さん
車椅子バスケットボールのパトリック・アンダーソンさん
・パラアイスホッケーのニッコー・ランデロスさん
・短距離選手のジョニー・ピーコックさん
が紹介されていました

アンプティサッカーのバルシュ・テッリさん
 アンプティサッカーとは、片足の無い方のサッカーで、
 二本のクラッチと呼ばれる杖のようなもの
 (見た目はスキーのストックみたいなやつ)
 を使って走ったりする

 片足の代わりの二本の足ならではの技もあり
 「やつらはすごい!二本足がある僕らにはあんなことはできないぞ!」
 と言う観客もいました

 中でもトルコのエース、バルシュさんは見ていてもかなり走るのが速くて、
 彼も「クラッチを足のようにイメージして走っている」と言う

 彼の走りを、モーションキャプチャーで見てみると
 為末さんは「点だけだと、健常者とフォームが変わらないですね」

 日本のアンプティサッカー代表選手にも走ってもらい、
 同じように測定して比較すると
 バルシュさんは、クラッチを、腰や体幹、つまり体の重心の真下についている
 このため、体は前傾、短距離選手と変わらない

 一方日本選手は、クラッチを体よりも前方についている
 このため、体は直立に近くなる
 杖で歩いている人のイメージです。
 この方がブレーキがかかるが、安定感はあり、こけにくい

 専門家によると、バルシュさんのやり方だとスピードが出るがこけやすい
 このやり方は、強いキック力、体幹、バランス力が必要なのだそう

 バルシュさんは体幹を鍛えるため、
 片足でトランポリンに立ち、
 その体勢でいろんな方向からランダムにボールを投げてもらい、
 キャッチボールする訓練をしているそうです。

 また、彼は速いだけではなく、
 ディフェンダーを切り抜けるテクニックもすごい
 フェイントなどのやり方を低速で見てみると、
 ボールを回すとき、軸足を両方のクラッチと片足、三本の足の間で素早くチェンジして、
 相手を翻弄している
 下手したら健常者のサッカープレイヤーも抜けそうです

 専門家によると
 「ある局面では、トッププロの選手並みのダイナミックさ、精密さのある技ができる。
  メッシやマラドーナのような、
  どうやってるのか分からないような技に到達している。
  彼の技を見れば世界観が変わると思います」

 見ていてとてもアクロバティック、
 純粋にプレーがかっこいい~
 熱狂するのもわかる。。

○車椅子テニスの国枝慎吾さん
 国枝さんは、車椅子テニスでおなじみです。
 彼の強みは巧みなチェアワークで、
 どんな取りにくい球でも追い付いてラリーを返し、
 相手のミスを誘うそうです

 為末さんも車椅子テニスを体験していました
 車椅子は普通のよりも簡素な感じ、
 車輪の傾きが変わりやすく、向きを変えやすくなっている

 とはいえ、ラケットを持ちながら動かすのが大変なのだそう
 為末さんもボールを打ち返そうとするが、なかなか追い付けない
 国枝さんは、親指の平で押して動かす、と言っていました。

 国枝さんのラリー50万回分のデータを、コンピューターで解析していました。
 見ると、秒速3秒以上のトップスピードの所が多い
 打った後も直ぐにスピードをあげ、ボールを拾いに行くことができる

 ここまで漕ぐのは、かなりの体力とテクニックが必要。
 彼はそのため、ランダムに投げられたボールを打ち返す練習を何度もしている
 練習の量と質は誰にも負けない、と話していました

 …というか、打ってラリーができるだけすごい気がします…
 車いすを自在に操って、もはや一体化している感じでした。

○障害者テクノロジーの未来の形
 ここで、障害者テクノロジーの未来の形を思わせるようなプロジェクトが紹介されていました
 
 ・メディアアーティストの落合陽一さん
  彼は最新のテクノロジーを使ったアートで話題になった方ですが、 
  障害者とのプロジェクトもしているそうです。
 
  たとえば、音を振動と光で感じるための「サウンドハグ」という機械
  これは、見た目は抱えるくらいの大きさの光る球ですが、
  音楽を鳴らすと、音にあわせて光ったり振動したりする
  聴覚障害者もコンサートを楽しめるように、と開発したそうです

  彼の意図としては、
  「今までエンタメからこぼれ落ちてきた人たちが
   エンタメに入ってきて欲しい、と思って作った」

  「聞こえないから参加しない、ではなくて、
   聞こえないなら感じればいい、と」
  音ではない音楽の楽しみ方、を追求したそうです。

  彼は今後の障害者とメディアとのかかわりについて、
  「視覚、聴覚などがデータ化された世界、というのを作りたい」
  と話していました

  視覚、聴覚などの五感が、すべて同じデジタルデータになっていれば
  一つの感覚が無くても、誰にでもアクセスできる、と。
  そうすれば、障害のある人、ない人の世界が統合されるんじゃないか、と。
 
  「そうすると、見えない人は触覚で分かればいい、
   耳が聞こえない人は字幕が出てればいい、となる。
   そうなると、もう障害とは認知されない世界になって、
   「君耳派なの?僕は目派なんだよ」
   みたいな会話になるかもしれないですよね?」

 ・義足研究者の遠藤謙さん
  次にVTRで紹介があったのは、義足エンジニアの遠藤さん
  彼は今、ロボット義足を作っていて、
  これは人間の腱に相当する部分を、モーターを付けて再現している
  触感をセンサーで感知して、それを制御してモーターにつなげる、
  という感じらしく
  「生身と見分けがつかないくらい歩けるような義足を作りたい」

  そして、彼は5年前から競技用義足も作っているそうです
  短距離選手のオスカー・ピストリウスさんは
  2012年のオリンピック(健常者の大会)に、初の義足選手として出場して
  互角に戦っていましたが
 
  彼の走りを見ていて、遠藤さんは
  「ケネディ米大統領が、月に人類を送る計画を発表したとき
   「ムーンショット」といっていたんですけど、
   パラリンピアンも、健常者が上回る時代が来ると思う。
   それが僕のムーンショットです」
  と話していました

 ・落合さん、遠藤さんのプロジェクト
  落合さんと遠藤さんは、
  「人間の未来プロジェクト」というものを立ち上げている
  その一環で、四肢が生まれつき無い乙武洋匡さんに義足を提供している
 
  このプロジェクトの意図として、落合さんは
  「乙武さんは差し迫って義足をつける必要はない」
  と説明していました。

  一瞬、??と思ったのですが
  「身体を多様化できればいい、という発想です。
   乙武さんは、義足で歩いてもいいけど、
   なんならドローンで空を飛んじゃってもいい。
   僕らは二本足がついてるから歩くけど、
   場合によっては、僕らだって車椅子にのってもいい。
   人間の形は自由だ、と伝えたい。
   そういうのがかっこよさに繋がればと思う」

 …うーん、ここまでくると
 人間のサイボーグ化になってきて、
 お金があって、道具を買える人だけが特別な能力を身に付けられるようになる、
 みたいな話にも繋がってきて
 それはそれで問題が出てきそうな気もしますが
 障害が特別なものではなく、人の性格のような多様性の1つになればいい、
 という意図は分かる気がしました

 日本人の義足パラアスリートの山本篤さんは
 競技を始めた頃(2002年頃)はフォームなどが研究されておらず、
 義足を一から考えねばならなかったそうです
 でも一からやるのが楽しかった、と話していました

 また、自転車の藤田征樹さんは、
 膝から下が一直線の、馬の足みたいな変わった義足を使う
 一番力を加えられるものを探して、これにたどり着いたそうです

車椅子バスケットボールのパトリック・アンダーソンさん
 彼は車椅子について
 「僕は車椅子というパワフルな翼を得た。
  まるで空を翔ぶようにね」

 彼は片輪を持ち上げたり、片輪走行をしたり、華麗なテクニックを披露する
 為末さんも持ち上げようとしていたけど、かなり力が要りそう…

 今まで車椅子バスケットは、ゴール前で押し合いへし合いのシュート争いが多かったそうですが、
 彼の登場でエンタテイメントの要素も加わった

 パトリックさんは
 「スポーツは、可能性を見つけ出すことができるから魅力的だ。
  多くの人に影響を与えたい」
 と話していました

○パラアイスホッケーのニッコー・ランデロスさん
 パラアイスホッケーは、
 スケートのブレード(刃)の上にあるスレッジ(スカスカのそりみたいなもの)に座って競技を行う
 見た目、下のブレードが小さく、薄い刃で大きい椅子を支えている感じなので、
 バランスをとるのが大変そうです

 為末さんも試していましたが
スレッジに乗っても
 「前に進める感じがしない…」と。
 腕を伸ばし、漕ぎながら進んでいました
 曲がるときは、片方のブレードに体重を乗せるのだそう

 ニッコーさんはほかの選手と比べてもけっこうガッシリした体つきの方、失礼ながら重そうで、
 スレッジ上ではバランスが取りにくそうだが、
 彼はゲーム中、押されてもそんなに崩れないし、すぐに立て直す力がある

 このバランス力を見るため、
 筋肉の働きを図るセンサーを体のいろんな所につけて、
 スレッジに乗っている状態を再現する特別な装置の上に座り、どの筋肉を使っているか調べていました

 すると、特徴的だったのはおお尻の筋肉で
 バランスをとろうとするとき大きく反応していたそうです

 具体的には、骨盤と体幹をつなぐ中臀筋、というところ
 (お尻の後ろから横、前へとぐるっと下に降りてくる筋肉)
 腰回りの筋肉を積極的に使っている、と。

 彼は、膝から下がないが、
 普段から車椅子ではなく、
 膝から下に義足をつけて生活している
 これによりバランス感覚が鍛えられるのだそう

 にしても、体幹の筋肉もかなりあるのではないかと思いました。
 体を中心に戻す力が強いです。
 乗りこなすだけでも大変なのに、あの小さい玉を打つ、てのもすごいです。

○短距離選手のジョニー・ピーコックさん
 ジョニーさんは短距離選手。
 ロンドンパラ100メートルでは、世界初の10秒台を出している

 短距離選手の義足はどの選手も、板を湾曲させたような形なんですが、
 彼の場合、映像を見ると、地面を蹴るとき、義足はかなりたわんでいます

 彼らはこのたわみから反発力を得ているのですが
 義足は反発力が高ければいいもんでもなく、
 健常の足とのバランスが必要。
 彼は、そのバランスが崩れない所を探求しているそうです

 その感覚は繊細なもので
 「義足は自分の足ではないけど、
  指先やかかとがどこにあるべきかが分かるんです」と。

 自分の足ではない義足の感覚が分かる、とはどういうことなのか?
 彼の脳のうち、足に指令を出す部分を調べると、
 足を動かす領域だけではなく
 腕や手を動かす領域からも指令が出ていたそうです

 専門家は、
 「多くの領域が足を動かすのに参加することで、
  義足を精密に動かしているのだろう」と。
 信号の強さは、健常足の3倍だそうです

 そして、脳から足への指令だけではなく、足から脳への指令の強さも強まっていて
 膨大な情報が行き来している、と考えられるそうです

 専門家は、
 「膝から下は完全に人工物だが、
  使いこなすうちに体の一部になっている。
  正に義足の身体化と言える」

 ここはよくわからなかったのですが、
 実際に直接触れていない道具ごしの感覚を捉えるために
 あらゆる別の部位の感覚を総動員して微妙な違いを感じている、
 そのために神経が増えている、ということなのかな?

 ジョニーさんはさらに、
 目印に歩幅を正確にあわせて走る練習もしている
 彼は、どのくらいの歩幅で、義足をどの角度にすれば一番いいタイムが出るのか、
 細かく計測して調べているそうです

 気が遠くなりそうですが
 彼は
 「テクニックを考えるのが楽しい。
  みんなが見るのはほんの一瞬だけど、
  そのためにどれだけの時間をかけて可能性を探っていることか…
  でもその一瞬が楽しくて、止められない」

パラリンピックって、
道具を使うから、先進国の方が有利、などとも批判されやすいのだが
道具があったらあったで、繊細に使いこなすのが大変なんですね…

できれば、どの国の選手でも
平等に道具が使えるようになればもっといいのかな、と思います

パラリンピックの意義
 為末さんと落合さんの対談。

 為末さんは
 「オリンピックでは、
  古代ギリシャでも美しさを追求していて、
  「完璧な人間」という表現も出てくる。
  パラリンピックも、そういうメッセージが出てくるのかな」

 落合さん
 「オリンピックの求める完璧な人間というのは、
  近代の求めてきた、いわゆるマッチョみたいな人とか、身体能力の優れた人をめざす考え方ですよね」

 「でもパラの持つ多様な個性は、多様なルールで輝く、と僕は思う。
  多様なルールを用意して、全員が楽しめるようになればいい。
  もちろんオリンピックのように、最大公約数のルールを決めてみんなが一緒に楽しめる、
  というものもあってしかるべきですけど、それでは勿体ないかな、と。
  楽しみ方を分けたら、100倍の楽しさになる
みたいな…」

 オリンピックが目指す、標準的な美しさ、強さもアリだが、
 パラリンピックのような、個性的な美しさ、強さもアリだ、と。

 そして、
 「これからの時代は人口減少、高齢化もしていくけど、
  それでもある程度成長を見せつつ
  美しいもの、バリアフリーのものを作ろうとか、
  多様性を実現させていこう、としていくときに
  パラリンピアンに対して優しい国になっていくのかもしれないし、
  障害とテクノロジーの向き合い方について認識が進む国になるかもしれない。
  そういう観点でいけば、もっと楽しい時代になっていくかもしれない」

 少子高齢化という心配はあるけれど
 多様性を実現させる方向にテクノロジーをうまく使うことで
 障害者にとっても優しいし、みんなにとっても楽しい社会になるかも、という話をしていました

○最後に
 為末さんは取材を終えて
 「人間って何者にもなれる。
  適応性や柔らかさが人間の特性、一番の能力で、
  人間が何か目標を持って自分を変えていく作業に、
  我々は尊敬や憧れや感動の気持ちを抱く。
  それを見て、自分の人生の中に取り入れて見方を変えたり、
  人類普遍の価値を見いだしたりしていく。
  人間を理解するきっかけになる、
  それがパラリンピックの持つ力だと思います」
 という言葉でしめくくっていました

○感想など
・最後の為末さんの言葉は、
オリンピックでもパラリンピックでも言えることだと思いました。

スポーツ選手って、自分の体の限界を超えるために自分を変えていく。
ほかの人はその姿を見ることで、
人間ってここまで変われるんだ、と勇気付けられる。
彼らがそれに挑戦することに対して、
人々に尊敬や感動や憧れが生まれるのかな、と思います。

とはいえ私はスポーツにあまり興味がなかった頃は、それがいまいちわかりませんでした…
スポーツ選手って、自分のやりたいことをやってるだけじゃないか、と(スミマセン)

でもそれは違う。
ふとしたときに目にした試合に心を揺さぶられ、
人生の方向をすっかり変えられしまうこともある。
追い詰められているときや、人生の転機を迎えているときなんかは特にそう。
勇気付けられるというか、
背中を押してもらえるというか…
私もそれを経験してわかりました。
(そういや最近テレビで見た話では
プロレスの試合を観て人生が変わった、という人がいました)

それはなんなんだろうなと思うのだが

思うに、スポーツ選手って、
最初は技術的な部分、自分の体の使い方を変えるところから入るんだろうけど、
最終的には極限状態でのメンタルの持ち方や
生の哲学みたいなところに行き着くんだろうと思う。
たとえば自分はなんのために続けているのか、
何を目指してやってくか、…など。

それが福岡さんが言っていた
彼らの「最終的なモチベーション」になるのかなと思う。
それは人それぞれで
楽しみながらやりたい人、
どうしても勝ちたい人、
自分の理想の形を極めようとする人、
どれも正解はなくて
その選手がベテランか新人か、自分の体の年齢的限界などによっても変わる。

見ている人にとって、
それが自分の人生のステージにフィットしたときに
強く心を揺さぶられるのかな、と。

これは音楽や本なども同じだと思うんだけど、
その瞬間に「出会い」があるのかなと私は思う。
選手自身は知らんと思うけど、
その選手が自分の人生に入ってきてくれたから
自分の人生が変わった、みたいなことが見ている人には起きている。

それは見ている人の人生のステージによっても変わるもので、
若いときとか、あんまり悩んでないときは、
単にかっこいい綺麗な選手に憧れてワーキャーになるだけかもしれんけど
(それはそれで元気をもらえていいのだが)

自分が苦しいときなどには
なかなか芽が出なくて苦労している選手や、サブの選手などにひかれて、
そこから人生哲学を得ることもある。
綺麗で憧れだけだった選手の本を読んだり、言葉を見たりすることで、
華やかさの陰にある苦労や努力を学べることもありますね。

そういう、色んな良い影響をもらえるのが
スポーツの魅力なのかなと思います。

今回見ていて、パラ選手もそこは変わらんのかなと思った。
ただ彼らの場合、日常が想像しにくいのと
彼らのやってるスポーツ自体が(道具がないので)健常者にはできないので、
逆に親近感がわきにくいのかもしれない。

まぁでも、それはあんまり知られてない、ということも大きいのかなとも思う。
私はピョンチャンの時なんかは
パラ中継も見ていたが
ルール解説をちゃんとしてくれていたので普通にスポーツとして楽しめました。
平日の午後とかだっんで、
できればゴールデンでもやってほしいなと思ったくらいです。

そして、彼らのスポーツを健常者も一緒に楽しめる場が
もっとできるといいのかなと思いました。
そうすれば彼らも練習場所探しに苦労しなくてもよくなるのかなぁとも思う。

それから落合さんと為末さんが最後に対談で
オリンピアンは最大公約数の美しさ、
パラリンピアンは多様な美しさで、そこに違いがある
みたいなことを言ってましたけど
私はそれはちょっと違うかなと思った。
(まぁこれは番組の流れ上の話なのでしょうがないとこもあるけど)

私にとっては健常者アスリートだろうが障害者アスリートだろうが、どっちも同じスポーツ選手で、
どちらも一流選手は同じように美しい。
なんだろう、内面からにじみでる自信がそうさせるのか分からんけど、
一流スポーツ選手って綺麗な人(カッコいい人)が多いなぁと思うのですよね。

もっとモデルさんとか俳優さんとか、作家さん、芸人さんなどのなかでも
障害者の人もどんどん自信を持って前に出てきてほしい。
心に輝くものがあれば、それが他人に影響を与えることはできんじゃないかなと思います

・「目の見えない人は世界をどう見ているのか」
という本では、障害者に対して冷たくされるのも嫌だが、
逆に「障害者だからすごいね」
と超人扱いされるのも嫌だ、というような話が書いてありました。

(ちなみに「盲目な人はみんな点字が読める」という誤解もあるが
読める人は1割くらいなのだそうだ)

障害者だからすごいというより
外国の文化や方言の違いに接するのと同じように
多様性のひとつとして接してほしい、と。

私はこれを読んでなるほどなぁと思った。
どうも障害者というと、
日テレの24時間テレビみたいな、
奇跡からのカムバックみたいな、
感動もの、お涙ちょうだいものになりがちで。

もちろん障害者のなかには
突き抜けるような、スイッチが入る瞬間がある人もいるかもしれんけど、
そうはなりきれない人もいるかもしれないし、
運命を受け入れて普通に淡々と生きる人もいるかもしれない。
そういう彼らのありのままを受け入れていく、
てのも忘れてはいけない視点かな、と思います

落合さんの、
テクノロジーで障害者と健常者の垣根を払っちゃえばいい、
という発想もそことつながっているのかも、と思います。
障害者の道具がおしゃれ、カッコいいみたいになればいい、
という意見はとてもいいなと思いました

とはいえ、それはサイボーグの始まりにもなり、
道具を持てるもの、持たざるものの経済格差につながることはある。
たとえば、金持ちだけが自分の体を思うように改造できる、
みたいな時代に繋がる可能性があるので、
そこは気を付けねばならないと思うが。

そういう意味では、
障害者スポーツでも
貧しい国に生まれたとしてもチャンスが与えられるしくみ、
たとえば道具の貸し出しなどのシステムなどができるといいのかなぁと思いました

知らなかったことが多かったので勉強になりました。
というわけで、長くなりましたが今回はこの辺で。

NHK プロフェッショナル仕事の流儀「贈れば、希望が見えてくる」

NHK プロフェッショナル仕事の流儀「贈れば、希望が見えてくる」

たまにこの番組を観ています。
今回は、外国人労働者を支援する鳥井一平さんのお話でした。

外国人労働者がひどい待遇を受けてるよ、
みたいな、NHKスペシャル的な話かと思っていたが

それよりも鳥井さんの
人間の本質を捉えるような言葉に心を動かされました。
表題の「贈れば」の意味が分からなかったのですが、
番組を観て納得しました。

というわけで内容をメモっておきます

鳥井さんは外国人労働者を支援するNPO代表で、
助けを求める声があれば、
全国どこでも車で駆けつける方。
年間7万キロを走り、
今まで4000人以上の外国人を助けてきたそうです

○サポートはするが、ヘルプはしない
 彼が助ける人たちは、外国人技能実習生が多い
 技能実習生制度とは、
 主に発展途上国の人たちが、日本で技術を学んで自国に技術移転する、
 という目的で作られた制度

 しかし実際は安価な労働力の手段として使われることが多い
 国もひどい場合は指導に入っていて、
 指導に入った企業の7割(去年のデータ?)
 が法令違反をしている

 このとき取材していたのは、ベトナム人実習生のケース
 彼らの給料明細を見ると、
 毎月光熱費名目で5万円以上給料から引かれている
 しかし住んでいるところは8畳のアパートを4人でシェアするもので、
 とても一人で5万もかかっているとは思えない

 また、残業もさせられていて、
 残業代月50万円が未払いの疑いもある

 鳥井さんは、相談しにきた実習生たちに
 「あなたたちの希望は、未払いの給料を払ってほしいこと、
  あと2年は働かせてほしい、ということですよね」
 と確認したあと、彼らを連れて社長に直談判しにいく
 不安そうな実習生たちには
 「これからは私たちが見張ってるから大丈夫だよ」
 と言って安心させていました

 鳥井さんは、毎回社長のところにはアポなしで行くそうです
 取材スタッフに「交渉で気を付けることは」と聞かれて
 「言葉遣いだね。
  あんまり丁寧だとまとまらない。対等だからね」
 そして、靴は必ず磨くそうです。
 「経営者と同じだよ、安心できる人だよ、と思ってもらわないと」

 会社に行くと、社長は不在で幹部が対応してくれる
 「専務さんですか?」
 などと和やかな話をしてから、本題に切り込む

 「あの、ちょっと分からないので聞きたいんだけど、
  彼らは200時間残業してますよね?
  残業代出てる?」
 会社は「分からない」
 「おかしいでしょ、分からないって、会社大丈夫ですか?
  これ大事な話だからね、労働基準法違反だから。
  基本的なことができてない、てことだからね」

 とはいえ、実習生の代わりに交渉してあげるわけではない
 彼らの前で、幹部に臆することなく話す姿勢を見せて
 彼らにも自分で交渉してもらいたい、と鳥井さんは考える

 「ヘルプはしないよ、サポートはするけどね。
  自分達で出来るようにしている、ということ。
  やれる、やれるんだと見せることです」

○問われているのは、私たち
 とはいえ、鳥井さんは経営者たちに攻撃的ではない。
 経営者には
 「実習生(を雇うのは)初めてなんですか?
  じゃあ改善しましょうよ。
  改善したら彼らは一生懸命働きますよ」
 と、励ますような言葉をかける。

 その意図について聞くと、
 「一つ一つの事件を見たときに、
  正義とか悪とかいうことで見ていたら本質が見えない」と。

 そう考えるようになったのは、14年前のことだそうです
 中国人の実習生からの相談を受けていた時のこと。
 彼女の残業は月400時間を越えていて、
 残業代を計算すると時給300円。

 しかし社長を訪ねると
 「そうですか。よく分からない」と言われたそうです

 そのときのことを、鳥井さんはこう話す。
 「社長は、優しそうなおじさんだったんですよ。
  そういう人が悪びれずに知らなかった、という。
  何が起きているのか、と。」

 「中国人の実習生だからですかね、と聞くと、
  そうかもしれません、と」

 社長の話を聞くと、彼女が逃げないようにパスポートも取り上げていて
 実習生は
 「私は働きました、
  本当のお金がほしい。
  私は両親がいます、両親の大事な一人娘です」と涙を流していました

 鳥井さんの話によると、
 このように実習生は困っているのに経営者
 (というか社会全体)に罪悪感のないケースは少なくなく、
 それは、おそらく外国人に技術を教えてあげてるんだ、
 というおごりが罪悪感を無くしているのではないか、と。
 これは制度の負の面ではないか、と鳥井さんはいう。

 それに対してみんなが何も感じていないことが怖い、と鳥井さんはいう。
 「社会が腐って壊れていくのが怖いんですよね、
  私たちが蝕まれている。
  問われているのは私たち、
  私自身も含めてね。
  社会のみんながどうなっていくんだろう、ということ。」

…ここのくだりはとても考えさせられました。
前の段で、鳥井さんは、
実習生たちが、自分で交渉できるように会社に強気な姿勢を見せている、
と言っていましたが
ここの話と対になっている気がする。

経営者はこっちが教えてるんだから、雇ってあげてるんだから、と思っていて、
極端な言い方かもしれんが、
無意識的に実習生たちを道具のように見ていて、
かわいそうと思う感覚も麻痺してしまっている。

一方で実習生たちは、
会社にいられなくなるのが怖い、
社長に嫌われたら追い出されて生活できなくなる、と思うから、
(たしか、実習生側からはほぼ企業を変えることはできないシステムです。
 ↑最近は変更を支援する団体もできているようですが)
必要な権利すら主張できない。
必要以上にオドオドしてしまい、最初から交渉できないと諦めてしまう。

鳥井さんはそこを是正して、
経営者側は実習生たちに思いやりを持てるように、
実習生は自信を持って権利を主張できるように、
対等に話し合えるようにしようとしているんだなと思いました。

それにしても、
「実習生だから(悪い待遇でも)いいと思った」
それが普通のおじさんが何も悪びれずに言う、
それが当たり前のことになっちゃって、批判してない私たち日本人。という現実…
ここは胸に刺さりました。

罪悪感がない、てのは差別に気づいてないということだから、
余計に厄介だと思う。
これはかつての奴隷を使っていた西洋の人たちと同じで、
相手を対等に見てないことを、
悪いこととも認識できてないんですよね…
相手の立場になること、仲間だと思うこと。
当たり前なんだけど当然のことを気づかされた。

 さて、鳥井さんはこうした経験から
 政治家や政府にも、制度の改善を訴えている
 実習生から直接ヒアリングをしてその結果も提出している

 国会に参考人も招致されていて、
 「制度への無理解が
  人権侵害、労働基準法の違反をおこし、
  民主主義を破壊している」
 と訴えている

 彼の働きで、
 ・パスポートの取り上げ禁止
 ・妊娠、出産の保証
 ・保証人を求めることの禁止
 などを実現させている

 彼が関わっている企業では
 8割が外国人労働者のものもあり、
 労働条件だけではなく福利厚生の充実も実現させることで、
 労働者の定着率がアップし、
 企業の業績もアップした、
 という例もあるそうです

つまり従業員に優しい企業は生産性も向上し、
売り上げもアップする、ということを証明しているんですね。

たしかドラッカー経営学にも、
経営者は顧客、従業員、社会、のことを考えるべし、
みたいなことが書いてあったと思います。

日本もこれから人手不足になりますし、
海外の人も働きやすくして共存共栄していくこと、
そうすれば彼らもハッピー、日本の企業も売り上げアップで
ウィンウィンになれそうな気がします。

不法滞在者たちにも温かい目をかける
 次に鳥井さんが向かったのは、外国人労働者の家
 行く道中の車の中で、
 「今日はものすごく厳しい話をしなくちゃいけない」と取材スタッフに話す

 彼が向かっているのは、
 就労ビザが切れてもなお滞在しているガーナ人労働者の家

 彼らは法令違反のため、支援はしない団体も多いが
 彼は
 「だって法令違反ったって、それはご都合主義だから」と支援する

 彼によると
 「1993年なんて、不法滞在者は30万人を越えてたけど
  誰も取り締まらなかった、
  そうすれば、バブル経済止まっちゃうからね」と。
 不景気になり、外国人労働者が要らなくなると帰れという、
 それがご都合主義だ、と。

 ガーナ人夫婦は、27年前に来日、
 そのあとずっと不法滞在して潜伏して暮らしていた
 しかし、16年前に娘が生まれ、
 娘を学校に通わせたいと思うようになる

 そこで彼らは在留許可を取るべく仲介人を頼むが、
 その人物があまりよくない人だったそうで、認められなかった

 しかし鳥井さんたちの助けで、
 日本で犯罪を全くおかしていないことを証明した上で
 入管監理局に毎月通うことを条件に、滞在を認められている

 しかし、娘が16歳になると
 娘が留学ビザを取得できるので、
 両親は滞在できる理由を失う
 それが今回の話し合いだそうです。
 「ミラクル(娘)は認めるけど、両親は帰国させられるかもしれない、
  それを拒めば3人強制退去もありうる」と鳥井さんは両親に告げる

 母親は
 「私は日本でなにも悪いことをしていない、悔しい」
 「本当のことをいうと、(2人でも)帰るなんて考えられない」
 「退去しろというなら、3人とも殺して」
 と涙を流す
  27年も祖国を離れていたら、帰ったところで、あっちで暮らすあてもないのです。

 鳥井さんは冷静に
 「3人一緒として考えるか、
  ミラクルのこととして考えるかを分ける必要がある」
 「もし仮に、私がミラクルを引き取る、としたらどうする?」 などとたずねる

 両親とも、「今答えないとダメ?」
 鳥井さんも「難しいことだもんね」と無理強いしない

 鳥井さんは「みんなで考えようか」と、取り合えずその場をあとにする

 帰りの車中では言葉少な目ながら
 「諦めないよ、
  諦めてはいけない。
  終わりは来るかもしれないけど、その直前までは諦めない」
  と自分に言い聞かせるように話す

 とはいえ
 「どうしようもないよね、やりきれないよね」と何回も言っていました

…うーん、このケースも考えさせられました。
 今、欧米でも移民排斥の動きがあって、どこか他人事に考えていたが、
 人手が足りないときに外国人を受け入れておいて、
 不景気になったら排除する、というご都合主義の構図だけ見れば、
 日本でも同じなんですね。

 「違法に滞在している方が悪い」という人もいるが、
 自分が彼らの身になれば、
 今から仕事があるか分からん祖国に帰るのは相当勇気がいる。
 それに、彼らは悪いこともしていないし、
 むしろ慣れない他国のために働いて、税金もたぶん納めている。
 日本のバブル期も彼らが支えてくれてたんですね
 (そういえば私の実家の近くにも外国人労働者はたくさんいました)
 そこを考慮せねばならないのだ、と感じました。

○鳥井さんの過去
 鳥井さんは1953年、大阪生まれ
 団地のガキ大将で、困っている子を放っておけない性分だった

 25歳で上京、金物工場で働く
 そのとき、持病のある同僚が、心臓発作で倒れて亡くなったが
 労災は認められなかった

 そこで鳥井さんは組合を設立し、会社に労働条件の改善を訴えるようになる

 会社はそれに対してイヤがらせをしてくる
 鳥井さんはそのときのことを振り返って
 「鳥井とは話すな、と。
  一ヶ月くらい誰も口を聞いてくれなくて。
  毎朝体が震えてた」

 そのあと、鳥井さんは自分が労働中に怪我をする
 台車を運ぶときに転倒、金物を守ろうとして指を切断する
 「安全とか言ってる割に、いざとなると製品を守ってしまう。労働者の性ですね」

 そのあと、彼は他にも危険な箇所はないかを調べ、
 会社に改善を訴える

 直ぐには直らなかったが、しつこく言ってるうちに
 会社も対抗上、少しずつペイントや内装を変えていく
 すると、業績も上向いてきたそうです

 それを見て、鳥井さんはもっと多くの人の力にもなりたい、
 と他の会社の手助けもするようになる

 鳥井さんは、
 なんでそこまで、と他の人に聞かれるたびに
 「不正が見逃せなくて」
 といっていたが
 自分のなかではなんだか腑に落ちなかったそうです

 そのとき、ある事件が起きる
 1993年、外国人労働者の相談を受けて、
 その会社の社長の所に、裁判所の人と一緒に直談判に行っていた

 すると、追い詰められた社長は、
 周りにガソリンをまいて火を放つ
 (そのとき撮影された映像がありましたが、
  社長と話している鳥井さんの映像が急にぶつっと切れて、雑音が流れています)

 鳥井さんも巻き込まれ、下半身に大火傷をおい、全治2ヶ月だった

 そのときのことを、鳥井さんはこう言う。
 「悪と正義、と考えると間違える。
  ガソリンまいて火をつけた、ていうと、そりゃ社長が悪いけど、
  なんで社長がそうなっちゃったのか、を考えなきゃならない」

 なんで社長が火を放ったか、鳥井さんはこう分析する。
 「…我々が裁判所と差し押さえにきた、
  その瞬間に我々の方が権力側になったんですね。
  だから社長はそれに抵抗した、
  それは、正義とか悪とかいう倫理では考えられない」

 話を聞いていたスタッフが思わず
 「そんなの、火をつけられた人が考えますか?」と聞くと、

 「そう考える人がいないとダメなんですよ」と。

 「二分できるほど、この世界は単純じゃない。
  あのときの社長のように追い詰められていく人を作らないようにするために、
  どうしたらいいか、ということですよ」と。

…この鳥井さんの言葉を聞いて、私もびっくりしてしまいました。
 いや、もちろん彼の言うことは分かる。
 私も「人は完全に悪人じゃない、善人でもない」
 となんとなく思っていて、
 何かの事件があったときも、
 追い詰められた人、誰かをいじめる人、虐待しちゃう人、
 それぞれになんの理由があったんだろう、
 と加害者の気持ちを考えてしまう。

 でも自分が当事者、てのは話が全然違います。
 会社に嫌がらせされ、みんなに干されたら?
 やっぱりへこむと思う。
 ましてや、火を付けられて死にそうになったら?
 怖くてその次からは何もできなくなるような気がする。

 なんでそんな目にあってまで、
 人を信じられるんだろう?と思ってしまったのです。

 色々考えたんですが、彼のガキ大将の経験が大きかったのかもしれない。
 ガキ大将として、喧嘩の仲裁もしただろうし
 困ってる子、逆に他人を困らせる子の話も聞いていたのかもしれない。
 そんな経験を重ねて、
 誰かが一方的に悪いことはない、
 一見悪事と思えるようなことにもやる側にも言い分がある、
 ということを学んでいったのかなあ、と…

 そして相手が誰であれ、その人を信じてちゃんと話せば分かってくれる、
 てのも学んだのかもしれない。
 それが今の彼を作っているのかなと感じました。
 
 彼の人への接し方を見ていると、
 時には相手にいうべきことは厳しく言って、
 でも要所で優しく相手を思いやる、そういう勘所がある。
 だから人がついてくるんだと思う。

 なかなかできないですね、これ。
 本当に人間が好きで、相手は変わる、と信じているからこそ
 行動できるんでしょうね。。
 ふつうは、ダメだなこの人、と思ったらもうあきらめて相手にしないだろうと思う。
 逆切れされたら怖い、とも思っちゃうし…

○バトンを渡す
 一方、彼にとって希望になった方もいたそうです。
 外国人労働者で、労働時の事故で指を三本失ったラナさん、という方
 彼は、鳥井さんが外国人労働者のために、経営者たちと交渉する姿を見て、
 「私も誰かの力になりたい」と活動をするようになった

 ラナさんについて
 鳥井さんは
 「彼は、自分でお金を稼ぎにきただけですよ。
  それが他の人も助けたい、と言ってくれた、
  嬉しくなりましたね」

 自分が渡したバトンを誰かが次に回してくれる、と感じた
 そこに、自分がなぜここまで頑張れるのかの答えが見えた、と。

 「贈る喜びですよね、
  なんとも言えない喜び。
  それで人が変わっていくわけでしょう?」

 スタッフの「人というのは?」という質問に

 「自分がふれ合ってる人もそうだし、その次の人、また次の人もそう。
  社会にそれが影響してる、てことだよね」

 「やっぱり贈る喜びを知ると続きます。
  諦めないのは、贈る喜びを知ってるから。
  それを知ると止められないですね」

…大やけどを負っても干されてもやめられない、
 その理由がここにあるんですね…
 周りが何を言おうが、自分が正しいと思ったことをやってれば
 ついてきてくれる人はいる、
 同じように行動してくれる人もいる、と。。
 
 私自身はそこまで、というかラナさんレベルですら行動できないですが
 (自分の家族や自分のことを考えちゃうので)
 それでも、「バトンを渡す」という言葉は素晴らしいと思いました。
 何か自分にやれる範囲でできることをする、発信する、
 そのことで他人や社会が少しでもいい方向に変わってくれるなら、
 それはそれでやる意義はあるのかな、
 見てくれる人は見てくれるのかな、
 とも感じました。

○大火傷をおったベトナム人実習生
 次に鳥井さんが向かったのは、ベトナム人実習生のところ

 彼は労働中に大火傷をおい、同僚に手当てしてもらう
 会社はクリニックに連れていくが、
 バーベキューの火傷と嘘をつき、労災は申請しようとしない

 しかしながら映像をみると、両手首から先が全体に真っ赤くただれていて、
 どう見てもヤバそう…
 すぐにでも皮膚移植しないと感染の危険がありそうです

 鳥井さんは慌てて
 「病院のケースワーカーに電話して」
 「労災法務局に電話して」
 と指示を次々と出す

 当人の実習生と会社に交渉に行くことになり
 先に実習生と待ち合わせする

 実習生は不安そうだったが
 鳥井さんは
 「痛かったよなぁ」と優しく話しかける
 自分の火傷の痕も見せて
 「お尻の皮膚を移植したの」と説明したりする

 実習生の話を聞くと、
 「みんなが困るから」
 「会社を困らせなくない」
 と、自分の怪我より会社を気遣う
 これは実習生によく見られる姿勢だそう
 「社長に嫌われてるかも」
 とも心配する彼に
 鳥井さんは
 「ちゃんと話すから大丈夫、
  今は会社よりもあなたの手と、これからの生活、ベトナムでの生活が大事だよ」

 会社にやはりアポなしで訪ねる
 「事故のことで話をしたいんですけど」
 社長「どっからそんな話を聞いたの」
 鳥井さん「どこからでも入ってきますよ、そんな話」

 そして労災の手続きの申請をしていないことを指摘して、その理由を聞く

 社長が「知りませんでした」というと
 「あなた社長何年やってるの。
  会社の存亡に関わっているんですよ、
  これは犯罪ですよ、法令違反」

 すぐに申請のはんこを押してほしい、という鳥井さんに
 社長は、
 「急に言われても今日は無理ですよ、
  バタバタ10人押し掛けてきて、
  私は午後から休みだったのに…」
 と誤魔化そうとする

 鳥井さんは、真面目な話なのに自分の休みとか言ってる場合じゃない、と一喝する。
 結局、一時間待ってください、と社長はいい、
 その間に鳥井さんは実習生を病院に連れていく

 病院のケースワーカーに事情を伝え
 「労災おりるんで、入院させて体を治してやってほしい」
 と伝える

 その間に社長は労災申請の書類に印鑑を押してくれたそうです

 数週間後、鳥井さんはまた会社へ。二回目の交渉にいく
 会社に向かう車中で
 「限りなく希望を持ってますよ」と話す鳥井さん。
 なんでそこまで希望を持てるんですか?
 と聞かれて

 「人間は変われる、自分も変わってきたから」
 「基本的に人間が好きなんですね、興味深い。
  人は変わるんです、
  変わらない人ももちろんいるけど、
  それも含めて多くの人は変わる。社長も変わる。
  それを現場の近いところで見られる醍醐味がある」と。

 会社に到着した後、
 社長に「なぜ事故を隠そうとしたのか」と聞くと、
 「そういう意識はなかった」と。

 鳥井さんたちは
 「少なくとも救急車呼ぶのは当然の話でしょ?
  バーベキューだって救急車呼ぶよ。
  実習生だから呼ばなかったんじゃないの」
 社長「そうかもしれません」
 鳥井さんたちは、「日本なら親戚家族が怒鳴りこんでくるでしょ」と畳み掛ける
 社長は平謝りに謝り、今度は言い訳しない

 鳥井さんは、今回は会社側が言い訳しなかったことについて
 「一歩大きく進んだと思う」と。
 「改善してほしい、
  どこまでも出ていくよ」
 実際行動してくれるかは分からない、
 まだ話し合いは続けていく、と話していました

 鳥井さんはその足で実習生も見舞いにいき、
 「痛いよね、病院行けて良かったね」と話しかけていました

 そのあと、会社では安全カバーをつけたり、
 安全対策マニュアルを作るなど
 業務も改善した、と字幕がありました。

○プロフェッショナルとは
 国外退去の危機に面しているガーナ人の方は、
 まだ解決はしていないものの、
 鳥井さんはいろんなつてを頼っている
 自分で動いて希望を作り出している

 ガーナ人の母親は
 「鳥井さんは神様みたいなものだから、信じてる」と話していました

 最後に鳥井さんに、
 プロフェッショナルとは?を聞くと
 「プロフェッショナルということばでは、
  私のやってることはどうかと思うけど、
  諦めない、負けない、続ける、ということを示していくこと」
 と話していました

○感想など
・個人的に最も印象に残ったのは、
 「人は悪や正義で二分できない」
 「人は変わる」という言葉でした。

 悪や正義で二分するのは簡単だけど、
 二分しない方が、
 つまりあなたも仲間でしょ、一緒に考えようよ、というスタンスにする方が、
 両方にとってウィンウィンの道を探すきっかけになるんかな、と思った。
 
 別にこれは個人の間でも言えることで、
 なんかこの人嫌だなと思っても、
 相手を仲間だと考えて、一緒に何かする、相手の行動の理由を聞いてみる、
 ということをしていくと、なんだいい人じゃん、てなる場合もある。
 
 そうなったときは、たぶん相手もだけど、
 自分も変わっているんだろうと思う。

 まあ、もちろん世の中いろんな人がいるので、
 価値観が行き着くとこまで行っちゃって、
 変われない、理解しあえない人ももちろんいるんだけど、
 それでもこちらは、相手を信じて接していくことかなと思った。

 そしたら、時間がかかっても相手は変わるかもしれない。
 少なくとも、自分の方に余裕ができて、それにより何かが変わる気がする。

・それから話はズレるかもしれんが、
 人って、二分法的な考え方に陥りがちなんだな…と気づきました

 考えてみると、個人が人生の悩みごとにはまりこむのも、
 誰かに洗脳されるのも、
 戦争が起きるのも、
 全部二分法の考えなんですよね…。

 悩みごとでも、これができないといいか悪いか、生きるか死ぬか、と考えてしまうと
 仕事で失敗して自殺を選ぶ、となってしまう。

 でも成功も失敗も、単に見てくれの結果に過ぎない。
 失敗も成功もつながってると考えれば、
 一回の失敗がなんだ、これを糧にしてもっと大きいものをめざすぞ、
 と思えるのかな、と。

 それから洗脳については、
 最近「人民寺院」という狂った宗教集団の話をテレビで見たけど、
 あれも信者は意図的に
 「自分の教団か、外部の敵か」
 の二分法に陥らされていたから
 どんどん教団の中にこもり、社会の中で孤立するしかなくなっていました。

 あ、自分が二分法に陥ってるな、と自覚すること、
 他にも幸せな道があるんじゃないか?という頭を常に持っておくことが
 洗脳されないための第一歩なのかなと思います。

 それから、悪と正義の二分法が行きついた先が戦争ですよね…
 戦争まで大きくなっちゃうと、
 意地と意地のぶつかり合いみたいになっちゃうんだけど、
 ウィンウィンにして両方栄えよう、という発想になれば
 もっと世界はましになるのになあ…といつも思ってしまいます
 (まあ、戦争の場合は、戦争を起こした方が儲かる人もいて
  あえて起こす、という場合も最近は多いので、
  それはそれでまた複雑な話なんですが)

・それから「実習生だからいいと思った」
 という言葉が何気なく使われていたが
 そういう無意識的なものが、今後日本から無くなっていけばいいと思いました。

 お年を召した方は特に、同僚が外国人という状況はあまり経験してないから
 そういうことを悪気無くいってしまうのかな、と思います

 若い世代では、たぶんもっとマイノリティ的な立場の人たちが
 (国だけではなく、性的マイノリティ、社会的マイノリティ、障害者なども含めて)
 周りに普通にいる状況になっているのかなと思うので
 みんな同じ人間じゃん、っていう風になっていけば
 もっと楽しい社会になるのかな、と思います。
 
表題の「贈れば、希望が見える」
バトンを渡す、という言葉が素晴らしいなと思いました。
私もブログでしか意見発信できませんが
誰かに何かのバトンを渡せたら、と思って日々書いています。

今回はとても心を動かされました…
観て良かったと思いました。

というわけで今回はこの辺で。

「夫婦幻想 ~子あり、子なし、子の成長後~」奥田祥子

「夫婦幻想 ~子あり、子なし、子の成長後~」奥田祥子

久しぶりに最初から引き込まれた本です。

筆者はフリーのジャーナリストで社会学者の方。
色んな人に仕事観、結婚観などについてインタビューしている。
それらをまとめた本です。

とはいえ、ただのインタビュー本ではない。
筆者はインタビューした方たちと継続的に連絡をとり、
その人たちが結婚、転居など、生活の変化があった後にもインタビューしていて、
長い方は20年のお付き合いがあるそうです。

そのため、その人たちが若い頃に話していた自分の理想の家庭観が
現実ではどうなったのか、
時代や自分の生活環境の変化(出世や子供ができた、親の介護など)とともに、
気持ちがどう変化していったか、
ということか読み取れて興味深い。

さらに筆者がその人たちから見いだしたのは
どんな家庭を選んでも、日本人は
「男はこうあるべき、女はこうあるべき」
という価値観にとらわれがちだ、ということです。

そのとらわれ方は複雑なもので、
表面的にはその時代にもてはやされる生き方に、人々は心が揺れる。
たとえば今では、イクメン夫がいいとされ、
女性活躍社会と言われている
しかし少し前は専業主婦が勝ち組と言われていた。
もっと前にはディンクス、という子を持たない共働き夫婦がお洒落と言われた時代もあった。

一方で、日本人は根っこの所では
「男性は仕事、女性は家庭」
という古い家族観(自分が子供だったときの親の価値観)に囚われている。
これは価値観が多様化したこと、
それゆえ昔の家族観に代わる新しい家族観が無いために、
拠り所となるものを自分の親の価値観に求めてしまう。

この2つの価値観を両方現実化させるために
どんな家庭を選んだとしても
夫や妻はこうあるべき、というハードルがどんどん高くなってしまう。

筆者はそういう無理な理想を抱くのをやめて、
我々の考え方も、社会制度も変えていくべき、
ということを提言しています。

具体的に取り上げられている夫婦は
1夫はイクメン、妻は正社員で活躍している今風の夫婦

2昔ながらの、夫は仕事、妻は専業主婦の夫婦

3子供を作らないことを選んだ共働き夫婦

4子供が大きくなったとき、夫は家庭に帰ろうとするが、妻はすでに外を見ている夫婦

と類型化されています
紹介されている例は
それぞれの典型かどうかは分からんが
彼らの話には、心に引っ掛かる言葉が多かったです
4番目のパターン以外は
バブル後期から就職氷河期が多い。
4番目のパターンは、私たちの親世代に多いかなと感じました

では内容について印象に残ったところを書いてみます

○夫はイクメン、妻は正社員で活躍している今風の夫婦
 ここでは、3組の夫婦が紹介されていました

 個別の話は本書に任せるとして、
 最初の2組は
 ・妻側は「女性活躍社会」の流れに押され、出世街道を歩んでいる
 ・共働きのため、夫婦とも家事育児を担当する
 ・一方で、夫は妻よりも出世が遅れている
 ・最初は家事育児も分担し、
  新時代の夫婦の形、に見えるのだが
  途中から夫婦とも忙しくなり、すれ違ってくる…
 という感じです

 何がすれ違いの原因かというと

 妻は
 ・夫にもっと家事育児を手伝ってほしい、と要求する
 ・家事育児は自分がやるから、自分並みに出世してほしい
 などと思ってしまう
 (実際、「夫にはもっと出世してほしかった」という発言がありました)

 一方夫は
 ・男が家事育児をすることに職場の理解がない
  「イクメン、という言葉は冷やかし」
  「イクメンなんかしやがって、という空気を感じる」
 という発言がありました
 これは思い込み?とも思うのだが
 筆者によると
 育休制度があっても、育休をとりづらい雰囲気があって
 「取るのを諦めた」という人が多い、というデータがあるそうです
 しかし、
 「育児は手伝う」と妻に言った手前、妻に弱音は吐けない…

 ・家では妻に家事育児を要求され、こんだけやってるのに、と疲れる
  (筆者は書いてないけど、男性の場合、
   父親世代は家事育児をしていないのでモデルケースがなく、
   慣れないから余計にしんどいのかもしれない)

 さらに夫を追い詰めているのは、
 ・妻に先に出世されて引け目を感じ、何となく会話を避ける

 こうしてコミュニケーション不足になっていく、
 という感じです

 夫は、会社と妻と、自分の面子との板挟みで苦しむが
 弱音を吐くのは男らしくないと考えて何も言えない。
 妻は仕事に忙しくてそこに気づけないのかな、と。

 とはいえ、この二組の夫婦は
 中年になり、男性側が遅れながらも出世できてから、
 対等に話ができていました

 それからここで例に出されていたもう一組の夫婦は
 ・夫婦ともに仕事と家庭の両立をし、そこそこやっていきたいと思っている
 ・しかし職場には理解がなく、
  育休をとった妻は
  実質的にキャリアコースから外される
  (いわゆる「マミートラック」)
  妻はやる気が出ないが、
  仕事を応援してくれる夫に申し訳なくて言えない

 ・夫は妻の元気の無さに気づきつつ、
  自分は育児と仕事に自己存在感を見いだし、誤魔化そうとする

 この夫婦のすれ違いの原因は、
 夫は新婚時互いに掲げた理想を、妻にも押し付けようとしている。
 しかし妻としては、会社の事情でそれはできない、と感じている。
 でも夫はやってくれているので、それを口に出して言えない、
 という感じなのかなと思います

 筆者がこのような共働き、女性活躍ケースで問題に挙げていたのは
 「職場の無理解」「心理的な問題」の二つでした

 ・職場の無理解
  政府は「女性の活躍」をさせようとするが
  企業は家庭と仕事との両立に理解がない

  これは男女で差があり、
  男性の場合、
  ・イクメンすることで出世が遅れる
  ・遅れないまでも、イクメンぶりを冷やかされる

  イクメンがなぜ嫌がられるかというと
  ・昔の価値観の上司が多い
  ・男性の長時間労働が前提の非効率な仕事の存在

  一方、女性の場合、そもそも家庭がある人は働きにくい
  たとえば
  ・働く女性の大半は非正規雇用
  ・出産後退職が多い
  ・退職したあとでも、再び正社員雇用は難しい
  ・働き続けられても、マミートラック、マタハラなどを受ける
   正社員では両立が難しい
 共働きの理想を掲げても、なかなか現実ではできない、と…

 ・心理的な問題
  筆者が挙げていたもう1つは、夫の方が上、稼がなければ、という意識。
  私も驚いたんですが、
  共働きにも関わらず
  妻側は「夫には自分より出世してほしい」
  夫は、自分より出世する妻に話をしない、
  という事実がある。

  全員がそうではないと思うが、
  男は女より上でないと、
  という意識がまだ染み付いている、と思わされました

 さらに筆者は、互いへの要求が高いことにも言及している
 共働きのケースでは
 妻側が、夫への出世要求とともに家事育児も平等に、という要求もあるし
 夫側も、妻にイクメンしてるんだから認めてよ、
 という要求もあるので余計にしんどくなるらしい

 …個人的には、4つのケースの中では私の憧れだったが、
 でも現実(自分が)しんどいよねと諦めたパターンなので
 現実の話を聞いてやっぱりそうだよね、と思いました。

 私自身はキャリア志向はありつつ専業主婦を選んだんですが
 やっぱり今の制度で子育てしながら働くのは、しんどいです、正直。
 だからお互いを思いやる余裕が無くなるんだと思う。

 それに加え、この新しい形の夫婦においても
 「やっぱり男が上でなきゃ」
 という無意識が働いているのは驚いた。
 でもそう言われれば、
 私は共働きではないけど、だんなにはあんまり反対意見は言えない。
 子育てや経済的なことについて私が意見を言うと
 「お前は何でそんな偉そうなんだ」
 と言われることがあるので、
 男尊女卑までは言わなくても、
 男を立てる、て価値観は、日本人の心の奥底に染み付いてしまってるのかもとも思う。

○昔ながらの、夫は仕事、妻は専業の夫婦
 男は女より上で、という価値観が日本人に無意識に染み付いているならば
 それを地でいく夫婦はどうなのか?というのが次のパターン。

 ここでも3組紹介されていました

 1組目は、私よりもっと上の世代で
 ・「男は仕事、女は家庭」という価値観の人で、
  実際に専業主婦志望の人と結婚する
 ・妻子のために仕事を頑張るが、家に不在がちのために、
  妻子には段々冷たくされていく
 ・一方で仕事でも出世コースから外れ、
  家に向かうものの、既に父親は家庭から排除されていて、
  家にも仕事にも居場所が無くなる
  …という、昭和の濡れ落ち葉(…とまでいうと失礼ですが)パターン。

 残り2組は、キャリア志向だった女性が自分から結婚を選んだケース

 両方ともかなり違うストーリーなので、
 まとめるのもどうかとは思いつつ、強引にまとめると

 二人とも、仕事の人間関係がしんどい、
 あるいは結婚するのは勝ち組だ思想で結婚を選ぶんですが、
 結局、家事育児では満足できず
 ストレスがたまり、夫に怒りが向かってしまう、
 という感じでした

 3つのケースで筆者が指摘していたのは
 夫の物理的、精神的不在と、役割を持てない妻。
 夫は「家族のために働いているのに」というが、
 それが妻子に伝わらなければただの無関心に見られてしまう、と。
 妻は妻で社会的、経済的自立が必要だ、としている

 …このケースは私自身を地で行ってたので身につまされました。
 特に二番目の方は、
 家事育児は「つまらない」と呟いて精神的に滅入ってる様子が描写されていて、
 かつての自分を思い出しました。

 私が思うに、
 心から家事育児が好き、ていう人ならともかく、家事は飽きる。
 女性だから家事ができるとか、好きとも限らない(これは声を大にして言いたい)
 それに育児は仕事と違って、
 予定が赤ちゃんの都合次第だから、
 時間のコントロールが出来ず、余計にストレスがたまる。
 赤ちゃんが小さいと会話もできないし。
 (もちろん、子育ては子育てなりに
  子供が見せてくれる面白さはあるんですけどね…)

 さらには家事育児は誰も見てないから、頑張っても誰も認めてくれない。
 というか、大変なわりにやって当たり前、くらいの扱いにされるのが納得いかない。

 仕事をバリバリ自分でコントロールしてやってた人ほど
 家事育児は辛いかもしれないと思います。

 それに、専業主婦って社会からの隔絶感がすごいです。
 自分のアイデンティティがなくなり、
 「○○さんの夫」「○○ちゃんのお母さん」なんですよね。
 自分って存在価値あるんか、と思ってしまう。

 これは多分経験しないとわからなくて、
 「会社やめて専業主夫っていいなぁ」
 と呑気にだんなさんに言われた日には腹が立ちます。

 こういう誰も認めてくれない孤独感、アイデンティティ喪失感と、
 もて余しているエネルギーが、
 身近にいる人への攻撃になってしまうのかなと思います
 (虐待みたいな方向に走る人もいるかもしれない)

 だから、仕事を辞めても
 やる気のある女性が社会に復帰できる仕組みができてほしい、と思います

 というか女性に限らず、日本社会は一度キャリアコースから外れると再チャレンジがしにくい。
 これは新卒採用制度のせいだと思うのですが、
 もう少し転職再就職しやすいと良いと思います。

 それから育児の大変さをみんなが知るために
 男性も育休を取れる仕組みにし、
 子育てを経験してほしいなぁと思う。
 そうすれば、お互いを労る気持ちも出てくるし
 夫も家族から無関心な人、とは言われなくなるんじゃないかなぁ。

 あと、女性も、家事育児平等にとか言ってるんだったら、
 自分の家事育児のやり方に固執しないで
 やり方は夫の自主性に任せるべきです。
 夫が手伝ってくれる、その気持ちだけでも感謝したらいいじゃないですか。
 その方がお互い気持ちいいし、
 思いがけず合理的なやり方を編み出してくれることもあるんで。

○子供を作らないことを選んだ共働き夫婦
 ここも3組紹介されていて、
 これもまとめるのはどうかと思いますけどまとめると、

 子供を作らない理由としては
 ・夫婦二人で自由な時間を過ごしたい
 ・妻側が、仕事との両立が難しいといって欲しがらない
 (実際は、子供が出来にくい体質で、それを言いにくかったそうです)
 ・「家」に縛られたくない

 …など理由は様々なんですが、
 彼らは夫婦だけで暮らすことを選択する

 しかし、
 ・仕事などでお互いすれ違う生活になり恋愛感情が薄れる
 ・周りの友達が子供を作り始める、
 ・親の介護をきっかけに、家の跡継ぎが気になる、
 などの理由で
 「子供を作っておけば良かったかなぁ」
 と頭をよぎり、また迷いが生まれている

 …とはいえどのケースも、最後はパートナーと改めて話し合って
 「子供を作らない人生で良かった、これから二人でやっていこう」
 と確認しあって落ち着いていました
 あとで振り返って
 「女性活躍」「子育て支援」の風潮のなかで
 同僚が子育てしつつ仕事をしているのを見て焦っていたかも、
 という人もいました。

 筆者の分析では
 夫婦間のコミュニケーション不足の問題の理由を
 子供がいないことに求めているのではないか、としている
 それから、女性活躍社会の風潮、子育て支援の政策などが
 子供を作らない選択をした夫婦にプレッシャーを与えている可能性がある、
 とも指摘している

 …私自身は、子供を是非ほしい、とも是非要らない、とも思ってなかったんで、
 このケースは共感しにくいというか…
 作るか作らないかはそんなに深く考えなかったです。
 (できれば育てればいいし、できなきゃしょうがないかな、くらい)

 それでも子供がいない、またはできなかった方は周りに幾人かいるんで、
 そういう選択にも、特には違和感はない。

 それぞれ事情がありますし、
 本人が納得すること、周りがとやかく言わないで
 その人の選択に寛容になることが大事じゃないかなぁと思う。

 こういう人が増えると少子化になるからけしからん、て人はいるが、
 少子化云々は、子供を育てやすい、生みたいと思える社会にするのが先で、
 それもせずに個人の選択を制限するのはどうかと思う。

 それから、紹介されていたケースのなかで
 「実は子供ができにくい体質だったんですけど、それが言えなくて…」
 と涙ながらに告白している方がいたのも気になりました。
 結婚したら子供を生むのが当たり前、
 みたいな古い価値観が日本人の頭に染み付いていて
 それが子供を持たない決断をした人、あるいは授からなかった人へのプレッシャーになっちゃってるのかな、と…

 子育て支援はもちろん必要ですが、
 女性活躍のスローガンを実現してますよという企業のアピールのために
 子持ち女性だけがクローズアップされる状況が起きてもいけないな、と感じました。

 また、子育て支援策も、
 子供の無い人が不公平感を持たないようにしないといけない。
 たとえば子育て中の人が仕事を休んだとき、
 それをカバーしてくれる人たちへの配慮も必要かなと思います。

 もっと言えば、子供がいない人でも、
 子供は次世代の宝として、
 何らかの形で育児に関われるようにしたらいいのでは、とも思います。
 そうなればわだかまりも少しは消えるかな、と…

 まぁいろんな価値観があるんで、みんなが納得できる仕組みを考えるのは大変だと思うけど、
 お互い自分の気持ちもきちんと伝えて、
 思いやりをもって理解しあって考えていけたらいいのかなと思いました

○子供が大きくなり、夫は退職して家庭に向き合おうとするも、妻は外の世界を見ている夫婦
 これは二番目の専業主婦家庭のなれの果て、とも思えるんですが
 ここでのケースをまとめると

 ・夫は仕事一筋で、子供のことをあまり見ない
 ・だから妻や子供は夫や父親をあてにしなくなる
 ・しかし夫は出世競争に敗れる、退職になる、など仕事へのエネルギーが減ると、
  埋め合わせをするように、あるいは気をまぎらわすために
  ようやく妻や子供に向き合う
 ・しかしその時には子供も妻も父、夫を必要としない
 ・子供が独立する、
  あるいは夫の退職を機に
  外に働きに出る、起業する、離婚を切り出す、
  など妻が行動に出て、
  夫だけが取り残される
 …という感じです
 (中には、夫への悔しさから浮気、離婚に走る人もいた)

 筆者はこのとき「卒母」「卒父」という言葉を使っていて
 卒母は子育てもやりきった、という達成感がある前向きな響きだが
 父親は父親役を全うしていないために「卒父」できない、という表現をしていました。

 …このケースは、我々の親世代によく見られるパターンだなぁとは思う。

 子供や妻の視点からすると、
 夫は仕事が忙しいのかもしれないが、
 一方で厳しい言い方をすれば
 仕事に逃げてるだけじゃないの?とも思う。

 他の世界を作るのってけっこうめんどくさいし、
 家庭のことも子供のことも、
 面倒なことは仕事をいいわけにすれば逃げられる、
 という心理もちょっとはあるんじゃないか、と。

 だけどそれが仕事を持ってる女性だと、
 働いてるからって、家の事は知らない、だと叩かれるんですよね…

 だから正直、夫が仕事に逃げて、
 妻子にそっぽ向かれるのも自業自得だとも思う。

 とはいえ一方で、男性は仕事以外に世界を作れない。
 そこが気の毒にも思う。
 そして、専業主婦の女性が外に出してもらえない、というのと同じで
 「こうあるべき」に縛られた気の毒な姿にも見える。

 男性は仕事以外の場、
 女性は家庭以外の場、
 別の居場所を持てるといいなと感じました

○筆者の提言
 最後に筆者の意見です
 ここの部分はあんまりロジカルでないというか、
 分かりにくいので私の解釈で書きます。
 (筆者の考えとは少し違うかもしれんけど)

 ・社会的背景
  最初に、夫婦の問題が色々起きている社会的背景を分析しています

  色んな海外の社会学者によると
  近代は、伝統的な家族のあり方が崩れ、
  家族のあり方が多様化、流動化している
  そして、それに代わるモデルが生まれていないのが特徴らしい
  (ジークムント・バウマン(ポーランド)などの分析)

  これは主に西洋の近代化の話ですが、
  日本でもそれは同じで
  社会学者の山田昌弘さんによると、
  特に1975年頃から
  戦後の「夫は仕事、妻は家庭」は崩れ始めているらしい

  それでもバブルまでは、
  給料右肩上がりの世界だったのでそのまま持ちこたえられていたが
  バブルが弾けた1990年代後半からは
  「男性は仕事、女性は家」のモデルが崩れてしまい、
  それに代わる新しい家族のモデルができていない、と。

 ・夫婦の承認欲求
  そして筆者によると、
  そうした流動化の中で、
  社会では承認欲求
  (マズローの「欲求の段階」理論で
   生理的欲求、安全への欲求が満たされたあとに人間に生まれる欲求)
  が満たされず
  夫婦や家族にそれを求めるようになっている、とのことです

  この辺の説明がけっこう雑?なので分かりにくいんですが
  私の解釈だと、
  それまでの社会だと、
  家の外で承認欲求が満たされやすかったんだと思う。

  男は同じ会社に定年まで勤めあげて出世する、
  女は家事育児をして子供をいい大学にいれる、
  みたいな目標やモデルがはっきりしていて
  それをやれば家の中でも外でも認められ、承認欲求は満たされていた。

  しかしそれらのモデルが崩れてしまい
  男性の場合、会社がつぶれるかもしれないし
  定年まで勤められるか分からんし
  男は仕事一筋なんて言ってると考え方が古いと言われるし
  何をやっても誰からも承認されない。
  だからせめてちゃんとイクメンして妻には認められたい、となる

  女性も、一人で家事育児してるだけでは承認欲求が満たされない。
  独身で働いた経験がある人ほど、
  社会でも承認される喜びを知っているが
  家に入ったらそれは叶わない。
  だからせめて夫には家事育児頑張ってるね、と認められたい、となる、ということかな、と。

  しかし、筆者によると、
  夫婦でお互い承認欲求してほしいと願うばかりで、
  相手には理想を押し付けている。(筆者はエゴと言っている)
  しかも要求はかつてよりも高まっている。
  ありのままの自分や相手を承認できてないので
  お互いの苦悩が深まっているのではないか、としている

 ・男女の苦悩の高まり
  この苦悩は男女差があり
  男性は「苦悩し、内にこもる」
  女性は「憤り、外へ活動する」傾向にあるそうです

  男性の場合、
  若い世代の場合、自分に対して理想が高すぎ、
  ・イクメン夫でありたい
  ・妻より高収入でありたい
  と願う
  それができない自分を責め一人悩んだり、仕事に逃避する傾向にある

  「イクメン夫」は建前的な願いで、
  女性活躍社会の中で
  今までのように男は仕事のみ、と言ってると社会からは古いと言われ、
  働きたい妻にも受け入れられない、だからイクメンになろうとする

  しかし、会社からはイクメンを冷やかされたり
  休みを取りにくい、などで叶えられない
  また、そもそも家事や育児は慣れていないから
  妻よりはできない、という劣等感がある
  妻にダメ出しをされるときもある

  一方、昔からの
  「男たるもの、大黒柱にならねば」
  みたいな無意識もある
  これは昔の性規範の考え方で、
  今はとうに崩れているものだが
  それに代わる新しい性規範が無いために
  そこに戻ってしまうのだそうです

  しかし、そのように仕事一筋(というか仕事に逃げてる)で生きてきた昔の男性は
  家族からは家に無関心な人、と見なされ干されてしまう
  仕事以外の趣味やボランティアなどにも生きる場を見つけられない

  このため、仕事につまづいたり、退職したあと孤立する
  日本人の男性は世界一孤立している、というデータもあるそうです
  (OECDの調査で、2005年と古いですが)

  こうして、自分を承認できてない、家族にも承認されないが、
  それを誰にも相談できず内にこもる。
  自分らしさを生きられないのが男性だ、としている

  一方女性も、
  ・社会で活躍したい、
  と思いつつ
  ・家事育児をきちんとこなさねば、というプレッシャーがある

  「社会で活躍」というのは、
  女性活躍、男女平等の教育を受けてきているために生まれる欲求だが、
  実際には女性の仕事環境は厳しい

  女性労働者の半数は非正規、
  第一子出産時に辞める人は多く、
  一度やめたら正社員としての再就職は難しい
  というデータがある

  結婚、出産後も正社員として続けたいのに、
  企業に短時間勤務などが難しいから不本意に退職する人もいる一方で、
  家庭との両立の関係上、
  望んで非正規に就きたいと願う人もいるなど、
  望む働き方が多様化しているが
  それが選びにくい状況になっている

  それから、「家事育児もちゃんとやらねば」
  というのは昔からの性規範による無意識的なもので、
  有償労働をしている女性でも
  家での家事労働時間は男性より圧倒的に多いデータがあるそうです
  (これはアメリカでも見られる傾向らしい)

  つまり二重労働を強いられているのだが、
  それに憤りつつ、昔からの性規範に代わる新しい性規範がないので
  何となく自分が家事育児もやらねばならないように思ってしまう

  ちなみに特に育児に関しては、
  母親がするもの、という意識は日本人では顕著だそうで、
  国際比較の結果によると、
  子育ては母親、という意識を持つ人は他国と比べて際立って高いんだそうです。

  社会からの「育児は母親」という期待と共に
  責任感が強いという国民性もあり、
  日本人女性は自分が育児をやらなきゃ、と追い込んでしまうらしい

 (…この辺は頷ける。
  子供に問題が起きると
  「母親なにしてんねん」みたいなプレッシャーが日本では大きい気がする。
  父親もいるやん!て思うんですがね。)

  そして、この昔からの性規範は、
  夫側への
  「男なんだから、家事育児は私より苦手なんだから、せめて私より出世して欲しい」
  という妻からの無茶な要求にもつながってしまう
  (実際は仕事より家事育児の方が
   実は上手な男性もいるかもしれませんしね)

  筆者によると、
  最近の女性には、家事育児、仕事、の二重の役割に加え
  「女性活躍」という三重の役割が加わっているんじゃないか、としている

  政府の女性活躍社会の実現、という目標は、
  女性活躍させてますよという企業のアピールのために
  管理職の女性の数だけ増やされる方向に、
  ミスリードされている面がある、と。
  その犠牲になって、活躍しなきゃとプレッシャーを受けている女性もいる、と。

  これら三重の役割をこなそうと頑張りすぎて自分がつぶれたり、
  昔の性規範にこだわりすぎて夫や家族に過度の要求をしたり、
  夫の変化に気づけなくなってしまうのが女性側の問題だ、と。

  そして筆者は、
  女性の(表向きの)性規範は時代により左右されやすい、とも指摘する
  女性は家庭、という時代の次には
  共稼ぎで子供なし、というディンクス夫婦がお洒落と言われる時代が来て、
  次に結婚しないのは負け犬、結婚して専業主婦が勝ち組と言われる時代が来て、
  共稼ぎで女性活躍がいいという今の時代になっている、と。

 (…筆者は女性の生き方は時代に翻弄されやすいというが
  私自身は、男性も女性の生き方に呼応するように翻弄されてるんじゃないか、と思いました。
  アッシーやメッシーも、
  スペックいい男も、
  イクメンも、
  その時の女性の生き方にマッチする男性がもてはやされているんじゃないか、と思います。)

  問題なのは、それらは一時的な流行りに過ぎないのに
  みんながそれをしなくちゃいけないような雰囲気になること、
  つまり筆者の言い方を借りれば、
  画一的な生き方を押し付けられることにあるのだろう。

 ・夫婦間のリストラ
  筆者はこれらの夫婦間の問題を解決するための案を提案している
  大別すると2つあり、
  ・男女共に、社会でも家庭でも自立できる力を身に付けること
  ・仕事と家庭とを両立しやすい労働制度にすること

  1つ目の「自立」とは
  ・精神的自立…無意識にある性規範から自己を解放すること
  ・生活的自立…家事能力、地域や趣味の世界でのコミュニケーション力など
  ・経済的自立、社会的自立…社会との関わり、ボランティアや有償労働の従事
  があり、

  特に男性は生活的自立が
  女性は経済的、社会的自立が足りないので
  それらを身に付けるよう努力すること

  また、互いに精神的自立も必要で、
  社会的な物差しではなく
  自分の物差しで生き方を決め、
  自分や配偶者と「折り合って」生きていくことが大事だ、としている

  それから、2つ目の
  「労働制度の改善」は社会に求めるもの。具体的には
  ・長時間労働の是正
  ・柔軟な雇用形態
  ・男女の労働格差の是正
  ・子育て支援、介護制度の充実
  ・労働者の権利を守る、など

  もう少し解説すると
  「長時間労働
  イクメンを冷やかす風潮や、
  女性が出産で辞めざるを得ないのは、
  彼らが長時間労働ができないからだが、

  しかしそもそも長時間労働しないとやっていけない会社の仕事が問題なのであって、
  時短勤務を実現せねばならない。

  しかし、今の政府の「労働時間の短縮」だけではダメで、
  仕事の効率化が伴うことが大事だ、と。

  というのは、
  2018年流行語に「ジタハラ」があったそうですが
  時間を単に短縮しただけなら、自宅に残業を持ち帰るだけになってしまう
  日本は労働効率性が先進国のなかで悪い、というデータもあるそうです

  「柔軟な雇用形態」
  男女に限らず、
  個人が望む生き方、働き方に多様性が出てきているので
  それに対応する柔軟な雇用形態が提供されねばならない、と。

  最近は
  ・限定正社員制度
  (勤務地、勤務内容、時間を限定する働き方、
   正社員よりは給料は減るが、非正規より安定する)

  ・非正規労働者の正社員登用
  などが出てきているが
  これらの働きかたが正社員より不利にならないよう、
  労働者が権利を求め行動すべきである、としている

  また、「男女の雇用格差の是正」「子育て、介護制度の充実」は、
  男女とも、家庭と仕事のバランスを取るためには必要だ、とする
  筆者は、ILOが1999年に提唱した「ディーセントワーク」
  満足できる幸せな働きかたを目指すべきだ、と主張する。
  そのために、休暇、福利厚生の充実、労働者の権利保護など
  企業や国が保証していかねばならない、と。

 …筆者は色々細かく分析してくださってますが
  要するに、こう生きたいとか、こう生きるべきという価値観が多様化してきているがゆえに
  逆に言えばどんな生き方を選ぼうが、文句をいう人がいる世の中になってしまってる、
  ということなんだと思う。
 
  男で言えば、イクメン頑張って仕事を適当にしようとすれば、
  仕事やれよとか、
  男が仕事で女に負けて情けないとかいう人がいる。

  女で言えば
  専業主婦してると少しは働けと言われ、
  共働きしてると子供をほったらかしにするなと言われ、
  パートでそこそこ働いてたら
  大して働いてないのに偉そう言うなと言われる。
  何を選んだって文句を言われるわけです。

  だから逆に、何を言われようが
  これが私の生き方だと割りきればいいわけで、
  何を選んでも、社会でもそこそこ実現できる制度が提供されていればいい、
  ということになるのだろうと思います。

  ただその前提として1つ言えるのは
  仕事だけ、とか、家庭だけ、とか
  1つの世界しか持たないのは不幸だ、ということ。
  それだと、その世界でうまくいかなかったときに孤立したり
  ストレスを抱え込んでしまう恐れがある。
  だから仕事も家庭も趣味も地域貢献もバランスよくできるようにする、
  ということが大事なのだろうと思います
  
  筆者は最後に
 「自己の一貫性に拘りすぎず、
  多元的なありのままの自分を認めた上で、
  社会や他者が決めたルールではなく、
  自分の物差しで己と配偶者、夫婦の関係性、あり方を見つめ直すこと」
  が必要だとのべ、

  そして、色んな生き方をしていく人たちにこれからも寄り添っていきたい、
  としめくくっていました

○感想など
改めて、日本は同調圧力が強いなぁと感じました。
みんなと同じ、が好きなのか分からんけど、
隣を見て、他と違うと何か言いたがる人が多い気がする
(特に田舎、年寄りは)

また、言われる側としても
他人が何を言おうが気にしなきゃいいんだろうけど
なんか自分がおかしい、間違ってる、みたいな気分になってしまうのかな、と、。
若くて経験が少ないと特にそうなっちゃうのかな、と思います。

だから、紹介されている人たちも(私も含めてだけど)
若いうちはそうやって周りから言われ、
色々と揺れながら悩んできている。

でも出されていた例では、
彼らも中年になって、
だんだんと自分はこんな理想を実は持ってたんだな、とか
それは現実とあわないなと気づいてきて
パートナーと話し合うことが出来るようになっている、
そこは希望を感じます。

というのは、こういう苦労をしている人たちは、
自分等より若い人たちが同じ経験をしているとき、
手助けできる存在になれると思うからです。

思うに、バブル以前の世代の人たちは
「男は仕事、女は家庭」
「同じ会社で給料右肩上がり」
が保証されていて、
そこでみんなと同調して
そこそこパフォーマンスを出しておけばなんとかなる世代なので
悪く言えば何も考えてない、悩んでない。
だからその下の世代の苦悩は理解できず、人によっては批判してくる、
それが余計に下の世代を苦しめていたように思う。

でもそれより下の世代は
新しい価値観、自分にとってのベストの価値観を探してもがいて、
人と一緒の価値観じゃもうやってけないな、と気づいているので
他人が違う選択をしていても、
寛容になれている人が多いんじゃないかな、と思う
(少なくとも多くなっていてほしい)。

その世代が企業や政治のトップになれば
もう少し柔軟な制度ができるのかなと、ちょっと期待しています

とはいえ、新卒一斉採用は企業にとっては楽なので
なかなか変わらないだろうとは思う。

それでも中途採用の数を増やす、
時短勤務を増やす、
労働時間や給与が選べるようにする、など
柔軟な働き方を、できるところから進めてほしい。

それから、結婚出産、就職氷河期、引きこもり、介護など
いろんな理由でいったん退職した人が
再チャレンジできる仕組みや
再チャレンジできるように学びができる場などが
もっとできるといいなと思います
(もちろん、勉強は独学でもできますが)

それにしても、一番大事なのはメンタルですね!
私もある程度歳を重ねて思うけど、
どんな生き方を選ぼうが、ケチをつける人はどこにでもいる、
という割りきりが大事だと思う。

ネットを見たって、専業主婦vsワーキングマザーのバトルはいくらでもあるし…
3歳まで子供の面倒は母親が見ろと言う人もいるし…
専業主婦してると夫に年金払ってもらってないで働け、
と言う人もいるし…

でも自分にとって、
どんな生き方が幸せかは、自分でしか決められない。
それも、パートナーや家族の幸せを無視したって幸せになれない。
そこは自分の頭で考えていくことだろう。
考えて決めれば、
他人が何を言おうが心は揺るがないと思います。

そして、それをずっと守るのではなく、
自分の状況の変化を考えたり、他人の意見などを聞いたりして
定期的に見直すことも大切かな、と思います。
若い人にはそうアドバイスしたいし、
自分もそういうメンタルでいようと思いました。

あと、余談ながら
筆者はジャーナリストというよりカウンセラーみたいだなーと思いました。
インタビューした相手が
「助けて」と夜中に電話してくる、
お茶でもしませんか、と誘ってくる、など
相手の心に寄り添っているからこそのエピソードも描かれている。
しかも話を聞いているとき、
言葉以外に、非言語的な部分(表情、ボディランゲージなど)
の変化も見逃さず書き留めていてすごいな~と思いました。

…色々勉強になりました。
というわけで今回はこの辺で。

NHKBSプレミアム ダークサイドミステリー「人民寺院事件 本当にその道しか無かったのか」

NHKBSプレミアム ダークサイドミステリー「人民寺院事件 本当にその道しか無かったのか」

栗山千明さんナビゲーター、
たまーにボーッと見てる番組です。
扱ってる内容は「月刊ムー」的で、オカルト系の話が多いです。
結局科学的には嘘だよねみたいな結論が多いんですけど
今回は洗脳の話、ということで見てみました

扱っているのは1978年に起きた「人民寺院事件」で
平たく言うと新興宗教集団自殺の話、なんですが、
番組最後まで見たら、その前に起きたことも衝撃的なものでした。

集団自殺、て、たしかノストラダムスの予言が成就するとかしないとかの1999年付近にあったような記憶がある。
それから、新興宗教の狂気が起こした事件と言えば
個人的にはオウム真理教が強烈でしたが
(同世代の遠い知り合いも入信してしまったので)
こんな昔にもこんな凄惨な事件があったのは初耳でした。

今回の主題としては
・なぜカルト宗教はどの時代にも起こるのか
・カルト宗教にはまっちゃうのはなぜか
・洗脳された人が抜け出せないのはなぜか
が中心で、それについての専門家の議論もされていました

今回の主役は人民寺院という宗教集団、
それから教祖のジム・ジョーンズという男です
この教団は、インディアナ州でできた後、
しばらくしてカリフォルニアに移住、
そのあと最終的に南アメリカに移住して
集団自決して終了しています。

○ジム・ジョーンズの生い立ち
 ジム・ジョーンズは1931年、インディアナ州に生まれる
 当時はKKKクー・クラックス・クラン)など白人至上主義の団体があり、
 黒人差別なども酷かった
 ジョーンズは白人だったが、
 彼の家は貧しく、子供の頃は辛かったと本人は言っている

 彼の母親は輪廻転生を信じていて
 なんの根拠があったんかは知らんが
 息子に「あなたは特別な人、あなたが奇跡を起こすのを世界が待っている」
 と言い聞かせて育てた
 そのせいか、ジムは自己愛と使命感の強い人間に育つ

 彼は21歳で見習い牧師となる
 彼は聖職者がどうやって信者の心を掴むかを観察していた
 
 最も影響を受けたのがペンテコステ派の人たちで、
 彼らは精霊体験(霊媒が霊を呼び、儀式めいたことをする)
 を通じて信仰を強めていて、
 ジムはこの手法は使える、と思ったらしい

 彼は23歳で人民寺院を設立する
 貧困者の救済、人種差別の撤廃を掲げていた

 元信者で、ジム・ジョーンズのボディガードも勤めたジョン・コブさん
 彼は黒人の方で、親が家族ごと入信したそうです
 生まれつきの信者なので信頼されていたらしい

 彼によれば、人民寺院の思想は、
 当時きつかった差別に苦しむ黒人の心をわしづかみにしたらしい。
 「白人牧師なのに
  多民族との共存、マイノリティの権利を語っていた、
  そんな人は見たことが無かった」と語っている

 さらにジム・ジョーンズは
 貧しい人に食事を配る「スープアンドキッチン」
 悩み相談、衣服の配布などを行い
 ますます支持を増やしていく

 さらに、彼は集会で奇跡を見せ、信者を集める。
 集会で足腰の悪い女性を指名して
 「私の所に来なさい、あなたを愛しています」

 と歩かせる映像も残っています。
 (実は足腰の悪い女性はサクラだったらしい)

 「yes、I can」という言葉を連呼し
 「私はガンを治せる、
  雨を降らせることもできる、
  太陽の輝きも止められる、
  何でもできる」と叫ぶ演説の肉声も残されていました。

…ここまで、教団は順調に勢力を拡大していく。
カルト宗教がなぜ勢力を拡大できるのか、の解説がなされていました

○解説
 司会は片山千恵子アナウンサー
 討論者は立正大学の西田公昭さん(日本脱カルト協会代表理事)と
 平井康大さん(成城大社会イノベーション学部、アメリカ宗教史が専門)

 まず西田さんはこの事件まで宗教が問題になったことはなかった、
 と話していました
 「この人民寺院の問題で、
  危険な宗教もある、と知られることになりました」
 
 カルト教団、という言葉ができたのもこの事件からで、
 カルトとは元々ラテン語で、マイナスの意味は無かったそうですが
 この事件から否定的な意味が加わったらしい

 だからマイナスの意味を込め、破壊的カルト、とも言うそうですが
 その条件としては
 ・集団、自分達の目的達成を絶対的に優先する
 ・信者の私生活を放棄させる
 ・批判を封鎖、絶対的服従を強要する、 …というもの。

 一方平井さんは、当時の社会状況の影響もあることを指摘している。
 「社会変動があるとき、宗教団体が起こりやすい」
 1950~70年代では、
 アメリカは公民権運動、反戦運動などもあり
 価値観が揺らいでいた、と。

 そういうときに望ましい世界のあり方を
 ビシッと提供してくれる宗教に、人々は惹かれたがる。
 その宗教の1つが人民寺院だったと。

 なぜ入信してしまうのか?という質問には
 西田さんは
 「悪いことをやってるから入る人はいない。
  信者はいいことしていると思っている」

 平井さんも
 「何らかの癒しを提供しているからこそ
  サービスとしての宗教がある。
  キリスト教もキリストが死人を甦らせるパフォーマンスをしている」

 「病気や人間関係などの悩みを抱えていても
  相談できない人がいる、
  相談してもそんなの我慢しろと言われてしまったりする。
  そんなとき教祖が聞いてくれて、癒しを与えてくれたら
  ああ、と行っちゃうでしょうね」

 社会不安、価値観の揺らぎなどに対して、
 社会のセーフティネットがないと、
 アクの強い宗教とか思想に引っかかってしまいやすいのですね。

 最近のイスラム強硬派の集団に入る人たちも似たようなものなのかなと思う。
 移民や失業者など、社会から外れてしまった人が、
 唯一居場所を見つけられた、とはまってしまっている。

 また、集団での奇跡を起こす手法については、
 西田さんは
 「大勢の人が見た、と言うと本当かなと思ってしまう。
  信じるかどうかって、自分や周りの人が体験したことしか根拠がない。
  それが与えられたら信じてしまいます」
 意外と根拠が無いのに信じてしまう、と話していました

さてその後、教団はおかしな方向に走り始めている
○精神の破綻をきたしていくジム・ジョーンズ
 1961年、30歳の時、ルイジアナ人権委員会委員長になる
 これは言論の自由などを啓発する民間団体だそうですが、
 ジョーンズは、委員長の権限で、黒人が排除されていたお店や映画館などを黒人にも開放するなど、
 強引なやり方で実績を積んでいく
 当時は黒人の権利を取り戻す、公民権運動が盛んだった

 しかし一方で、彼に対する中傷も起きる
 マスコミによく出るので、叩く人もいたんだそうです
 公民権運動に反対する人たちもいた

 ジムの息子、スティーブンは
 「父はあのころ、能力以上の仕事を任されてストレスがたまっていた」
 と振り返る。

 スティーブンは、夜中に父親が割れた窓ガラスの前で
 「人種差別に反対する敵がこんなことをした」
 と叫んでいる現場に立ち会ったことがあるそうです
 しかしよく見ると、ガラスの破片は外側に行っていた。
 「父親の作り話だったのです」
 「彼は自分で恐怖を作り上げていた」
 他にも、自分もしくは教団の人間に自分の物を壊させながら、
 誰かの攻撃だと主張していた

 当時の冷戦体制の影響もあり
 「核爆弾でアルマゲドンが起きる」
 と説教し、信者を恐怖に陥れたそうです

 ここで、恐怖で結束を強めていく手法が解説されています
○解説
 片山アナは
 「ジム・ジョーンズは変わっていきましたが…」

 西田さん
 「彼は、メンバーを維持することで権力を保持したかった」

 「教祖になる人の共通点は、
  ナルシストで自己顕示が強いんです。
  他人は自分の道具だと見なして、平気で嘘を言って操っていい、と考えるタイプ」

 「だから彼は、攻撃されて自尊心が傷つくのが嫌で、
  崇拝されている自分を感じたい。
  メンバーを側に置いておくために、恐怖を感じさせる手法へと傾いていった」

 …かなり身勝手ですね。

 片山アナは「なぜ信者は逃げなかったんでしょう」と尋ねるが、

 平井さんは
 「chosen few(選ばれし少数)というんですが、
  クリスチャンの人たちは自分達が上、という誇りを持っている」
  
 「もともとは、ジョーンズが意図的に結束を高める手段だったんですが、
  自分たちは真理を知っている、という気持ちが強い。
  その教団にいることが誇りとなって、
  抜けることこそが敗北になっていく」

 西田さんも
 「メンバーもプライドを高めていて、
  オウムの時もそうですが、一般の人と違って自分たちは特別だという意識がある。
  自分たちこそが救われる、だから頑張れる、と。
  そこに他人が批判してもヤジをしても、
  聞き入れる必要は無い、と上に立った気持ちで見ている」

 彼らにも選民意識があるので、余計に説得が難しい、
 と話していました

○カリフォルニア移転
 1965年、教団はカリフォルニアの農村地帯、レッドウッドバレーに移転する
 信者は家族ごと引っ越すことを強要され、
 仕事も辞めさせられ、家を売らされ、財産は没収された
 それまでの人間関係もたつように言われた
 
 さきほどのジョンさんも
 「母親に引っ越すと急に言われて驚いた」と言っていました
 他との交流がなく
 「教団と家族は大きな家族のように結束を増していった」
 と言っています

 彼は1972年、都市に進出する
 カリフォルニア、フィルモア地区で信者を増やそうとする
 この頃、既存権力に反抗して自由を求め、社会を変えようという若者がたくさんいて、
 (ベトナム戦争があり、ヒッピーなんかが流行った頃)
 人民寺院の主張は彼らの心をとらえたそうです

 当時の若者で信者だったローラ・コールさんは、ジム・ジョーンズの情熱に打たれて入信したと話していました
 「情熱的な人たちと社会を変えたかった。
  人民寺院は平等を目指した情熱的なグループだと思った」
 
 人民寺院自体も、合議制を取り、民主的な制度を取っていたが
 しかし彼女は 
 「実際はジムの独裁で、側近に囲まれていた。
  側近はジムに弱みを握られ、セックスパートナーにさせられていた」 

 しかも「側近」とされていた人たちは、
 なんと信者のごみ漁り、という汚い仕事を任されていた
 それにより信者や信者になりそうな人の個人情報を集めていた

 ジム・ジョーンズはその情報を使い、
 集会などでその人を名指しし、
 病気や人間関係などの悩みを言い当てているように見せかけた
 
 この信者はこの事実を知っていたが、
 ジム・ジョーンズの「社会を変える」という情熱に興奮していて、
 自分が間違っている、彼が正しい、
 と自分に言い聞かせていたそうです。

 一方で、ジム・ジョーンズは彼を批判する信者を別の信者に密告させ、
 集会の場で「人間浄化集会」と称し、
 その人を罵倒して殴ったりしていた(実際の音声も紹介されていた)

 その被害にあったレズリー・ワーグナー・ウィルソンさんは
 父親に卒業して祝いで贈られたドレスについて
 「わがまま、物質主義者、利己的」
 などと激しくなじられ、ドレスは取り上げられたそうです
 親友に告げ口されたと気づいた、とも言っていました

 人間浄化、というのは

 親兄弟や友人にも批判させる
 →大勢の面前で集団でなじる
 →誰からも救われない状況を作る
 →救われるのは教祖だけ、と思わせる

 …という手法らしい。

 それでもなぜ逃げなかったのか?と聞かれると、彼女は
 「困難を乗り越えて、乗り越えて前に進むんだ、と思っていた。
  教祖を嫌にはならなかった。
  ドレスはあきらめて、もっといいことをしなければ、と思っていた」と。

 この「人間浄化集会」は見ている人にも心理的恐怖を植え付けた
 元信者のジョーダン・ヴィルチェスさんは
 「思い出したくないのか、うまく思い出せない」
 といいつつ、「一人が立たされて怒鳴られている光景だけ思い出せる」と。

 ジョーダンさんによると
 「みんなジムを怖がっていた。
  人民寺院では当たり前になっていて、いつもおびえていた」と話している

 そしてついに逃げ出す人も出てきた
 その一人、グレース・ストーンさんは
 「大きな問題が起きていて、巻き込まれそうだ、と仲間が教えてくれた。
  それまで何度も、集会で殴られて精神を壊す人がいたから
  そんなことにはなりたくない、と思った」
 彼女は必死で逃げた 
 「逃げた次の日、銃の音で目が覚めた。
  でも実際は独立記念日の花火の音だった。それくらい怖かった」

 そして、彼女のような逃亡者から話を聞いたサンフランシスコのメディアが
 教団のことを記事に書こうとする

 サンフランシスコ・クロニクル紙の記者、マーシャル・キルダフさんは
 「取材すると、彼らは問題をすべて語ってくれた。
  それはとんでもないものだった。
  社会保障も年金も取り上げられ、
  離婚させられて別の女性と結婚させられた人もいた。
  別れた奥さんは、ジョーンズの愛人にさせられたらしい」
 と語っている


選民意識があったはずが、
教祖に虐待されるようになっている…
しかし逃げようとしない。
このように、マインドコントロールにはまってしまった人たちの心理を、次に解説している

○解説
 片山アナは「罵倒なんて私は耐えられない…」と声を詰まらせるが

 西田さんは
 「逃げないというか、逃げられなくなっているんですね。
  教祖は最初優しくて、慈愛に満ちていた。
  でも批判を起こすと恐怖の対象となる。
  このように恐怖と愛情の対象が同じで、
  それを急激にやられると人間は混乱してしまう。
  DVも同じで、そうなると優しいときに強く惹かれてしまう。
  そうなると、相手が優しいのは自分が従順な時だから、
  だから従順になるしかない、となってくる」

 それはテクニックの一つで、マインドコントロール、と呼ばれるものなのだそう

 「マインドコントロールとは、
  コミュニケーションの手段を用いて
  思想や感情を支配すること、です」
 
 片山アナ「それは気づけないものなんですか」

 西田さん
 「コミュニケーションの一つなので、
  何かをされているようには見えないんですね。
  選択肢があるように見せかけて選ばせる。
  限られた中で選ばされているのに、自分で選んだことになっている。
  本人的には自分で選んだつもりだけど、その時にはもう相手の手の中にある」

 …うーん、ブラック企業から抜け出せない人とか、
 パワハラ夫と別れられない人も同じなんだろう。

 あと、ジョーンズの場合はテクニックかもしれないが、
 DVなんかでは、カッとなって暴力をふるったあと、
 自分のやったことに後悔して極端に優しくする、
 という場合もあると聞いたことがある。
 だから暴力をふるう方も悪気はないと自分では思っている。

 そうなると被害を受ける方は
 余計に相手を許してしまい、
 自分が悪いと思ったり、この人は私がいないとダメなんだと思ってしまうのかもしれない。

 そういう共依存的な関係になると、
 他の人がおかしいよ、と言っても否定するだろうし、なかなか難しいですね…
 (カメラでその状況を隠し撮りとかしたら変だ、と思うかなぁ)

南アフリカガイアナ共和国
 1977年、人民寺院のことがクロニクル紙の記事になる
 記事では、ジョーンズの非道な行いが暴露されていた

 するとジョーンズは
 「敵が人民寺院を陥れようとしている」というようになる

 先程の信者、ジョーダンさんは
 「信者が離れることを恐れたのか、
  わが身のしたことを恐れたのかは分からないが、
  でも「敵が来るから逃げないと」という雰囲気になった」

 そしてジョーンズは、信者1000人を連れて
 南アフリカガイアナ共和国へ逃れる
 そこは新しい都市が作られ、ジョーンズタウン、と呼ばれた

 どうやって作ったかは分からんが、病院や学校も完備していたそうです。
 信者は、すべての財産を教団に譲り渡すが、
 その代わり衣食住すべての面倒を教団がみる
 子供たちもこの町にたくさん住んでいた

 「人間浄化集会」でつるし上げられていたレズリーさんも
 このときガイアナ共和国に渡った
 しかし「誇りに思ったのは、最初の夜だけだった」とも言っている

 そのころ、教団から逃げた人たちや、
 家族が教団にはまって困っている人たちなどが、被害者の会を設立していた
 アメリカ下院のレオ・ライアン議員もその中におり
 「最初に彼らと連絡を取らねば」と話す
 
 その動向を知ったジョーンズは、
 拡声器でアメリカ政府がここを襲ってくる、という恐怖の演説をタウンで連日行う
 「俺は大量破壊兵器を手に入れた、
  やってくる敵をぶっ殺すぞ!闘うぞ!」という肉声も残されている

 そして1978年11月17日、ライアン議員率いる調査隊がジョーンズタウンに入る 
 中には、被害者の会の人14人、報道関係者9人などがいた

 ジョーンズの息子、スティーブンはこのときのことを
 「僕は怖かった、これから起きることに対して…
  父は予測のつかない人間だったから」と話している

 調査隊が到着して、報道関係者はさっそく、信者から本音を引き出そうと話を聞く
 するとみんな「ここから出たくない、ここは最高の場所」など、タウンをほめている

 教団の人たちは彼らの歓迎パーティを開く
 ライアン議員も和やかに挨拶をする

 平和に見えた調査だが、
 11月18日、調査最終日に、
 NBCテレビの人たちは、極秘の情報をジョーンズにぶつける

 これはいいやり方だったのか分からないですが
 インタビューで
 「昨晩一人の信者が、このメモを私に託してきた」とメモを彼に見せる
 それは、実名とともに「助け出してほしい」というもので
 「何らかの理由で、ここから出たい、と言っているように見えるが」と尋ねる

 するとジョーンズは
 「人は嘘をつくものです。嘘、嘘、嘘。
  だから私たちのことはほっておいてください」と答える

 そして取材のあと、
 さらに信者の2組の家族13人が一緒にタウンから出たい、と申し出てくる
 「本当に出たいのか?」と意思確認する映像もありました
 それに対して「子供たちを連れていかないで!」と叫ぶ女性、
 動揺する教団の人たちの姿もカメラには映っている

 そこでライアン議員たちは、急遽2台の飛行機をチャーターする
 そしてその2台の飛行機が滑走路にきて
 脱出の意思を示した信者を乗せようとすると…

 そのときテレビカメラには、大勢の人が乗った不自然なトラクターが映っている
 そしてそのトラクターからいきなり銃が発砲され、
 それを一部始終撮っていたNBCのカメラマンも銃弾に倒れ、
 画面はザーッと雑音に…

 この日の午後9時、ライアン議員や報道関係者など5人が死亡、
 5人が重軽傷を負う惨事となる

 そしてその直後
 ジョーンズタウンに全員が集まり
 ジョーンズは最期の演説を行う
 「ライアン議員は死にました。
  今日起こったことから逃れることはできない。
  我々はとても危険な状況に追い込まれてしまった。
  平和に暮らすことができないなら、
  平和のうちに死を選びましょう」と。

 そして、側近がシアン化物の入ったぶどうジュースを
 バケツに入れて持ってくる
 
 その時、1000人ほどいた信者の中で
 抵抗したのはクリスティンという女性信者だけだった
 「死を選ぶのは敗北です、最後まで戦いましょう。
  赤ちゃんを見て、みんな生きる権利はある」

 ジョーンズは「でも、平和なうちに死ぬ権利もある」 
 クリスティンはなおも
 「私たちは平和な暮らしを求めてここにきているんです。
  ロシアに亡命する選択はないんですか」
 と食い下がるが
 ジョーンズは
 「よし、すぐにロシアに電話してやろう。
  ほかに意見はないのか」
 と適当にあしらう様子。
  
 すると別の信者がクリスティンに
 「今日までお前が生きてこられたのは、ジムのおかげだろ」といい、彼女を諌める

 そして誰も反対の声をあげることなく
 赤ちゃんから始まり、、小さい子供から順にジュースが飲まされる
 こうして918人が集団自決する
 飲まなかった87人は救出された

 このとき、ジョーンズの息子、スティーブンは、
 バスケットボールの試合で別の町にいたため、
 この事件から逃れていたそうです。

 スティーブンは長いこと、
 教祖の子として別の道を選ぶことはできなかったのか、
 という悩みを抱えて苦しんでいたんだそう

 彼はインタビューで
 「長い年月をかけて、
  ようやく落ち着いて考えられるようになった。
  過去の経験から学んだ僕は、よりよく生きようと思えるようになった。
  この経験により、周りの人も助けることができるようになる、と思う」と答えています

 私は最初、実子でありながら顔もちゃんと出し、話し方もかなり落ち着いている彼に驚いていました。
 しかしながらそこまで至るには
 信者の家族からの非難もあっただろうし
 狂気の教祖の子供として差別もされたのではないか、と推察する。
 本人もなぜあんな父親の元に生まれたのか、
 という葛藤や恨みもあっただろう、と思う。

 彼も「何度思い返しても、多大な恥と後悔を僕たちは感じることでしょう」
 とも言っていました

○解説
 私は最初、単なる狂信者の集団自決かと思っていたんですが
 助け出そうとした人たちを巻き込んだ殺人事件だった、と知ってかなりビックリでした。

 片山アナは
 「1000人いて反対したのが1人しかいなかったんですね…
  しかも最後に彼女を諌めたのは信者自身でしたね」

 平井さんは
 「殺されるのが赤ちゃんから順番だったそうなんですが、
  最初の一人の子が殺されちゃったら、もう逃げられないんですよね」
 毒を食らわば最後まで、というやつで
 一度悪の道に手を染めたら最後まで抜けられない、と。
 
 西田さん
 「犠牲を払えば払うほど、人は行動を正当化しようとする。
  これは「認知的不協和」っていうんですけど、
  (受け入れられない現実に対して
   こじつけや言い訳をして辻褄を合わせようとする心理)
  学校をやめ、財産を差し出すとなれば
  もう信じるしかない、となる」

 平井さん
 「そうですね、そうだと思います。
  信者は積極的に現実と、
  教祖の言っていることのずれを埋めようとしている。
  この時はものすごく能動的に動いているんですよね。
  それまで犠牲を払っている人たちに、冷静な判断は期待できない」

 もうそこまで来たら止められないかもしれないが、そうなる前に何ができるか。
 片山アナは
 「…騙されないようにするにはどうしたらいですかね?」

 西田さんは
 「カルトは無くならないんですよね」という。

 「カルトに行くと、幻想を与えられて、いかにも理想の社会を実現できるような錯覚を与えられる。
  それを幻想だ、錯覚だと批判したとしても、
  こっちにいればホンモノが与えられるか、というとそうじゃない。
  だから無くならないんですね」

 夢を見させてくれるからひかれてしまう、と。

 平井さん
 「1つの教団に入るのが間違っているわけではない。
  ダメだと言うなら、
  じゃあ自分の生き方がそもそも正しいんですか、
  という問いに跳ね返ってくる気がする」と。

 宗教も、自分の生き方を考え直す機会になるから一概に否定はできない、と。

 一方で、搾取的な宗教にはまる人を無くすには
 社会不安の解消が必要だ、とも平井さんは言う。

 「最近でも、自分の生計すらまかなえない人が増えていて、
  幻想に引っ張られやすい人が増えてる状況だと言える。
  だから、どうすれば不満や不安を感じている人を減らすか、という議論になると思う」

 西田さんは、単純な答えなどないと思っておくこと、
 自分の頭で考えること、の大切さを話していました
 「これからも、世の中の抱える問題はたくさんある。
  それは複雑で、解決を見つけるのは難しい。
  そこに、こうなれば解決できる、という簡単な答えはないんだ、と認識することですね。
  それが相手の口車に乗らないことになる。
  マインドコントロールとは、思考をストップさせて、教祖の思考に乗ることなので、
  思考を止めないで、自分の頭で考え続けることが大事です」

もと信者の人たちや
実子のスティーブンは
今でも後悔を抱えて生きていて
毎年ジョーンズタウンに供養のお参りをしている、
という話で終わっていました。

彼らの後悔を無駄にしないためにも
我々は学ばねばなりませんね…

○感想など
・実は私も、某宗教団体に一瞬だけ入ったことがあります。

 最後に西田さんが
 「自分の頭で考える大切さ」を話していましたが、
 私自身、入ったときは何も考えてなかったけど、
 出るときは自分の頭で考えた、と言い切れるので
 その時の話を少しシェアします。

 その団体は神道系の団体で、全国に支部もあり、
 サークルっぽいノリが売りみたいなところでした。

 私は元々悩みがあって、
 ちょうどその頃興味があったフラワーエッセンス、というのをやってる人の所に通っていて
 その人に勧められて、その団体の集会に行ったのが始まりです
 (ちなみにフラワーエッセンスはほとんど効かなかったです。
  やってる方も悪い人じゃなかったけど、自信なさげだった)

 何をやってる団体なのかよくわからず、
 やり方を聞いてるうちに
 「とりあえず入ってみましょうか」
 みたいな感じで入れられたようなものです。

 しかしそのあと資料をもらって読んでると、
 教祖の本を何十冊も読め、だとか
 お金を払って集会に行くほどご利益があるだとか、
 なんだかめんどくさい。

 さらにはプラチナ会員になると極秘情報が与えられるとかあり、
 一部の情報も書いてあったけど
 「北朝鮮の攻撃に備えて、云々…」
 とかあったんで、
 これは変な団体だなぁと思い、
 すぐに電話をかけて脱退しますと申し出たんですよね。

 それまででも、なんか合わないなとは思っていました。
 教祖の書いた本、てのも何冊かは読んだけど、
 そこらの自己啓発本と大して変わらない。
 何がすごいか分からん。
 (変わってると言えば、神道系なので拝みかたとかにはやたらうるさい)

 集会とかいうのも行ったことがあるが、
 教祖はおやじギャグをいうばかりだし
 (半分くらいはまともなことを言ってそうだけど、
  日本各地の神社や神様の話で
  そっち系の知識がないので話がよくわからない)

 何よりも集会のとき、
 休憩時間などでうろうろすると、
 タバコを吸う人がたくさんいたり
 なんか雰囲気が良くないんですよね…

 来てる人は悩み抱えてる人ばかりだから、
 なんか気分が暗くなるし。

 まぁその辺も総合して、
 やめようと思って、
 電話をかけて脱退しますと言ったんですが、
 まだ入ったばかりだから考えろみたいなことをごちゃごちゃ言ってくる。

 悩める信者さんなんかは、
 そこでまた悩んだりするんかもしれないが、
 私はもうやめると決めてました。自分の感覚でノー、だったんで。

 決めたんだからほっといてくれよ、と段々腹が立ってきて、
 私はその電話口の人に
 「あなたの団体にいればたしかに幸せになる人はいるかもしれんが、
  あなたの団体にいなくても幸せな人だって、世の中にはたくさんいるでしょ?」
 と反論したんです。

 そしたらなんかしどろもどろになってましたけど、
 もう無理だと思われたのか、
 気が向いたらまた来てねみたいな感じで了承してくれました。

 幸いにもそんなに縛りがきつい団体では無かったのか、
 そのあと勧誘に来るとかいうことは無かったです
 (まぁ、その後私も別の事情で引っ越ししたので、
  実際はどうだか分からんが)

 その団体自体が良かったかは分かりません。
 別に寝させないで洗脳することも無かったし、
 家に押し掛けることもないし。
 ただ個人的には、金払わせる団体だなぁとは思った。
 強要はされないが、本をいっぱい買えとか、
 教祖の霊力で悩みを解決するのにいくら要るとか、
 そういう話はあったんで
 そこは不快に感じていました。

 そういうフツーの感覚って、けっこう大事だと思います。

 私が思うに、この宗教やばいなという基準としては
 ・話の辻褄が合わない
 ・やたらお金を出せ系の話をしてくる
 (もちろんとはいえ仏教も護寺会費、キリスト教も寄付があり、
  お金がなきゃ団体も維持できないからある程度は仕方ないが、
  お金出さないと救われない、てやっぱりおかしい)
 ・他の宗教やスピ系、治療などの考え方を否定する
 (本当に徳のある宗教者は、他の考え方も素晴らしいなら否定はしない)
 ・戦争とか滅びなど暗い話をして、
  この宗教なら救われるよみたいな方向に話を持っていこうとする
 ・今の人間関係や仕事などを否定する
 …などがあると思います。

 そして大事なのは
 ・家族、友人とか知り合い、信頼できそうな人が入っていてもあてにならない

 知り合いが入ってるから大丈夫、と騙される人って多いように思う。
 でも友人とか知り合いはしょせん他人なので
 自分の幸せは自分でしか分かりません。そこは自分で決めることです。
 その友人や知り合いが騙されてる可能性もあるので
 宗教がらみについては慎重になるべきだと思います。

・というか、個人的な意見としては宗教自体どうかなと思う。
 1つの団体だと考え方が狭まるし、自由度が低い気がする。

 先の教団なんかは、
 教祖の霊力ヒーリングみたいなのをやっていたせいもあってか、
 ほかのヒーリング的なものはやっちゃダメ、という人もいました。
 その教団の考え方なのかその人の解釈なのかは知らんが
 私はその教団でないという理由だけで、信頼していた人を否定されたので腹が立ちました。
 そのへんをあんたらが止める権利あるんか、
 自分の感覚で選ぶもんじゃないのか、と私は思った。

 それから、それぞれの宗教には
 世の中はこうなっているよとか、
 宇宙はこうやって始まった、みたいな神話もある。
 でも物理学だって宇宙の成り立ちは諸説あるのに
 それを1つに決められるのはどうなの、と思う。

 キリスト教や仏教でもそれぞれの世界観がありますけど
 それは教祖が考えた世界観であって、
 個人がそれに従う必要もないんじゃないか、と思う。

 何かの1つの考えに囚われていると
 新しい真実を受け入れにくくなるのではないかと私は思うのですよね。

 私はこれからは、特定の宗教に囚われない生き方の方が
 むしろ大事になってくる気がします。
 世の中の変化が大きいんで、
 あまりに教義にカンカチカンだと対応できない気がします。

 というか、どの宗教でも最終的に目指すものは同じなんだと思う。
 別にスポーツでも科学でもそうだと思うのだが
 人はどう生きるべきか、どうなれば幸せになるのか、など
 どれもそれを考える手段に過ぎない。
 登る頂上は同じだが違うルートを取る、ということなので、
 自分の宗教が優れていてあちらは間違っている、というのは生産的ではないと思う。

 宗教について、そういう風に俯瞰して見る姿勢も大事だと思います。
 個人的には、スピ系の集まりばっかり行ってる人って、ちょっと問題ある人多い(そういうところの講師も…)
 やっぱり現実世界で成功している人の話を聞く方が、
 よっぽど勉強になると思います。

・とはいえ、世の中や自分の生活が苦しくなると
 強い考え方を示してくれる宗教に傾く人が増えるのだろう、と思う。

 平井さんが最後に
 「不満や不安を感じている人を減らすことがこれからの課題」
 と言っていたけど、正にそうです。

 平井さんは最初の方で
 社会の価値観が揺らぐと宗教が台頭する、と指摘していた。
 西田さんも、信者の選民思想を指摘していた。

 つまり生活がうまくいかなくかり、正解が分からない世の中になると
 正解を自分で考えて探すのが嫌になり、
 これが良い、これが悪いと善悪をはっきり示してくれる方が楽だと思ってしまう。
 また、自分が正しくて他は間違っている、と言ってもらう方が気分もいい。

 でも多くの人が二分法的な宗教や思想に傾くと
 その団体が間違った方向に行く可能性が高くなる
 というのは歴史が示している。

 今回の人民寺院事件もだし、
 第二次大戦前にドイツでナチスを支持した人たち、
 太平洋戦争前の日本で軍国主義に傾いていった人たち、
 オウム真理教に入り、地下鉄サリン事件などを起こした人たち、
 イスラム国に入り、テロを起こした人たち、
 独裁的な政治家に投票し、人種差別的な発言を支持している人たち、…

 どの人たちも最初は普通の人たちで
 生活が苦しいとか、生きる目的を無くしているために変化してしまったのだと思う。

 これを防ぐには、
 ・社会の弱者、敗者セーフティネットを作ること
 それと共に、
 ・誰もが状況次第ではそういう危険なものに飛び付く危険がある、と自覚しておくこと
  そこに飲み込まれないよう、一人一人が心できねばならない、つまり教育が大事になる。

 というのは、そういう人が少数なら食い止められるが
 大多数がそっちに流れたときが一番怖いのです。
 が、そこの区別はとても曖昧で、一人一人の集まりが大多数になる、
 だから一人一人が、自分の生き方を自分で考えるようにならねばならないのです。

人民寺院の洗脳のやり方は
 被害を防ぐためという意味で勉強になりました。

 宗教に限らず、パワハラやDVや毒親も虐待も同じだと思うが、手口としては
 相手に暴力や暴言で怖い思いをさせる
 →暴力をふるうのは相手のためだ、相手のせいだと言ってなじる
 →相手に「自分が悪いんだ」と思わせる
 →相手が従ったら「そうだよ。よくわかったね」と優しくする
 →された相手は、従うしかなくなる
 …というやり方なのかなと思います。

 だからそれを防ぐには、
 難しいんだけど、
 「この状況はおかしい」
 と気づくことかなと思います。
 それが出来れば八割がた解決している、
 と言っていいくらい難しい話だけど。

 でも本人が気づくのは難しいので、
 周りも気を付けること。
 暴力など明らかにおかしいということは
 自分の手では止められないにしてもみんなに知らせるとか、
 とにかくオープンにすることかなと思います。
 なかなか難しいのですけどね…

 まぁでもとにかく言いたいのは
 どんな理由があれ、
 誰かが誰かに、暴力暴言や他人を貶めることを言っていい理由はない、と思うべき、
 ということです。

 もしそういう状況になったら、
 「自分が悪い」わけではなく、状況や相手がおかしい、と思うこと。
 誰にでも、助けを求める権利も守られるべき誇りはある、
 そう思う自己肯定感が必要で、
 それを尊重し、育む教育もしていかねばならないのかな、と思う。

…人は元々、
他人より生き延びたい、
他人より優れたいという欲望はある。
でもそれが行きすぎて、特定の人たちを排除して
単一の考え方の人たちだけになって、多様性が失われたら
結局は自分達人類の首を絞めることになると思う。

こういう支配する人たち、
支配されたがる人たちは
人間の心に弱さがある限り
無くなることはないのかもしれないが

なるべく多くの人たちが自立して自分の頭で考えて、
自分を尊重して、他人も尊重して、
対等に話し合える世の中ができるといいなと思いました。


というわけで、長くなりましたが今回はこの辺で。

「尊厳ある介護 「根拠ある介護」が認知症介護を変える」里村佳子

「尊厳ある介護 「根拠ある介護」が認知症介護を変える」里村佳子

最近NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で、
認知症介護のプロフェッショナル特集があり、
過去放送された3人の方々
(大谷るみ子さん、和田行男さん、加藤忠相さん)
の紹介がされていました。

どの方にも共通するのは
認知症の方々と人間どうしの関係を築こうとする姿勢でした。

普通介護する、されるとなると
何となく介護する方が上で、
される方は、申し訳ない、みたいになってしまう。
そして、認知症だからもうなにもできない、とされて
食べるもの、その日の過ごし方などを
全て介護者や家族に勝手に決められてしまう。

でも3人のプロフェッショナルたちは、
認知症の人たちにも感じる心は残っている、
として、心に寄り添っている。
また、やれなくなったこともあるけど、
自分でできることはまだ残っている、として、
自分でやってもらっている。

介護するというより、
人生の最期を一緒に歩ませてもらう、
という姿勢でした。

そして、見ていた私も
誰か身近な人の介護をするときが来るとしたら
そういう姿勢が必要なんだなぁ…
と思ったのだが

一方で、実際そこまで理想的にできるのか、とも私は思ったのです。
テレビなんで、
キレイなストーリーになるところを取ってきてると思うんだけど、
実際の生活は毎日続き、丸く収まるばかりでもない。
十年以上続く場合もあるし…

そんなときに読んだのがこの本です。
筆者はクリスチャンで、
プロテスタント系の社会福祉法人が運営する
高齢者施設の現場に長年携わっている方です。

彼女自身は元々は介護の専門ではなかった
(というか、特に興味があったわけでもない)そうですが、
社会福祉法人の理事長をしていた、知り合いの牧師さんに頼まれて
その法人が運営する高齢者向け施設での相談員となり、
そこから介護の世界に入ったそうです。

彼女はその経験から
認知症の人との関わりかた、
家族はどう対応すべきか、
職員の心構え、
さらに制度自体の問題点など
様々な視点からの提言をされています。

彼女が関わった法人は設立が1998年、
介護保険制度の導入より前から彼女はこの世界に入っていて
「昔は介護の仕事は3Kなどと言われておらず、
 ネガティブなイメージも無かった」
という指摘もあり
彼女の経験の長さを感じ、
それだけに発言の重みを感じました。

また、テレビみたいにキレイに終わる話ばかりでもなく
心を開いたと思った方が、詐欺被害に遭っていたケース、
利用者が自分を認知症と認められず、退所してしまって何もできなかったケース、など
苦い経験も包み隠さず書かれている。
介護は綺麗事ばかりではないと改めて知りました。

でもそれに対して冷静に分析もされていて
実際に介護で今現在困っている方にはとても参考になるのではないか、
とも思いました

この本はウェブサイト「ニュースソクラ」に載せていたコラムをまとめたものだそうで
そのためか読み切り記事風で読みやすいです。
どこから読んでもよいと思います。

印象に残ったところを書いてみます。
認知症とは
 最初に、認知症についての説明と、
 介護において基本的に注意すべきことが書かれています
 ここはまず知っておいてほしい、とありました。
 行動の理由がわかれば、介護者や家族の姿勢も変わるからです。

 認知症とは、基本は脳の障害で起きる病気で
 症状としては
 ・中核症状…記憶力や判断力の低下など、脳の障害に由来する障害
 ・周辺症状…不安、徘徊、幻覚、暴力など病気に伴う症状 がある。

 中核症状は脳の障害で起きるが
 周辺症状は
 ・身体的要因…薬の副作用、発熱、便秘など
 ・心理的要因…不安、孤独、ストレスなど
 ・環境要因…音や光、引っ越し、介護者の交代など
 も大きく影響していて
 これらを改善すると症状が改善することもあるそうです

 他にも
 ・脱水を防ぐとだいぶ変わる
 ・人生の先輩として尊敬し、など行動を否定しない
 ・幼児言葉は使わない
 ・光、温度など生理的な不快さに気を付ける
 これだけでも症状は和らぐことがあるそうです。

 それから何よりも大事なのは
 一人一人、歩んできた人生や性格が違うので
 その人の個性を見極めて、
 「感情に働きかけるケア」をすることだそうです 
 一番いいのは、その人の人生の物語を傾聴すること
 そこから今の感情も見えてくる、と。

○実際のケース
 ここは私が一番印象に残ったところで、何回読んでも考えさせられるケースをメモしておきます。

 ・もの盗られ妄想
  筆者は、娘さんと同居されていた方に、
  「服を娘に盗られるから施設に泊めてほしい」と言われた経験を書いている

  実際は娘さんが本当に盗んでいるわけではなく、この方の妄想です。
  物忘れ妄想はよく聞くけど、
  私は自分が嫌いな人を犯人にするのかなと思っていたが、
  親しい人が被害者になることが多いのだそうです

  この方は施設に入ってもらったが、
  今度は施設の人を疑うようになったそうです
  そこで、スタッフは盗まれた、と言われても否定せずに聞くようにした
  すると、自分の苦労した人生を語り出したそうです

  その後、この方は、他の利用者がトラブルを起こし続け、
  職員が悩んでいる様子を見るようになってから
  「あんたたちに苦労かけちゃいけないね」と、盗られたということは無くなったらしい。
  これは筆者も想定していなかったことだそう

  筆者によると、盗られ妄想は改善はしても続き、
  言わなくなったのは本当に症状が進んだ場合が多いそうです
  そうなるとむしろ盗られたといわれていた頃が懐かしくなる、と書いています。

  もの盗られ妄想がなぜ起きるかはよくわかってないですが
  筆者は
  「人生を肯定できず、やり残した課題があると考える人は
   喪った時や人を盗られたと訴えているのではないか」と分析しています

 …ものとられ妄想、て、なんでそんな恩を仇で返すようなことするんだろう、
  と思っていたんですが、
  何か人生にやり残したものを取り戻したい、という願いの表れだと思うと、
  ちょっと切ない気がしました。

  それから、この方のケースの場合、みんなが悩んでいる様子を見て
  言わなくなったということですが
  やはり認知症の方は、理性があるときと、無くなっちゃうときを行ったり来たりしているだけの話で
  思いやりの心は残っているんだな、と思いました。
  
 ・万引き
  独り暮らしの方で
  お店で万引きをして、お店の人に名前と住所を聞かれると
  嘘をついていた方がいたそうです

  筆者は娘さんに連絡し、
  娘さんは本人と共に医者に見てもらったところ認知症とされ
  筆者の施設の介護サービスを利用するようになる。
  友達ができるようになると落ち着いたそうです

  なぜその人が万引きをしていたのか。
  筆者は分析していたのですが、
  その方は、見た目生活はできるが、判断力が低下していた。
  夫に先立たれた寂しさもあり
  それを買い物で埋めようとしたものの、
  お金がないのと、判断力が低下していたために
  そのまま持って帰ってしまったのではないか、と。

  実際、スタッフが声かけをするようにしたら、万引きは無くなったそうです

  …高齢者の万引きは寂しさから、とニュースで見たことがあります。
   声掛けで防げるとすれば、地域や近所の連携で何とかなりそうに思いました。

 ・血管性認知症
  脳梗塞を患ったあと認知症になり、
  息子さん夫婦が引き取ってお世話していた方がいたそうです。
  その人は見た目後遺症はないものの、感情の起伏が激しくなり
  それについていけない息子さんは、声をあらげるようになったそうです

  しかし筆者によると、血管性の認知症は感情的になることが多いらしい。
  (おそらく、感情をコントロールする脳の部位が障害を受けているため)
  性格が変わったわけではない。
  それを知っていれば息子さんも対応できたかも、と書いています。

  その後その方は、
  幻覚を言ったり、息子の嫁が服を盗むというようになったので
  施設に入ったそうですが
  息子さんが病弱だったこと、嫌な思い出があったのか、
  息子夫婦は1度も来なかったそうです

  筆者は
  「人生最後のステージを自宅で家族と暮らしたいのは自然なとだが、
   在宅で要介護になり家族のサポートが必要になったとき
   これまでの家族との絆を問われるような気がする」
  と書いています

  …うーん、息子さん夫婦の気持ちも分からなくはない。
  けど、何とかできなかったのかなあ、とも思います。切ないですね…
  元気な時に、わだかまりや誤解を解消して
  お互い信頼できる関係を作っておかないと 
  いざという時に嫌になっちゃうかもしれない、と感じました。

 ・レビー小体型認知症
  レビー小体型認知症になり、
  人形を自分の子供だと言って世話していた方がいたそうです
  レビー小体型認知症パーキンソン病と似ていて、
  幻覚、寝ているとき歩き回る、などの症状があるそうです

  スタッフはそれを分かっていたので、
  彼女の幻覚を否定せずに話をよく聞くと、
  子供はいたが、火事で自分だけ生き残った、再婚してもうまくいかなかった、
  などの辛い経験を語ってくれたそうです

  その方はその後、症状が進み、特別養護老人ホームに移ったそうです

  おそらくその方が人形を世話していたのは、
  自分が育てきれなかった、娘さんの育児を果たそうとしていたのかもしれません…
  
  「認知症になり、知的能力が低下すると、
   今まで抑えてきた人生の未解決の問題が
   認知症の行動、心理症状となって現れる場合がある」
  と筆者は分析しています。

 ・嘘を見破った方
  デイサービスに行きたがらず
  行っても家に帰りたがり、死んだはずの母親を心配する男性がいたそうです

  スタッフは心配をかけないために
  電話するふりをして、
  あなたの母親は元気だから心配しないでと言っていた、と伝えた。
  しかしその男性はそれを聞くと、
  母親は死んだのにスタッフは嘘をつく、と怒り出したそうです

  これは別に試されたわけではなく、
  男性は母親がもう亡くなったことを忘れるときもあれば、思い出す時もある、ということみたいです。

  筆者によると、
  「時と場所が分からなくなる見当識障害の人は、
   過去に戻ったり、覚醒したりしながら現在を生きている」

  筆者は、認知症の人は何も分からないから、
  と嘘をつくことは絶対よくない、と言います。
  相手の信用を失うのだ、と。

  この男性も、それ以来心を開かなくなってしまっていたが、
  スタッフが時間をかけ、帰りたいと言う気持ちに寄り添い、話を聞くようにしたら
  少しずつ信頼してくれるようになり
  最後は「ありがとう」と言われたそうです

  …これも考えさせられました。
  認知症の人ってそういう勘違いをすることがある、と聞いたことがあるけど
  嘘はついちゃダメなんですね。
  嘘はつかないように、その人の言葉は否定せずに、気持ちを聞くようにする。
  これができるスタッフさんたち、すごいです…

 ・ものをなくす人
  独り暮らししていたが、ヘルパーが物を盗む、と訴えていた方がいたそうです
  その方は入所が必要と判断され筆者の施設に来たそうですが
  しばらくして、部屋でなくしものをした、と言ってきた

  そこで筆者は一緒になって探し、見つけてあげた
  しかし、見つけられたのは隠した当人だからでしょ、と疑われてしまったそうです

  筆者は当時経験が浅く、盗みの疑いを賭けられてびっくりしたそうですが、
  「自分が無くした物をスタッフが見つけてしまうと、
   自分が置場所を忘れてた、ということを認めてしまうことになる」
  それを否定するために他人を疑うようになるんだ、
  と気づいたそうです

  そのあと筆者は
  自分が見つけても、知らないふりをして
  「そちらを探してください」と誘導し、
   自分で見つけてもらうようにしたそうです。

   その方は娘さんとあまり関係がうまくいっておらず、
  「見つけたかったのは本当は娘さんの愛情だったのかも」
   と筆者は書いています

 ・施設の人間関係のトラブル
  Aさんが自分の描いた絵がない、と訴えてきて、
  Bさんの部屋を見たら、その絵があったというケースがあったそうです

  そこで、Aさんに返しましょう、というスタッフもいたが
  筆者は
  「いえ、もし私の部屋からAさんのものが見つかったら、勝手に返しますか?
   まずはBさんに聞きましょう。
   答えは当事者が持ってるから」と答えたそうです

  Bさんに話を聞くと、
  絵を自分が描いたかのように作品に込めた思いを語り出したそうです。
  その中にAさん名前の作品もあったので、
  「Aさんって書いてますが」と聞くと、
  意外にも素直に返したそうです

  筆者の分析によると
  Bさんは、描いた人の作品が自分より優れている、という妬みのような感情があったが、
  「受容や共感されることで解消されることがある」のではないかとしています

  …これもなんか考えさせられました。
  普通だったらなんで持ってったんですか、とかなっちゃって、
  穏やかに聞けそうにない。
  でもたしかに、Bさんを責めても誰の得にもならないですね。
  Bさんは、自分もあんな絵が描けたらいいのに、という願望が、
  いつの間にか自分が描いた、という感覚になっちゃったのかもしれない、と思った。
  小さい子でも、空を飛びたいという願望が募るうちに
  いつの間にか「私空飛んだの」って言うことがあるけど、それと同じなのかもしれない。
  
 ・いつもにこにこしている人
  しかし、中には「多幸感」といって、
  ずっとにこにこ幸せそうな人もいるそうです
  これは脳の障害の具合によると思うが、
  なぜかは分からないそうです

 ・病気の意味
  また、「なるべく迷惑をかけたくない」と言いながら
  最後は一年病気で苦しみ、亡くなった方もいた

  筆者はやりきれない思いをしたそうですが
  のちに家族から
  「あの一年は必要だった、
   あの一年があったから、母の死を受け入れる準備ができた」
  と言われ救われた、とも言っています

  …死に方は選べないけれど、
  その死に方になったというのは、何か意味がある場合もあるのかもしれない、
  と思います。

 それから、筆者は以下のような意見も述べている
 ・認知症の方でも、飲み物などの希望は聞くべき
  別の施設にいくと、みんな同じ飲み物を飲んでいる所があるそうです。
  職員に話を聞くと、
  「希望を聞いてもはっきり言わないし、みなさん残さずに飲まれるので」と。

  しかし筆者は、
  選ぶ判断力が低下しているので希望を出しにくいだけで
  感情は残っているのだから、選びたいとは思っているはずだ、としている
  3つから選ぶなど、
  希望を出しやすいやり方にすれば選べる、
  希望を聞いてほしいと書いています

 ・ビニールエプロンは本人の意見を尊重すべき
  筆者の施設では、食べ物をこぼしながら食べていたので、
  スタッフが見かねてビニールエプロンを着させたら
  お怒りになった方がいたそうです。

  筆者は、勝手に着せるのは本人の尊厳を損なうことで、
  先に本人に聞いて決めてもらうべきだった、と書いています

  その後、その方は
  訪問者へのご挨拶がとても威厳ある感じで
  (きっとプライドも高いかただったのだろう)
  素晴らしいので挨拶役をお願いするようにしたら
  笑顔が増えたそうです
  「人には誰かの役に立ちたい思いがある、
   その思いが、プライドを維持するには必要」
  と書いています

 ・呼び名は個人名で
  スタッフが「お母さん」と呼び掛けたら
  「私はあんたを生んでない」と険しい顔で答えた方がいたそうです

  そのあとスタッフで話し合い、名前で呼ぶようにしたそうです
  「名前はアイデンティティ」だと筆者は言う。
  お母さん、お父さんでは一人一人の顔は見えない、と。

 ・幼児言葉、怒鳴り付けは尊厳を損なう

 それから、認知症の人との接し方、バリデーションという方法も紹介されていました
 (アメリカの研究者が考えたコミュニケーション)
  ・真正面で目をあわす
  ・相手の言葉を繰り返す
  ・ゆっくりとはっきりした声で
  ・タッチ、非言語のコミュニケーションも大切にする

○家族はどうあるべきか
 次に、家族はどうしたらいいか、についても書かれていました。
 筆者によると、
 ・治療をどこまでするか(胃ろうなど)はきちんと話し合っておく
  家族の意見や体調の変化で意見を変える人もいるので、
  必要に応じて話し合う方が良いみたいです。

 ・親を施設に入れても家族の役割は果たせる
  親を施設に入れることに罪悪感を感じる人は多いそうです
  しかし家での介護は共倒れになるケースがあり、
  そのときはプロを頼ってほしい、と筆者は書いている

  「我々はベストではないかもしれないが、ベターなやり方を提供できる」
  「施設に入所させても、家族の役割は果たせる」
  「家族の関係が終了するわけではない」
  と書いています

  …これも難しいですね。
  特に日本の場合、罪悪感うんぬんよりも、
  親を捨てるのかみたいな見方をする近所の人とか親戚の人が多いですしね…
  もう少し公的サービスを使用することに寛容な世の中になってほしい、と思う。

 ちなみに良い施設の見極め方も書いていました
 ・施設長に会い、理念を聞く
 ・施設見学は昼だけでなく、夜もする(態度が変わることもある)
 ・「サービス提供体制強化加算」が取れているか
  サービスの質が保たれている施設への評価で、取れているところは質が高いことが多いらしい
 ・食事
 ・行事の多さ、外出の機会の多さ
 ・外部の人が出入りしやすい方が質が高いことが多い
 ・清潔か、お花があるか
 ・災害、火災への対策

 それから、要介護認定の上手な受け方、についても書いてありました
 ・本人に普段通りの状態を伝えるように言う(見栄ははらない)
 ・本人が実情と違うことを言うときもあるので、家族が寄り添う
  本人の前で言いにくいならメモを渡してもよい
 ・本人の介護で困ったことは伝えておく
 ・使いたいサービスを伝えておく
 ・生活上で困ったことは、主治医からも伝えてもらう
  調査票に書いてあっても医師の意見書に書いてなければ考慮されないこともある
 ・結果に不満があれば、不服の申し立てもできる(ただし時間がかかる)

○職員の心構え
 筆者はスタッフの人たちに応援するために一章を割いています。
 悩ましい状況にどうすべきか、を書いています

 ・利用者の暴力、セクハラ
  介護職員は、利用者に暴言を吐かれたり、叩かれたり、
  性的なことを言われることもある
  そこに恐怖や不快さを感じることに罪悪感を持つスタッフもいるそうです

  しかし筆者は、介護者にも感情があるので
  負の感情を感じるのは当たり前だ、としている

  もし被害を受けたら、
  ・一人で抱え込まずに、スタッフで共有すること
  ・場面を再現、状況を確認すること
  ・その上で解決策を考えることが大事だそうです

  一人のスタッフで対応しない、
  寂しさからならばその人に声掛けする、などの対応で減ったこともあるそうです

 ・共感しすぎない
  利用者の話を聞き、共感するあまり
  必要な声かけが出来なくなっていたスタッフもいたそうです
  自分の感情を客観視するのが大事だそうです

 ・利用者間の人間関係
  利用者どうしでトラブルが起きたとき、
  単に攻撃する人を止めるのではなく
  その人こそが何か心の問題を抱えている場合があるので
  そこを聞いたりすると落ち着く場合がある

 ・利用者を評価しない

 ・仕事の多さは疲労や事故を生むので、
  定期的に無駄な仕事がないかの棚卸しが必要

 ・防げる介護事故、防げない事故を分けて考える
  防げるものは共有して改善する
  防げなかったものは誠実に対処する

 ・利用者にやれることはやってもらう
  やれることは自分でやってもらうのも、その人の尊厳を守ること。
  「自分がしてあげたいサービスになっていないか」とも書いています。

 ・スタッフ同士の人間関係の問題を利用者に見せない
  先輩が後輩スタッフに注意している様子を見て心配している利用者がいたそうです

  それから、まじめな人ほどつぶれてしまうので、
  ストレスをうまく開放できる方がいいそうです。

○社会のなかでの介護
 筆者は、社会の中の介護職についても意見を述べています
 ・介護職はもっと評価されるべき
  介護職が3Kと言われるようになったのは
  「2006年の介護保険改正法くらいから」だそうです。

  それまでは将来性のある安定した職業とされ、
  給与もそこまで安くはなく、
  介護保険制度が導入される前は、
  地方公務員の給与に準じていたそうです

  変化が起きたのは、2006年の介護保険改正法で地域密着型サービスが創設されて以降。
  地域密着型のサービスを売りにする小規模事務所経営が増えた

  しかしそのあと、2013年に起きたグループホームの火事で
  施設や夜勤者の配置基準が厳しくなったのと、
  さらに、2012年の法改正で介護報酬がマイナス改定となった。

  つまり法人の収入が減り、コストが増えたために
  経営が厳しくなり、人手不足になる小規模経営の所が増えた

  そしてこの頃、
  マスコミも介護職を3Kというようになったそうです。

  しかし実際はそこまでひどくはない、と筆者は言う。
  離職者もいるが、普通の仕事と同じで、自分とあわなかったから、という理由が多いようです。

  介護職は誰でもできるわけではなく、
  対人の仕事なので
  ・身体や心の変化に気づく力、
  ・信頼関係を築くためのコミュニケーション力、
  ・チームワークができる協調性
  などが必要な専門職なのだそうです

  だから筆者は、介護職はもっと専門職として認められるべきだ、と言う。 
  「人の役に立ちたい、という思いで介護職についた適正ある人が
   専門職として社会に認められれば
   後から介護に入ってくる人材が続くはず」と書いています。

 …うーん、これは共感できました。
  介護の仕事ってなり手がいないとみんな困るし、
  誰でもできるわけじゃない。
  もっと尊敬されていいし、もっと地位や給与を上げるべきだと思います。

 ・医療と介護の連携が必要
  それから筆者は、医療保険介護保険が連携できれば
  もっと無駄が減るのではないか、とものべている

  たとえば服薬は無駄が多いらしい
  医者はたくさん薬を出したがるが、認知症の人は忘れてしまうことが多い
  連携できれば、医者に無駄な薬は減らしてもらい
  飲めるよう手助けする在宅サービスの利用を考えることができる。

  他にもこのような無駄が減るのでは、と述べている

 ・災害時の連携
  西日本豪雨のとき、筆者のは自分の施設を
  断水した被害者に利用してもらったそうですが、
  そのとき犠牲者の7割が60歳以上、と聞いて心が痛んだそうです。

  独居老人は情報を入手しにくい上、
  自力て判断できない人が多いので
  行政、地域住民、福祉施設のふだんからの連携が必要で、
  あらかじめ決めておいた人が声掛する仕組みを作っておくべき、と書いています。

 ・世間には、いろんなタイプの介護施設があるそうです。
  終末期介護…最後の看取りのための施設
  小規模多機能型介護…認知症の人も利用できる。宿泊、通いなど、柔軟に対応できる
  ケアハウス…独立できる60歳以上の人が利用できる(認知症の人は入居できない場合がある)

 ・若年性認知症
  筆者は、若年性の認知症の方へのケアがまだ手薄だと指摘しています。
  若年性の認知症は、進行が早いことが多く、
  逆に言えば家族の対応が早ければ対応可能な場合が多い
  しかし、社会からの理解度はまだ低いので、
  恥だ、と考えて受診が遅れてしまうことがある

  仕事のミスなどで発見されることが多いが、
  うつ病などと間違えられたり、
  認知症と言われても信じられない場合もあるのだそう

  更に、若いと介護保険は使えない、という誤解もあるそうです。
  実際は、申請すれば受けられるそうですが、
  さらに問題なのは若い人向けの施設がないこと、だそう
  老人ばかりの利用者で馴染めない。
  ボランティア的に入ってもらう、という試みもあるそうです

  若年性の認知症も増えているそうなので
  (最近なんかは、スマホ認知症とかありますね…)
  若い人向けの施設もできたらいいのに、と思います。

 ・介護離職
  筆者は小室哲哉さんの引退の例を書いていて、
  彼を介護離職と見ています

  彼の場合はともかく、
  普通は介護離職は、結局介護からは逃げられず
  精神、肉体、経済的不安が増えるので、それへの手だては必要だそう
  (新聞などで読んだ著名人の体験談では、
   公的サービスは利用できるし、仕事は辞めない方がいい、と書く人もいました)
  介護職への転職をするのもあり、だそうです。
 
○介護職の醍醐味
 筆者は、この世界に入り、やってよかったと思えたことも書いています。
 ・挨拶だけで喜んでもらえた
  筆者がこの仕事を始めたころ、
  おはようございます、と言われただけで涙ぐんだ方がいたそうです
  家で一人だったので声を掛けられるだけでもうれしい、と。
 
  当時筆者はなれない仕事に追われていたうえ、
  認知症の人が何度も同じことを言うのに疲れていたそうで、
  そのとき介護の仕事の重みと喜びを知った、といいます

 ・馴染めなかった利用者が馴染んでくれた
  元銀行員できっちりした性格の利用者で、
  なかなかデイサービスに馴染めなかった方がいたそうです

  しかし計算が得意だったので、
  ゲームの点数の計算などしてもらうようにしたら
  参加してくれるようになったそうです
  そのあと顔馴染みが増え、来てくれるようになった、と。

  亡くなったあと奥様が
  「仕事一筋で友人もいなかった主人が
   こちらの施設のお陰で豊かな晩年が過ごせた」
  といってくださった、その言葉が今も筆者を支えているそうです

 ・認知症の人にはPCDAサイクルが有効
  筆者は、介護の仕事にやりがいを持たせるためには、
  勘と経験だけではなく、根拠も必要だ、と書いています。
  そうすれば職員によるケアのばらつきも減るし、
  利用者や家族にも説明責任が果たせるからで、
  このとき品質管理などで使われるPCDAサイクルが有効なのだそう

  つまり
  計画…利用者の行動に対して仮説、推測をたて
  評価…仮説を調べ
  行動…実際に利用者に働きかけ
  改善…足らないところは反省する

  根拠があれば混乱せずに対処でき、
  家族などにも説明できる利点があるそうです

 ・過去の輝いていたときに戻る利用者
  見当識障害の方は、人生で輝いていた時に戻る人が多いそうです

  筆者は、それは
  「今の辛い現状からの逃避」ではないかと分析している

  そのときはそれを否定せず、気持ちを受け止めること。
  そして、現在のその人に役割を与えることが大事だそうです
  筆者が接した方も役割を与えたことで、穏やかに最期を過ごされ
  その姿に最期のあるべき姿を見た、と筆者は言っています

 ・幸せな高齢者
  筆者は、90歳以上の方々は幸福感を抱いていることが多い、と最近気づいたそうです

  社会学者のトルンスタムはこのことについて、
  「あるがままを受け入れ、日常の小さなことに幸せを感じて、
   今に感謝する心をもつ「老年的超越」に達することがある」と書いているらしい

  筆者も幸せそうな高齢者には出会うことが多く、その人たちに共通することを以下に挙げている
  ・日々のささやかな出来事に感謝している
  ・不服を言わないので人が集まる
  ・人に依存せず、孤独に強い
  ・一人の時間を楽しめる
  ・何事にもこだらわず、精神的に自由
  ・過去に悔いがない

  筆者は、彼らに見習って、幸福な老齢期を迎えられるようトレーニングしておきたい、
  と書いている

○最後に
 筆者は、尊厳を守るケアとは
 ・嘘をつかない、
 ・ごまかさない
 ・誠実に、
 ・相手に対して敬意をもってケアをすること

 認知症の人たちは何も分からないわけではない。
 感情で記憶しているので、彼らに嘘をついてはいけない。
 嘘をつくことは本人の人格を否定し、信頼を失うことになる

 また、認知症になったからといって幼児に戻るわけではないので、
 幼児語も使うのは失礼だ、としている
 敬意をもって接しないと
 自尊感情が低下し、認知症が進行する、と。

 そして、
 認知症の人だけではなく
 その家族や、
 介護現場で働く人たちの尊厳も守られるケアの実現を夢見て前進していきます、
 と結んでいました。

 ちなみに、本文では筆者がこの世界に入ったきっかけ、
 大学院と施設長の二足の草鞋を履いていたこと、
 階段から落ちて骨折事故を起こしたことなど
 けっこう波乱万丈な経験も書いてあります(詳しくは本書で)
 やわらかい筆致ながら、芯の強い方なのかなと想像してしまいました、、。
 
○感想など
 認知症の方々のいろいろな例、
 読んでいて考えさせられました…

 若い健康な人間の善悪判断で簡単にジャッジできないような、
 その人にとっての真実の世界を生きているのかな、と思いました。

 それはその人の人生の積み重ねの結果であり、
 若輩者が簡単にないがしろにできるものではないのかも、と。

 だから、そんなことしちゃだめ、とか、なんでするの、ととがめる前に
 その人の人生の物語を聞き、
 気持ちや思想を尊重しないといけない、と。

 同時に、私たちも今を生きているのだから、
 その方の行動で不快です、とか怖いです、となるようであれば
 それを伝わるように伝えて、対話できるようにこちらが工夫しないといけないのかな、と。

 彼らは忘れることもあるけど、思いやりの心は失っていないわけで、
 こちらが対話したい、と思えばできるのだと思いました。

 それから、筆者がうまくいかなかった体験談も
 シェアしてくださったのがありがたいです。
 プロでも判断できないこと、相手の気持ちがわからないこともある。
 でも相手を嫌わず、理解しようとする気持ちが大事なのだ、
 と思いました。
 
 育児でもそうなんですけど、
 母親なら赤ちゃんの言うことがわかるか、と言えばそんなことはない。
 でも、相手の気持ちを知りたい、何か助けてあげたい、
 というサインをこちらから送るのが大事で、
 そうすれば気持ちは伝わる。
 それは相手が誰であっても同じだ、と思います。

 勉強になりました。
 というわけで今回はこの辺で。