びぼうぶろぐ。

基本的に自分の備忘録のためですが、同時にどなたかのお役に立てればと思いながら書いています。

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2第11回「老いる」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2第11回「老いる」」

AIの仕組みについて学ぶと共に、人間の本質に迫る番組、
司会はチュートリアルの徳井さんとAI研究者の松尾豊氏。

今回のテーマは「老いる」
技術的な話よりも議論が興味深かったです

○今回のゲスト
 今回のゲストは解剖学者の養老孟司さん。
 シーズンの1の五木寛之さんといい、テーマがテーマなだけに大御所呼びますねぇ…

 養老さんは死について
 「あんまり考えないですね。
  考えてもしょうがないという結論になってきた。
  だって死んだと思ってもまだ生きてる(笑)」

 「論語にもありますよ、
  「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
  まだ生についても知らないのに、どうして死ぬことなんて分かるのか」

 他の二人は反応戸惑い気味?(笑)
 徳井さんは
 「先生は脳がご専門ですけど…」

 養老さん
 「脳から見れば、死ぬとは意識が無くなること。
  でもこれは皆さん毎日やってるでしょう、8時間とか。
  それと変わらない」

 松尾先生は
 「僕は小さいときから死ぬのが怖かったんですが
  意識が無くなるのが怖かった。
  むしろ意識を持って世の中を認識している方が不思議な気もして、
  だから意識が無くなるのが怖かったですね」

 養老さんはこれに対して
 「意識には主体性が無いと思う」と。

 「というのは、意識は出たり引っ込んだりする。
  でも出るのも引っ込むのも体の都合で、
  例えば頭を叩いたら意識が無くなるでしょ、目覚めるのもひとりで…。
  起きた瞬間に(初めて)主体性を持つんだと思う」

 松尾先生
 「でも(我々は)意識を持って動いてる、という感覚はありますよね…」と言いますが

 養老さん
 「それが意識のズルいところというか、誰も触れたがらないところで、
  おそらく自分で自分を動かしてる、てのは一種の錯覚だと思う。
  だってそうでしょ、意識がどうやって出てくるかすら分かんないんだから」と。
 うーん、じゃあ意識を決めるのは肉体の都合なのか?

 徳井さん
 「脳は人工知能と似てるんですかね」

 養老さん
 「人工知能は脳の一部のことをやってるんだと思いますよ」
 とはいえ彼によればAIはあくまで一部で、
 「動物は人工知能的な動きはしない。
  動物は98%以上は遺伝子に従って動いてる。
  まず動物は言葉がない、
  言葉は人間が唯一持つ能力だと思います」

 松尾先生は
 「僕もそれとほぼ同じ意見で、
  最近はディープラーニングの研究が進んで、
  大脳皮質の一部の機能が工学的に実現されるようになってきた、と思っている。
  人の知能の本質が明らかになってきたと思っている」

 逆に言えば、高度なように感じる人間の大脳皮質の方がAIに近くて、
 実は動物的な本能的な、遺伝子に基づく知能の方が複雑で難しいのだろうか。

○介護のノウハウを解析するロボット
 ここで登場したのはAIベンチャー社長の石山洸さん。
 「介護の世界でも、
  AIで解析することでよりよいケアとは何か、が分かってきています」
 介護のノウハウを解析するロボットを作っておられるそうです

 実際はどんな感じか、を見せてくださいました
 徳井さんが老人役、
 ユマニチュードケアマネージャーの金沢小百合さんが介護役です

 金沢さんはマイク付きのゴーグルをかぶり、
 寝転んでる徳井さんをケアする

 徳井さんは
 「僕ら世代はこういうものにお世話になるかもしれないですねぇ」
 と言いながら寝ていると
 金沢さんは至近距離で顔を近づけて
 「大丈夫ですか?
  私をずーっと見ていて下さいね。
  ちょっと起き上がりましょうか」
 といって、徳井さんの背中に、
 老人を介護するようにそっと手を回して起き上がらせる

 徳井さんは老人じゃないので(笑)
 「これはなんなんすか」と聞いてましたが

 石山さんは
 「今まではどんな介護がいいのかの分析が難しかったんですが、
  動画で介護の様子を撮ることで、
  例えば目線のあわせかたなどが解明できるようになった」
 さきほどの金沢さんのやり方を動画で撮影し、解析しているのだそう

 介護はただの動作ではなく
 目線や立ち方、触れかたなど複合的、マルチモーダルな要因があり
 それらの微妙な違いで
 介護する側、される側の負担感覚が変わる

 ディープラーニングで動画を解析することにより
 細かい動作も抽出ができるようになった

 石山さんによると
 ・金沢さんがかけているゴーグルカメラ
 ・頭上に設置してある360度見られるカメラ
 の両方があり、視線の距離、角度なども解析できるそうです

 さらに、
 ・データがタブレットに転送でき、介護者が後から見られる
 つまりフィードバックができる

 ・動画を見ながら熟練者が評価してアドバイスできる
  そのアドバイスを教師データとして他の動画を評価することもできるし、
  アドバイスを介護者が見ることで
  よりよい介護のやり方を効率的に学ぶこともできるのだそう

 ちなみに金沢さんは
 「ユマニチュードケアマネージャー」
 という肩書きですが
 ユマニチュードはフランスで研究されている介護方法

 石山さんによると
 「ユマニチュードは40年かけて確立されてきた。
  それにはアイコンタクトは20センチ以内で、
  などのノウハウもあるんですが
  それを伝承しようとすると
  介護側が実際そこまでできているかを学習しないといけない」

 つまり、自分では20センチだと思っていても、実際は50センチだったりの場合もあるが、
 動画で撮影してAIで解析すればそれも分かる
 AIに適切なやり方を教えてもらえる、とのことです

 ほかにも細かいノウハウはあって、
 例えば血圧を測るとき、
 普通は測る人は手をつかんでそのまま測る
 される方も、血圧測るから、と思ってあまり気にしないが
 認知症の人たちは、脳の機能が低下しているため
 手をつかまれると嫌、怖い、と情動的に反応してしまう。
 介護が上手な人は
 親指をなるべく使わずに手のひらで優しく支えて手を取る、
 など、知らず知らずのうちに情動系が反応しないようなケアができているのだそう

 石山さんは
 「今まではこういうノウハウに対して、
  エビデンスを取るのが難しかったんですが
  今はAIのおかげで、エビデンスベースで介護のやり方が解明されるようになってきた」

 意識もしていないような細かい操作が、
 動画解析により分かるようになった、ということですかね。

 例えば口の周りを拭く、などの何気ない操作について
 新人介護士と達人の動画を比較していましたが、
 新人は、拭くことだけに一生懸命になってしまうが
 ベテランの方のは、
 拭いている間にも、もう片方の手を相手の背中に回して優しくとんとんしてたり
 拭きながらも相手に目を近づけて話しかけたりなど
 様々な動作を同時進行で行っていました

 (ユマニチュードは、
  昔NHKBSでやってた「シリー ズ医療革命」の認知症の話でも紹介されていました。

  ユマニチュードは、フランスのイヴ・ジネストさんが提唱されたもので
  その人の人間性を尊重するのが基本理念だそうです

  具体的にどうするかというと、ポイントは4つあり
  ・見つめる
   目線を合わせ、真正面からその人を見つめる
   認知症の型は視野が狭いので、視界の中に入るようにす ると不安がなくなる

  ・話しかける
   介護されているとき、黙っていると怖いらしい。
   あと、認知症の方は、何をされているか説明されてもすぐ忘れてしまうので、
   実況中継みたいに伝えてあげると不安が減るそうです

  ・触れる
   介助などするとき、つい手首をつかんでしまい ますが、
   これは恐怖を感じるそうです
   相手の力を生かすようにするといいそうです

  ・寝たきりにしない
   これが一番ビックリでしたが、
   寝たきりになった人でも少しずつ練習すれば歩けるようになるらしい)

○人間関係のノウハウにも生かせる
 養老さん
 「これは介護だけじゃなくて人間関係ですね」
 介護だけではなく人間関係全般のノウハウに活用できるのでは、
 と指摘していましたが

 石山さんも
 「おっしゃる通りで、介護はコミュニケーションの一部なので
  色んな分野に活用できると思っています。
  例えば営業の方の成績が良くなるなど…」

 養老さんは
 「なんでもビジネスですか」(笑)
 と言ってましたが
 徳井さんは
 「まぁでも、この人実力あるのになんか人に不快感与えるなぁ、て人いますけど
  そういうときにはいいかもしれないですね」

 全然関係ない話なんですが、先日バラエティで
 「ナンバーワンホストとそうでないホストは何が違うか」をやっていたのを思い出しました。
 (大久保佳代子さんがホスト全員とおしゃべりして検証していました)
 見てたらやっぱり売り上げ5位以内の人は何か雰囲気とかトークが違う、お客さんをリラックスさせるものがあるなぁと思うのだが、
 具体的に何がいいかは漠然としている。
 ああいう商売って一番お客さんのの本能というか、感情的な評価と結び付いてて、
 実力差がリアルに出ると思うんだけど、
 そういう違いもAIなら分析するんかなぁ、と思ってしまった。

 まぁそういうエンタメ的なものはともかくとして、
 (といってもその道を真剣に究める人もいるけど)

 発達障害の方とか、
 なんか人にずれてると言われちゃう、
 と悩んでしまうような方にとってはコミュニケーションは真剣な問題で、
 ノウハウの蓄積で社会的にどう振る舞ったらいいかを学べるのはいいかもしれないですね。

認知症の方の会話を解析する研究
 次はカナダ、トロントベクターインスティチュートという会社の取材VTR。
 研究員のフランク・ル・ディッチさんがインタビューに答えていました
 彼は会話が不自由な人の脳を
 AIで解析する研究をしているそうです

 「今は認知症による機能低下の研究に力を入れています」

 彼が対象とするのは言葉で、
 話し方や発話の内容から、その人の脳の状態を知ることができるそうです

 具体的には、
 ルドヴィッグ、という会話ロボットに対して
 認知症の方々に対話してもらい、その様子を解析する

 彼によると
 「1日だけではなく、数日間観察してその人を追跡する」

 というのは、
 追跡することでその人の変化が分かるそうです
 例えば急に語彙が減ってきたら記憶機能の低下が疑われる、など

 ただ、人により元々持つ語彙の量は違うので、
 個別に追跡することが大事なのだそう。

 また、お医者さんの前だと緊張してしまう人もいるが
 彼らの測定装置は家でくつろぎながら5分程度使うだけで良く、
 より普段の状態を見られる、と話していました

 5分くらい、てのがいいなと思いました。ずーっとだと監視されてる気分になりますし。

○介護現場のロボット
 最近、介護現場ではAIが使われているそうです

 会話ロボット、体操ロボットなど
 介護される人の生活支援のほか、

 モノの認識、着衣の介助、ドアをあけるなど
 介護者の補助をするロボットも出てきたのだとか

 松尾先生は
 「先日僕も、介護施設に体操ロボットが使われているのを見学しました」
 楽しそうに使われていたのだそう
 養老さんは
 「僕はああいう体操嫌いだけどね」だそうですが(笑)

 徳井さんは
 「会話ロボットの精度はどれくらいなんですか」
 松尾先生
 「目的のタスクをする会話ロボットの精度はまだまだですが、
  雑談くらいの楽しむ程度なら
  使い方によっては楽しく使えると思います」

 養老さんは
 「僕はああいうロボットから話しかけられたら
  話してやるもんかと思ってしまう」
 松尾先生
 「でも先生の好きな昆虫の話などされたら話しちゃうんじゃないですか」(笑)
 徳井さん
 「なんとかこう、先生をこちらの世界に引き込もうと、AIも頑張るんですかね(笑)」

 養老さんは
 「AIは中立化していくことですよね、
  人間性をどんどん排除していくことでどこまでやれるか、ということですよね。
  そういうものを人間的にやろうとしていることに、私は悩む」と話していました

 「つまり、介護はマイナスと考えられがちですよね、
  でも人は介護することで学び、成熟していくという考え方もある。
  でもそういう考え方は人気がなくて、
  そこをAIにカバーさせようとなるのが普通ですよね」

 シーズン1のゲスト、五木寛之さんも
 AIに任せすぎていいのか、みたいな話をしていました。

 番組ではちょろっとしか紹介されてなかったので、もう少し補足しておくと

 まず会話ロボットについては、
 五木寛之さんはそもそも会話 ロボットが必要なのか?と。
 「人間が老いて、孤独に徹し て何がおかしいのか、と思う」
 「例えば神との対話を孤独の中で繰り返す人もいる。
  AIはそこには絶対追い付け ないと思う」と。

 また、AIで歩行時の危険予測をすることについては
 五木さんは
  「(転ぶことを防ぐとき)人間には学習能力があるから気を付けようと思う、
   そこを人間が気を付けなくなったら、どうなっちゃうんだろう…」と話していて
 松尾先生が
 「じゃあ気を抜いていたら転びそうな機能、とかも必要なんですかね」
 と応じると
 五木さんは
 「そこまでプランニングさ れるのもどうかな…
  そこまでお世話にはなりたくないですね」(笑)と。

 先回りしてお年寄りを助けすぎるのも、人によっては余計なお節介になるのかな。

 そう言えば最近たまたま新聞の投稿を読んでたら
 「年寄りは、少しでも返事しなかったら耳が遠くなったのかと聞かれ、
  眼鏡をかけたら目が悪くなったのかと言われ、…
  なんだか疲れる」
 なんでもかんでもボケてるんじゃないかとか、年寄り扱いされて疲れるという趣旨の話がありました。
 サービスもいいんですけど、
 お年を召して多少不自由でも自分でやりたい人もいるし、
 選べるといいのかもしれないですね。

 それから養老さんがおっしゃっていた
 「介護する側が学ぶこともある」という話について。
 うーん、これに関しては子育ても似たようなものだと思うが
 たしかにお世話する側は忍耐力とか哲学的なこととか、学ぶことはあるのだが、
 介護する側がみんなそう思えたら理想だろうなという話であって、
 現実はそんなに綺麗事でもないと思いました。

 苦痛だらけな人も少なくないんじゃないですかね。
 特に介護は子育てと違って、出口が見えない所があるからより大変だろう。
 でなきゃこんなに色々事件は起きないと思う。
 そこはロボットに代わりにやってもらうのはアリかなぁと個人的には思います。

 多分人間には感情や期待があるから、
 なんでもできた親が衰えていくのを見るのは辛いし、
 なんでこんなこともできないの、とイライラしてしまう。
 それを感じるのも、老いや死と向き合う意味では大事かもしれないが
 必要以上に精神的に追い込まれたり、身体の疲れを溜め込む必要もないと思う。
 私も子供の人生煩わすより、感情のないAIに世話してもらう方がいいかなぁ。

 てなわけで介護AI普及して欲しいなと真剣に考えてます(笑)

○どこまでがAIでどこまでが自分なのか
 徳井さん
 「将来的に、意識だけ人間で、
  体を動かすのは機械やサイボーグみたいになるんですかね」

 養老さんは
 「それは大分前から言われてますよね。
  神経障害の人とかは既にそういうことをやってる。
  でも僕はそういう立場ではなくて、
  あんまり素直に受け取ってないんですよね。
  それで助かるケースはあるんだろうけど」

 徳井さん
 「先生が素直に受け取ってない、てのはどういうことですか」

 養老さん
 「どこまで自然のままがいいかが難しいですよね、
  倫理観だけではなくて、実用的にも」

 例えば車椅子は、使う人も使わない人もいるが
 「その人が使うか使わないかで生涯が変わってくる。
  訓練したい人は使わないけど、
  生活が楽になるなと思う人は使う。
  そこの見極めは難しい…
  それはその人の考え方、その人の人生になる」

 徳井さん
 「選択肢は増えていくんでしょうけどね」

 養老さん
 「そうすると、自分とは何かに関係してくる。
  どこまでAIに置き換えられて、どこまでが自分か…」

○蒸留の概念
 松尾先生は
 「AIを自分に置き換える、という観点で技術的に解説したいと思います」

 今回説明してくださったのは
 「蒸留」という概念。
 (2015年のジェフリー・ヒントンさんの論文(https://arxiv.org/abs/1503.02531)にあるそうです
 関係ないけどヒントンさんって、たしかディープラーニングの開祖みたいな方ですよね?
 未だにバリバリ一線でやっておられるのがスゴいですね)

 松尾先生によると、
 例えばニューラルネットワークを作り、
 猫の画像を学習させる
 学習を重ねて重み付けを変え、ネットワークが完成した、となったとき

 このネットワークを教師データとして
 別のネットワーク(生徒ネットワーク)に学習させる

 すると生徒ネットワークは
 教師ネットワークとほぼ同じ精度なのに
 より小さいネットワークにすることができるんだそうです

 「これを本来の脳の大きさとすると
  余った場所で他のことも学習できる。
  さらにこの生徒ネットワークで次の生徒に学習させていけば、
  もっとコンパクトにできる。
  これをどんどん続けていけば、
  脳の中にうまく概念がまとめられる仕組みが出来てくる」

  このように、教師から生徒へと学習を伝えていくことで
  ネットワークがコンパクトになり、パフォーマンスが上がることを蒸留というらしい

 養老さんは
 「いわゆる抽象化ですよね」

 養老さんは大学で教えているが
 「学生はどうやったら勉強しないで済むかを学習しているなぁと思う(笑)、
  彼らは実に見事ですよ」

 「例えば水にインクを垂らして、分子拡散を教えようとしていたんですけど、
  それを見て学生が言ったのは
  「そういうもんだと思ってました」(笑)
  見事ですよね。そういうもんだと考えればそれ以上考えなくなる。
  人間は逃げ道を見つけようとする、楽をして回避しようとする。
  それは生き物はみんなそう」

 松尾先生は
 「たぶんさっきの話もそれと同じで、
  教師ネットワークは余計なことも学んじゃってるんですよね。
  でも(生徒は)それによって先生が見つけなかったことを見つけることもある」

 養老さん
 「人の社会の進歩に近い。
  教育がその前提ですよね、
  過去のことを教えることで新しいことを考えるであろう、と。
  もちろん疑うことも大事だけど」

 生き物は抽象化により、必要な情報だけを取り出している。
 情報の洪水から生き延びるための知恵なんでしょうか。
 ただ人間は抽象化だけではなく、逆(抽象的なものから具体的なものを想像する)ができる特徴があって、
 その最たるものが言語なのかなと思います。

○人を変えるか、AIを作るか
 徳井さんは
 「人間の脳とAIはどんな関係になってくるんでしょう」
 養老さん
 「お互い補完し合うのが健全な関係だと思います。
  計算なんかそうですよね、人間の能力は限られている。
  だからAIに計算を任せる、という考え方もある。
  でもそうなったときぶつかるのは
  人を変えるということと、機械を作るということ」

 「今は人はいじれるんです、遺伝子を変えることによって。
  これと競争になる。
  それは車椅子と同じで、
  AIを便利にするか、人間を変えるかということ」

 松尾先生は
 「それは色んな問題をはらんでますね」

 養老さんは
 「でももう突っ込んでますよね」
 「僕は発生学をやってたから若いときにそう思ってた。
  そのうち人も変えられると。
  ただこれほどまで早く動くとは思っていなかったけど」

 人間を改変するか、機械を作るか。
 シーズン1では、ロボットスーツ、ハルの開発者の山海さんが
 「人間はテクノロジーを身に付けることにより、生物学的な進化を捨てた生き物」
 と表現していました

 人間は、自分達で生物学的に進化(変化)する代わりに
 脳の足りない部分をIT技術で補い、
 ロボット技術で物理空間も利用するようになった、と。

 そして、今後は、人間とロボットと情報系とが融合、複合した新しい進化の段階に入るのではないか、とも話していました。

 つまり自分より機械の方を進化させてきたが、
 今後は、機械の進化と人間の改変を両方やっていく、と。

 シーズン1の番外編でのカーツワイルさんなんかはもっと極端で、
 「人間はAIと融合し、人間の99%がAIに置き換わり、永遠の命を手に入れる」
 みたいなことをおっしゃっていましたが
 人間の改編とAIの進化の両者は、
 養老さんのおっしゃるようににぶつかるのではなく、むしろ融合していくのか…

 一方松尾先生は
 「極端な話、人の幸せは脳内の報酬物質だと言いますよね」
 「そうなると、脳内に報酬物質が多い人が幸福だとなる。
  でもこれを突き詰めていったらどうなるんだろうと…」

 養老さん「麻薬中毒ですね」
 松尾先生
 「今まではそういう物質は、副作用が大きいから問題になっていた。
  でも例えば脳の研究が進んで、
  副作用がなくて仕事にやる気を出せるような薬がでてきたら、
  本人は楽しくて仕方ないし、周りの人も働いてくれると嬉しいとなってなにも問題はない。
  でもこれでいいのかなと…」

 うーん、これはなんでも科学で割りきることの問題をはらむと思うが、
 そもそも前提として、幸せの要素とは快楽物質のような物質だけと言い切っていいのか?とも思う。

 例えば薬で仕事できてハッピーだとしても、
 それじゃ絶対体もプライベートも持たない、その時点で幸せじゃない気がする。

 マルクス・ガブリエルさんじゃないけど、幸せや愛情などは、科学的なものだけに還元されるもんではないような気がする。
 だからこそ、うつ病患者も薬だけでは治らないし、
 麻薬みたいなものでハイになっても、生活のバランスが取れなくなる問題も起きるのではないだろうか。

○人間はAIだ
 松尾先生は
 「語弊があるかもしれないですが、僕は人間はAIだ、と思っているんです」

 「人間は動物だ、と言いますけど
  それは動物のなかの特殊な例が人間、という考え方ですよね。
  AIの定義も「ありうべき知能の形」とすれば
  AIの中の領域の一部が人間型の知能、とも言える」

 「今までは人間とAIは対立的に考えられていたが
  AIの1つが人間だといってもいい、
  と僕は最近思います」

 養老さんも
 「知能は色んなものを含んでいて、全てが分かっているわけではない。
  そのなかにAIの知能、人間の知能、どれでもないものがある
  案外それはちゃんと意識されていないでしょうね」

 松尾先生のおっしゃることは私も最近思うことで、
 AIが人間を乗っとる、とか、あんまり対立モードにしなくてもいいのかなと思う。
 どちらもユニークな知性の1つで、
 両方インスパイアしあって面白いものを生んでいけばいい。

 というか、「機械カニバリズム」という本にもあったけど
 機械や道具の知性と人間の知性が互いに影響しあう、
 というのは今までにもあったんじゃないかなと思う。
 人間の文化にあわせて道具が作られるだけじゃなくて、
 道具が人間の文化に影響を与える
 (例えば今のSNS文化、AIソフトから囲碁や将棋の新しい型が生まれたことなんかはその例でしょう)

 今の機械学習の進歩から、新しい文化や科学的な法則も生まれるのかな。

○感覚の世界から離れる人間
 養老さんは人間の知性について興味深い話をしていました
 「例えば僕らはイコール(=)、て何気なく使いますけど、動物には多分それはできない。
  典型的なものが「a=bならb=aだ」というもので、
  これは僕らは当たり前に思えるけど、感覚中心の動物の世界から見たら違う。
  これは古代の中国でも分かっていたんですね」

 養老さんは中国の「朝三暮四」の故事の話をしていました

 かいつまんでいうと、
 宗?の国の人がサルを飼っていて、
 サルに栃の実を餌にあげようということになり、
 サルに「朝に3個、夕方に4個やる」と言った。
 そしたらサルは嫌だと言ったので
 「じゃあ朝に4個、夕方に3個にしよう」と言ったら納得した、というもの。

 「人間なら7個で一緒じゃないかとなるが、
  サルは先にたくさん利益がある方がいいとなる。
  先見の明の無さを言ったんですね」

 「そこ(どっちも7個)が綺麗に納得されるのは中学生あたりの段階なんですね。
  でもこれが引っ掛かる子もいて、
  そういう子は方程式が解けない」と。
 なぜかというと
 x=3、の段階で
 Xは記号、3は数字なのになんで同じにしちゃうんだよ、と思ってしまうらしい
 「a=b、も、それなら明日からbという記号は要らないじゃないか、という話になる」

 徳井さん
 「なるほど、その子はずっとa=aであって欲しいんですね」

 養老さん
 「そういう子は、感覚性を残しているんだと僕は思っている。
  でも普通はその感覚の世界から人は離陸してしまう。
  その最終段階が中学くらいなんですね。
  それができないのが動物性を残す、ということ」

 感覚を残す、ということについては、
 養老さんによれば
 奥さんが髪型を変えたとき、
 子供は気づくが旦那は気づかない、というのも同じだそうで
 「夫は髪型を変えても同じ妻じゃないか、と思ってしまう。
  でも子供はまだ感覚を残しているから、違う人だとなる」

 徳井さん
 「それは奥さんに興味がないのとは違うんですよね」
 養老さん「違います」

 松尾先生
 「奥さんが髪の毛を切っても同じだという話と、
  さきほどのa=bのaとbが同じだ、という話はつながっているんですか」

 養老さん
 「ちょっと違いますね。  
  でも少なくとも、a=bをイコールにするときは、
  感覚を下に置くことに納得しないといけない。
  それができないと読解力がない、読解力が無いとのびなくなる、というけど、
  でも読解力がないのはいけない訳じゃないと思う。
  というのは別の問題と結び付くからです」

 「引っ掛かる、というのは、分かりたくない、分かってやるもんかという思いがある。
  それは理屈じゃない。
  理屈じゃない、てのは倫理と結び付いているんですよね。
  倫理はそんなことは出来ない、江戸っ子風に言うと、そんな汚いこと出来ねぇ、というやつですよね。
  ある意味それは感覚なんです、理屈じゃない。
  これが人間なんです。
  それを素直に通ってしまう子は、
  悪く言えばなんでもありとなってしまう、それはある意味非常に危ない」

 ふーむ。
 先日読んだマルクス・ガブリエルさんの本で
 「科学的な世界観は、世界から意味を切り離してしまう」
 と書いてありましたが、
 その意味が、養老さんの話で何となくストンと来ました。

 科学的な世界観では、
 「a」は「b」と同じだと見なす。
 それは多分、
 「a」や「b」という記号の概念から、見る人が受けている感覚を切り離すこと、
 つまり「a」という文字に
その人が与えている意味を切り離してしまうこと。

 でもそうやって概念と意味を切り離すことにも利点があって、
 切り離すことで世界を単純化、抽象化でき、
 その結果、実用的な計算とか処理がしやすくなる。
 こうして科学の発明がたくさん生まれ、我々は便利になった。

 でもそうやって意味を切り離すことで起きる弊害というのもあって、

 それは、科学的に説明されるものは、
 (感覚的になんか変だなと思っても)
 なんでも実現できるはず、
 みたいな考え方で、

 それが行き着くと
 金儲け、効率化できればいい、という資本主義になったり
 ゲノム編集で望み通りのベビー作っちゃおうとか、
 優生学的な考え方で「優れた」遺伝子のみを残そう、
 みたいな話になってくるのかなと。

 (ただ、(以下はAIとは関係ない話になりますが)
  養老さんの話では、その「a」という記号から受けとる意味は、
  その人の感覚、本能的、感情的なもの、理屈じゃないものに根差している、
  としているのに対して、
  ガブリエルさんは、意味は「a」に元々備わっている客観的な性質だ、
  受けとる人はそれを見つけるだけだ、としている。

  個人的には、何かから受けとる感覚って、
  やっぱりその人の過去の経験とか、そのときの環境や体の状態に左右されるし、
  養老さんの説明の方がしっくりくるのだが、

  多分ガブリエルさんは、意味をその人の本能とか感情に根差したものとしてしまうと
  「それはお前の思い込み、こだわりに過ぎないだろ」
  と片付けられ、軽視されてしまう恐れがあり、そうなると議論もできない。
  それを避ける意図があるのかなと思う)

 まぁでもそこまで極端な話にならなくても
 「なんでa=bなの」っていう見方も大事かもしれない。
 エジソンも「なんで1+1=2
なの」って言ってたらしいし、
 そういう別のものの見方は、新しい発見につながる可能性があるのかも。

 理屈じゃねぇんだ、というような感覚は、
 多分生物とか人間の本能に近い知性で、
 多分それはAI的なアプローチではいつまでも実現できなくて、
 (相似的にはできるかもしれないが)
 でもそれでもいいのかもしれないな、と思います。

 そういう人間ならではの知性と、
 AIで効率化できる知性と両方があるからこそ、
 何か面白いものができるのではないかという気もします。

○最後に
 松尾先生は、
 「我々は…たぶんロボットに介護されるんですかね…」
 徳井さんも
 「そう…ですね、そうかもしれないですね。
  期待しましょう」
という話で終わっていました

○感想など
・今回はあまり触れられていなかったですが
高齢者の生活支援的なロボット
(会話するとか体操など)
は、
高齢者自身が開発に加われたらいいのかなと思います。

五木寛之さんみたいに会話は要らない、
哲学的な話をしたい、という人もいるし
養老さんみたいに体操要らない、という人もいる。

なんかな、いままで高齢者、特に認知症の人たちって、
赤ちゃん扱いされているような気がするのよね…

高齢者でも子供のお遊戯みたいな体操じゃなく、
もっとお洒落でカッコいいダンスをしたい人もいるかもしれないし
もっと知的な会話をしたい人もいるし
若い人と流行のものを一緒に楽しみたい人もいると思う。

彼ら自身が使って納得できる、
カッコいいと思えるようなものができたらいいのになと思います。

・サイボーグと人間の境目とは、の話も興味深かったです。
既にチップを体に埋め込んでいる若い人もいるし
埋め込み型の拡張技術が出てくる可能性はある。

今の我々はまだ抵抗あるけど、
別にいいじゃんという人たちも出てくるんかなぁ。

個人的には生活の便利のためならいいけど、
不老不死を実現するためだけなら要らないかなぁと思う。
(そこそこ長生きはしたいが、
いつまでも生きていたいとは思ってないので)

・最後の「a=bが納得できない」という話も面白いなと思いました。
そう言えば「おもひでぽろぽろ」という映画だったかな、
主人公が
「分数の割り算は、
 なんで分子と分母をひっくり返して掛けなきゃいけないの」
て質問してたけど
分からん、と行き詰まってしまう子供の発想から
はっとさせられることも多いよなと改めて感じました。

色々考えさせられました。
というわけで今回はこの辺で。

無駄があってこそ、人間。

最近、なんか感動すること減ったなぁ…と感じていた今日この頃。
今回はこのことについて書いてみようと思います

最近、何見ても冷めてる自分がいるんですよね。

いや、昔から冷めてる人間とは言われていたが
それでもそれなりに何かに夢中になったりすることはあったのです。

でも最近は
「もうこれ知らなくてもええわ…」
と思っちゃう時もあって。
仕事少し始めてから、
時間的体力的に余裕がないのもあるのだが、
でもなんかそれだけじゃないのよね。

一応ネットで調べてみると
感動が薄いのは
他人の目を気にするからとか
弱みを見せたくない、
感情を出すのを恐れている、
という抑圧的な性格の方が多いとか…

でも私は別にいまさら人目を気にする年齢でもないので
感情を出すこと自体に抵抗はないのよね。
しかし、そもそも心が動かされないというか。

それからほかには
「どうせ○○でしょ」という決めつけがあるとか
考えが凝り固まっているとか、
脳の老化だ、とか…

うーん、でも自分は好奇心はまだあるので
老化ではない、
少なくとも、そうは思いたくないんだよなぁ。

そこでふと思ったのが
「これってコスパ重視のなれの果て?」

なんかな、よくよく考えてみると、
最近本も映画もテレビも見るかどうかを、
「これは何かの役に立つか」
で決めている自分がいるような。

例えば本では、昔は小説も漫画もたまに読んでいたのだが
最近は
「架空の人物の話読んでもねぇ…」
と思ってしまい、選ぶのは人物伝か実用書ばかり。
いや、実在の人物の人生の方が面白い、ためになる、
というのもあるのですけど。

そう言えば映画とかアニメも見なくなってきて、
そもそも2時間も3時間も座ってると寝てしまうというのもあるが(笑)
なんか虚構の世界なんか見るの無駄だなぁ、
と思ってしまうのよね…

テレビ番組でも
「グレートネイチャー」とか
「世界で一番美しい瞬間」
みたいな映像系のダラダラ見る系の番組
(私はNHKの回し者ではないが、
 このへんは昔からNHKがダントツで良い)
昔はたまーにぼーっと見てたけど
最近は「長い」「これ見ても何の役に立つの…」
とかって切り捨ててるなぁ、と。

何だろ、あんまりダラダラ見る時間が無くなってきたので
中身の濃いもの、知識ものを選ぶ傾向にあるのかなぁ。

思えば3年ほど前、
経済学に感銘を受け、
サンクコスト効果などの言葉を聞き
(二度と返ってこない時間や手間、
 それを惜しんでもしょうがない、という考え方)
経済学でいう効率重視、
なるべく無駄のないお金や時間の使い方を心がけて来たのかもしれない。

でもなんかそういう思考だけでテレビとか本とか選んでるせいか、
心が動かされるものが減ってきている気が…

最近読んでいたマルクス・ガブリエルさんの本では
合理主義、科学至上主義は世界から意味を切り捨ててしまう、
とありました。

それから年末年始の特番いくつかでも
コスパ重視ってどうよ」とか
「機械化で切り捨てられる価値」
の議論がされていたけど、

人間の行動も合理主義を突き詰めていくと
感動すること、
無駄な行動から生まれるひょんな思い付き、
偶然訪れる何かや誰かとの出会い、
などを見逃してしまうのかもしれないな、
と今回リアルに感じました。

そもそも感動とか夢中になる、とはどういうことなんだろう。
思い付きとは何か、
偶然の出会いとは何か。

生物学的に考えれば
感動するとは、
何かの対象から悲しいとか嬉しいとかの刺激を得て、
神経活動が活発になること、

夢中になるとは、何かをすることで報酬系が活性化され、
快楽物質が分泌されて、よりやりたくなること。

だからこれをAIにプログラムしようとすれば、
何かを見る→泣く行動を起こす、
というプログラムや
何かをする→報酬を与える→更に続ける
というプログラムを組めば良いのだろうけれど、

でもそれだけでは人間の行動は説明できない気がする。

何かに心を動かされてぐわーってなるときの心の動きは
単なる電気信号では片付けられない気がする。

そもそも、科学的にだって説明しきれてない。
例えば最初の出発点として
その条件を誰が決めるのか、
Aを見ても感動しないけどBは感動する、と誰が(何が)決めるのか、
同じ条件でもCさんは感動するのにDさんは感動しないのはなぜか、
などの問題が出てくる。

昔脳研究する医学者が
意識について研究すればするほど、
神経の電気反応だけでは心の動きをどうしても説明できない、と感じる、
先に「意識」というものが存在するように思えてならない、
と本に書いていたが

電気信号では捉えきれない、心の動きを作り出すものは何なんだろう。

AI研究の本には、人間の特徴として
「人間はストーリーを考える」
「人間は体験やそれまでの知識も総動員して総合的に考える」
と言っている。
人類学の本「サピエンス全史」には
「人間は想像力により生き残ってきた」と言っている。

とすると、
今までの体験、経験、知識を総動員して、
それらを結びつけて、
想像力で何らかのストーリーを紡いでいくのが人間で、
それはデジタルな電気信号ではなく、
アナログ的にうつろい行くものなのか。

最近読んだガブリエルさんの本では
そういうデジタルでは捉えきれないものを「意味の場」と言っている。

それは物事に付随する無数の性質で、
人々は事物に接するとき、そこから1つあるいはいくつかの意味の場を見い出す。
そうして人は、意味の場を見いだしたり意味の場どうしの関係を作ったりしながら、
生きる意味や世界について知ろうとしている、と書いていました

それらの説から考えてみると
人間は何かにつけ、
意味とか意義とかストーリーを見つけ出し、
自分ってなんだ、世界ってなんだという問いへの答えを作りたがる生き物で、
それは人間だけが大脳が大きくなったから、ごちゃごちゃ考え始めたのかもしれないが、
多分人間にとっては生きる本能に近いもので、
だからこそ、意味を見いだせる余裕とか隙間とか遊びが
根源的に必要な生き物なのかもしれないな、と思いました。

効率主義だけで生きてたら、
誰しも廃人になっちゃうのかもしれないですね…

効率性を高くするためだけに働いてたら、
なんだか機械人間みたいな気分になって、
自分の代わりはいくらでもいそうに思ってしまう。
だからこそ仕事も、
在宅ワークでもいいのに直接の人のやり取りが必要で、
雑談なんかもすることで閃きがあったりするのかもしれない。

日常でもルーティンどおりの生活してたら、
楽ではあるかもしれないが
やがて飽きて、自分は何のために生きてるの?となりそうだ。

たまにはお金や時間を無駄遣いしても良いのかなぁ。
(もちろん、毎日やってたら破産しますが(笑))
無駄を楽しんで生きるのが、
豊かな人生につながるのかもしれないな、
と思いました。


さてそんなわけで、
私休みの日(子供は学校)の日に
あえて無駄な行動ばかりをしてみたのですが、

例えば普段乗らない電車にのり
普段行かない所に行き、
普段買わないランチを買って、
公園でのんびり食べたり、
普段絶対買わない本を買ってみたり…

しかしながら、
結論としては別に何を得たわけではなく
というかむしろ買ってみたランチは値段のわりにイマイチだし、
家に帰ってみたら、
いつも外出するじーさんばーさんが家にいて、テレビの音も大きくてイライラしたり(笑)
買った本はアマゾンの書評では評価低いし…

やっぱり無駄なことしたかなー、と思いつつ、
何気なく買った本を読んでいたのですけど、。

後書きの最後の方で、
「筆者はこの本の原稿を書き終えたあと永眠された」
と何気なく書いてあり、

えっ??

なんだか啓示的で、驚いてしまいました。

本自体は豆知識的な内容で
軽く読める本ではあったのだけど
筆者さんは自分の人生の時間を割いて書いているわけで、
筆者と私との関係においては
私がこの日手に取ったことは無駄でも何でもなく
とても意味あることだったのかもしれないな、と感じました。

無駄、余裕、遊びがあってこその人間なんですね…
もっと生活を味わおう。
予想外、予定外、間を楽しむことが豊かな人生なのかな…
と思いました。

これに関しては、マルクス・ガブリエルさんが紹介されていた
フェルナンド・ペソアさんという方の
「すきまの王さま」という詩が味わい深いので
長いんですけど書いておきます。

「すきまの王さま
 
 あるみしらぬ王さまがいた。
 いつだかしらないし
 いつでもなかったのかもしれないけれど、
 いたのだけはほんとう。

 王さまのくにはふしぎなすきまのくに。
 王さまは物ともののあいだを治めてた。
 あいだにあるのはみんなの一部。
 王さまのくにはあいだにある。
 目覚めとねむりの、
 沈黙とおしゃべりの、
 みんなとじぶんのあいだに。
 
 いつとかどことか考えたって
 あの風変わりな王さまは
 ものをいわない不思議なくにには
 近寄らせてなんかくれない。
 王さまはみとめてくれる、
 かなうことのない
 でもとっておきの想いが、
 想いと遂げられなかったおこないの
 そのあいだのおこないが
 ほんとは素敵なものだって。
 みるとみられるのあいだで
 みえないのでもみてるのでもない、
 そんなひみつが王さま。
 はじまりもおわりもしらない、
 いるけどいない、
 そのかなたのからっぽの本だな。
 いるのに、でもすきまそのもの、
 そんなふたのない宝箱。
 いないものたちの
 むなしい宝が
 しまってある宝箱。

 だれだって王さまは神だと思っている、
 王さまいがいは。」


というわけで今回はこの辺で。

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2「第10回味わう」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2「第10回味わう」」

AIの仕組みについて学ぶと共に、人間とはなにかを考える番組、
司会はチュートリアルの徳井さん、解説はAI研究者の松尾豊氏。

今回は味わう、がテーマ。
シーズン1の時はレシピ考案AI
(けっこう微妙なメニューでしたが)、
調理AIの話が出ていましたけど
今回は大元の食材作りである、
農業支援の話が多かった気がします。

○今回のゲスト
 今回のゲストは養豚業を営む宮治勇輔さん。
 神奈川の湘南で、小規模経営をしているそうです

 宮治さん自身はまだAIは導入していないそうですが
 「アリババ(中国のIT企業)が豚を管理するのに、
  AIを使って画像や音声データを収集している、と聞いています」
 画像からデータを収集し、
 顔や声で個体を認識したり、
 行動を追跡することで病気の兆候がないかを確認したりして、
 品質を保っているのだそう

 徳井さんは
 「そんな大手もやってたら一気に進みそうですね」
 宮治さん
 「養豚は大規模化が進んでいるので、AIの入る余地はあると思う」
 宮治さん自身は、
 AIではないが畜舎洗浄ロボットは使っていて
 でも小規模経営なので、まだ最先端のものを導入する気はないらしい

○画像から美味しさを判定するAI
 次に登場したのは農業AI開発者の幕田武弘さん。
 画像から味覚を判定するAIを開発したそうです

 徳井さんは
 「人間ならお婆ちゃんの知恵袋的な、
  例えばヘタが大きいとか、形がこんなものだったら美味しい、という知識がありますけど
  それよりも精度が高いということですか?」

 幕田さんは
 「人間の経験則はどうしても限界があるんですよね。
  種苗メーカーでも、見た目が美味しそうなものを選んでいるところはあると思います」
 実際美味しいかは曖昧だ、と。

 一方幕田さんのAIは
 タブレットで野菜の写真を撮影すると、一瞬で
 味覚の5つの要素
 (甘味、塩味、酸味、苦味、旨味)を五角形で示してくれる

 今回使われたのは2つのトマトで、
 見た目ではほとんど変わらないのですが、

 1つ目のトマトは酸味と旨味がやや多く、
 2つ目のトマトは酸味がやたら多いと判定されていました

 宮治さんは
 1つ目のを見て「これ僕の好みかも」
 2つ目のを見て「1つ目の方が良さそう」

 結果を実食で確かめると
 まず切ったときに宮治さんは
 1つ目のトマトを
 「ああこれ美味しそう」
 ゼリーの所が緑っぽいのが好きだそう
 食べてみると
 「うん、データとほぼ同じですね」

 2つ目の方はそんなに緑ではないが
 宮治さんは見ただけで
 「ああ、分かる気がする」

 食べてみると宮治さんは
 「やっぱり。なんかゼリーの所に旨味が無くて、
  皮だけ残るみたいな」
 徳井さんも食べて納得。
 宮治さんは
 「断面を見たら何となくわかりますけど、
  外見では分からないですよね、
  どうやって判定しているんですか」

 幕田さんは
 「トマトを普通に並べたら、人間の視覚細胞だとどちらも赤い、となりますけど、
  RGB(色の三原色)で分けたら、赤の後ろに緑と青もあるんですね。
  その緑と青の濃淡で判定しています」

 このAIでは、トマトの画像と味のデータ3万件分を照らし合わせ
 青と緑の濃淡と味との関係を抽出し
 そのデータを元に学習して美味しさを判断しているそうです

 徳井さんは宮治さんに
 「例えば豚の顔とか皮膚を見て、美味しそうだなとか分かりますか」
 宮治さん
 「健康かどうかはわかるんですが、
  今のところは健康な豚は美味しいだろう、と予測するしかないですね」

 幕田さんは
 「我々は一部肉でも試験的には判定を始めています」

 今のところ、16種類の野菜や果物
 (さくらんぼ、りんご、いちご、ぶどう、
  白菜、胡瓜、ほうれん草、トマト、かぶ、ブロッコリー、アスパラガス、小松菜、レタス、キャベツ、ニンジン)
 は判定できるのだそうです

 幕田さんは
 「野菜でも毎日撮影していると、健康な育てかたをするものは美味しくて
  味が落ちたなというのは不健康だということはあるんで、
  それに気づいて手を打てる可能性はある」
 とのことです

 なるほど、見た目で美味しさが分かるのは便利ですね。
 でも実用化したあと、
 スーパーでみんなタブレット持って確認してたらなんか怖いかも…笑

○ピンポイントに農薬散布するドローン
 最近では畑の画像を認識し、
 虫がいそうな所だけ農薬散布するドローンも開発されているそうです

 中国、深セン
 (アジアのシリコンバレー、と言われるくらいハイテク企業が集まっている都市)
 にあるドローンメーカーDJI
 ここのドローンは障害物を認識したり
 ターゲットを追跡する製品などもあるそうですが

 ここのコミュニケーションディレクター、ケビン・オンさんは
 「今注目しているのは農業です」と。
 農薬散布などの重労働を手伝い、
 作業の効率化をはかるAIを開発しているそうです。
 ドローンにカメラを搭載すれば、
 AIが空から畑を俯瞰でき、
 問題を見つけて的確に対応できるそうです。
 「正に世界の農家を手助けする技術です」

 日本でも農薬散布をするドローンメーカーがあるようで、
 そのベンチャー企業社長の菅谷俊二さんと
 事業責任者の休坂健志さんが登場していました

 菅谷さんは
 「我々はAIドローンを使って
  減農薬野菜を育てる仕組みを作っている会社です」

 そこで見せてくれたのが一見普通のキャベツ畑の画像で
 「この中で害虫はどこにいると思いますか?」

 見た目はキャベツだらけでよくわからない…
 菅谷さんは
 「無農薬野菜を作る農家さんたちは、
  ここから一つ一つ害虫を見つけて駆除してるんで
  害虫を見つけるのは重要な技術です」

 拡大して見ると、虫食いの穴が開いたキャベツもいくつかある
 徳井さんは
 「これが虫がいそうなやつですか?
  隣同士でも虫がいるやつといないやつがあるんですね」

 これを菅谷さんの会社のAIで分析すると
 一瞬で虫がいそうな所が赤くプロットされる
 1つの画像で、個数にして645個あると出ています

 判定には、虫食いの穴だけを見てるわけではなく、
 積算温度なども解析し、虫がいそうかを決めているそうです

 さらにこのドローンがスゴいのは
 赤くプロットされたところに自分で飛んでいって農薬を散布してくれるところで、
 「場所を教えれば、
  GPSの位置情報の仕組みを使って、
  そこだけシュッシュッとまいてくれます」
 虫はとても小さいが、数センチ単位の誤差で行えるのだそう

 宮治さんは
 「それは楽になるなぁ」
 菅谷さんによると
 「今まではベタまきです」
 ピンポイントでまくことで、
 9割の農薬を使わないで済むようになったそうです

 宮治さんは
 「虫って葉っぱの裏に付いてたりしますけど、それはどうするんですか」
 菅谷さん
 「虫は昼間は葉っぱの裏側にいるんですけど、
  夜になると表に出てきて葉っぱを食べるんですね、
  だから昼間にデータを撮影して、夜にドローンを飛ばします」

 宮治さん
 「深夜の残業手当とか払わなくていいですねぇ(笑)すげー」

 徳井さんは
 「AI的にはどんな技術を使ってるんですか」
 菅谷さん
 「セグメンテーションとキーポイントを使っています」
 松尾先生は
 「それは教師データは何を使ってるんですか」

 宮治さんがすかさず
 「なんですか教師データって?」(笑)

 松尾先生
 「画像を領域に分けることをセグメンテーションと言うんですね。
  そこからディープラーニング、学習しなきゃいけないので、
  教師になるデータを入れるようにしないといけないんです」

 菅谷さん
 「全国の農家さんに御協力をいただいて、
  1作物当たり数千万枚の画像を集めています。
  その画像のなかで、虫がいる所に人が一つ一つ色塗りをする。
  それを教師データとして学習して、
  新しいデータが来ても認識できるようにしています」

 宮治さんは
 「検証もするんですか、
  つまり実際にドローン飛ばしたときに虫がいたりいなかったりの
  フィードバックはするんですか」

 菅谷さん
 「そこも農家の方に御協力いただいてやっております、
  やはりそこまでやらないと精度が上がらないので」
 農家さんもこの技術欲しいだろうから、協力したくなりそう。

 徳井さんは
 「古い農家さんが新しい農家さんに教えるように、
  ここに虫がいるよとAIに教えてるみたいな感じなんですね」

 宮治さんは
 「逆に新しい農家さんは、AIにやらせればいいとなって
  身に付かないかもしれないですね(笑)
  勘が働かなくなりそう。
  でもそこは要らなくなるのかな」

 菅谷さん
 「そうですね、炎天下の作業などは大変なので、
  そういうところを減らし、
  一方で安全で美味しい食事を楽しめるようになればと思っています」

 松尾先生は
 「作物が違ってもできるんですか」
 菅谷さん
 「作物ごとのチューニングは必要です。
  でももっとややこしくて、
  栽培技術の観点なんかも導入していまして、
  害虫が増えてから農薬を使うのがいいのか、
  それとも少しでも見つけたら使うのがいいのかを判断するのも
  AIに任せようとしています」

 瞬時で虫を見つけて、ピンポイントでまく、てのがすごい。ドローン恐るべし。

○虫を見つけるAI技術
 松尾先生
 「ここで、虫を見つける仕組みを技術的に解説したいと思います」

 そしていつものクリアボードに何やら絵を描き始めると
 徳井さんは宮治さんに
 「先生があのボードの前にいくと
  話がややこしくなるんですよ」とささやく(笑)

 先生が描いていた絵を
 宮治さんは
 「ウーパールーパー?」(笑)
 松尾先生
 「一応キャベツなんですけど…」
 徳井さん
 「先生ね、頭はいいんすけど絵心は無いんですよ」(笑)

 …絵の才能はさておき、松尾先生は
 「ニューラルネットワークは、
  この絵は犬や猫かを判断する、みたいに、
  画像自体を分類するのはまだ簡単なんですが、
  画像の中でここだけ虫ですよ、と当てるのは難しいんですね」

 そこで使われるのがセグメンテーションで、
 一部の領域だけを囲んでこの中に虫がいるかを当てていく

 「もう少し易しいのが物体検出、オブジェクトディテクションとも言うんですが、
  囲んである中に虫がいると検出する、
  これにはどうすればいいと思いますか?」

 徳井さん
 「うーん、キャベツとはこういうもの、というベースとなる映像から、
  なんか違和感があるなというか、違いがあるものを出す?」

 松尾先生
 「それもやり方の1つで、どちらかというと異種検知と言われるものですね。
  正常なものと比べて検出する、というやり方で、
  それもいいのですが、
  この場合虫だと分かっているので、もう少し簡単にできるんです」

 宮治さん
 「虫の写真を撮って、それがいるかを認識する?」

 松尾先生
 「今やりたいのは、全体の中に虫がいるかではなくて、
  この(切り取った)四角の中にいるかどうかを検出したいんですけど…」

 宮治さん
 「それって、虫の姿が見えたらこれだ、て分かるんじゃないんですか」

 松尾先生
 「人間だと簡単なんですが、
  それをアルゴリズムとしてコンピューターに実装させるには
  工夫が必要なんですよね」

 徳井さん
 「虫とはこういうもんだと十分AIに学習させて、
  それに当てはまるものが映像の中にあればいい?」

 松尾先生
 「今のはだいぶいいですね」

 正解は、虫の画像をまず学習し、
 そのあとセグメンテーションで区画を切り取り、
 それぞれの区画に虫がいるかいないか判定し、
 いたらこの区画にいますよ、と出力として出すのだそう

 徳井さん
 「この四角をもっと大きくして、いっぺんに分かることはできないんですか?」

 松尾先生は
 「今説明したのは原始的なもので、
  ディープラーニングができる前にやられていたものです。
  今はどこの領域にいそうかを提案するネットワークと、
  それを使って判断するネットワークとを組み合わせています」

 ここで画像解析の段階が説明されていました。
 「分類する」「検出する」「セグメンテーション」の3つで、
 ・「分類(Classification)」
  まず画像全体が何か分類すること
  公園で遊ぶ女の子の画像で言うと、公園の画像、など

 ・「検出(Detection)」
  その画像の中の特定のものを検出すること
  公園の画像ならば、女の子の顔はここ、など

 ・「セグメンテーション(Segmentation) 」
  画像を画素ごとにラベル付けすること
  ここに滑り台、ここにブランコ、など

 (虫を探すだけなら「検出」だけいいんじゃないの?
  「セグメンテーション」てなんのためにやるんだろ、と思ったのですが

  色んなサイトを見て私がざっくり理解したところでは
  全体の画像から分割(セグメンテーション)せずに直接虫を検出しようとすると、
  全体が大きすぎて小さい虫のシグナルが消えてしまう
  (相殺されてしまう)
  という理由があるみたいです。

  これは例えば道路のひび割れ検出とか、医療の腫瘍検出とかに使われる際も同じで
  全体を細かい領域に分けることで
  小さいひびや腫瘍も領域の中では相対的に大きくなり、
  くまなく見つけられるということらしい。

  それから、技術的な話で言うと
  今回「セグメンテーション」の説明で書かれていた
  「画素ごとのラベル付け」は、
  正式には「セマンティックセグメンテーション(Semantic Segmentation)」
  というそうです

  「分類」は、画像ごとのクラス分け(絵全体が何の絵かを分類する)だが
  「セマンティックセグメンテーション」は、
  画素ごとのクラス分け(各ピクセルがどの絵に属するかを分類する)となるそうです

  セマンティックセグメンテーションでは
  2015年くらいに「Fully Convolutional Networks(FCN、Fully-CNN)」
  というやり方が開発され、今はそちらがメジャーらしい

  これは従来のCNN(畳み込みネットワーク)というやり方から発展したもので、

  CNNとFCNの違いとしては、
  CNNは最後の層が全結合層
  (全てのノードが、次の層のノード全てに結合されている層)で、
  一方FCNは全結合層は無くて全部の層が畳み込み層だ、
  という説明がされています。

  畳み込み層については私は専門家ではないのでちゃんと説明できませんが、
  とにかくこの違いで、
  CNNは出入力の画像のサイズが固定されていたのが、
  FCNでは可変にできるようになった。
  これによりセグメントごとの分析が
  素早くできるようになったようです。
  (他にもFCNの利点はあるみたいですが、
   ちゃんと理解してないしいい加減なことは書かないでおきます(笑)

  参考にしたページ書いときます
  (他にもあるけど)
  http://kaidlc.hatenablog.com/entry/2016/12/17/203348
  https://www.wantedly.com/companies/xcompass/post_articles/72450
  https://postd.cc/semantic-segmentation-deep-learning-review/
  https://www.imagazine.co.jp/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%94%BB%E5%83%8F%E8%A7%A3%E6%9E%90%EF%BD%9C%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%81%BF/

○AIの実装は難しい
 宮治さんはこの話を聞いて
 「思ったより(アルゴリズムを作るのは)めんどくさい感じですね」
 徳井さん
 「人間ならすぐ分かるけど、AIは手順を踏まないといけないんですね」
 宮治さん
 「手順を作るのは人間なんですか?」
 松尾先生
 「手順を組むのもですし、データを集めるのも人間なんです」
 宮治さん
 「なんかAIが人間を越えるとか言われていますけど、
  今のを聞いてると大したこと無さそうな…」

 松尾先生も
 「最近は画像認識がだいぶできるようになったので、
  囲碁の世界では勝てる、とかいうことが起きてますけど、
  それも相当人が工夫してできるようになってるんですよね」

 「だから人工知能が勝手に学習して、
  人を圧倒的に越えて賢くなっていく…というのは
  作る側からしたら、そんなことができれば苦労はしないよとなるんですけどね」
 と半分ぼやき入ってます(笑)

 徳井さん
 「勝手に学習どころか、人間がむちゃくちゃ教えとるわ、と」(笑)
 宮治さん
 「人間に教えるより大変そうですね」(笑)

 コンピューターへの実装って、
 人間の意識とか動作の何となくやってるところを
 いちいち顕在化して、手順に区切らねばならないので、
 そこに大変さがありそうです。

○農薬開発支援のAI
 次に紹介されたのは、効果的な農薬を効率よく作るためのAI

 サンフランシスコにある創薬ベンチャーで、
 CEOのアブラハムハイフェッツさんは
 「我々は、ニューラルネットワークにより
  新しい薬を開発するシステムを作りました」

 「AIで新しい薬の効き目や、安全性を確認する作業を支援するものです」

 「我々が考えているのは、植物の病気を予防する新しいタイプの薬です。
  植物が病気にかかるプロセスを断ち切る分子を使い、
  侵入してくる敵をやっつける。
  もちろん、その分子が環境や他の動植物にも安全だと言うことも
  確認しなければいけません」

 彼らが考えるのは、ウイルスに化学結合し、侵入を防ぐ分子で、
 それらを探すため、
 薬の候補となる物質を考えて、
 それを3Dモデル上で組み合わせてシミュレーションし、
 薬として有効そうな分子を見つけ出すのだそう

 「多くの研究者は、まだ分子を作るか買うかして物理的にテストしているが
  それでは手間もお金も時間もかかる、
  AIを使えば(ウイルスと薬との)相互作用の微妙な傾向も分かる。
  そうすればどの新しい分子が見込みがあるかが分かる。
  AIが研究者を導いてくれる」と。

 薬物って開発に時間とお金がかかるわりに、
 良いものができるのは数少ない、
 誤解を恐れずに言えば博打みたいなもんなんですよね。
 農薬だけではなく他の創薬、研究にも役立ちそうです。

○調理ロボットの未来
 徳井さんは
 「食べ物を作る過程でAIが入る余地はあると感じますか」
 宮治さんは
 「生産過程の向上という意味ではあると思います」

 松尾先生は
 「生産支援の機械があれば使えるはず、売れるはずなので、
  今が開発のチャンスだとは思いますね。
  認識とアクチュエーター(動作)の組み合わせの可能性は大きいと思います」

 認識し、その情報をもとに動作する、
 という動きが自動的にできるようになったのは大きいそうです。
 これができると人間のように見て動くという動作ができるので、応用範囲も広いらしい

 例えばトマトやイチゴなどの収穫ロボット
 現在、柔らかい熟れたトマトやイチゴのような、
 適当にやったらつぶれてしまいそうなものも摘み取れるAIも出ている
 熟れ具合も自動判定して、
 ちょうど食べ頃のものだけ選んで摘んでくれるのだそう

 「それからここ一年では、調理ロボット、
  例えばたこ焼きとか中華料理を炒める、盛り付けるなどのAIも出ている」
 たこ焼きとか炒めものは、
 夏場めちゃくちゃ暑そうだから便利かもね…
  
 松尾先生は
 「僕は10年20年先には調理は自動化されていくと思っていて、
  そうすることで、手間のかかる料理がより安くできるはずだ、と思います。
  それは世界にも売れる技術で、
  それにより世界の食も変わっていくと思う」

 「インダストリー4.0と言われていて、
  これは色んな工場が連結しながら、
  消費のところまでのサプライチェーン
  データとしてつながる仕組みなんですが、
  それによりお客さんの要望がこうあるから、
  こういうのを作ろうとなっている。

  食の分野でも同じで、
  最終的に個人が家やお店で食べるところまで
  データでつなげていくと
  消費者の要望にあうものを生産することが
  もっときめこまやかになるはずで、
  そうすると今日紹介されたような、無農薬野菜作りとか味の評価なども、
  サプライチェーンを進化させていくパーツになって、
  これが食の文化も変えていくと思う」

 生産から消費までデータがつながることで、
 より消費者の要望に沿ったものが作られるようになる、と。

 宮治さん
 「有名店の味も簡単にコピーできるようになるんですかね」
 松尾先生
 「有名シェフの味を食べたい人は無くならないんですね、
  それはCDが売れても、ライブにいく人がいるのと同じです。
  一方で、より多くの人が美味しさを楽しめるようにもなる。
  ファストフードの味がより良くなっていくことはあると思う」

 宮治さんは
 「ライブの話がありましたけど、
  今は食べ物を売ること自体が難しくなっていて、
  どこに付加価値を付けるかになっている。
  うちもバーベキューのイベントを毎月していて、
  それで味や生産者の思いを分かってもらえたら、
  じゃあお歳暮はあなたの所にするわ、
  という人が増えるのかなと思ってるんですけど…」

 徳井さんは
 「人手がいないところでもAIで作られる一方で、
  ライブの付加価値も高まっていったり、
  両者がよくなっていけばいいですね」

 最近は製造技術は相当進化していて
 コンビニも侮れないなという部分もありますが
 これがより手軽に美味しくなればいいですね。
 ただ作る楽しみもあるし、
 工夫する楽しみもあるので
 学習した秘伝を可視化して、教えてくれるAIがあってもいいかな、と思います。

 最後は、AIアキラ(ナレーション担当してるAIさんです)がこんな話をしていました

 「私たちは最近こんなものを作りました。

  1969年、人類初の月面着陸の味(のチョコレート)
  1991年、絶望のバブル崩壊の味(のチョコレート)」

 「17世紀のフランスの美食家、
  ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランは、
  「美味礼讚」という本にこうかいています。

  「君が何を食べているか言ってみたまえ、
   君が何者であるかを言い当てるだろう」」

 「食はその人の記憶、嗜好、思想が現れます。
  その場の空気も、
  時代の空気も舌が覚えている。
  人間は五感を駆使して味わっているのかもしれない」

 AIが味のなんたるかを分かったとき、人間とは何かが分かるかも
 という感じで終わっていました

○感想など
・最後のチョコがとても気になったので調べましたが
 https://oggi.jp/194802
 によると、
 NECダンデライオン・チョコレートが共同開発したものなんだそうです

 作り方としては、
 まずダンデライオン
 チョコレートの味わいの指標となる7種類の味覚を決め、

 次にNECのデータサイエンティストが
 60年分の新聞記事のデータをAIに入れて
 頻出単語と味覚との関係を学習させ、
 そのあと対象年度の新聞記事の頻出単語から
 その年の味覚のイメージを出す。

 それをもとにダンデライオンが実際にチョコを作る、
 というやり方なのだそうです

 番組で紹介されていた1969、1991年の味覚の他は
 1974 オイルショック混迷味
 1987 魅惑のバブル絶頂味
 2017 イノベーションの夜明け味
 という五種類の商品があります。

 記事の単語と味覚の関係、
 てのがいまいち分からないなと思ったのですが

 記事によれば
 例えば、
 バブル絶頂期の「成長」「上昇 」「内需拡大」という単語を甘味、
 「拡大」「海外旅行」をフローラル、
 「最高値」「国際化」をフルーティなどと判断したのだそうだ。
 そこは誰が(何が)決めたんでしょうかね?
 なぜに内需拡大が甘く、ただの拡大がフローラル?

 そしてダンデライオンさんが実際にカカオ豆をブレンド
 その味を実現させた、と。
 ふつう、チョコは産地ごとに個性を持つカカオ豆について
 ○○産何割、△△産何割、などと配合を色々かえながらフレーバーを作っていくが、
 今回は、狙いのフレーバーから産地割合を決める、
 という逆の行程をとったそうです

 ちなみに具体的な味はどうかというと
 「1969 人類初の月面着陸味」は
 「酸味のあるインド産カカオ85%、
  苦味の中にもクランベリーのようなフルーティな味わいが広がる。
  月面の凹凸をカカオニブで表現している」とあります

 「1974 オイルショックの混迷味」は、
 「ミルキーでフローラルなシエラレオネ産カカオ70%、
  ローストを調整し、
  ヘーゼルナッツのクリーミーさ に、
  栗の皮の渋みが顔を出す」
 なんか複雑な味みたいです 。

 「1987 魅惑のバブル絶頂味」
 「甘さと華やかさを兼ね備えたホンジュラス産カカオ分70%、
  まろやかな桃のような甘さと、ジャスミンの香りが口の中で広がり、
  華やかで甘美な味わい」
 ゴージャスな感じ?

 「1991 絶望のバブル崩壊味」
 「コスタリカ産カカオ豆100%、
  強い苦みに酸味が立ち上がり、
  後味にはチリのようなスパイス感がやってくる」
 これはけっこうキツそうです。

 個人的にはカカオニブ好きなので、月面着陸の味気になりますが
 他のも試してみたい気がしますね。

 この商品は味がどうとかいうよりも、
 この年に自分や家族は何してたかなあ…
 (もちろん生まれてない年もあるだろうけど)
 とみんなでワイワイやりながら食べる、ってのがよさそう。

 スイーツなども市場は飽和状態なので、
 例えば県民性の特色をスイーツにしましたとか、
 こういう、体験型食べ物みたいな商品がこれから出てくるかもですね…

・↑の味覚には体験が混じる、という話に関しては
 前回のフランス料理人さんの話が印象に残っています。
 それは
  味覚は5つの味だけではなく、
  環境、一緒に食べた人、その時の天気など、相互的なものがある。
  寒いから鍋が美味しいなど、
  美味しさには、味覚以外の感覚、感情なども含まれていて、
  そこはとても高度な知性で、AIには追い付けないんじゃないか、
 というようなお話でした
 
 また、別の場面では
 ゲストの笠原さんという料理人の方が
  「ラーメンが美味しい店は、総合的においしいというよりクセがある」
  いわゆる病みつきになる味、というのがいいという話もあって、

 うーん、「美味しい」って奥が深い、と思います。

 5つとか7つとかの味の分類で数値評価しても
 そこからこぼれ落ちる要素はけっこうあって、

 そこがライブ料理人の入る余地があるのかな、
 どれだけ調理AIが普及して美味しい調理済み商品ができても、
 お母さんの手作りの味も残るのかな、
 と感じました

・松尾先生は調理AIを強調されていたが
 農業支援AIもこれから伸びるのかな、と思う。
 こういうものがあれば、経験のない若い人も
 気軽に農業に参入できるようになるんじゃないか、と思いました

 ただ、今農業されているお年寄りの方こそ
 農薬散布ドローンが必要なんだろうけど
 機械モノとか新しいものは警戒してしまう、
 というよりそもそも情報が入らない人が多い。

 お年寄りが使いやすいように、シンプルな操作でできるものなども
 開発されるといいな、普及活動もされるといいなと思いました。
  
 気象条件などで、種まきや刈り取りの適切な時期を教えてくれたり
 災害予測などしてくれるものも出てくるとより便利かも。

見ていて楽しめました。
というわけで今回はこの辺で。

「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル

「なぜ世界は存在しないのか」

ドイツの若き哲学者、マルクス・ガブリエルさんの本です。
日本では去年話題になっていたようで、
今さらな感じもしますが読んでみました。
彼の提唱する「新しい実在論」について書かれています。

ガブリエルさんはメディアにもよく出ておられて、
刺激的な表現やユーモアを交えた話しぶりが魅力な方ですが、
この本でも、彼独特の言い回しが散りばめられていて、
おお、ガブリエル節炸裂!って感じで、別の意味でも楽しめました(笑)

翻訳の方の腕もあるかもですね…
訳者さん自身は、
自分はガブリエルさんの人柄を知らないので
自分が訳者として適切だったかどうか、
みたいなことを書いているんですけど、
原文が口語体だったので「ですます」調にした、とありまして、
それがガブリエルさんがそのまま話しているかのような雰囲気を出していて、
哲学の本なのにすごく読みやすくなっているなと感じました。

もちろん、ガブリエルさん自身、
哲学が専門でない方にも読んでもらいたいから
極力難しい表現は無くした、とあり、
実際日常的なたとえもたくさん出ているのは大きいと思います。

とはいえやはりドイツの哲学者の本ですので、
長い説明、ここまで緻密かというような論理展開ではあり
ついていくのは少々気力は必要でした(笑)

大まかにいうと
前半は「世界は存在しない」という彼の「新実在論」の説明、
後半はその「新実在論」の立場から、
科学、宗教、芸術、テレビメディアなどをとらえなおしていく、
という感じです。

あとがきの解説にもあったのですが、
哲学本にあるような、
昔の哲学者の思想を解説しつつ、自分の思想を展開する本(大陸系の哲学者に多い気がする)でもなく
実用的な人生論(ラッセルとか三木清みたいな)でもなく

新しいものの見方を提示した上で、
そういう視点でみんなでこれからを考えてみようよ、
という提案みたいな感じの本かなと感じました。

私はガブリエルさんは科学至上主義批判者、
という印象はあったのですが、
ならば彼が科学の代わりに拠り所にすべきと考えるものは何なのよ?
てのがイマイチもやっとしていたのですが

拠り所、というものを考えないで
いろんな価値観を受け入れることから始めよう、
そこから、どんな価値観を残すべきかを議論していこう、
ということかなと感じました。

さて内容です。
前半は章ごとに分けると

新しい実在論/「世界」とは何か/「存在」とは何か/「世界が存在しない」とはどういうことか

後半は
自然科学/宗教/芸術/エンドロール(テレビメディア)

(実際の章の名前はもっと長いですが)

内容を私の理解で書いてみます

形而上学構築主義、新実在論
 最初に、彼の提案する「新実在論」の(思想史上の)位置付けについて書かれていました

 筆者は
 「形而上学」「構築主義」という2つの概念を乗り越えるもの、
 として「新実在論」を考えているようです。

 「形而上学」とは、
 人間の認識とは別に、
 真の世界とか事物というものが存在している、という考え方。
 それぞれが自分の認識で世界を見ているが、
 見えている現実は幻想で、背後に真の事物の姿がある、と考える

 一方「構築主義」とは、
 真なる事物、というものは存在しない、と考える。
 それぞれの人間が認識する様相そのものが
 世界や事物を作っている、と考える。

 形而上学は、人間が見るこの世は幻想で、真実はもっと大きな世界にある、と考え
 構築主義は、真実があると思うなんて幻想だ、と考える。

 筆者によると、形而上学を経て構築主義が生まれているらしく
 (個人的には、形而上学は宗教、構築主義は科学に対応しているのかなという印象)

 形而上学を進めていくうちに
 「本当の事物や世界というものはあるのかもしれないが、
  我々人間にはそれは到底認識できない。
  だから見えている事物が本当なのか、我々は永久に知ることができない」
 とカントあたりから考え始め、

 そこから
 「我々はそれぞれの色眼鏡で、現実に目の前に現れる事物を見ている、それだけだ」
 という構築主義ができた、とのこと。

 さらにポストモダン思想では
 色眼鏡は色々ある、どれも真実だ、という考え方になる。
 これが今の科学主義、相対主義につながっている、と。

 しかし筆者は、どちらも事実や現実を説明できない、とする。
 形而上学は真の現実や事物なるものが、
 人間とは関係なしに存在している、と考えるし
 構築主義は、我々が観察できる世界だけが全てだと考えている。

 しかし実際は、人間が関わらない真実、なんてものはないし
 人間の観察が無くても存在する現実はある、と。
 それが「新実在論」であるようです。

 ポストモダンでは、ニーチェを始め構築主義的な見方をしていたが
 (もちろんポストモダンには、構築主義以外のものもあるが)
 そこには限界がある、
 と20世紀後半くらいから哲学者たちが考え始め、
 
 その流れの1つとして、
 筆者とイタリアの哲学者マウリシオ・フェラーリスさんが提唱したものが
 筆者がこの本で書いている「新実在論」らしい。
 (「新」ということは元祖実在論があるんかな、と思ってウィキで調べたら、
  ギリシャ時代くらいからある考え方なのだそうだ)

〇世界とは、存在とは、世界が存在しないとは
 この本の前半はガブリエルさんの「世界は存在しない」論の説明で
 数学の証明っぽく順を追って書いてあったので
 理系頭の人間としては割と理解しやすかった気がします。
 
 最初に筆者は「世界とは何か」という問いから始めている。
 この問いは、生きる意味とは何か、この世はどうなっているのか、という問いであり
 人間を人間たらしめる問いだ、と筆者は言う。
 
 筆者はこの問いに対して「世界は宇宙ではない」という否定から始めている。
 というのは世界=宇宙、てのは
 科学的世界像が流布されまくっている現代に住む我々が
 つい考えてしまう概念だからで、
 
 筆者は世界=宇宙、という概念は
 物理学、という対象領域の一つに存在するものにすぎない、
 と述べている。つまり世界観の一つに過ぎない、と。
 (ついでに言うと、正しくもないと述べている。
  例えば極端な物理学的な考え方である唯物論
  (全てが物質的なものからできているとする理論)は、
  「そもそも「唯物論」という思想自体がモノじゃないでしょ」と論破している)

 では本当の世界とは何なのか?
 筆者は「世界はあらゆる意味の場の意味の場である」と定義している。

 この話には前座があって、
 昔ウィトゲンシュタイン、という哲学者が
 「世界は事物の総体ではなく、事実の総体」
 と考えたのだそうです
 
 事物、というのはこの世に存在するモノ。
 しかし、事物が無くても「〇〇が無い」という事実は存在する、
 だから事実の総体、という方が正しいんだ、
 とウィトゲンシュタインは考えた。

 しかし筆者は、それだけでは足りない、という。
 事実の総体だけではなく、「意味の場」もあるんだ、と。

 では「意味の場」とは何か?
 筆者はこの前に「対象領域」という言葉も使っているのですが
 どちらも物理学、数、芸術、市役所、国、などのような、
 何かの対象を含むカテゴリーみたいなもの。

 ただ、対象領域、というのはもっと数学的なもので
 「他の対象領域とはっきり区別され、加算的なもの」
 と筆者は表現している。
 「対象領域は、現れてくる対象が何なのかを問わない傾向にある」
 とも書いていて、
 例えば家で考えると、
 「対象領域」なら「7つの部屋の家」と考え(部屋の配置はどうでもいい)
 一方、「意味の場」の場合、7つの部屋の順番が問題となる。
 「意味の場」の場合、属している対象によって意味の場が変わってしまうが、
 対象領域は対象に左右されない、とのことです。

 いまいちもやっとしますが、
 私の印象では、対象領域は数学的で機能的なラベル、という感じ、
 意味の場はもっと広くて、あいまいで個別的、多義的なものも含む。

 そして筆者によると
 事物とか事実(筆者はこれらを「対象」と呼ぶ)は
 意味の場に現れて初めて存在する。
 「意味の場は、存在論的な基本単位」なのだそうです

 では事物や事実がそれ自体では存在せず
 意味の場に現れねば存在できないのはなぜなのか?

 筆者はそれを説明するために、
 意味の場に属する「対象」について、
 以下のことを論証している。
 (この辺、数学の証明くさくてまどろっこしいが…)

 ・全てのあらゆる性質を持つ対象は存在しない
 ・対象を他の全ての対象から区別するような絶対的な区別はない

 …いまいち難しいですが、

 一番目は、
 あらゆる性質を持つ存在(神のように何にもなれる存在)というのは、
 他と自分とを区別する基準を持たないので存在し得ない、と。
 つまり、あらゆる性質を持つもの、というのは、
 自分は他人と違うよ、と示すような個性が無いから存在できない、
 と説明している。

 二番目については、
 「私はAでもない、Bでもない、Cでもない、…」という情報は
 「私」についての何の情報も示していない、としている。
 対象の性質とは、他の対象のいくつかと、ここがこのくらい同じでここがこのくらい違う、
 という相対的な比較でしか理解されない、
 だから、どの対象にも、他のいずれとも違う、という絶対的な区別はありえない
 (ただし相対的な区別、いくつかと違い、いくつかと同じだという性質はある)のだそうだ。

 そして、この二つから、
 何かが現象するためには、その何かを他の対象から際立たせる基準のようなものが必要だが、
 そのような絶対的な区別は対象自身は持っていないことになり、

 対象それ自体では、他と区別されるような性質を持つこと、
 つまり現象すること、
 はできないことになる。

 対象が現象するには
 何かの性質をラベル付けするような領域、意味の場に存在しなければならない。
 対象は、何かの意味を持つ場に属している必要がある。

 (…ここで、「対象は意味の場に現れることで現象する」というのは、
  人間の認識により現象が与えられる、

  とする構築主義となんとなく似ている気もするのだが、
  筆者によるとこれは違うらしい。

  現象することに対して、
  人間の経験は副次的な役割しかない、と。
  対象は人間に経験されるから存在するのでもなく
  我々がいるから現象しているわけでもない、と)

 この「存在は意味の場に現れることで現象する」こと
 つまり事物や事実が存在するには、意味の場が先に存在していることから、
 筆者は世界(全てを含むもの)を
 「すべての意味の場を含む意味の場」と定義している。

 しかし、筆者はこのような「世界」(という意味の場)は存在しない、という。

 どういうことか。
 仮にこの定義の「世界」という意味の場を考えてみる。
 「意味の場」というのは「対象」の1つでもあるので
 先の章で挙げられていた「すべてのあらゆる性質を持つ対象は存在しない」
 という議論から
 他の性質を持つ「意味の場」も、並列して存在することになる

 しかし、「世界」という意味の場とは、あらゆる意味の場を含むものだ、
 という先の「世界」の定義から、
 「世界」という意味の場の中には、他の意味の場がすべて含まれていることになる

 こうなると、「世界」という意味の場の外にも中にも、
 他の意味の場が同時に存在することになってしまう。

 したがって、世界というすべての意味の場を包摂する意味の場は存在しない、
 となるのだそうだ。

 …以上が筆者の言う「世界は存在しない」論のだいたいの説明ですが
 ここから考えられるいくつかの考えを、筆者は述べています

 ・「世界が無い」とは「無限に多い意味の場が存在する」こと
  筆者は「世界が無い」という言葉が与えがちなイメージとして
  「じゃあ、真実なんかない」「世界が無いなら好きなようにすればいい」
  という「近代的なニヒリズム」を挙げている

  しかし筆者はこれを否定する。
  「世界は存在しない」ことは
  「限りなく数多くの意味の場が必然的に存在する」ことにつながる、と。

  なぜかというと(これも数学の証明的な説明なのだが)
  ある対象が存在するとき、その対象が存在する意味の場が存在する
  そして、すべての性質を持つ唯一の意味の場は無い
  (先の「対象」に関する議論から)ので、
  その意味の場とは別の性質を持つ意味の場も、同時に存在することになる

  また、意味の場は対象の一つでもあるので
  それぞれの意味の場が現象する意味の場が外側に存在することになる

  …こうして意味の場は無限に存在する、と。
  全体を説明するような世界なるものはないが、
  いろんな領域の世界がたくさんあるんだよ(後半では「意味の炸裂」と表現している)と。

 ・意味の場は、他の意味の場から切り離れて存在することはない
  筆者は、これら意味の場は、互いに切り離されて存在することはない、という。
  意味の場1はある意味の場2の中に現れ、
  意味の場2は意味の場3の中に現れ、…
  と無限のフラクタル構造をしている、と。

  しかし筆者はこれは完全なフラクタル構造ではない、と。
  フラクタル構造だと、同じ構造の中に小さい同じ構造が無限の入れ子になっているイメージだが、
  意味の場の場合、それぞれの意味の場の性質は全く同じではなく、違いがある、という。

  なぜなら、意味の場とは
  他の意味の場との同一性と個別性を持つからだ、と。
  (「意味の場」も「対象」の1つであり
   前の章での対象についての議論でいう「絶対的な区別はないが相対的な区別はある」
   つまり他のいくつかとは違い、いくつかとは違う、
   という性質を持っている、ということか)

 ・「迷信は存在しない」という事実の矛盾を解決できる
  筆者は意味の場を考えることで
  「魔女は存在しない」という事実の持つ矛盾も解決できる、としている

  「魔女」など迷信的なものはありえないものだが
  「魔女は存在しない」という事実を成立させるためには
   魔女」という存在をまず認めねばならない。
  しかし現実に魔女はいない、という矛盾がある。
  …この場合、「魔女」は「想像」という意味の場にいるのであって
  「宇宙」という意味の場にいるわけではない、と考えることで説明ができる、と。

  つまり科学的世界観が切り捨ててしまうような目に見えない存在も
  この理論ならすくい取ることができるわけです。

  筆者はこの本の前書きで
  「一角獣すら存在する」と書いていて
  最初読んだとき意味が分からなかったんですが、
  「想像」という意味の場に存在する、ということですね。

 ・科学的世界像は間違いである
  この章の終わりに、筆者は科学的世界観だけにとらわれることを戒めている。
  科学的世界像、とは、 
  弦宇宙とか素粒子でできた世界、とかいうのが我々とは別にあって、
  それらが我々の感覚器官に影響を与え
  我々の頭の中に像を作り、我々はそれを現実として認識している、という世界観。
  
  我々は、自分達人間の感覚を越えた大きな世界が外にある、
  と考えがちだと筆者は言う。
  今やそれが、教育や社会制度、マスコミなどにより流布されまくっているので
  我々はそれがほぼ定説であるかのように考えてしまうんだ、と。

  しかし筆者は現実とはそういうもんではないんじゃないか、という。
  世界も現実も、我々の感覚器官を越えたものではない、
  我々が認識できるものなのだ、と。

  我々がものを認識し、日々の生活を経験し、思考しているとき、我々は
  「意味の場を絶え間なく移動している」のだそうです。
  そこには統括する最後の場である「世界」のようなものはなくて、
  「我々は意味の場の連関を見いだしたり、作ったりしていく」
  それが人間の営みで、
  人間や世界とは何なのか、を探求していく歩みなのだ、と。

  世界を理解するには、人間、自分の感覚を置き去りにしてはいけない、と。 
  世界は何か、の答えを科学だけに性急に求めるのは間違いだと述べている。

○自然科学
 筆者はさらに1章を費やして、
 改めて、科学的世界観とは何か、を掘り下げ
 そこから、「新実在論」の意義を説明している

 科学はそもそも、15世紀に地動説が発見され
 この世界は人間や地球中心じゃないとわかり、
 人間の感覚より、
 客観的な科学事実に拠り所を置くようになったことから始まったが

 筆者は、そのような科学のもたらした世界像について
 特徴的な考え方をいくつか挙げ、反論もしている

自然主義
 …世の中には自然のみが存在し、それ以外は偽だという考え方
 自然主義を研究した哲学者のヒラリー・パットナムによると
 自然主義とは、恣意的なものや非合理的なもの(迷信とか聖書の創造説みたいなもの)
 を退ける

 筆者はこの考え方について、もちろん迷信は正しくないが、
 恣意的なものすべてが間違っているわけではない、としている
 例えば政治や経済は、自然的なものではない概念だが
 超自然的だと退けることはできない、と。

 「唯物論的一元論」
 …宇宙を唯一の対象領域とし
 そこには物質的なものだけが存在し、
 それらは自然法則に従っている、とする考え方。

 筆者はこれに対しては、クリプキやパットナムの議論も踏まえつつ
 例えば自分が食べたものが変わって、
 物質的な構成要素が変わったからと言って、その人そのものが別人になるわけじゃない、
 そのように自分を構成するものには、
 物質的な実在とは違う別のものも存在するはずだ、と述べている。
 
 筆者は、自然主義唯物論には限界があり、
 それらの主張者は、自分達の理論に合うような、
 数学的に単純に記述できる世界像だけを選びとっているのではないか、
 と述べている。
 それは、彼らが批判する「恣意的」な考え方そのものなんじゃないか、と。

 これらに対してパットナムは
 「科学的実在論(ガブリエルさんのいう実在論とは違う)」を提唱しているそうなのだが
 その理解を深めるため、筆者は「構築主義」「実在論」「唯名論」を説明している

 「構築主義
  我々は物そのものを見ているのではなく
  我々の感覚器官により構築された世界像だけを見ている、とする考え方。
  例えばイルカは我々とは違う感覚器官を持つので、
  また別の世界像を見ている、と考える。

 「実在論
  我々は物そのものを見ている、と考える考え方。
  実在論そのものは大昔からあり
  これに対立する概念として「唯名論」があったそうです

 「唯名論
  我々は生存するための便宜上、
  物をカテゴリー分けして名付けているに過ぎない、とする考え方。
  この場合、例えばリンゴは、赤かろうが緑だろうが、
  同じリンゴとして区別がつかない構造物として扱われる
  (唯名論は、筆者によれば構築主義の重要な先駆けらしい)

 「科学的実在論
  そしてパットナムのいう「科学的実在論」とは
  実在論を科学の世界に適用した考え方で
  原子や電子とは仮説上の構造などではなく
  原子そのものは物理学という領域においてはたしかに存在しているのだ、とする考え方。

 「新しい実在論
  筆者は、
  パットナムの考え方は物理学以外の領域にもこの考え方は適用できるとし
  「新しい実在論」を提案する。

  筆者の考える新しい実在論とは
  ・我々は、物や事実そのものを認識できる
  ・物や事実は、唯一の対象領域「世界」だけに属するのではない
(こちらの考えは革新的なのだそう) …というもの。

  我々の認識するものすべては何らかの意味の場にあり
  すべて存在している、と。

  科学的な世界観では
  (筆者は「感覚生理学的な構築論」とも呼ぶ)
  「外には粒子でできた世界があって、
   それが我々の脳に働きかけて像を作り、我々はそれを見ている」
  と考える。
  
  筆者はこれについて、脳が見る像が幻想なら脳自体も幻想の産物、
  であればこの世界は幻想だらけになる、とし、
  脳の外にある世界だけが真実だ、という意見にも
  その考え方のみを選ばねばならないのか、と反論する。
  
  彼の新しい実在論では
  物自体はそのもの一つとしてたしかに存在し、
  色んな「意味の場」で多様に現象しているんだ、と考えるんだそうです。
  それは現象と別に物が実在しているわけではなく、
  物そのものも、多様な現象も、共に現実を作っている、と。
  だから我々が認識するものはすべて真、なのだそうです。

  果物かごにあるリンゴについて、カントは
  空間や時間という概念は我々の幻想で、
  リンゴ自体はたしかに外に存在するもの、と考えた。
  しかし筆者はこれに対し、
  空間と時間が我々の中にしかないと考えるのがおかしい、と述べ、
  我々が空間という意味の場を考えているから、
  リンゴは空間から離れて見える、と説明する

 (時空間は幻想ではなく、リンゴと共にたしかに存在している、ということなのだろう)

  筆者はまた、科学的世界観では、
  客観性が求められ、恣意的なものは退けられるが
  新しい実在論はそれらも可能にする、と述べる
  例として主観的述語(「今日は気持ちのいい日だ」というような感情が入った文章)
  サイダーのいう斜用述語
  (黒と白を組み合わせた漢字など、二つの意味を含む言葉遊びみたいなもの)など

 ・構築主義の矛盾
  筆者は構築主義についても論破する。
  構築主義とは、すべては我々の感覚を通じて構築されたもの、という考え方だが
  そのためには、「構築されるもの」に対応する、我々に構築されていないものが
  我々の外に無ければならない。
  でも世界の「すべて」が構築されているんなら、そんなものは外にあるはずがない、
  という矛盾がある、と。
  
 筆者の考え方では
 事実は世界の側だけではなく、我々のような関係していく側にもある、と。
 科学の世界の事実だけを認めるのではなく、
 さまざまな事実を認める態度が大事だ、としている

 では科学以外の世界観、事実に含まれる大事なものとは何か?
 それを宗教、芸術の章で論じている

○宗教の意味
 この章では、筆者は、科学的な世界観はなぜうまくいかないかを踏まえつつ、
 意味の探求としての宗教の重要性を論じている。

 ・宗教信仰から科学信仰へ
  筆者は
  科学的世界観は
  世界から意味を取り去ってしまうので
  (客観性のみが求められ、恣意的なものは退けられるため)
  正しくないが、
  社会的な問題も起こしている、と指摘する。

  それはマックス・ヴェーバーが「脱魔術化」という言葉で説明したそうなのですが

  ヴェーバーは近代の科学的進歩は合理化だ、脱魔術化だ、と言った。
  それは単に人々の生活から魔術が消えて合理的なものになった、ということではなく
  合理化や計算こそが世界を支配できる、
  と人々が信じこむようになったことだ、と。

  それは人々が、魔術や宗教から目が覚めたということではなく
  信仰の対象を、科学や合理性に置き換えただけの話だ、と。
  これにより人々は、
  世界とは、生きる意味とは、というような
  自分達で考えていくべき大事な問いの答えを、
  科学に求めるようになってしまった、と。

  筆者は、何かに
  超越的な力を与えることをフェティシズム、と筆者は呼んでいて、
  このような科学至上主義もフェティシズムの1つの形態だ、と論じている。

 ・宗教の2つの形態
  これを踏まえて宗教には以下の2つの形態がある、と筆者は述べる

  ・フェティシズム
  ・無限なものに対する感性と趣味

  前者は一神教のように、
  1つの世界原理がすべてを支配し、秩序付けると考える。

  後者は字面だけだと分かりにくいですが
  フリードリヒ・シュライアーマッハーという神学者が定義したもので、
  色んな宗教観、宇宙(世界)観、信仰のあり方を認める姿勢、だそうです。

  ここでいう「色んな宗教観」には、
  いわゆる宗教だけではなく無神論的な世界観も含まれていて、
  神を排除するような極端な無神論者もフェティシズムと見なす。

  前者のフェティシズムは、排外的な良くない考え方で、宗教戦争なども起こす。
  これは極端な科学主義や構築主義も同じで、
  例えばニーチェは神は人間だ、宗教は妄想だ、と指摘したが
  その結果、目に見えるものだけが現実だ、
  という構築主義を妄想する過ちを犯してしまった、と筆者は言う。
  また、マルクスは資本主義を一種のフェティシズムだ、と論じていたそうです

  だから宗教の負の面は、
  神そのものが原因ではなく、
  特定の神を絶対だと信じてしまうあり方が問題なのだ、と。

 ・そもそも宗教の始まりとは?
  そこで期待されるのが後者の「開かれた宗教」のあり方で、

  シュライアーマッハーはこのあり方を
  「無限なものに対する感性と趣味」と表現したそうですが
  ここでいう「無限」とは
  我々の理解を越えたものを指すそうです。

  具体的には、
  我々人類が哲学や科学などで昔から問い続けてきた
  「この世界はどうなっているのか」
  「自分とは何か」
  「生きる意味とは何か」
  という答えのない疑問で、

  それは自分とは何だろう、という疑問が出発点になっている。
  この感覚を筆者は「自己との隔たり」と表現していて
  これを最初に感じるのが神との出会いなのだそうです

  そこから宗教が生まれて、
  宗教から形而上学が生まれ、
  形而上学から科学が生まれた。

  いずれも自己探求の歩みの過程である点では同じであり
  やり方は違えど目指すものは同じで、互いに尊重されるべきもの。

 ・自己意識とはなにか
  しかし近代科学はそれに反し、宗教を排除しようとする。
  筆者はなぜそうなってしまったのかを、
  「自己意識」に関する問題として以下のように論じている。

  近代科学では、
  意識とは脳の特定状態、客観的に示せるものとして理解されている。
  自己意識も、自分の思考プロセスに向けられた注意とされる

  ここから我々は、
  意識というスクリーンがあって、
  我々はそのスクリーンを通して「世界」を見ていて、
  スクリーンの中の現実は幻想である、という
  (筆者は「ニューロン構築主義」とも呼ぶ)

  しかし筆者は、
  意識とはそんなに客観的なものでもたしかなものでもない、という。

  というのは、意識とは、何かを見るとか誰か(あるいは自分)のことを考えるなど、
  自分と、自分以外の対象との関係の中でしか成立しない。
  そして、そこには誤解や勘違いなどもあり、たしかなものではない、と。

  それでも我々は現実には、
  本を読んだり人生を経験したりして、何かや自己に意識を向けている。

  筆者によればそれらの行為は
  自分とは何か、自分は何に関係しているのかを探る自己探求の動きなのだと述べる。
  自己探求する意識の動きを「精神」と呼び
  「精神とは、意味との出会いである」と表現する。

  我々の人生は、そうして意味と出会って自己を見つけていく営みなのだが、
  しかし、科学的な世界観では
  それらの大切な意識の動きは、
  ただのスクリーンに映る幻想だとか、無意味な行為と切り捨てられてしまう、と。

 ・キルケゴールの議論
  我々の精神(自己探求する意識の動き)に関連して
  キルケゴールの議論が紹介されている
  (キルケゴール実存主義者、人間の実存とは何かを探求した方だそう)

  筆者によれば、
  自己探求(「精神」)とは人間特有の行為で、
  動物は考えはするが、自己探求はしない。
  つまり動物は意識は持つが、精神は持たないらしい

  そしてキルケゴールは、
  精神を持つ人間特有の病いとして3つの絶望を挙げている

  ・自己を持っていることを意識していない絶望
  ・絶望しつつ自己であろうとしていない絶望
  ・絶望しつつ自己であろうとする絶望

  …なんだか分かりにくいですが
  1番目は自己探求している自分を自覚していない状態、
  つまり自分が自己探求の歩みにあるんだ、という自信を持てなくなっちゃっている状態、
  2番目は1番目の状態のまま、
  本来の自分から目を背け、何か別者になろうとする状態、
  3番目は1番目の状態のまま、
  本来の自分でないのに、自分はこうだとあろうとする状態、
  ということかなと思います

  筆者は、この絶望の話でキルケゴールが示しているのは、
  精神は精神自身と関係すること
  精神は可変的であること、
  だと書いています。

  つまり自己探求とは自分との関係を考えること、
  自分とは何かを考えていくことだということ、
  それから自己探求している最中でも、
  自己はどんどん変わる、進歩もするし退歩もする、ということ。
  自己探求から外れてしまう場合もある、それが絶望だ、と。

  キルケゴールは、自己探求の果てに神に出会うとは
  「すべてが可能であるという事実のこと」としていて、
  筆者はこれを実存の世界での現象で言うと
  「自己が拠り所だと思っていたものを失って、多様なあり方を受け入れるとき」
  だと解説しています。

  自己探求していくなかで、
  自分の信念とか宗教とかにとらわれないものの見方ができるようになったとき
  初めて人は「神に出会う」。
  仏教でいう涅槃、みたいな状態になる、ということか。

 ・宗教の役割
  …でまあこの長い議論の中で、結局、宗教って何なのかというと、
   自己探求の歩みの1つだということ。
  自分との関係を考える営みだということ。

  筆者は、すべてをとりまとめる存在という意味の神は存在しない、と言いつつ
  (なぜなら、全体という意味の世界は存在しないから)

  しかしそれでも(いわゆる一神教的な)神は否定しない。
  特定の意味の場において存在する、とする。
  それらの神は、自己探求の過程で必要なもの、
  という意味合いで受け入れられうる、と。

  一方、科学は人間なしの世界を相手にしているので、
  自己探求の歩みから人を離してしまう恐れがある。
  しかしこれは科学が悪いのではなく、
  別の役割
  (病気を治すとか、生活を便利にするとかの実用上の利点)
  を持つ科学に、
  人生や世界の意味を説明させようとする非科学的な態度が問題なのだ、と述べる。

  筆者は宗教の役割を
  「神は存在しないという洞察、
   つまり神は、私たちの人生の意味を保証してくれる対象(ないし超対象)ではない、
   という洞察にこそ、宗教の意味は存在する」
  という逆説的な表現もしている。

  つまり唯一無二の(排他的な)絶対的なものはない、すべてを受け入れることだ、
  と悟らせてくれるのが宗教だということか。

 筆者は人間は自己探求の歩みを
 宗教→形而上学→科学と積み重ねてきた、とする。
 宗教から科学へ変わっていくプロセスで起きているのは、
 宗教の解体ではなく自由の理解の拡大だ、と。

 宗教の役割とは「人間を考え、意味の連関の中での人間の位置づけを考えること」
 たとも述べています。世界から人間を切り離すものではなく、その逆なのだと。

 「世界は存在しない」を論じた章の中で
 我々は意味の場を行ったり来たりしている、
 そうして意味の連関を創り出している、
 と筆者は書いていたが
 その営すべての中で、我々は自分とは、世界とはの答えを見出そうとしているのですね。
 宗教はその一助となるのだろうと思います。

○芸術について
 いきなりなぜ芸術?と思ったのですが
 筆者によれば、芸術は自分の理論を最もうまく証明してくれるもの、なんだそうです
 芸術とは、自然科学的な方法は全く別のやり方で世界を理解させてくれる、
 というようなことを述べています。

 芸術といっても、音楽、詩、ユーモアなども含めた広い意味のもので、
 これも興味深い話でした。

 ・芸術の意味とは
  筆者は、
  「芸術の意味とは
   我々を意味に直面させてくれること」と述べている。

  …いきなり難しいですが、
  普段なにかの対象を見るとき
  我々は対象そのものに注目してしまう。
  本当は対象には必ず現象する意味の場があるが
  そこには気づかないことが多い、と。

  しかし芸術では、対象(作品)を見る過程が可視化される
  (例えば時代背景を考えるとか、誰かと解釈を論じるなど)
  ので、対象が現象する意味の場があらわになるのだそう

  このことにより、
  対象とは何らかの意味の場の中でないと現象しない、
  ということも示すのだそうです

 ・フレーゲの概念と意味の場
  ここで筆者は論理学者、数学者のゴットロープ・フレーゲの概念を使って
  意味の場を説明している。
  フレーゲは以下の3つの概念を考えたそうです

  「意味(ジン)」…対象に与えられた名前、「意味の与えられ方」
   具体的には、○○山、という名前そのもの
   (色んな人が同じ山を違ったように思い浮かべるが、それらは関係ない)

  「意義(ベドイトウング)」…表現が結び付いた対象そのもの
   具体的には、現実にそびえ立つ○○山

  「照らされ方」…意味の違いではなく、意味の与えられ方の違い
   具体的には、~さんの見る○○山、それぞれがイメージする山

  これらの表現を借りると
  筆者のいう意味の場とは、
  「照らされ方」の違いで存在するそれぞれの意味の場を指すそうです

  「照らされ方」という概念の導入により
  それぞれの視点の○○山、てのは単なる視点の違いによる幻想ではなく、
  それぞれが、特定の意味の場に存在するものになる、という。

  芸術の解釈も、それぞれの意味の場にたしかに存在する、ということになる。
  筆者がここで強調するのは、
  いずれの視点から見る山も客観的だ、というもの。
  普通芸術の解釈は主観的だと思われがちだが
  筆者は様々な解釈は、いずれも客観的なものだ、としている

 ・旅行も哲学も意味との直面
  芸術と同じく、哲学や旅行なども意味に直面させてくれる
  哲学者は、常に対象よりも対象の現象する場を考えるし、
  旅行(いわゆるパック旅行ではなく気ままな旅行)では
  我々は馴染みのない物事に触れ、驚きを体験する。

  その時、我々は突然普段とは全く違う意味の場に身を放り出され、
  その意味の場を探求する状態に置かれる、と。
  (そういえば三木清も、旅は非日常の世界、と書いていたが、似たようなものか)

  芸術も思いもよらない表現をすることで、
  我々にとって自明である概念を覆し、
  日常から違った角度で対象を照らさせてくれるそうです
  (例として、違和感のある表記方法の散文詩が示されていましたが
   実際見てみると、視覚的にも詩の不気味さを感じさせるものでした)

 ・芸術に描かれる虚構と現実
  筆者は、芸術作品に描かれるものは真実なのか、という議論も書いている。
  結論から言うと、芸術作品には客観的な意味での現実だけがあるのではなく、
  虚構も現実も、明確に区別することなく描かれている。

  しかし、我々の実際の人生こそが虚構と現実の入り交じったもので、
  例えば我々は他人の視点や過去未来を「想像」している。
  そのような、現実と想像の入り交じった、
  多様な視点を提供すること自体が芸術の役割だ、としている。

 ・自然主義の時代における芸術の役割
  次に筆者は、現代の自然主義の時代における芸術の意味を論じている。

  筆者は、芸術とは科学が分析するような
  「神経を刺激する特定の様式」ではなく、
  無意識を解放してくれるもの、
  思考の抑圧を解放するもの、
  と述べている

  ここで参考にしているのは
  精神分析で有名なフロイト
  「機知(ウィット)」に関する分析で、

  彼は無意識は何気ない音声の連なりに現れる、と考えていて
  (例えば精神病の患者が何となく気になる言葉は、
   その病の原因となる過去の記憶に関係していて、
   その記憶が無意識に埋め込まれている
   だから「なんとなく」その音が気に障る、など)

  機知についても
  言葉の「心的アクセント」を転移する、
  つまり言葉から無意識的に他人に何かを連想させ、笑わせることができる、
  と述べているらしい

  フロイトは、
  無意識は通常の合理的な論理では従わない、とも述べている

  つまり機知は、論理的でないやり方で我々の無意識を明らかにし、
  我々は明らかになった無意識を客観視することでクスッと笑ってしまう、
  そうして抑圧された無意識を解放する、ということですね。

  筆者によれば、
  ユーモアも思考の呪縛から私たちを解放してくれるもので、
  その結果、我々は先入観、
  つまり硬直した意味の場を問い直すことができる、としている。

  何でも論理的に説明したがるこの自然科学の時代にこそ
  この非論理的な役割な機知、ユーモア(日本でいうお笑い?)
  が重要になるのかもしれない。

 ・芸術作品の解釈
  筆者は、芸術作品の解釈がもたらすものを示す例の1つに
  マレーヴィチの「黒の正方形」という絵を取り上げている

  この絵は(私は見たことがないが)対象のない抽象画とされていて
  一応黒い四角が主役、みたいに描かれているそうですが、
  見ている人は、鮮やかな背景にも注目するようになる
  それは見る人の意識のなかで
  背景と前景の転換を引き起こすのだそうです

  そしてその次に、見る人は作品だけではなく
  作品を見ている自分と、その背景である「世界」を意識するようになる。
  しかし、自分と世界を反転させても、前に出る実体としての「世界」は無い。
  そこで、この作品を見る人は、
  我々の現実には世界は存在しない、と理解できるのだそうです

  マレーヴィチ自身も
  「仮に我々に世界が理解できれば、
   世界にはなにも存在しなくなり
   そもそも人間が、世界についての表象を形作る必要はなくなるだろう」
  と述べていて
  彼も、すべてを理解できる世界が存在するのは幻想だ、
  (そうなると、人間とか、人間が作り出すものは必要なくなってしまう)
  と伝える意図があったと思われる。

  筆者は
  我々は「世界」は存在しているはず、
  そこにすべてを統合せねばならない、
  という強迫的な観念があるが
  この芸術はそこから我々を解放してくれる、ということを述べている

 ・芸術の役割
  このような
  「すべてを包む世界にすべてを統合せねばならない」強迫観念からの解放、
  というテーマは他の芸術作品にも見られるそうで、

  筆者はそこに芸術の役割がある、と考える。
  社会は一枚岩ではない、
  すべての人は平等ではない、文化にも違いはある、と。
  ほかの人は違う考えを持ち、別の生き方をしているということを受け入れることが
  「すべてを包摂しないといけない」という強迫を克服する第一歩だ、と。

  民主主義の意義も素晴らしさもそこにあって、
  物事に対する様々な見方がみな平等に尊重されている、と。

 ・すべての見方が真ではない
  ただし筆者は相対主義との混同を警戒していて
  「だからといって、すべての見方が等しく容認されるわけではない
   すべての見方が等しく真であることになるはずもない」
  ということも強調する。
  
  実際、差別主義者の思想とか、テロリストの思想など
  明らかに容認できないものも世の中にはある。

  だからこそ議論し
  どの道なら進めるか、やめるかを決めるのだ、と。

 ・見方(パースペクティヴ)は客観的
  さきほどの「芸術解釈は主観的」という意見と同じく、
  見方(パースペクティヴ)も客観的、という議論を再度していました

  彼の理論では、
  それぞれの見方はそれぞれの意味の場には存在する、
  それはすべて客観的なのだよ、と。
 
  筆者は
  「我々は、それらの多くの意味の場に投げ込まれ
   そのなかを行き来している」
  「同時に他の人と、様々な意味の場を共有している」
  「我々は無限に多くの意味の場の中を、共に生きながら
   意味の場を理解できるものにしていく」
  と表現していて、

  我々は色んな見方をしているなかで、
  色んな意味の場を行ったり来たりしていて、
  同時に他人と違う意味の場にいて、
  でも議論したり表現したりすることで共有しあい、
  理解しあっていくということかなと思いました

○テレビジョン
 筆者は、人間は生物学的に視覚に依存している存在で、
 それゆえテレビは必然的に、
 人間にとって影響的なメディアとなっている、と述べている

 このうち時代の感覚を的確に表現しているテレビドラマは彼の興味の対象のようで
 そこに1章を割いていました

 ・となりのサインフェルド
  ここでは、悲観的になりたがる哲学や映画と違い、
  我々の生を喜劇的に描く挑戦として
  「となりのサインフェルド
  というショウを取り上げている

  これはガブリエルさんの番組でも紹介されていたんですが
  暇なニューヨーカーたちが
  自分達のたわいもない日常をネタにしたコメディショウを撮影する、
  という設定のショウドラマ

  見ていて全く面白さが分からんかったが(笑)

  筆者によるとこのドラマが意味するものは
  形而上学がいう
  「生きる世界の背後に真の意味があるはず」
  というテーゼに抵抗すること、
  つまり真の意味なんかないでしょ、ということらしい。

  しかし筆者によれば意味のないものは存在しなくて、
  一切のものの意味はこのドラマ自身の中に示されている、と。
  (筆者風に言うなら、このドラマという意味の場に存在する、ということか)

  さらにこのドラマは、
  「となりのサインフェルド」制作者をテーマにした新シーズンドラマ
  「ラリーのミッドライフ★クライシス」があるそうです

  そこでは「となりのサインフェルド」制作者が主人公になっていて、
  「サインフェルド」の続編を撮影することで、
  別れた妻とヨリを戻そうとするストーリー

  筆者によれば、この続編が示すものは
  我々は自分の運命を作っているということ、
  なのだそうだ

  サインフェルドの世界では
  サインフェルドの登場人物の自己関係性だけが描かれている。
  しかし続編では、意味の場が社会的空間に広がっていて
  サインフェルドの登場人物たちの「自己関係性」が相対化されて、
  それぞれの人たちが関わりあって折り合っていく社会の場が舞台になっている、と。

  筆者はサインフェルドの世界では自己関係性を笑ってるだけで、
  それは絶望的な笑いでしかない、と表現している。

  しかし「ラリー」の話で試みられているのは
  他人と関わり合いながら生きる我々の人生において、
  自分の人生を社会の中で相対化し、笑い飛ばすこと、なのだそう

  つまり、サインフェルドでは近代的ニヒリズム的な笑いだが
  ラリーではニヒリズムに陥ってる自分に気づき、
  そんな自分に距離をおいて笑い飛ばす、ということか。

  筆者は、テレビがいつでも近代的ニヒリズムを笑い飛ばしてくれるわけではないけれど、
  単なる娯楽や大衆操作だけではない意義を持つ、と述べている

 ・意味の場と感覚
  しめくくりとして、筆者は
  「意味の場は我々の感覚にどう関わっていくのか。
   そのことで、人生に意味があるのかないのかが解明されるのか」
  という問いを投げ掛ける。

  これは「感覚は客観的」という議論と通じるのだが
  感覚とは単に我々が感じる五感ではなく
  「実在性や意味の場に通じる通路」

  感覚は主観的ではなく、むしろ客観的なもので
  我々が感覚を通じて何かを認識するとき
  感覚は我々の外に実在している、と筆者は表現する。

  感覚自身が意味の場や対象を作り出し、
  感覚を越えて広がっていくのだそうだ

  電車に乗る人々を見るとき
  人々や電車は我々の心的表象ではなく
  現実にたしかに存在している。
  それらの人々や電車は、
  我々の視覚と関係することで意味の場に現象している、と。

  筆者は、我々が認識するものは
  「「無限」から切り取った断片」だと表現する。

  「無限」とはいわゆる「世界」のような、1つの全体や超対象ではなく
  「果てしない意味の炸裂」

  我々が見るもの聞くものは、
  別の角度から見れば違った存在として認識される。
  それは現実に起きることで、
  それは対象が無限に多くの意味の場に同時に現象できることを示している、と筆者は言う。
  逆に言えば、何物も無限に多くのあり方でしか存在しえない、とも言う。

  そしてテレビや映画は
  そのような多様な視点を提供してくれるのだそうです。
  というのは、それぞれの登場人物からの見方を同時に見ることができ、
  それにより1つの状況に対して異なる複数の見方が見られるから、と。
  それにより、
  「すべてを統括するような世界が存在する」
  という幻想から我々を解放してくれる、と。

 ・存在の意味、生きる意味
  筆者は、
  新しい実在論が「存在の意味とは」への私の答えだ、と書いている。

  「すべてを包摂するような全体は存在しない」と考えることで、
  どんなものも、何らかの意味の場に存在させることができる。

  そして人生の意味とは、生きるということの中にある、と筆者は言う。
  我々は生きることで、無限の意味に参与し、
  また新たな意味の連関を作り出していく

  その中で、我々がすべきことは、
  存在論的状況(自分の認識しているものがどの意味の場にあるのか)を明らかにすること。
  なぜかというと、人間の精神は常に変化するものだから、と。

  その上で、すべてを包摂するもの(世界)は無いという前提で、
  現存するあらゆる意味の場を、先入観なしに創造的に理解し
  他の人とも共有し話し合い、
  何を維持して何を変えるべきか判断していくことだ、
  と筆者は主張する。

  生きていくなかでは辛い経験もたくさんある、
  しかしそれらは
  人間という存在を考え直し、
  倫理的に向上させるきっかけとしていくことが大事だ、と。

  我々はそのような、世界や自分についての探求の旅路の途上にあるのだ、
  というような言葉で終わっていました。

○感想など
・筆者の話の中では
 「感覚は主観的なものではなく客観」
 というのが今一つすとんと来ませんでした。

 このことに関して、別のインタビューで詳しく語っておられたので
 もう一度確認してみたいと思います。

 それによると、
  事物への様々な見方は、
  事物そのものに備わる性質で、既に存在している。
  我々がその事物を認識するときには、
  既に存在しているそれらの見方を試すだけだ、
 という説明をされていました。

 見方が客観的、というのは
 見方が他の人に説明可能だからなのだそうだ。

 普通は唯一客観的な事物があり、
 それぞれの主観の関与があって色んな見方になる
 と考えるが
 (例えば、リンゴがあって、
  見る人のいる位置によって見え方が違うのは、
  見る人の主観的な感覚のせいだ、と考えること。
  こちらの方が経験的にもしっくり来るのだが)

 彼の場合、そもそも唯一客観的な事物はないと考え、
 色んな見え方を、事物の客観的な性質と考える。
 つまり様々な見え方を産み出す人々の感覚は、
 事物に属する客観的な性質を作っている、と。
 (リンゴの様々な見え方は、すべてリンゴに備わっている性質だ、と)

 別のインタビューではこのことを
 「感覚は、無観点的な本質が住まう、
  ある種の彼方からやってくる情報をフィルタリングしているのではなく
  むしろ向こう側にある」
 「感覚は頭のなかだけにあるわけではない」
 と表現していました

 うーん、そうなると感覚ってのは、
 我々が物を認識して感覚を意識する前に、既に物に属して存在しているのか?

 と思ったのだが
 いやいやそれは感覚イコール顕在意識的なもの、と考えたがる、
 科学的な世界観に私が毒されてるのか。

 たぶん彼が言いたいのは
 我々人間の感覚や意識も、世の中を作っている構造の一部だということ、
 その構造は唯一無二のものではなくいろんな姿があること、
 唯一の構造が外にあってそれを人間が認識してるわけじゃないということかな、と。

 ざっくりいうと、人間の感覚と事物との絡み合いがこの世の中を作り出しているのかな、と。

 人間は、経験、感覚、思考などしている間にも事物に働きかけて、
 それが事物の性質も作り、
 事物が存在する意味の場も作り、
 1つの事物にも色んな意味の場が関わって、
 意味の場どうしが関わってまた新しい意味の場を作って、
 …というような絶え間ない世界の創造が起きているのがこの世の中なのかな、と。

 私自身は、人間には肉体的な制約がある、と今まで考えていて、
 肉体があるから光の速度より速く進めなくて
 だからそういう光を越えた粒子なども(実際にあったとしても)見えないんだ、
 という考え方
 (だから、違う肉体を持つ宇宙人がいるとしたらそういう粒子などはあるはず)
 だったのですが

 ガブリエルさんの実在論からいうと、
 そういう目に見えない粒子などのような、我々の世界の外にある事象、
 というのは存在しない(全体の世界は存在しないから)

 例えがいいのかは分からんけど
 これは現世主義と似てるのかなと感じました。
 前世とか来世とか信じる人はいますが
 私はそれらはあるかもしれんけど、
 どっちみち現世の自分には認識できないものだから、無いと見なして生きよう、というスタンス。

 ガブリエルさんの世界に対する考え方も、
 我々の感覚と事物との絡みあいがこの世の中そのものなんだから
 目に見えない(人間の肉体では追い付けない)世界を考えるのはナンセンス、
 ということなのかな、と感じました。

・最初の「世界は存在しない」の理論の話では
 「意味の場」とは現実世界で何を指すのか。
 見えるものなのか何なのか。
 ていうかぶっちゃけこの理論何の役に立つんか(スミマセン)
 と思っていたが、

 読み進めるうちに
 「場」という概念はうまくできているなと思いました

 1つは現実の世界では白黒はっきりしてないことが多いけど
 それを場の重なりあいや、場の連関の創造、という概念でうまく説明できるのかな、と。

 例えば私とあなたの考え方は、
 大体同じなんだけどどこか違う、というのは
 あなたと私の○○に与えている意味の場は、
 一部重なってるが一部ずれてる、
 という風に理解できるし

 同じ人でも意見が変わるときもあるが
 普通は今日と明日でガラリと変わることは無い。
 それは場の連関が創造されていくということで説明できるのかなと。

 もう1つは、場の理論で考えると、どんなものも存在が許されるということ、
 これは救いがあると感じました

 どんな考え方も
 「何かの意味の場にはたしかに存在している」
 と認めれば、いったんは受け入れられる。

 どんな考え方もいったん受け入れる、というのは
 他人と話し合って分かり合うためにも必要だし
 新しい発見をするためにも必要で
 それは科学の世界でも同じだなと思います

・自然科学の章の
 ニューロン構築主義自然主義については
 若干こじつけ臭さも感じました…(笑)

 科学者自身は、そこまでゴリゴリに合理的に考えていないんじゃないかなぁ。
 便宜上こういう理論を使ってるんだよ、みたいな割りきりがあると思う。

 というのは実際に実験とか観測とかしていると
 どうしてもキチキチにはいかないところがあるのよね。
 そして、そこにまた自然の面白さ、神秘さを科学者たちは感じているんじゃないかなぁと。

 でも哲学や社会的な場所では
 たしかに我々は科学的な世界観にすっかり毒されてるなぁと思う。

 世界(宇宙)が外にあって人間の脳がそれを見てる、てのは教科書にも載ってるし、
 それだけじゃなくて、もっと思想深くにそういう価値観が染み付いてて、
 そのなれの果てが評価サイトとか行動経済学とかコスパ重視社会などになっているのかな、
 と思いました
 (もちろん、合理化するのはそれなりに利点もあるので、
  そんな社会が悪いと言いたいわけではないのですよ)

・宗教の章と最後の生きる意味のくだりが、個人的には一番グッと来ました。
 ていうか私の中ではガブリエルさんって、クールなリアリストのイメージだったので
 生きる意味とか人生の本質はみたいな、
 宗教やスピリチュアルが扱うようなことをおっしゃるのが意外だったかも(笑)

 私自身は興味を持ったことを調べたり勉強したりしたい人間だが、
 これって何の役に立つのかとも思ったり、
 なぜ好奇心を持つのかなと考えたりもしてました。
 でも知りたいのは人間としては当たり前の欲求なんだなと感じて
 ちょっと安心したというか。

 そしてそれに続く
 「開かれた宗教観」
 のくだりもいいなと思いました

 私はスピリチュアル的なことを探求するのは好きですが
 いわゆるゴリゴリの宗教はあんまり好きじゃなくて、

 それは宗教って、その宗教の世界がその中にできていて、それ以外は認めない、
 みたいなところがあるなと思うのです。

 私は昔、新興宗教に入れられそうになったとき
 そこの信者と
 「あなたの宗教を信じなくても、幸せな人は世の中にいっぱいいるじゃないか」
 という議論をしたことがあったのだが
 どの宗教に対してもそれは思う。

 だから、どの世界観もどの信仰のあり方も認める姿勢というのは素晴らしい。
 もはやそれって宗教じゃなくて悟りの境地かな、とも思う。
 どの宗教も、たぶん道は違うが目指すところはだいたい同じで
 そのだいたい同じ境地が「開かれた宗教」のあり方なのかなと感じました。

・それから、芸術を扱われたのも意外だったのだが(笑)
 哲学的な視点で見てみたら見えるものが違うんだな、と勉強になりました。

 絵だけじゃ無くて映画、小説、文学、
 お笑いのネタ、何気ないコマーシャルとか、
 メタファーやナンセンスさや非論理的さこそが、
 無意識に訴えかけたりする、というのが興味深い。

 お笑い芸人さんでも
 ズレとか崩れたところを指摘して笑いをとる、という場合があるけど
 それはズレ過ぎても理解されない。
 その時の事件とか世論とかのギリギリをネタにする方が笑えたりする。
 そこには、聞く人たちの意識との共同作業があるのかな、と。
 一流の芸人さんは、そこを割と感覚的に計算して(若干矛盾した言葉だが)やってるような気がする。

 今後は、芸術や映画やお笑いなどを見るときに
 どんな時代の空気を切り取ってるのかなとか
 自分の意識のどこの急所を突いてるのかな
 とかいう視点でも見てみようかなと思いました。

・この新しい実在論はAIの登場でどうなるのかなとも思いました。
 ガブリエルさんは昔、アンドロイド研究者の石黒浩さんとの対談で
 人間を模した機械としてのAIを強く否定していましたが

 今回の本を読むと
 人間だけがなぜ生きるか、この世界はどうなっているのか知りたがる、とある。
 たしかにAIは電源切れたら終わりだし
 たぶん生きるという認識も無いだろうから悩むこともないだろう。
 たぶん人間の悩みは、
 動物的なもの、例えば寿命があるとか、
 感情(特に恐怖)があるとかいうのに絡んでいて
 そのように怖がらない、悩まないAIが哲学を考えられるのかという疑問はあると思う。

 しかしながらAIテクノロジーは非常にパワフルなので
 人間の意識に働きかけて、
 また新しい世界、意味の場をたくさん作っていく、というのはあるのかなと感じました。

 全体的に、文章から温かさというか
 ガブリエルさんは本当に人間が好きなんだな、という印象を受けました。
 世界から人間を置き去りにちゃいけない、
 と何度も書かれていることにもそれは現れている。

 新実在論が、相対主義と混同されることにも何度も釘を指していて
 「世界はたくさんだけど、何でもいいってわけじゃないよ」
 「そこはみんなで話し合おう」
 としていて、

 でも実現の仕方などはまだもやっとしているし

 あと彼の世界観と科学的な宇宙観とで隔たりがありすぎて
 現実にどう擦り合わせていくのかなぁ、
 科学者、経済学者、将棋の羽生さんみたいな人とか哲学的なコメディアンとか、異分野の方との対談も見てみたいなと思いました。

というわけで、長くなりましたがこの辺で。

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2「第9回暮らす」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2「第9回暮らす」」

AIの仕組みについて学ぶとともに、人間の本質に迫る番組、
司会はチュートリアルの徳井さん、
解説はAI研究者の松尾豊氏です。
今回のゲストはデザイナーの田子學さん。

○お片付けAI
 今回は散らかったお部屋でトーク
 徳井さんは
 「NHKにしては珍しいくらい散らかってますよ」(笑)

 松尾先生は徳井さんに
 「じゃあ、片付けていただけますか」とお願いする

 徳井さんが田子さんと片付けていると、
 松尾先生はその様子を観察しつつ
 「なるほど、コップの位置も認識してますね」
 「スリッパも揃えてる」
 とAIを見るような観察のしかた(笑)

 徳井さんは
 「そりゃ認識しますよ(笑)徳井43年生きてますから」

 松尾先生「最近はお片付けAIがあります」
 徳井さん「めちゃくちゃ便利じゃないですか」

 最近、自動でお片付けしてくれるロボットAIが出来たそうです。
 これは以下の4つの機能が可能になったから実現されたのだそう

 1ものを認識する
  このロボットは、機械自体のカメラだけではなく
  天井にあるカメラの画像も活用し
  1秒間に3万枚もの画像を認識して処理しているそうです

  物が密集している所でも、一つ一つ認識する。
  ハンカチのように柔らかくて形の変わるものも判別する。
 
  エンジニアの羽鳥潤さんによると
  「一番大きな障壁だったのは、最初に物体を認識すること。
   これは最近の深層学習技術のめざましい進歩で可能になりました」

  深層学習はこの番組でも何回も出てきましたが
  電気信号の連なりである生物のニューラルネットワーク
  (脳みそから神経への命令の伝達)
  を人工的に再現したもの

  徳井さんは
  「チップをものにつけて、
   それを単体で認識するわけではないんですね」

  松尾先生は
  「チップをつける研究は今までなされていて、
   RFIDタグ(電車のICカードにあるチップ)も安くなってきたので使えないことはない。
   でもこういうもの(個別包装されてる煎餅)とかにチップをつけられるのか、という問題がある」
  だから、画像認識技術の発達は大きいそうです

  羽鳥さんによると
  「まず今、何がどこに置かれているかを認識すること、
   それから片付いている状態を考えて自分で片付けるようになることが重要」
  なのだそう

 2ものを掴む
  それから、ものを掴むのもロボットには大変なことで
  ハンカチなどは形が変わるし
  細いものは持てるところが少ない、
  じょうろみたいな不定形のものはどこを持てばいいのか分からない
  …など、人間には簡単そうでもロボットには難しいらしい

  このロボットのカメラには深度測定器(奥行きを測る)があり、
  奥行きを認識し、三次元画像を作り、掴める場所を判断しているそうです

  徳井さんは感心して
  「人間より正確なんじゃないですか」

  しかし松尾先生は
  「いや、人間はこういう認識は相当正確にしています。
   でも人間の場合、赤ちゃんの頃から反復練習している。
   例えばペットボトルとコップでは、持つべき場所が違うから、手の軌道も変わる。
  それを大人は自然にやるけど、それまでに相当学習していている。
   今ロボットはそれに近づくことをやっているわけです」

  そして田子さんに
  「ロボットが持ちやすいデザインができる可能性はありますか?」

  田子さんは
  「そうですね、
   今はコップの取手は人間の指の形に合うような構造になっていますよね。
   だから持つ側がロボットに変われば、それに応じた形状が生まれることはある。
   ただそれをデザインするのが人間なのかロボットなのか、
   というのは興味深いですね」

 掴むとか歩くとか、普段何気なくしている動作は
 誰でもできると思ってしまいがちだけど、
 それは赤ちゃんや子供の頃からの学習の賜物なのね。
 人間の遊びもAIから見れば学習なんだなと思うと、少し不思議な感じがしました

 3整える
  このロボットは、単に物を置くだけではなく、
  上下逆さまなら戻す、オモチャはかごに入れるなど
  使いやすい向きや場所も考えて置いてくれるのだそう

  徳井さんは
  「コップをつかんでどこにしまうのかとか、
   どうやって認識してるんですか」

  羽鳥さんは
  「これはデモの都合上、ここにはこれを置く、と教えてしまっているんですけど
   今後はロボットが部屋を見て、ここにはこれかな、と
   ある程度自動で片付けるしくみが必要だとは思っています」

  松尾先生は
  「子供に教えるのとどっちが簡単ですかね?」
  徳井さん
  「やっぱりまだ子供の方が楽っぽいですね」
  羽鳥さんは
  「まぁでもいったんルールを覚えたら、
   ロボットはそのように動いてくれることはあると思います」
  徳井さん
  「子供の場合、分からせてもしない、てのはありますもんね」(笑)

 4臨機応変
  私はこれが一番驚いたんですが、
  このロボットは音声認識機能もあり
  「それ、そっちに入れてくれる?」と指差して言うと、その通りやってくれるそうです

  羽鳥さんは
  「インタラクティブに、
   こうやってほしい、と人間が言ったとき
   ロボットが自分の行動に反映してくれるんですね」

  今のところは片付け位置を決めているが、
  片付けるかごの場所が変わっても対応できるようにはしていきたいそうです

  個人的には「これ」とかで分かるのがすごいな、と思いました

○お片付けAIの最新技術
 松尾先生が、このロボットの技術的な解説をされていました

 片付けの際に必要なのは
 ・現在の部屋の中の地図を作り
 ・片付け後の部屋の地図も作り
 ・この2つを照らし合わせ、
  かごに持っていくなどの行動計画を立てる
 ・それを行動に移す
 という一連のタスク

 さらにこの途中で
 「それあっちに持ってって」と指示されるのがAIにとっては難しいそうで
 「それ」は何を指すのか、
 今手に持っているのが靴下だから靴下だな、と判断する、
 というタスクもこのロボットは同時に行っているそうです

 この際、地図を作る、人間のジェスチャーを理解する、
 などには画像認識が使われているが
 指示を出されたときには音声認識が使われ、
 他にも様々な技術(掴むなど)も絡み合って作られているロボットなのだそう

 羽鳥さんは
 「一番直感的なインターフェースは何があるのかを考えています」

 つまりあれ、それの指示をいかに自然に行うかということ。
 例えば
 「この散らかりの中央付近においてある緑色の蓋のペットボトルを
  松尾先生の右膝の横に置いてください」
 という指示はまどろっこしいが
 人間なら「その緑のやつこっちにおいて」で済む

 そこには音声理解と、
 指差しの方向や指差す先に置いてあるものの画像認識などが同時に働く、
 つまりマルチモーダルな処理がなされている、と。

 片付けってかなり高度な知性の働きなんですね。

○お片付けロボットの実用化
 松尾先生は
 「僕はお片付けロボットは将来実用化がどんどん進んで、
  すべての家庭に置かれるんじゃないかと思う」と大胆な予想。

 「今AIスピーカーはあるけど、それよりもお片付けロボットだと思う。
  スピーカーは会話だけで役には立たない。
  本当に役に立つのは物を片付けたり必要なときに物を取り出してくれるロボットで、
  これは日本の事業戦略上のやり方としても重要だと思います」と。

 シーズン1の「味わう」の時にも松尾先生は、
 日本はもっと実用的なところに技術を使うべきだ、とおっしゃっていたような。

 羽鳥さん
 「物理世界の情報は、まだほとんど電子化の領域に入っていないんですね。
  ロボットは現実世界で動き回って、棚を開けたり冷蔵庫を開けたりできる」

 ロボットは自ら動いて、物理世界の情報を電子化の世界に持ち込んでくれる。
 それにより、片付けだけではなくて
 そういやこんなこともやってくれると助かるな、みたいな、
 人間の意識に上っていなかったような役立つ機能も、今後は気づかせてくれるかもしれないですね。

○美意識を持つAIはこれから
 田子さんは
 「綺麗にすると同時に、彩りも与えるのは大事だと思うんですが。
  例えば花を活けるとき、間の作り方とか、空間を作っていますよね。
  そういう意識はどこまで進むんでしょうか」

 羽鳥さんは
 「そういう美意識はまだこれからだと思います。
  ただ退屈な家事や仕事をやってくれるだけでは、
  ユーザーの方もつまらないとは思っています。
  ただ、どういう状態なら美意識があると認識できるかはこれからだと思います」

 田子さんは
 「サプライズがあったりすると、AIへの信頼を持てたりしますけどね」
 悲しいときにはそれにあうことをしてくれる、など…

 徳井さんは
 「夢が広がりますねぇ。
  (羽鳥さんに)お願いしますよ、独身男性の一人として」(笑)

○お国柄が現れるAI技術
 各国でAIの開発が進むが、
 そこにはその国々の文化も反映されているそうです

 ・イスラエル
  イスラエルはセンサーAIの発達がめざましい
  紹介されていたのは眼鏡型のセンサーAI
  これは視覚障害者用に開発されたもので
  眼鏡をかけて手をかざすと文字を読み取ったり
  商品を認識したりしてくれる
  人の顔も覚えて名前も登録してくれるらしい

  顔となるとセキュリティはどうなの?と思うが
  視覚認識支援AIメーカーの幹部アムノン・シャシュアさんによると
  「クラウドにもセンサーにも顔画像は送らない、
   特定の人に出会ったこと、その人の情報を残すのみで
画像は保存しない」とのことです。

 ・中国
  中国にはホームアシスタントロボットがあるそうです
  プログラミングによりバージョンアップでき、
  火事を認識して通報してくれたり
  ヨガやダンスをするAIも可能なのだそう
  
  開発者によれば
  「将来的にはエアコンのスイッチのコントロール、宅配、ホテルの予約など
   あらゆることをAIが管理してくれるようになる」と

  うーん、個人的にはそこまではいらんかなぁ…

 ・日本
  日本では高齢化が進むが、高齢者ターゲットの犯罪を防止するAIがある
  これは銀行のATMで
  振り込め詐欺被害者的な振るまい、
  つまり片手に電話を持ちながら画面操作する人、というのを画像認識して
  行員に知らせてくれるのだそう

 徳井さんは
 「生活によりAIも変わりますが、そうするとデザインも変わるんですか?」
 田子さんは
 「そうですね、根底の文化背景によって物の使い方もニュアンスも変わる。
  デザインは表に出てくるものなので、バリエーションは出てくると思います」

 松尾先生は
 「ATMはとても日本的ですよね。
  逆に海外だと、テロの方が心配で
  地下鉄などの公共交通機関でカメラを取り付ける方が需要があると思う、
  日本でそれをやるとやり過ぎという話になるが、
  海外では社会の同意が得られやすいから実現する」

 田子さんは
 「誰がお金をかけるか、というのもありますよね」
 例えば北欧は福祉国家なので
腰を痛めた人のためにデザインされた掃除機、というのもあるそうです

 それは先の方が真っ直ぐではなく、ぐねっと曲がっていて
 ソファの下でも腰を屈めなくても奥まで入るようになっているらしい

 そういうデザインにしようとすると材料や手間賃が掛かるが、
 社会が多少高くても人に優しいデザインを、
 と合意するので、そういうデザインは可能になるらしい

 松尾先生は
 「日本は機械に機能を求めすぎるという話もありますよね」
 徳井さんは
 「機能を詰め込むと、こういうデザインがしたくてもできないこともあるけど、
  海外は機能はある程度絞ってデザインを優先したりするんですね」

 うーん、日本の家電の機能性の高さは、誰が要求してるんかな、と思ってしまうときがある。
 炊飯器にしてもブランド米ごとに炊き分けるものも出てきているが、
 そんなに米の味分からんし…
 電子レンジもほとんど使わん機能もあるしなぁ。
 高齢者などは、シンプルで安いものの方が需要が有るんじゃないかなぁ。

○お茶を立てるAI
 次に登場したのはお茶を立てるAI。
 開発したのは中央大学工学部の橋本学さん。
 「お茶会を模したロボットで、本当は左右双腕あるんですが、
  今回はデモなので片方持ってきました」

 このAIはお茶を立ててくれる
 茶匙を持ち、
 お茶粉をすくい、
 湯飲みに入れ、
 そこにお湯を入れ、
 茶筅でお茶を立てる、

 という一連の操作をしてくれる(完成形の映像では、着物も着てました(笑))

 松尾先生が
 「徳井さんもやってみてください」
 といって渡したのはなぜかフォーク(笑)
 徳井さんは
 「道具が違うんですけど…」
 と言いつつ、フォークを横にして粉をこそぐようにして無理矢理湯飲みに入れる(笑)
 「さすがですねぇ」(笑)

アフォーダンス
 松尾先生は
 「さきほど、なんでフォークではできないとおっしゃったんですか」
 徳井さん
 「これだとすくえないです」
 松尾先生
 「なんですくえないと判断しましたか」
 徳井さん
 「この形状(フォーク先端の三股)がすくうようにできてない」

 松尾先生
 「今おっしゃったような判断をAIがやってるんですね」

 橋本さんによると、このロボットは日用品の機能を認識しているそうで
 まず3Dスキャンでスプーンなどの道具を読み取り、
 すくう場所、持つ場所などを機能別に人間が色分けする
 それをAIが学習し、ものを見たときに部分で機能をラベル付けするそうです
 
 穴が浅い窪みはすくうもの、
 深い窪みは蓄えるもの、などと認識する

 今のところ、すくう、蓄える、つかむ、つまむ、支える、
 の5つを認識できるそうです

 徳井さんは
 「人間は、何をするか分からん道具でも
  ここ(スプーンの窪んでいる所)には何かものがたまりそうだな、とか判断しますよね、
  それと同じことをしてるということですか」

 松尾先生
 「そうですね、それと同じですくう、ということをデータとして与えているんですけど、
  そもそもすくうということが何かはよく分かっていないんですよね」

 松尾先生によると
 人間の場合、実際にすくうとか掴むという行動、経験を通じ、
 これは持てるもの、すくえるものだと学習していく。
 ロボットは行動を通じた学習そのものはしないが
 人間が経験から得た情報をデータとして入れてあげることで、
 同じことを学習している、と。

 また、人間は経験から、この形状ならこの機能だな、という情報を得ていくが、
 これを物の側から見ると
 「私の形はこういう機能ですよ」という情報を発信しているとも言える、
 それをアフォーダンス、というそうです

 アフォーダンスとは元々認知科学の用語で、
 説明が無くても、物はその形により人間に機能を連想させる。
 これは環境と人間を結ぶ豊かさ、とも言える

 「アフォーダンス(物が形を通じて情報を語りかけてくること)は元々心理学の用語で、
  こういうものがあるだろうというもやっとしたもの、概念だったんですが
  AIによって明らかにされつつあると言える」

 AIの研究により
 物が人に語りかけてくる言葉、という、物語の世界のようなものが可視化されてきている、と。

 松尾先生は
 「人間はそもそも、スプーンは何かを学習するときに
  スプーンとは何かということ(スプーンの概念)と
  これはすくうものだということ(スプーンの機能)を同時に学習している。
  互いに依存関係で、どちらの情報も必要なんですね。

  人工知能の研究では、物事を色々定義していくんですが
  例えば椅子の定義は座るものだ、と言われる。
  でも椅子のような形状でなくても、
  岩のような形でも座れるから椅子にはなる。
  これは、座れる、という行為が椅子を定義しているとも言える。
  このように認識においては、色んなことをしていることが
  AI研究を通じて垣間見えると思います」

 橋本さんも
 「我々もタスクを実行させるとき
  「~ができる」と、「~すべきである」というタスクを考える。
  状況に応じて、あるときは「~できる」からする、
  「~すべき」でないからしない、
  という判断をロボットができるようになっている」

 松尾先生
 「教師データを、ロボットがインタラクションしながら作れると
  完成形に近いですね」


 (…この辺の話はちょっと分かりにくかったんですが
  私の解釈で書くと
  松尾先生の椅子の話については
  我々は道具を定義するとき
  椅子の形状などの概念だけではなく
  椅子の座るという機能も考慮に入れて定義する。
  というか、機能だけで定義することもある、と。

  多分それは実用から考えたら合理的なことで、
  そもそも動物や人間にとっては、道具は生存のために使えればいい。
  極端な話、機能さえあれば形や色はどうでもいい場合もある。
  だから時に機能ありきの定義になるのは当たり前なのだろう。

  それを受けての橋本さんのタスクの話は、
  例えば本物のスプーンじゃなくても(形状が一般概念と違っても)
  「窪み(機能)がある、すくうことができる」と判断したら使う、
  逆にスプーンぽい形状でも穴が開いてるとか、
  あるべき機能が無くいために「これではすくうべきでない」と判断すればすくわない、
  ということか。

  そして松尾先生の
  「ロボットが教師データを作れれば」というのは

  ロボットは自分で動き回って外界から情報を得られるので
  そこから教師データを得て自分で入れていけるようになる、ということか)

 このあと信号や非常口のマークなど、記号だけで分かるものが色々紹介されていました。

 ちなみに昔「デザイントークスプラス」という番組で
 こういう絵記号は日本独特の文化だ、と紹介されていた記憶があります。
 デザインから意味が発信されたら、
 AIもだけど、聴覚障害者や外国人なども認識しやすくなる、
 まさにユニバーサルなデザインになるかもしれない、
 そこに日本人の感性が役立つかもしれないですね。

○AIならではのデザインが持つ可能性
 徳井さんは橋本さんに
 「AIが認識しやすいデザインが出来たら楽ですか?」

 橋本さん
 「そうですね、ロボットも手の形に制約があって人とは違う、
  今は人間のための道具をロボットに教えていますけど
  ロボットに持ちやすい形とか、
  あと両方使いやすいユニバーサルデザインもできるかもしれないですね」

 田子さんは
 「その場合、デザインするのは人間なんですか、ロボットなんですか」

 橋本さんは両方の可能性がある、というご意見で
 「ロボットから提案するデザインと
  人間が提案するものは違うかもしれないですね、
  人間は機能性もデザインも考えているけど、ロボットはまた違うかもしれない」

 一方松尾先生はロボットには補助的なデザイン製作しかできない、というご意見で
 「デザインの過程の効率化の支援は、ある程度ロボットでも可能だと思いますが、
  デザイン自体はロボットには難しいと思います」

 というのは、人間はデザインの際
 社会や人間そのもの、時代背景などを総合的に考えるが、ロボットはそれらは知らない。
 また、美しい、便利という価値観や感覚は人間しか持たない。
 だから人間のデザインをAIが支援することはあっても
 デザインそのものを、AIが考えるのは難しい、と。

 田子さんは
 「でも、AIだからこそ出てくるデザインが出てくるかもしれないですね、
  人間が見たら何とも言えない美しさだったり…」

 橋本さん
 「ロボット自身も時代によって変化していくんですよね
  ある時代では持ちやすいものが、ある時代持ちにくくなるのかも」

 例えばロボットにとっては、ドーナツとコップは一つしか円がないという意味ではAIにとっては同じ形。
 このように、ロボットならではの認識と、人間ならではの認識があり
 それぞれが持つ違う美意識が新しいものを産み出すかもしれないそうです

 AI独特の感性による意外性、というのはあるかもしれないですね。

○最後に
 田子さん
 「ここまで進化してるのか、と分かったのと同時に、
  デザイナーとしては、
どこまで可能性があるのかなと思った」

 というのは
 「我々デザイナーは、機能をどうやって形に持ち込むのかを考えますけど、
  アフォーダンスの話で、
  機能を形に持ち込むことが(技術で)読めてくるとしたら
  その先に何があるのかな、と。
  あと、どこまでが機能でどこまでがそうでないとなるのか、
  ニュアンスをどう読みとくのかは興味がありますね」

 松尾先生
 「形状から何を示すかを明らかにすることが技術によってできるようになると、
  こういう形状なら人々はどう感じるか、シミュレーションできるようになるかもしれない。
  そうすると本来の形状とは全く違うんだけど、
  そういうアフォーダンスを与えるようなデザインを見つけてください、とできるかも」

 アフォーダンスを読み取るだけではなく、逆に新しく創造できるかも、と。

 田子さん
 「構造計算は人間では難しいですが、
  それが瞬時にできるようになれば
  どういう線が出てくるのかという実験もできる、
  それを見ていきたいですね」

 徳井さんは
 「お片付けロボットの製品化をぜひお願いします」(笑)

という話で終わっていました

○感想など
 アフォーダンス、 て聞いたことはあるけど、
 なんだかわからないので少し調べました。

 元々はジェームス・J・ギブソンさんが考えた認知科学における概念で、

 人や動物と環境との関係は、
 単純な「環境-反応」モデルではなく
 動物が環境の情報に応じて行動を「 調整」していく、
 そういう関係性を示した言葉だそうです。

 ここには、環境とは人や動物 に情報を与えるもの 、
 つまりアフォードするもの、  という考え方があるんですが、

 これをデザインの世界に拡張したのがドナルド・A・ノーマンという方。
 彼は、物や環境が人や動物にアフォードする、という意味を拝借して
 物がその形状や性質によって人にアフォード(働きかけ)をして
 その使い方を連想させる、
 そんなデザインやデザインの可能性を示す言葉として使い始めたそうです。

 今回取り上げられているのも ノーマンさん的なアフォーダンスの考え方ですね。

 ギブソンさんは物だけではなく環境との関係を考えていて
 「物が語りかける」的な話とは少し違う。
 今回とは関係あるか分からないけど、認知科学的には(そしてAIを考える際には)興味深かったので一応メモしておきます。

 詳しくはwww.yc.tcu.ac.jp/~cisj/02/2-3. pdf 1
 にありましたが

 環境と動物との関係は
 古くからはデカルト的に「刺激-反応」モデルが考えられていたが

 ギブソンさんの場合、ミミズの様子を見てそれは違うと考えたそうです

 ミミズは同じ外界刺激でも、巣を作ったり作らなかったり、違う材料で巣をつくったりする。
 毎回同じではない。
 これは刺激への単純な反応モデルでは説明できない、と。

 そこでギブソンさんは
 動物は環境に応じた行動をすることで、環境との関係を「調整」しているのだ、
 と考えたそうです

 動物は、単純に外界に反応して行動するのではなく
 外界を監視し、より適応的な状況を作り出すために行動する。
 そうして環境との関係を変えていく。

 その際、環境は動物に調整に必要な情報を提供し、
 動物の調整行為を支えていく、と考えるそうです

 アフォード(afford)とは
 「~ができる,~を与える」という意味で、
 動物に行動を可能にさせる情報を与える、という意味で使われているそうです
 ここでは環境は、情報を動物に与えてくれる資源として考えている。

 ここでいう環境の特徴は
 1つは環境の物理的な性質を考えるのではなく、
 その動物にとっての環境の性質を考えるということ。
 だから同じ環境でも、動物によって違う行動のしかたをして、違う関係を作っていく。

 もう1つは環境は情報を与えはするが、
 動物の行動を起こすものではない、ということ。
 いくつかの行動の可能性は与えるが、
 ある行動を必ず起こさせるわけではない、と考えるのだそうです。

 この考え方だと
 動物は単に環境の刺激を受動的に受けとるだけの存在ではなく、
 環境からの情報を受け、そこに適応するような行動をとり、
 そうして環境との関係を変えていく、
 という能動的な関わりになる。

 環境も、動物になにかをさせるわけではなく、情報や可能性を提供する存在になる。

 今回のアフォーダンスの話でも
 人やロボットが実際に行動し、物に働きかけてその機能を読み取っていく、とありました。
 ギブソンさんの考え方だと、さらに進展して
 人や動物は物を使うことで新しい使い方を発見し、関係を変えていくこともありうる。
 原始時代、最初に物を割るために石を使い始めた人も、そういうことなのかなと思う。

 だとすると、人間が物から読み取る機能は人によりけり、無限に増えていくのかも…
 だとするとAIがそれを予測するのは難しいのかな?
 それとも、人間が読み取るアフォーダンスはある程度は傾向があるのかな。

 あと、ギブソンさんの理論では
 動物が行動をどのように決めるのか
 についても興味深い考えを持っていたんでこれも書いておきます

 認知科学的には、人が行動を決めるとき
 行動の最終状態(目的)が先にあって
 それを達成するために学習を調整していく

 あるいは、行動に応じた報酬があって、
 行動に対する報酬のフィードバックを得て学習していく
 と考えるそうです
 多分AIはそういうやり方で学習していると思う。

 しかしギブソンさんの理論では
 動物が行動するためには
 目的も報酬も必要ないと考えるらしい。

 動物は、環境に対して(結果は分からんままに)調整の行動をして
 その結果適応しにくいなと思ったらまた調整の行動を取る、
 そうして学習を重ねていく、と。

 この学習の積み重ねが組織化して
 体の器官、脳すらも作っていく、と考えるのだそう

 つまり学習においては、
 答えがあって、答えあわせしながら正しい、間違っていると学習するのではない。
 動物と環境と双方向からの働きかけで成り立っている
 ということになる。

 まぁたしかに日常生活においては
 正解のない問題だらけであり
 そこを何とか適応し、
 予測できない生成を紡ぎながら生きているのが動物、人間なのかなと思います
 (この辺の考え方はドゥルーズの哲学によく似ているなと思う)

 これを踏まえてAI技術を考えると
 昔は命令を入れてその通りに動かさせる
 (「刺激→行動」理論の実践例)だったけど、
 最近の深層学習なんかは
 ネットワーク構造だけを作って
 環境からの刺激を与えて勝手に学習させる、
 という方向に行っている。

 それはアルゴリズムブラックボックスになるという問題はあるものの
 動物が環境に自分で働きかけながらちょっとずつ関係を変えていく、というモデルに近づいているのかなと思う。

 また、この論文の後半には
 我々のテクノロジー
 デカルト的な「刺激→反応」モデルを前提としており
 このため一方方向的な働きかけをするものが多い(ネット、テレビなど)
 それが問題を引き起こしている、
 という論調になっているのだが

 私は最近のネットやテレビも
 昔に比べたらずいぶん双方向的になったなと感じる。
 番組も視聴者参加型のものが増えたし
 ネットではインスタやブログ投稿とか、配信する側に気軽になれていたりする。

 これは誰かが意図してそうなったというよりは
 人間や動物がそもそも、環境と能動的な関係を望んでしまう生き物なのかな、と思う。
 受動的に刺激を受けるだけでは、退屈だと感じてしまうんじゃないかな、と。
 人が物を擬人化したり、テレビに話しかけちゃうのもそのせいなのかな。

 ノーマンさんのいうアフォーダンスでも物の形が語りかけてくる、いうが、
 それは人間側がそう思いたい、というのもあるのかなと思います。

 これからのAIも
 AI自身がうろうろして、環境に働きかけて自分で勝手に学ぶ、という流れになるのかな。
 また、人間とAIどうしがインタラクションして、
 新しいデザインとか美意識を産み出す、ということも起きてくるかも。

 もちろんそれは予測不能のことを起こす恐れもあるわけで
 野放しにはできないのでしょうけど、
 多分テクノロジーの流れは止められないし、
 これからどんな世界になるのかなと興味深く思いました。

それからお手伝いロボット、
片付けも断捨離も心の整理をする一面もあるので
あまりにも機械化するのもどうかなぁとは思いつつ
あったら使っちゃうのかなぁ…
でも古い人間だから罪悪感感じちゃいそう。

色々考えさせられました。
というわけで今回はこの辺で。
 

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2第8回「診療する」」

Eテレ「人間ってナンだ?超AI入門シーズン2第8回「診療する」」

AIについて学ぶと共に人間の本質について学ぶ番組、
司会はチュートリアルの徳井さん、解説はAI研究者の松尾豊さん。

今回は医療関係の話でした。
シーズン1では、
ゲノム情報と病気との関係、
論文からの治療法検索、
画像からの症状診断、など、
お医者さんがデータと病気との関連を探すのにAIを使う話が主で
あんまり患者側にはピンと来ないかも…という感じでした。
もちろんAIによる問診の話もあったけど、
まだまだ開発段階、夢の話という印象でした。

でも今回は、問診やカメラなど、
お医者さんが患者さんと一緒にいる現場で使えるような
実用的な話が多かったと思います。

○今回のゲスト
 ゲストは医師の八重樫牧人さん。
 八重樫さんは総合診療内科が専門だそうです
 総合診療、とは
 「よくある症状の患者さんを診て、
  必要ならば専門医に紹介し、
  自分で治療できるならそこで治療もする」

 専門への入口でもあり、
 軽い症状の方を直接診る立場でもある、とのことです

○問診AI
 最初に出てきたのは問診AI。
 徳井さんが、パッドを使って症状を記入しています。

 「ここ数年この季節になると鼻水が出るんですよね…」
 そのあと、他の症状は?鼻水の色は?などを聞いてくる
 選択制で、ボタンを選んで押すだけなので、
 記入は簡単そうです。

 AI問診開発者の久保恒太さんは
 「先ほど見たように、患者さんには分かりやすい言葉で聞いていますが
  このあとこれをお医者さんの言葉に置き換えます」

 みると、「主症状」「随伴症状」などの項目にずらずら難しそうな文章が並んでいる…

 久保さんによると
 患者さんの健康履歴なども書けて、
 電子カルテにそのままコピペできるんだそうです
 これにより、医師のカルテ記入などの手間が省け、
 患者さんに向かう時間も増える

 八重樫さんは
 「めちゃめちゃ便利だと思います」
 医者の事務仕事の負担が減るのはもちろん、必要な情報に集中しやすくなる、と。
 「例えば胸が痛いのでも、二時間痛いのか30分か、動けば痛いのかなど色々あって、
  そこから診断していくんですけど、
  医者がカルテに向かう時間が減ったら話もできて助かると思う」

 松尾先生は
 「有効に時間も使えるし、ある程度のことはAIが聞いてくれているので、
  足りないことがあればお医者さんが更に聞くこともできる。
  対話しつつ、より症状を特定できますよね」
 久保さん
 「患者さんの方も、同じことを何回も聞かれるのめんどくさいですよね」

 また、徳井さんは
 「病院に行く側からしたら、空いてる所を探してしまいますよね…」
 松尾先生
 「一時間待って3分医療とかね」
 徳井さん
 「AKBの握手会みたい」(笑)
 「だからこういうのがあると助かるなぁ」

 とはいえ、AIによる問診と医師による問診を比べると
 八重樫さんは
 「AIはまだ診断をつけるのは難しいと思います」と。

 AIは画像診断のデータを残せたりする利点はあるが、
 細かい情報を拾って、最終的に診断をするのはやはりエキスパートの医者の方が勝る、と。

 また、患者さんと対話していきながら診断していくのも大事で
 「大人の場合、6~8割は問診で診断がつく、と言われている」
 そこはまだ弱い、と。子供は言葉がまだ未熟なので、さらに難しいらしい

ベイジアンネットワーク
 松尾先生は
 「AIによる質問は、医学的に正しいんですか」

 久保さん
 「我々は公表されている、病気に関する論文に基づいて正しさを検証しています。
  あとチームには医師もいて、最終的に判断している」

 松尾先生
 「それに加えて、AIの問診はあっても最終的に判断するのはお医者さん、というのは大事なんですね」

 久保さん
 「そうですね。
  AIの役割は、聞き漏れがないように、などの安全性を担保するところ。
  リスク回避に使うだけで、最終的には医師が判断する」

 そこで使われるのがベイジアンネットワーク、というもの
 得られる情報を元に確率を出す統計学的な手法

 松尾先生によると
 ベイジアンネットワーク自体は割と昔から使われている手法で、
 日常生活でも人間が直感で行っているらしい

 そう言えば経済学なんかにも「ベイズ確率」は出てきました。
 (売り買いには売る人、買う人との間で情報の非対称性があるので
  買う側からしたら、得られる情報から出される確率が重要になる。
  情報によって変わる確率をベイズ確率、と言ったと思うのですが
  例えば行列の並んでいる店と並んでない店のどっちに入ると当たりが多いか、などの確率を出すのにも使っていました)

 ベイジアンネットワークの例として、松尾先生は
 「例えば、家の前の道路が濡れていたらどうしたと思いますか?」
 徳井さん「雨が降ったか、誰かが濡らしたか…」
 松尾先生「水かけたよ、という人がいたらどう判断しますか」
 徳井さん「じゃ、雨じゃあないんでしょうね」
 松尾先生「なんでそう判断したんですか」
 徳井さん「水かけたよ、と言ったから?」

 「実はこれがベイジアンネットワークによる推論なんですね」
 道が濡れている、という現象に対して、
 誰かが水をかけた、雨が降った…などの仮説をいくつか立てる
 そのあと、誰かが水をかけたという選択肢が真だ、と判断できる情報
 (この場合は「水かけたよ」という証言)
 があれば、他の選択肢を除外できる

 問診のAIの場合も同じで
 のどが痛いと言う人がいれば
花粉症、風邪など多くの可能性があるが、
 問診しながら得られる、因果関係がありそうな情報を検証していくと、可能性が絞りこめる

 徳井さん
 「こういう風に、確率を出して絞りこむ方法についてはどうですか」
 八重樫さん
 「僕らが日常でやってることを
  別の切り口で説明してくれてる、と思いました」
 同じ鼻水でも、3年続けば風邪は無いだろう、とか
 医者は問診で聞いていく情報により色んな可能性の高さを上げ下げしている、
 その過程を数学的に説明している、と。

 松尾先生は
 「これはAIで理論的にはできると思われていたんですが
  実際はお医者さんの頭の中には
  もっとたくさんの情報がある」
 例えば職業や家族関係など、医療以外のことなどもある
 「でもAIは、社会の仕組みなどまでは分からないからそこは弱い。
  お医者さんなら、こういう職業の人はこういう症状になりやすい、とか分かるけど、
  AIは分からないので、そこが限界なんですね」

○医者とAIの違い
 徳井さんは八重樫さんに
 「現場のお医者さんとしては、
  アシスタントにするなら臨床医とAIどちらがいいですか」

 八重樫さん
 「圧倒的に臨床医です。
  というのは、私は教育もしているので、お医者さんを育てる意味では人間の方がいい。
  でもそれは建前で(笑)本音を言うと、両方じゃダメですか?」

 どちらも良いところがあり
 AIもあれば診断は助かる、てのが本心だそう

 「でも医療とは診断して終わり、じゃなくて、
  不安をどうにかしたり
  患者さんに納得してもらわないといけない、
  そういうのをすべてひっくるめたのが診療、なんですよね」
 AIは助けにはなるけど、人間の能力までには至ってないんじゃないか、と話していました

 ただ世界の流れとしては
 診断の最終判断は人間の医師に任せるとしても
 問診のプロセスには積極的にAIを活用しよう、という動きなようです

○眼底写真を撮影するAI
 アメリカでは、眼底写真を撮るAIが認可されたそうです。

 眼底写真は医師でも撮影するのが難しいそうなんですが
 医療メーカーのエンジニア、秋山正博さんによると
 「この機械は全自動で撮影できる。
  AI診断にとっても、画像の均質化は大事なんです」

 アメリカでなぜ認可されたかというと
 アメリカには糖尿病患者が多く、
 糖尿病由来の網膜症も多くて網膜症の早期発見への需要が高いのだそう

 糖尿病網膜症とはなにか?
 糖尿病になると、眼の網膜(眼球を覆う膜)の血管がボロボロになり
 新しい毛細血管が作られる
 ところが新しい毛細血管は細くて弱く、出血しやすい
 それで網膜が剥離してしまうのだが
 痛みなどの自覚症状が無い
 そこで発見が遅れ、悪いときには失明してしまう危険があるそうです

 八重樫さんによると
 「アメリカは成人の6割が肥満と言われ、糖尿病も多い。
  なので糖尿病の人は年に2回は眼底検査をしなさい、
  それをしない医療機関は質が悪い、と言われる」

 しかし、この検査には散瞳(さんどう、瞳孔を開かせる)のための目薬を指さねばならず、車の運転ができない
 (これは私も片目だけやったことがあるが、目の前がまぶしくてぼやけて全然見えない)
 
 アメリカは田舎だと車で病院に行ったりするので
 面倒がっていかない人もいるそうです

 八重樫さんによると
 「日本でも視力を失う原因の2位が糖尿病網膜症と言われています。
  早めに診断ができれば助かる。
  鑑定鏡、てのもあるんですけど、難しいし、
  見えても少しだけなので、それだけでは判断できないんですね」

 このカメラを開発したアメリカ、アイオワ州のメーカーの方によると
 「アメリカには年間3000万人の糖尿病患者がいて、さらに増加すると言われている。
  世界的にも糖尿病患者は増加すると言われている」

 「このカメラはディープラーニングを使って、たくさんの眼底写真から学習している。
  我々は出血や浸出液のような、糖尿病特有の様々な病変を機械学習して、
  特殊なAIシステムを構築しました」
 すでに精度は90%、人間を上回るそうです

 つまり、撮影がしやすいだけではなく
 病気の可能性がある人もスクリーニングもしてくれるんですね。

 松尾先生は
 「撮影技術もスゴいんですけど、
  ディープラーニングの画像認識技術の精度が上がったのが大きい」

 「眼底写真については、世界中の様々な人工知能の会社が競って開発をしている。
  有名なディープマインド社なんかも取り組んでいます。
  画像認識技術が使いやすい分野の1つなんですね」

 眼底写真を撮られる側も
 目をつぶっちゃったりして何回もやり直したり、けっこう大変なんですよね。
 これが簡単にやれるようになったら良いですね。

○敵対的生成ネットワーク
 松尾先生は
 「僕が以前ロンドンに行っていたとき、
  研究の一つとして医療の画像データを増やすために
  敵対的生成ネットワークを使っていたんですが
  それもあるんですか」

 敵対的生成ネットワーク(GAN)は
 偽金を作る人対見破る人のようにAI同士を競わせ、システムの精度を上げていくやり方
 難病のようにデータが少ないものについては
 これにより擬似的に病気の画像が作り出せるのでは、という話ですが

 秋山さんは
 「今のところ、臨床試験で得られたデータを使っている。
  データを自動的に生成するのは認められていないです」
 松尾先生
 「敵対的生成ネットワークは、医療器機をアップデートする意味合いがありますけど、
  アップデートしちゃってもいいのか、という問題になるんでしょうね。
  法律も含めてそれがいいかを議論していかなきゃならない」

 「でも僕が思うのは、
  医療が進んでいる日本なんかはうまく使う方法を考えていかねばならないですが
  医療になかなかアクセスできないような所に住んでいるような
  例えば発展途上国のようなところには、
 自動診断システムが使えるんじゃないか、と。
  もちろん本当はお医者さんが診た方が良いんですけど、
  それができない所は、最低限のデータでも診断できるようなものが役立つのではないか」

 徳井さんは
 「日本でも、お孫さんに車に乗っけてもらわないと病院に行けないような所もありますしね」

 日本では、内視鏡のポリープ診断にAIが実用化される流れだそうです

 最終的な診断の前のスクリーニングとしてAIを使うのはありかもしれないですね。

○服薬を確認するAI
 ニューヨークでは、服薬をしたかを確かめるのに、AIを使う動きもあるらしい

 このAIを開発した会社のCEOアダム・ハニートさんによると
 携帯電話のカメラ顔、薬、服薬の場面などを撮影し、そのデータを医師に送る
 実際飲んだのか、AIの画像認識で認識できるようなシステムなのだそう

 CEOのエドワード・イケグチさんは
 「服薬するかで治療が左右される病気もある。
  例えば結核はそうで、
  薬をちゃんと飲まないと完治もせず、周りに感染させる可能性もある」

 八重樫さんは
 「僕は2000年から5年間ニューヨークにいたんですけど、
  あちらではDOT(直接服薬確認療法)といって、
  定期的に服薬したか担当者が確認しているんですね。
  AIやスマホでできるなら、労力が圧倒的に違う。
  結核なんかは他の人への感染も防げますから、素晴らしいシステムだと思います」

 松尾先生はDOTにちょっと驚いたようで
 「患者さんが飲むのを看護婦さんなどが直接目で見てるんですか?」
 八重樫さん
 「週5回とかで、今は週3回でもいける薬があるみたいですけど、直接目の前で見ています。
  めちゃくちゃ手間暇ががかかっているんです」

 徳井さん
 「たしかにね~、自己判断でもう飲まんでええわ、となることもありますよね」

 アメリカでこのようなAIができたのは、
 保険金関係で服薬の確認が必要、という事情もあるらしい
 アメリカは国民皆保険制度ではなく、それぞれ民間の会社に入るもの
 会社によっては服薬しないと保険がおりない場合もあるらしい

 また、この会社の方によると
 「このAIには、キャプチャーのされた視覚的な情報から学び続ける学習エンジンが
  バックグラウンドに内蔵されている」とも話していました。
 服薬確認という目的以外にも、
 バックグラウンドに蓄積された情報を使って、
 世界にデータベース化された情報と比較できる。
 それにより、例えば医療の進行具合と患者の症状の進行具合との関係を見ることもできるんだそうです

 具体的には、顔色を見て、治療がうまくいっているかどうかも判断できる、と。

○余命予測AI
 次は、最近では余命予測AIもある、という話です

 余命はAIでなくても既に統計から病気ごとに出されていて
 胃ガンなら3年余命率がステージ1で88%、ステージ2で68%、ステージ3で51%、ステージ4で11%、など。

 一方スタンフォード大学では、2017年、
 AIを使い、90%の精度で余命を3ヶ月~12ヶ月の間に区切ることに成功した、
 という論文を出している

 松尾先生はしかし
 「余命を予測することや伝えること自体が問題をはらんでいる」と。

 徳井さん
 「問題ははらんでいると思いますが、
  どうやって余命確率を出すんですか?」

 平均的には統計から出せるそうです。
 余命については、他にタバコの有無とか病歴、家族の病歴、薬の効きやすさなど、考慮すべきファクターはたくさんあり、
 そこにAIを使う、と。

 松尾先生
 「でも、そこからあなたの余命確率は何%、と突きつけるのは別の問題だと僕は思う」

 徳井さん
 「お医者さんとしては、余命確率を出すのはどうですか?」

 八重樫さんは
 「実はAIでなくても、データから余命を出すのは今の医師でもすでにやっていることなんですね」
 と言いつつ、その情報は患者さんとの対話のなかで扱う、と。

 八重樫さんの場合は
 患者さんにも色々あり
 逐次言って欲しい人もあれば、何も知りたくないという人もいる、
 そこは検査する前にどうしますか、と先に聞いてしまうそうです。

 また、知りたい人にも、全部聞きたい人もいれば、
 余命だけは聞きたくない人もいる。
 そこは対話しながら人により出す情報を変えていく、と。
 「そこはハートが必要だと思う」

 徳井さん
 「たまに、余命3ヶ月と言われたけど一年生きた、という方もいますけど
  どのくらいの精度なんですか?」
 八重樫さん
 「いい質問ですね。
  人間あっての話なので、他にも要因はありますし、予測が正確でないこともあります。
  医師の場合は楽観的な傾向があり、実際より長い、というデータもあるそうです」

 松尾先生
 「やっぱり人間ですから、希望とかそうなって欲しい、
  てのがあるかもしれないですね、患者さんの性格にもよるでしょうし」

ディープラーニングでの余命予測
 ここで、AIがどのように余命を出すか、
 の解説がありました。
 ディープラーニングを使うのだそうですが、

 ディープラーニングでは、
 入力→第1層→第2層→… →出力
 の枝分かれ図になっていますが、
 これらのそれぞれの枝分かれの道の太さは
 モデルの予測値と、実際の値との誤差との目的関数から算出する

 しかし、この道の太さは仮のもので、
 判定が正解なことも間違っていることもある

 そこで、学習の教師データを入れて
 入力と出力が一緒になるように道の太さを調整していく
 その答え合わせと調整を繰り返して
 判定精度が高いネットワークを構築していく

 余命に関しては患者さん200万人分、
 カルテ数年分のデータを使い、
 どの余命モデルに合うのか予測してあてはめて分析する仕組みになっているんだそう。

〇目的関数の最適化
 ここで、このときの目的関数の最適化
 (より精度が高い関数を算出する方法)
 について、さらに専門的な解説がありました

 松尾先生によると、
 「目的関数の最適化」のときは、
  目的関数の最小値、
  つまり「谷底、いちばん落ち着くところ」を探すそうです

 なんだか分かりにくいので、二次元グラフで書くと、
 グネグネ曲がっている曲線関数の、一番下に凹んでるところ
 ボールを転がしたら最後にたどり着くところ、
 を探すんだそう

 これを探すときは、ちょっとずつボールを動かして
 自分が今いる位置よりも、次に進んだところがもっと下がっていたら
 そっちの方が谷底に近い、と判断される
 それを繰り返していくと、
 最終的には一番低い谷底にボールが落ち着くことになる
 (これを勾配降下法、というそうですが)

 しかし、この作業の時
 ボールをせっかちに一気に動かしちゃうと、
 せっかく谷底があっても、
 そこを通りすぎてもっと高いところにボールが行ってしまう
 同じ変動幅で戻ってもやはり谷底より高いところにたどり着き、
 谷底より高いところで永久に振動を繰り返すだけになる
 なので、この進み幅が大事なのだそうです

 「これは一次元(ボールの通り道は一本線なので一次元)で説明しましたが
  二次元になると等高線になるんですね」

 二次元になるとさらに複雑で、
 谷底を探そうとすると、
 ある位置を上から見た時、
 その位置における等高線の接線に垂直な方向に行くと
 次の等高線(もう一段階低い場所)にいける。

 そして、次の等高線にぶち当たった時
 その地点における等高線の接戦に垂直な方向に向きを変えれば
 そのまた次の等高線(もう一段階低い場所)に行ける。

 …ということをどんどん繰り返していくと、
 上から見ていると、ジグザグに進んでいるように見える。

 「グネグネ曲がってまっすぐいけないので、
  もっと一気に早くいきたいとなりますよね」
 
 そこで、最適化を早めるやり方が色々考え出されているのだそう。
 
 松尾先生が紹介していたのは「Momentum」「Adam」という方法で、
 Momentumは、
 「ジグザグの平均をとる」
 「今までの動きを加味して、次の動き方を決めている」

 Adamは
 「加速成分が大きいときは加速して、少ないときは減速する、
  これを複数で行うやり方」

 と説明していました
 
 八重樫さんは
 「谷底を目指して一気に行ったらだめなんですか」
 と聞いていましたけど
 「俯瞰して見ると、どこが谷底か分かるんですけど、
  山の中のうっそうとした森林を走っているようなもの」なんだそうです

 (一応ちょろっと調べましたが
  プログラミングのコードの説明が多くて分かりにくい…
  私の感覚的な理解では
  Momentumは「慣性」という意味で、
  その時点までボールが進んでいた方向と同じ方向にボールが進めばより加速し
  反対方向に進めば減速する、
  空気摩擦が多いと減速するボールみたいなもの、というイメージ。

  Adamはもう少し複雑で
  「勾配の変動で勾配の平均値を割って更新幅を出す」と書かれていたサイトもあり
  つまり、
  変動つまり傾きが大きいときは(分母が大きいので)更新幅が小さくなり小刻みに進む、
 つまり切り替えが速くなり加速が進む、
  一方変動が小さいときは(分母が小さくなり)幅も大きくなって切り替えが緩やかになる、
  ということらしい。
  (過去の勾配の指数関数的減数平均と、過去の勾配の二条の指数関数的減数平均を入れている、
   という話なんですが、その辺はよくわからん)
 Adamは2015年発表の割と新しいやり方みたいですが、まだ他にも出てきているようです)

 専門的な話はよくわからんが、
 ボールを目的地までなるべく速く転がすように色々工夫されているんですね。
  
〇終わりに
 八重樫さん
 「AIが医者のいないところで患者さんから情報を聞いたとしても
  情報だけで先走らないでほしいですね」

 徳井さん
 「情報の扱いは慎重にならないといけないですよね。
  AIの問診でも患者さんを診ていく中で、人間のお医者さんはどこを診ていくんですか?」

 八重樫さん
 「画像診断などはAIが得意なのかもしれないけど、
  患者さんの話を聞いて最終的に治療に踏み切るときは
  技術もリスクも分かっているお医者さんがいた方がいいような気がします。
  患者さんを納得させる意味でも、人間の医師は必要だと思う」

 松尾先生
 「確率はAIが出した方がいいかもしれないですが
  それを踏まえて総合的にどういう風にしていくかは、人と人との対話が大事ですよね」

 八重樫さん
 「患者さんの価値観も大事です。
  患者さんによってはとことん戦いたいから化学療法がいい人もいるし、
  痛いのは嫌だから緩和ケアがいい、という人もいる。
  患者さんの価値観に応じて治療法を合わせるのも、人間がした方がいい」

 なるほど、対話する、相手の考え方や生活スタイルをおもんばかりながら提案する、
 てのはかなり高度な知性なのでしょうね。

 松尾先生は最後にこんな小話をしていました。
 「余命についての小話なんですけど、
  昔たばこを吸ってる友達がいたんですね、
  で「吸ったら一日5分寿命が縮まるよ」と言っていたら
  「うるさいんじゃ、一日生きたら一日寿命が縮まるんじゃ」
  と言われて、
  「たしかに」と」(笑)

 そんな風に合理性と非合理性のせめぎあいが人間、
 数値で解析するのがAI
 数値だけでは納得できないのが人間…
 という話で終わっていました

○感想など
・最初の問診AIは、患者さん向けの言葉をお医者さん向けに書き換えるところと
カルテにコピペできるようにしたのが画期的なんじゃないか、
と個人的には思いました。

紙でカルテを書いていた人が、
電子カルテに変えづらいのって
パソコンを設置しなきゃいけないとかいう物理的な問題もあるけど、
手書きからパソコン記入にする、
てのがまずめんどくさいというかハードル高いのかなと思う。

このシステムなら、
ほとんどの文章を機械が書いてくれるので
大分入力の手間が省けるのではないかしら。

最近、医者の世界というと
女性が働きにくいというのが話題になっていますけど
つまりは医者の世界も今流行りの働き方改革をしなきゃいけないわけで
(でないと、なり手はどんどん減っていくと思う)
その意味でも、雑用が減ってお医者さんも助かるんじゃないかなと思いました。

患者さんにとっても、待っている間の時間が有効に使えていいなと感じました。

・服薬確認AIはアメリカっぽい発想だなと思いました。
顔画像を送らないといけないから
プライバシーとかセキュリティの問題がどうなるんかなぁと若干心配です。
日本では必要性も無いのであまり普及しないような気もする…

・画像診断AIは進むとお医者さんは助かるのかな、と思う一方、
お医者さんが自分の目で見て判断する経験が減ったら
それも問題かなと思いました。
逆に医学部の授業などに使って、
この画像とこの画像、どちらに病変があるか
などを鍛えるのに使っても良いのかも。

八重樫さんの
「医療はハートが必要」
という言葉が印象に残りました。
お医者さんなど医療関係の方々にとっては、
どんなに技術が進歩しても
直感的だが確信のもてる判断、温かみのある話しかけ方など、
経験を積まないと鍛えられないスキルはあると思うので
そこは機械に頼りきらずに、
自分の目で見て感じていって欲しいなと思いました。

というわけで今回はこの辺で。

NHKBS1「九段 羽生善治 ~タイトル通算100期への苦戦~」

NHKBS1「九段 羽生善治 ~タイトル通算100期への苦戦~」

2018年秋に行われた、竜王戦を追った番組です。
当時の竜王羽生善治さん。

羽生さん、好きですねぇ~
七冠取って天才と騒がれていた頃には
女子にもなんか人気でしたけど
(まぁシュッとした顔立ちのメガネ男子だし、
 母性をくすぐるところがあるんですかね(笑))
個人的には、以前やってた人工知能の特番
NHKスペシャルだったかな)
を見たあたりから興味がありました。

何だろう、勝負の世界の人なのに、ガツガツしたところがないし
割とお話が将棋にとらわれてないというか視野が広いというか、
なんか哲学的なものを感じます。

そんなわけで今回録画してたんですが、
将棋のことも竜王戦もよくわからんしなぁ…と少し躊躇。

私は、将棋のことはあんまり分かりません…
ルールと駒の進め方、成り方くらいは分かりますが
成りがイマイチ使いこなせず、
型を覚えるのもめんどくさいので、
戦略が立てられないのよね。

なので見てわかるんかなと思ってたんですけど
見てみたら、40過ぎてなお、
攻めの姿勢を貫く羽生さんに感動してしまった。
将棋が分からんなりに、
面白さが分かるように編集してくださっていたのもあります。
(その辺テレビ局の方はすごいねぇ)

タイトル戦についても全く知らなかったんで
後でちょろっと調べたんですが

タイトル戦はスポンサー付きのトーナメント戦、
タイトル獲得者にはスポンサーから賞金が出る。
賞金額の順で格が決まっていて、
竜王は最も格が高い。

タイトルそれぞれでトーナメントの形は微妙に違うが、
いずれもリーグ戦などを勝ち抜いて決勝戦に行き、
一番勝った人が挑戦者として現王に挑み、
勝った方がタイトルを得る、というやり方

勝敗の決め方もタイトルごとに違い、
七番勝負あるいは五番勝負、1日あるいは2日かけてやる

竜王戦の場合は七番勝負、
2日間かけるというキツいもの。
先に4勝した方が勝ちだそうです

ちなみに羽生さんは既に永世七冠を達成していますが
永世タイトルというのもタイトルごとに決まっていて
5期連続あるいは通算10回でタイトル獲得、などの条件がある
「永世」の称号は、引退後に名乗れる呼び名なのだそう

1回挑戦者になるだけでも大変そうですけど、
一体何回タイトル取ってるんでしょう。
羽生さんってめちゃくちゃ強いのね…

今回は、羽生さんが竜王
挑戦者が広瀬章人八段。
羽生さんはこれで負けたら無冠に転落、
勝てば通算100期のタイトルホルダーになる。
一方広瀬さんはここ1、2年勢いがあるそうで
「最強の挑戦者」と言われた、
そんな注目の対戦でした

まぁ結果はもうニュースで出ていて、
7戦まで持ち込みになり、
広瀬さん新竜王となるのですが

この番組では、そのときの7つの対局の裏側を探る、という感じでした

大体の流れを言うと
第1局、第2局は羽生さん圧勝。
第3局、4局は羽生さん有利だったが広瀬さんの逆転勝ち、
第5局は羽生さん盛り返す、
第6局は羽生さんの自滅、
第7局はいい勝負だったが広瀬さんの粘り勝ち、
という感じでしたかね。

広瀬さんは元々「攻めの将棋」だったそうですが
この対局を通じて粘りの将棋にもなっていて
そこも面白かったです

印象に残ったところを挙げてみます
(お名前や肩書など、メモのミスで間違えているかもしれませんがご容赦ください)

○1局目
 舞台は東京。
 先手は羽生さん、型は「角換わり」
 これはAI研究から生まれた最新の手で、広瀬さんが得意な型だそうです。

 敢えて相手の得意手を選ぶって、攻めてるなと思うのだが、
 羽生さんは
 「1つの対戦だけじゃないから、いずれは避けて通れない」と。

 今の将棋の対戦は、指すたびにAIソフトが評価値を出してくれるんですが
 このときは羽生さんが攻めまくり評価値もプラス。

 ですが、攻めだけではなく、羽生さんは堅実で
 相手を封じる手も指していて
 広瀬さんは
 「攻め倒すだけではなく、
  相手の選択肢を無くさせるイヤな指し方」と表現する

 勝負の近くの検討部屋では
 他の棋士たちがリアルタイムで見ながら色々議論しているんですが
 「さすが羽生さん、周到に進めていますね」
 というような反応でした

 結局そのまま羽生さん勝利。

○第2局
 次は広瀬さん先手、やはり「角換わり」を選択
 このとき広瀬さんは対策を講じていて、
 攻めてくる羽生さんをおびきよせて仕留めよう、という作戦だったそうです

 羽生さんはそれに対して
 「この形を待ち構えられているな、と感じた、
  そのつもりは無かったけど乗る形になった」
 と、そのまま仕掛ける形に出る

 そこで広瀬さんが満を時して、決めの王手を出すが
 既に羽生さんに先を読まれていて
 羽生さんは自分の玉を逃がす
 一見守りに見えつつも攻める、抜群の手なのだそうだ。

 そのまま羽生さんが勝ち。

○羽生さんがどんだけ強いか
 ここまでで、羽生さんがどれだけ強いか、
 他の棋士のコメントが紹介されていました

 羽生さんが10代、メキメキと頭角を現して来た頃のことについて、
 先輩棋士たちは
 「違う人間が出てきたなと思った。
  今まではポーカーフェイスが良しとされてきた世界なのに、
  羽生さんは頭をかきむしる、感情を露にする」

 同期の方は
 「彼は他の棋士とは違った、
  正義とは、悪とはなど哲学的な話をよくしてましたね」

 羽生さんが史上初の七冠を達成したとき
 対戦相手だった谷川九段は
 「彼とやると、自信があるはずの手なのに
  自信を無くしてしまうことがあった」

 「一番羽生さんに負けてる」と自虐的に言う先輩の佐藤九段は
 「彼の将棋は、攻めたり受けたりしてるうちに
  いつの間にかやられてしまう。
  複雑な将棋なんですよね。
  知性を感じる将棋、
  奥深くて幅が広い」と表現

 史上四人目の中学生棋士だった渡辺明棋王
 「自分の方ができると思ったのに、
  自分の限界を考えさせられた」
 「彼の将棋はバランスがいい、
  苦手な展開がないのが強みですね」と。

 先輩方は、今までにはないモンスターが来た、という感じ。
 今の高校生棋士の藤井くんも、そんな感じなんでしょうか。

 一方広瀬さんなどの下の世代も、
 新しい将棋を作って挑んでも、
 いつの間にか攻略してしまう羽生さんに脱帽していました

 例えば、山崎八段は乱戦が得意だったが
 「乱戦をすると嬉しそうな顔をされました(笑)
  喜ばれてちゃダメですね。
  いや、ほんとに弱くて御免なさい、という感じです(笑)」

 また、「藤井システム」なる独自戦法を開発した藤井九段は
 「負けるだけじゃなくて、
  内容も粉々にされる。
  藤井システムはダメと言われている怖さがある」

 ほか、
 「先入観に囚われていないですね
  先入観に囚われるのを恐れているな、という節がある」
 というコメントをしている方もいました。

 新しい将棋さえも自分のものにしてしまう、
 それだけ若手も恐れずに日々研究してる、というか、
 それが楽しいんだろな。

 今回の対戦相手の広瀬さんも、得意手を攻略された一人。
 彼は元々穴熊(最も守りが固い戦法)が得意だったそうですが、
 段々読まれて攻略されてしまう
 (たまたま、敗れたあと白目を向いて天を仰ぐ写真を撮られ、
  SNS
  「羽生に魂を抜かれた若手棋士」と投稿されてしまったらしい(笑))

 そこで居飛車、という戦法に変えた
 棋士が得意戦法を変えるのは結構な決断だそうで
 「年齢的にも、今ならまだ間に合うか、間に合わないかだと思った」と。
 そのとき研究したのはやはり羽生さんの手で、
 「羽生さんにボコボコにされても、
  やっぱり羽生さんなんですよね」と。

 彼はさらに、AIソフトから出てきた「角換わり」という戦法に磨きをかけ
 いまでは角換わりのスペシャリストと呼ばれているそうです

○第3局
 舞台は鹿島神宮
 このときも「角換わり」
 広瀬さんは2つの敗戦で
 序盤に時間を使いすぎた反省から、
 持ち時間をなるべく減らさない作戦に出る

 羽生さんも
 「速く指してるなという印象をもった」
 しかしこのときも、羽生さんが攻め立てる展開。

 ところが中盤に入り、羽生さんは段々悩み始める
 最後の決め手がなかなか見つからず。

 広瀬さんは、押されながらもそんなに悪くない、と思っていたそうで
 一瞬を仕留めようと思っていた、と。

 結果そのまま広瀬さんが逆転し
 「作戦がうまくいったのが自分のなかでは会心だった」と。

 一方羽生さんはなぜ負けたか不可解な表情で
 「もっとうまく指せたと思うんですけど…
  なんか難しくて、最後までよくわからなかったですね」

○第4局
 舞台は京都、福知山。
 序盤で広瀬さんは痛恨のミスをし
 「羽生さんも「あれ?」という感じだった」と。

 羽生さんはそれを逃さず、盤のど真ん中に銀を指す。
 守りも攻めも制圧する良手、だそうです
 広瀬さん「これは本当に参ったな、と思った」
 AIの評価値も1400以上(2000で勝てると言われているそうです)

 しかしここから羽生さんは悩み始める
 最後のとどめが指せずに悩む

 広瀬さんは
 「羽生さんの方が決めきれてない感じで、
  残り時間が30分を切って、
  少なくなってきた頃から焦っているように見えた」

 そして、そのまま広瀬さんが粘り勝ちする
 「かなり差はついていたと思うので、運が良かったです」

 羽生さん、どうしちゃったの?という感じでした。

○年齢との戦い
 羽生さんは第4局のあとも、首をひねっていたんですが
 「谷川さんが、宿舎に戻るとき同じ車だったんですけど
  あのときああすれば良かったんじゃないですか、と言われて。
  あ、そうか、とね(笑)
  言われるまで気づきませんでしたね。
  いつもそういうことを話される方じゃ無かったんですけど
  さすがの切れ味というか」
 と苦笑い。

 谷川九段は
 「流れだとか時間の使い方が、どうも腑に落ちない対戦だった」
 同期の森内九段も
 「羽生さんらしくないもったいない負け方だった」
 
 勘が鈍ってきたのか…と心配させられる展開でしたが、

 これについては谷川九段は
 40代、という年齢もあるのかなと話していて
 「40代になると、100%力を出しきるのは難しい。
  羽生さんの48という年齢を考えると厳しいのかな」と。

 対戦前、たまたまNHKさんが
 羽生さんに若手と戦うしんどさについて聞いていて、
 「大変です、そりゃ、かなり」
 と苦笑い。

 「でもね、強い人と打つのは楽しいんですよ」と。
 「テニスのラリーでいうと、
  厳しいとこに打って打ち返せたら楽しいでしょ?
  あれは、厳しいとこに打ってくれないと面白くないんですよ」と。

 でも返せないと苦しいですよね?と聞かれ

 「そうです、打てないのも苦しい、そこは微妙ですねぇ」と。
 でもそれを話す表情が少年みたいで、とても楽しそう。

○第5局
 舞台は石川、七尾。
 広瀬さんは対戦前
 「数字では2勝2敗ですけど、
  内容はずっと押されているんでそこは建て直さないと」と気を引き締める。

 先手は羽生さん、選んだのは角換わりではなく、矢倉。
 広瀬さんは「意表を突かれた」と。
 羽生さんは相変わらず飄々と
 「角換わりもいいんだけど、たまには違う手もやりたいな、と思って…」

 この中盤、羽生さんは普通は攻撃に使う角を、
 相手陣地より遠い自分の飛車の前に置く
 「遠見の角」というそうです

 ちょっと奇妙な手ですが
 広瀬さんは
 「こういう変な所に角をプロが置くときは良い手のことが多い。
  読んでみるとやはり苦しかったですね」と。

 そのあと、広瀬さんは、チャンスをとらえて王手の金を置く
 羽生さんの次の手を、AIは隣の香車を取る、と予想するが
 羽生さんはそれを越える手を出す
 AIの評価値も1900と一気に上がる

 羽生さんはAIソフトについて
 「AIソフトも強いけど、絶対だと思わない方がいい」
 「AIは一年経つと、前のバージョンに7~8割で勝つと言われているんです、
  ということはそこには間違いがあるんです。
  だから自分の感覚を大事にした方がいいとは思います」と。

 …昔羽生さんは、AI研究者との対談の本にも
 「機械は間違いを起こすことがある、
  それは心に置いておいた方がいいのでは」
 ということをおっしゃっていて、
 AIのすごさは知りつつ、一つクッションを置いてみているなという感じでした。

 そして終盤、羽生さんは意外な手を出す。
 それは相手陣地と平行に存在している相手の飛車を
 攻撃の駒である金で封じる手

 私はどこが珍しいのかさっぱりわからなかったのだが、
 普通金は攻めに使うので
 防御に使うのはセオリー無視のやり方なんだそうです
 でも羽生さんは、相手の飛車が邪魔で王手をかけられないから、そうしたようです

 別室の他の棋士たちはこれにざわめいて
 「普通は指さないよね、
  他の手を指して負けるよね」と。

 結局そのまま羽生さんが圧勝。
 広瀬さんは「次にはもう少し内容のいいものができれば」と。

○第6局
 舞台は鹿児島、指宿
 先手の羽生さんが選んだのは「横歩取り
 最も攻め合う、ハイリスクの型だそうで
 別室の他の棋士たちはざわめく
 「1局目とか2局目とかなら分かるけど、ここでか?」と。
 攻めますねぇ、羽生さん…

 羽生さんはまたも飄々と
 「決めてた訳じゃないんです、
  ただ1つの作戦として有効かな、と思った」

 ただ広瀬さんは想定内だったそうで
 「対広瀬の時は一時期横歩取りが多かったんで、
  今回もどこかで来るかなと思っていた」

 しかも羽生さんはAIの研究が進んだ最新型に誘導する
 複雑で激しい、予想しにくい展開になったそうです
 攻めますねぇ、羽生さん…

 しかし途中で羽生さんは痛恨のミス
 ここでAIの評価値は-1500くらいまで一気に下がる

 そのまま一方的な展開になり、史上最も早い投了。
 羽生さんは呆然として「何でだ」と、

 そこで、付き人が
 「1九角成(ミスの手)がまずかったんじゃないか、と…」
 と話しかけると
 羽生さんは厳しい表情で
 「で、どうするんですか?」
 相手は気圧されて
 「検討室ではそんな話が…」
 羽生さん
 「で、どうするんですか?
  他の手はもっと悪いと思ったんですけど。6五桂ですか?」
 「4五桂です」
 そこでやっと表情が和らいで
 「ああ、なるほど」

 そのあとはいつもの苦笑いの表情で
 「言われるまで気づかなかったですね、
  もっと時間を使って掘り下げないといけないと思いました」

 広瀬さんはこの展開について
 「最新のコンピューターを取り入れてやっていらっしゃるけど
  羽生さんと言えど、ついていくのは大変なのかな、と思った」と。
 「年のせいなのかよく分からないですけど、
  あのとき(ミスの手のとき)香車を取ることしか考えられてなかったとしたら、
  羽生さんでも捉えづらくなってるのかな」

 年齢の壁は厳しいんですかねぇ…

○AIから学ぶ若手
 広瀬さんよりさらに下の年代、
 20代前半から10代の方々は
 今やAIソフトを使って学ぶのが当たり前

 ソフトをフル活用している千田六段などは
 「今は人間よりソフトの方が強いから
  ソフトから学ぶ方が有力」
 とまでいう

 羽生さんはそこにも果敢に向かい合っている

 50代の佐藤九段は
 「AIソフト相手の若者にどう付き合うか、
  羽生さんも試行錯誤しているのかなと思う」

 30代の渡辺棋王
 「流行を作っていくのは10代20代なんですよ。
  どうしても30代以降はついていくことになる。
  でも羽生さんは流行を避けないのがすごい」と。

 羽生さん自身は相変わらず飄々と
 「流行に前向きというよりは、
  避けて通れないと思っています…
  テクノロジーの発達は止められない。
  そこはそういうものとわきまえておかないと」と。
 AIについては
 「今までが手堀りだったのが、AIはブルドーザーで掘ってるようなもの、
  探索できるところを探索して、新しい将棋を作っている」と。

 でもそう話す表情に悲壮なものはない。
 あるものを受け入れる。
 新しいものを取り入れる、
 それも楽しんでいるのかなと思いました。

○第7局
 舞台は山口の下関、武蔵対小次郎の対戦で有名な、巌流島もあるところです
 対決前、巌流島に行く二人の姿もありました。

 広瀬さんは
 「どちらに転んでも受け入れる覚悟は出来ていた」
 と、若い頃よりもどっしりした感じ。

 羽生さんも前回の惨敗を受け、じっくり攻め合う展開でした

 検討室でも「いい勝負ですね」と。

 指したり引いたりの展開、
 このとき、広瀬さんは羽生さんの思い付かなかった手も繰り出す。
 羽生さんは、広瀬さんの意外な手に48分も考え込む。
 広瀬さんはそれに対し、1分で早指ししていく。

 有利になってきたが、しかし広瀬さんは一気に攻めこまず、
 相手陣地から遠い守りもじっくり固めていく。
 広瀬さんは
 「どちらかというと、羽生さんが指すような手順ですよね」と。

 「穴熊時代は攻め一辺倒だったけど、
  今回は攻めるか固めるか、で、固める方も選べたのが印象的だった。
  羽生さんから盤を挟んで吸収しているところがあるのかな」と。
 1局1局で成長を感じたそうです

 残り時間がどんどん少なくなっていく中
 羽生さんは痛恨のミスの一手。

 別室の棋士たちは
 「キツいですね」「一気に寄せが来てもおかしくない」とざわつく

 しかし最後まで羽生さんは飛車を投入
 広瀬さんは
 「執念のようなものを感じました。
  全く勝負を捨ててないですよね」

 しかし、もう残り時間も少なく、体勢は建て直せず…
 他の棋士たちは、あの羽生さんが負けてしまう…と、複雑な思いで見守るが

 若い頃から羽生さんと共に将棋を研究してきた同志、島朗九段は
 違う視点からその光景を眺める。
 「粘っているというより
  明日の勝ちのための一番だった、
  そんな風に見えた」と。

 「終盤の指し方を見ていて、
  17歳くらいの羽生さんを思い出したんですよね、
  最初にタイトルを取った時はこんな姿勢だったな、と。
  まだまだやれる、という再出発を整理した瞬間だったんじゃないかな」

 追う立場だからこそのハングリー精神、みたいなものでしょうか。

 谷川さんも
 「将棋は一人で指すものじゃない、二人で作品を作り上げるもの。
  羽生さんとは一番良い作品を作り上げられる相手なんです。
  私の中の羽生さんは2030代の頃の羽生さんだし、
  いつまでもそうあってほしい」と。

 羽生さんは1分勝負になり
 それでも最後まで諦めない
 「気持ちの整理というよりもですね、
  あとちょっと、もうちょっと…」

 もっと戦いたかったのかな。
 最後は相手に陣地を囲まれ投了。

 終わったあとはさばさばした表情で
 「負けたということは、実力が足りなかったということ、
  また力を付けて次のチャンスをつかめたらと思います」と話していました

○対局を終えて
 そのあと、自分の原点だった将棋会館の閉鎖のお知らせを聞き
 駆けつけて挨拶をする、
 年明けには指し初め式に出席し…と次の生活が始まる

 羽生さんは無冠になったことについて
 「自分の棋士の歩みとして何か変わることはないですね、
  やっぱり前を進んでいくだけ」と。

 そういえば、竜王戦が始まる前のテレビのインタビューでも
 「あまり100期とかタイトルはこだわってない」
 「勝っても負けても、すぐ忘れる」
 というような話をされていました。

 その話し方から受ける印象としては
 忘れるようにしている、というよりは
 1回1回の対戦に純粋に集中して楽しんでいる、ということなのかなと。
 まあ羽生さんレベルになったら
 今更一つタイトル落としたって評価が揺らぐことはないと思うのだが
 そういう意味ではなくて、目の前の一つ一つの対戦で、
 難しい球を打ち返す楽しさを味わいたい、
 それだけなのかなと感じました。
 
 番組の最後に、他の棋士のコメントが紹介されていました
 色々あったけど、一番印象的だったのは先輩棋士の先崎九段
 「彼は革命家だった、
  昔は将棋のプロになるというと、裏街道を行く感じでしたけど…」
 このVTRを見ていた羽生さんも
 「そうですよ、私がプロになったころ
  先輩方みんな怖かったですよ~」と笑う。

 先崎九段はこう言う。
 「彼は世の中の将棋に対するイメージをかえた。
  それは私から言わせれば、
  七冠よりも国民栄誉賞よりも大きなことだった、と思う」
 たしかに、ここまで将棋がメジャーになったのは
 羽生さんの気さくな人柄もあるのかな、と思います。

 それから、渡辺棋王
 羽生さんのこと好きですか、と聞かれ
 「愚問ですよ。あれだけ勝負して、好きなわけないでしょ」(笑)

 また、「一番負けてる」と言っていた佐藤九段は
 「私のイメージの中では、彼はいつも前を走るランナーですね。
  いつも追い付けないですけどねえ」
 お互い引退したら何を話したいですか、と聞かれ
 「無いですね」と即答(笑)
 「全て盤上で教わってきました。
  また将棋指しましょうか、くらいじゃないですか」(笑)

 第4局後に助言していた谷川九段は
 「私も50超えてなお、将棋に発見がある。
  変な話、彼が頑張っていたら私も頑張れる気がするんですよね。
  だから、若いのに負けないで欲しいな」
 温かいメッセージでした。

 これを聞いていた羽生さんは
 「恐縮ですね…」と言いつつ
 「長い歳月をかけて、今のところに来たんだな…という感慨はありますね」と。
 
 そのあとも、羽生さんの挑戦は続く。
 若手と指しあって負けたあと、研究に没頭する姿は
 どこか嬉しそうでした。
 最後は奥様からの「あなたはあなたの将棋道を貫いてください」
 というメッセージで終わっていました。

〇感想など
・あんまり将棋の中継とかリアルタイムで見たことがなくて、
 羽生さんが対局している様子も初めて見たんですが

 前後に体を揺すりながら、前のめりで盤に向き合っていて、
 周りの空気が、リラックスしているんだけど集中している、みたいないい感じ。
 羽生さんの世界に入り込んでいるな、と思いました。

 棋士さんには色々タイプはあると思うんですけど、
 ほんとに没頭型の人なんだなと思いました。

 私も割と物を書くときは入り込んじゃう人間なので
 こんな風かなぁ、あんなふうかなあ…、と、空気感を想像してしまった…(笑)

・羽生さんは
 「負けても勝っても忘れる」
 ということを仰っていましたけど
 負けた対局の後の反省戦を見ていても、
 悲しさとか悔しさを全然感じなくて
 むしろ発見することに夢中になっているように見えました。

 それで思い出したのがフィギュアの羽生くんなんですが
 (漢字同じですね(笑))
 彼も負けた試合について、
 もちろん悔しさはあるとしても
 「まだ強くなれる、ということだから嬉しい」
 というようなことを言っていて、
 お二人とも、負けることをネガティブにとらえてないんだなと思います。

 普通、負けたら恥ずかしいとか悲しいとか感じる人が多いと思うのだが、
 多分それは、自分や自分の今までの努力を
 否定されたような気になるからじゃないかしら。
 少なくとも私はそうだな。

 でも、負けたことは結果であって理由は色々、
 即自分のやり方が悪かった、と思う必要はないんだな、
 というか、もっと別のことに目を向けたら
 面白いと思えてくるんだな、と気づかされました。

 彼らは負けをどうとらえてるのか?
 一瞬、負けも次へのステップ、とポジティブに捉えてるのかな、とも思ったんだけど
 それも違う気がする。
 ポジティブ、ていうと、否定的な経験から無理矢理良さを探す、みたいな、力みを感じる。
 そうじゃなくて、多分ポジティブというより、
 ニュートラルに考えているのかな、と。
 自分の課題を見つける手段、くらいにとらえているのかな、と。
 だから羽生さんは「勝敗はすぐ忘れる」のかな、と思います。

 強い人と戦うの楽しい、
 余裕勝ちじゃ面白くない、強い人たちとやって勝つのが楽しいんですよ、てのも
 お二人とも共通してますね。

・AIについての考え方も興味深かったです。
 今回は触れられていなかったんですが、
 少し前に読んだ人工知能関係の本で
 羽生さんは
 「AIは負けの恐怖を感じない、そこが人間と違う」
 「将棋の「美意識」みたいなものは、恐怖と関係しているんじゃないか」
 とおっしゃっていた、と書かれていました。
 
 機械が怖がらない、言われてみれば当たり前なんだけど
 そこは棋士にとっては、今までにない180転換の発想なのかな。
 「美意識」って、昔からある将棋の型とか伝統に直結するものだと思うけど、
 それが人間の本能のないAIにかかれば簡単に無視されちゃう、
 そんな衝撃があるのかなと思いました。

 今回羽生さんが、あえてセオリー無視の手を出したり
 AI最新の、リスクの高い型に挑戦したりするのも、
 そういう、美意識無視、恐怖を超える、みたいなAI的な発想さえも、
 飲み込んで自分のものにしようとしているのかな、
 と感じました。

最後に棋士さんたちが
「羽生さんがこのまま99期で終わる気がしない」
「今回は負けましたけど、次にタイトルを取りそうなのはやはり羽生さん」
と話していたんですが

まだまだ彼は進化しそうな気がする。
というか進化し続ける楽しさをもっと見せて欲しいな、
と感じました。

私も羽生さんと同じくそれなりの年ですので、
年齢との闘いもありながら前へ進む、
その姿勢にはこちらが背中を押されます…

これからも応援させていただきたいと思います。

というわけで今回はこの辺で。